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槍ケ岳

~飛騨側からたどった槍ケ岳への行跡~

 ◇実施日:1999年5月1~4日
 ◇参加者:G藤邦、S木清、T山、T辺、N堂、H田、M越ト(7名)
 ◇行路:1日 新穂高温泉--槍平(テント泊)
      2日 槍平--大喰岳西尾根--大喰岳--槍ケ岳--飛騨沢--槍平(テント泊)
      3日 槍平--新穂高温泉--松本---(帰還)


 初めての飛騨沢からの残雪期の槍ケ岳山行だった。直前に穂高山域には大きな群発地震があったせいで、新穂
高温泉から先の登山道は荒れていた。とくに蒲田川が左側に間近に併走する、槍平手前のトラバース道は激しく崩れており、恐怖を誘った。H田さんと最後のわずかというところで、緩やかな雪の出っ張りを越えると、T山さんが迎えに来てくれてホッとした記憶が残っている。
 翌日は晴天の下、飛騨沢を行くつもりが、その前に1月に同じこちら側から登った記憶が操作したのか、飛騨沢まで進まずに、早めに尾根に取り付いた。それが大喰岳(おおばみだけ)の西尾根へのステップだった。登るうちに傾斜は急となった。硬い雪面で転がりでもしたら大変だ。そこで、ジグザグに進むこと、踏み跡を確実に造りながらゆっくりと進むこと、後続者は先行の踏み跡を確実にたどり気を逸らさないように集中することを心がけた。「後ろ、下を振り返らないように!」と促した。飛騨沢側に下りるチャンスもあったが、そのまま尾根通しに進んでやろうと、行路の右側の岩場を登り上がり、そのまま尾根伝いに行ってしまった。その後も一部、岩が出てきたが、結果的にはたいしたことはなかった。岩稜帯に出て雪も消え、わずかに雪の残ったなだらかな斜面を行くと、山頂に出た。山頂は雪をしっかりとかぶっていた。穂高岳に連なる稜線であった。そこからの槍ケ岳の景観は実に素晴らしかった。ピサの斜塔のように傾いた槍ケ岳があった。
 そこから、H田さんを確保するためにロープを出した。ほかの女性には不要と判断して、確保はしなかった。今も面倒を見なかったと、同行した女性陣から嫌味を言われることがある。
 槍ケ岳は、希望者だけで登った。槍ケ岳の基部に、T原さんのいたどたぐつ山岳会と名の入ったテントがあった。山頂をものにしたし、満足感を胸に飛騨沢を下った。小豆沢よりもかなり広い、おおらかな沢だった。駆け足で下ったが、H田さんはかなり疲労されていたようだった。沢を下りきって左に回ると、槍平の平和なテント場があった。そこから、穂高連峰の裏(北)側のあちこちの尾根が眺望できた。念願の涸沢岳西尾根もその中にあったかもしれない。
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 後半の3枚の写真は、当時はデジタルカメラが初めて登場したばかりのころで、H田さん所有の機種で撮影された。プリントも普通紙で、カメラ自体としても性能がよいはずもなかったが、いい感じに写っている。懐かしの写真だ。
                                                           (2014/07/05 TK)

 大喰岳西尾根に登る途中の斜面。けっこう急な傾斜が続く。この写真だけ、リバーサル写真からのスキャンで。中景にあるきれいな尾根筋は、涸沢岳西尾根と思われる。


 これから登山開始となる、大喰岳西尾根の取り付き部で。





 大喰岳西尾根を登ると、傾斜がしだいに緩くなっていく。さほど困難なルートではなかった。


 途中の休憩地点で笠ケ岳、抜戸岳など飛騨山地の山々を振り返る。


                                                             大喰岳山頂で。


 大喰岳山頂付近から見た槍ケ岳。奇妙に傾いていた。このあたりを襲った群発地震で傾きが増したとも聞いた。


 大喰岳から槍ケ岳への稜線上で。H田さんとS木さんにだけロープを出した。女性には適用しなかったと言って、後で女性からきついお叱りを受けることとなった。

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