アーカイブス

思い出のアルバム


アルバムの中から、思い出の写真を抜き出してみました。これからも随時、追加していきます。
(2014/08/15 我孫子山の会)

 1994/07/30-08/04 薬師岳~黒部五郎岳~笠ケ岳
 1995/04/02 茅ケ岳・金ケ岳
 1995/05/02-05 涸沢・奥穂高岳
 1995/10/20 荒海山
 1995/11/09 黒斑山
 1998/08/28-29 奥日光・光徳牧場
 1998/11/15 陣馬山~高尾山
 2000/05/14 富士山麓での山菜てんぷら山行
 2005/05/14 陣馬山




1994年7月30~8月4日 折立~薬師岳~黒部五郎岳~新穂高岳温泉


 7月30日夕方に我孫子を発った。東京から長岡まで新幹線を使い、富山まで行って、夜間は駅頭にマットを敷いて寝た。夜中じゅう、若者たちが歌って騒いでいた。31日、折立から急坂を登って、薬師岳に登ったあと、戻って薬師平で幕営。その後は黒部五郎岳、三俣蓮華岳、抜戸岳、笠ケ岳とたどり、新穂高岳温泉に8月3日に下った。雨に打たれながら幕営地のそばで、モジズリ(ネジリバナ)という花をしげしげと見た。長い山行だった。




 1995年4月2日 茅ケ岳山行
  上:金ケ岳、下:茅ケ岳。みなさん、お若いですね。会を去られた方、鬼籍に入られた方もいます。山の会ができたばかりのころで、つい有名な山々がたくさん候補になりました。いうまでもなく茅ケ岳は『日本百名山』の著者、深田久弥の終焉の地です。



1995年10月20日 荒海山山行


 O矢さんが会津高原駅から登山口まで何度も往復してくれました。下山後はせせらぎのそばで、冷やしてあった吟醸酒の出羽桜の1升びんを酌み交わす大宴会となったのです。みなさん、腰を上げるタイミングがなかったのか、わざとそうしたのか、晩秋の日暮れを忘れて、打ち解けました。楽しかった一こまです。宇都宮のU塚さん、K沢さんなどの顔があって、たいへん懐かしい1枚です。



 
1995年11月9日 黒斑山山行 

 20人という人数で、バスを使ってアクセスをとった山行でした。そのころ、浅間山は登山禁止となっていたので、すぐそばの黒斑山に登ったことをもって、浅間山に登ったことにするという、百名山派を考慮した緩和策がとられていました。往復、多人数でのバス旅行の気分で、ずいぶん盛り上がりました。おおぜいでワイワイガヤガヤと豪快に行く楽しさを味わった山行でした。




1995年5月2-5日 涸沢・奥穂高岳山行
 9人で実施した初の有雪期の涸沢・奥穂高岳山行でした。残念ながら、2名が穂高岳山荘に残りましたが、7名が奥穂高岳山頂に立ちました。上は山頂での1枚、下は白出ノコル(穂高岳山行の前)で。この山行以来、奥穂高岳にGWに何度足を運んだことでしょうか。一度は、ただ涸沢のテントで一晩、そして半日、雨に打たれただけで終わったこともありました。



     1999年8月28日 奥日光・光徳牧場でのキャンプ&ハイキング
 奥日光の光徳牧場でのキャンプの翌日、切込湖・刈込湖を回りました。K間さんがまだお元気だったころです。光徳牧場は白樺林の中にある、とても自然の情趣の豊かなところで、管理人さんからたくさんの薪をもらって、その林の中で、大々的に焚き火で盛り上がりました。



1998年11月15日 陣馬山~高尾
 1998年度入会の方々が多いようです。「98(きゅうはち)組」と呼ばれています。けっこう長かった距離を歩いたはずですが、みなさん足の強い方ばかりで、なにくわぬ明るい表情で写っていますね。



        
2000年5月14日 富士山裾野での山菜てんぷら大キャンプ
 M野さん(写真の最前列中央)の招集で集まった面々。場所は、後で知ったが、あの上九一色村の近くでした。今は亡きF原君や、本会に一度籍を置き去っていった人たち、あるいは私たちのそばを通り過ぎていった人たちがいます。



2005年5月14日 陣馬山での山菜てんぷら山行
 タープを張って、山菜のてんぷらをツマミに、延々と酒盛りを楽しんだものです。ひと通り終わって、誰にも満面の笑みがほとばしっています。M越春さん(後列左端)が重い調理用具を運び上げてくれました。それにしても、みなさん、楽しかったようですね。


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