アーカイブス
                                                           1995年12月31日~1996年1月3日

五竜岳

                                                              2014/07/31  我孫子山の会


 ◆実施年月日:1995年12月31日~1996年1月3日
 ◆参加者:I本巧、O矢N一、T辺K(3名)

 毎年暮れになると、都合のつく者どうし(少数)で、ふだんは行かない大きな山に登ることが多かった。この年はとんとん拍子に話が進み、若手のI本君も加えた3名で五竜岳山行を、正月を挟んで実施することになった。ここに掲げた写真は、手元に保持するものの中でも、一番の写りだ。というのは、カメラがこのときは違ったからだ。今は亡き、職場のI川さんが使ってくれと言って、気前よく貸してくれたのだ。機種はライツミノルタ(ライカとミノルタの合作の1品)の一眼で(レンズはロッコール)、いずれもリバーサルフィルム(ベルビア35mm)を使った。それまで何百枚、何千枚と撮った写真だが、満足のいく作品はなく、このときカメラの威力を知り、問題が氷解した。これらはすべて手持ちで撮ったが、ブレもないほどよく撮れている。腕のせいではない。
 実際の山行は、大晦日から元旦にかけて中遠見あたりの尾根の上で、丸1日半吹雪かれてテントに沈殿した。I本君が「用を足しに出る」と言って吹雪の中に出て行っては、テントをおおった雪を落としてくれ、まわりに積んでテントを圧迫する雪をかいてくれた。感心な青年だ。年の暮れだというのに、飲み物(アルコール類)も底をついた。だが、がまんしたおかげで、2日は最高の天候に恵まれた。しかも、O矢さんの無線機が大町平野に住む方とつながり、親切にも正確な天気予報を次々と教えてくれた。ラッキーだった。当時は携帯電話や携帯テレビはまだ出回っていなかったから、そのありがたみは忘れられない。3日にはまた悪天になるから、早期に下山したほうがよい、とのアドバイスもくれた。そのとおりの天候となった。
 アクセスには栃木のO矢さんの車を使った。この10年ほど2人には会っていないが、2人とも元気にやっているだろうか。

                                                   ▲上の写真にマウスを載せると別の写真が出ます

 鹿島槍ケ岳からの五竜岳にかけての稜線と南面にできたヒマラヤ襞。見事な景観に見とれてしまった。遠見尾根から見る、鹿島槍ケ岳の両翼を引く姿とともに、忘れられない光景だ。

 遠見尾根から白岳に向かって踏み出すと、小さな出っ張りに乗り上げる。そこから最低部に下り、けっこうな傾斜を登り返すと白岳への斜面となる。最初は白岳への上りで雪崩れなければいいがと少し不安が襲ったが、だいじょうぶだった。トレースをたどって白岳に達すると、その先には五竜小屋があった。しかし、問題はそこから先だった。その後も、小屋から先で何度か挫折している。
  
  褶曲雪面の織り成す陰影の造作。上の写真を含めた3枚とも、この景色の中にI本君かO矢さんがいる。最初は、この雪面に踏み出して、あまりの雪の嵩の多さに、不安になった。あまりにちっぽけな人間が不釣合いな世界に身を置いていると感じた。
 五竜岳山頂に立ったI本君(左)とT山頂の手前には急な岩場と雪面があり、残置されたスリングを頼りに体を引き上げた。  同じくO矢さんと。
 五竜岳の南峰に立つI本君。背景左は霧ケ峰、右奥は奥秩父、端は富士山。彼の自宅には、まだこの写真が飾られているかもしれない。  同じく距離をとって撮影した1枚。山頂の東側は雪庇が張り出していた。
 右の1枚とともに、これだけの山岳景観を収めえた写真は手元にはない。眼下に見える平野は松本市(松本平野)、双耳の山は鹿島槍ケ岳。

写真の無断転用はお断りします。 © 2014 Abikoyamanokai

前のページへ

�E��E��E�