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鋸岳・甲斐駒ケ岳


                                                      2014/07掲示 我孫子山の会

 ◇実施日:2003年11月1~3日
 ◇参加者:男性6名、女性2名(合計8名)
 ◇行路11/1日 9.00JR小淵沢下車--〈ラクシー〉--9.30釜無川(富士川上流)林道ゲート--釜無川橋--富士川源流--15.45横
      岳峠(テント泊)
    11/2日 4.00起床/5.30発--8.20三角点ピーク--9.50角兵衛沢ノコル--10.20第一高点(鋸岳山頂)--11.5小ギャップ--12.50
    鹿窓(鹿穴)--13.15大ギャップ--13.50第二高点--16.20中ノ川乗越--17.40六合石室(テント泊)
    11/3 3.50起床/5.15発--7.50甲斐駒ケ岳--10.30/11.00七丈小屋--12.15五合目小屋--17.15竹宇神社--18.25韮崎駅--
    20.30新宿--21.45我孫子帰還


 
▲鋸岳(第一高点)の山頂で。きつい行路を通過した後だからか、これから先を思ってなのか、みんなの顔に笑みはない。


 台風による被害の工事中で、その間を縫って車道を進む。

 横岳峠を目ざす。別荘なのか山小屋なのか、瀟洒な建物があった。
 釜無川の水源に沿って登る。

 大崩ノ頭か。


  このルート上、唯一テントの張れる場所だ。戸台川
側が睥睨できる。水場は登り口からここまでと、
 ここから六合石室までない。                
   
 仙丈ケ岳方面を見る。南アルプススーパー林道がすでにかなり下に。

 横岳あたりから中アルプスを遠望する。
 
 北岳(左)と間ノ岳(中央)も見えてきた。右は仙丈ケ岳。左上の緩やかな鞍部は北沢峠(2015メートル)。
 
 三角点ピーク(2607メートル)。 
 未知の岩稜の尾根を進む。

 なめてはいけない! さすがに激しい岩場のアップダウンが繰り返す。
  
これからどうなるのか、いった不安が隊員の表情に見て
とれるような1枚。実はこれから本物の難儀が待っていた。
 角兵衛沢ノコルから見た戸台川側。ここのコルへの最後の詰めは、ざらざらの小石で成り、歩きにくいこと限りがない。左から2つ目の、ほぼ直角をした岩角を持つ出っ張りの向こう側が「岩棚」と呼ばれる場所だ。2年前に角兵衛沢からたどった11月下旬には、ここを利用した。15×5メートル程度の平坦面が、垂直の岩壁に端座するようにあった。そこに湧く水が大きなつらら(氷柱)を作っていた。かち割ってマッカランをロックでいただいた。中央アルプスのアーベントロートを遠望しつつ、最高の瞬間だった。

 鋸岳の主稜線を斜め横から見た。アップダウンが繰り返し、しかも稜線
上が1本の経路でつながっていない。ときに巻き道をとり、トラバースをし、
非常に複雑に変わる経路を見いだしつつ進む。
 
  小ギャップといわれるV字型の切れ込み部。荷を背負ってのフリー
 での下降は危険だ。
 
    
 小ギャップのすぐ後に待ち構えている急坂。草木がホールドになる。
ここを登り切ると第一高点(鋸岳山頂)だ。
 
   山頂を越えた後、鹿窓(鹿穴)をくぐり、15メートルの急傾斜を
  下る。2年前にはロープは残置されていなかった。

 
  このルート一番の難所。通過用のロープを固定した。岩崩れが夥しく、通過する際も岩が崩れないように
 と祈った。ランニング用の小さな木々類も支点としては頼りなかった。

  上々の段の写真の難所を通過しきった後、U字の螺旋状に下ると、対岸のトラバース道に下る。小さく人影が見えるのはM倉さんとS田君。
  この難所一帯を大ギャップと言っている。近年では、この難所は巻いて通過する。上記のガレバからここにかけての「大ギャップ」は、
 現在、行路が大きく変更されていて、鹿窓を抜けたところから、大きく下(戸台川側)に回り込むようにして下り、登り返して第二高点
 への上りの地点に至るようになった。
 堂々たる甲斐駒ケ岳が見え、しだいに近づく。ここまで来ると、あと基本的に困難な箇所はほとんどない。
尾根通しに距離を進むのみだ。

 第二高点で。ここから先には、すぐ中ノ川乗越への下りがあるが、それ以降は比較的なだらかとなる。この稜線上から戸台川側への
逃げ道は現在は角兵衛沢ルートを除いてほとんど使われていないか、あるいは使用禁止となっている。

 坦々と尾根を進む。

 翌朝(11月3日)の六合石室からの甲斐駒ケ岳への上り。見た目ほど難しくはない。
 天気が崩れ始めた。結局、黒戸尾根の五合目から降ってきた雨は本降りとなった後、駒ケ岳竹宇神社に
下山し切るまで続いた。本当に長い距離、そして標高差だった(2000メートルは超すだろう)。この日は、ほとんど
緩まぬ行動がまる12時間も続いたことになる。みんな、よく頑張ったと思う。S田君は、最初からあんなんだということがわかって
いたなら、参加しなかった、とも言っていた。T原さん、K平さん、S木さんとは、鋸岳は2度目だった。

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