5-1.吊り橋の先の崩落による道が通行できずの情報(T氏)

吊り橋を渡ったところに花が置かれてあり・・では、あのルートしか僕たちには採りようがなかったのではないかという理解が僕にはあります。車道に出てから下を見下ろしてみました。本当にあのルートでよかったのか、と思ったからです。はたして、その近辺には、人の登ってきた痕跡は見当たりませんでした。もし、ずっとバックして、どこかに巻き道のようなルートが造られていたなら、そのルートを見逃して危険を冒したわけで、遭難の危険を僕らははらんだおそれがあります。
つまり、あの危険な上りを下りで使う(=秩父湖側から和名倉山に入る場合のルートがあそこだった)のは、ほぼ、無理ですから、登山道が修復されるまで
は秩父湖から和名倉山には登りえないことになりますね。そのような理解を僕はしました。だからでしょうか、Hさんに確かめた際に、トレース(踏み跡)がない、と言われたので、「?」という気がしたのです。あそこのせいで、誰にも吊り橋までも近寄れなかったのかもしれません。
せめて、20メートルのロープ一本を持っていれば、あの崩壊地をそのまま横にトラバースして進むことができたと思います。あんな場所が出てくるなどとは想像していませんでしたので、油断していたのかもしれませんね。災いは忘れたころにやって来る、ということですね。