・・・思い出の南八ケ岳山行をもう一度たどってみた・・・
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※実施日:2003年10月11~13日 ※参加者:男性3名、女性1南(計4名) ※経路と時刻:
20mなど ※食事:11日夜 焼肉+ご飯/12日夜 野菜炒め+ご飯/13日朝 ラーメン ※経費:往復のJR、出入りのタクシー、食費、打ち上げを含めて約15,000円 |
今回の山は、はじめの計画では北岳を目ざすものであった。白峰御池をベースとし、バリエーションルートのバットレスからと、通常のルートからの二手で北岳山頂に達し、御池に戻ってくるという計画だった。しかし、今夏の台風で打撃を受けて不通となっていた南アルプススーパー林道の回復が、今季は絶望的となった事態を受けて、別の山を対象として計画を練り直した結果、多数の参加が得られるようにと、南八ヶ岳を選択したのだった。 この山は、今夏、Ymさんから会山行として提案されたのとほぼ同じだった(夏は悪天で不履行となった)。今回の山は、事情が生じて参加できなくなった方々の数が、実際の参加者数よりも多くなってしまった(結果的には4名のみでの山行となった)。雨飾山があったため、参加メンバーが割れたとはいえ、参加者が少なかった。もし不都合者が出なかったら、2つの重なる日程での山行に、合計20名近い参加があったこととなる。 下山時には、「雨飾山とは比肩はできないが」と前置きしたうえで話したことなのだが、それは見事な「この広い山いっぱい」の錦繍(秋)を掌中にすることができた。また強風あり、危険いっぱいの岩稜帯あり、富士山や南・北アルプスの遠望あり、そしてはてははじめてのオーレン小屋の幕営地ありで、思いがけないほど内容の盛りだくさんな山行となった。同行者の少ない中で、初志を曲げずお付き合いくださった仲間に深く感謝する。 今回は、経過に沿って、写真を見ながら粗筋のみを羅列するにとどめる。 ただ、少しだけ加えておくとすれば、2日目は、赤岳までの上りはまだよかったが、それでもあの岩場が見えないくらいに道中ずっと霧雨~ガスが立ち込めていた。横岳を行き、硫黄岳山荘を認めて、そこでひと休憩をさせてもらったときの安堵感を今も思い起こすようだ。そこで食べたラーメンがおいしかった。厳しい山中のオアシスのようだった。そのまま夏沢峠に下り、左にとると20分でオーレン小屋だった。登山者でマーキングされたような八ケ岳主流の山小屋と違い、実に静かなエリアだった。きっと、誰も知らないのだろうと思った。トイレは水洗だったし、小屋から1時間半で桜平という、車が来られる駐車場だった。八ケ岳の主脈までこんなに近くまで車道が通じていたのだった。(T・K) |
観音平を出発した 平坦な道が少し続く/編笠山への行程2/3ほどで分岐となる ここを左手にとる
編笠山への上りから富士山が見えた/編笠山を過ぎた地点から山頂と青年小屋を俯瞰した
権現岳に近い地点から振り返り見たはるかな南アルプスのシルエット/ハイマツ・ダケカンバ・オオシラビソが混じる周辺の植生
ノロシバ、ギボシという聞き慣れない名の場所を通過する 北北西の方角に見た大規模な薙ぎと蓼科山(最奥のお椀型の山)/権現岳と権現小屋
進路の左手には豪快な赤岳がそびえ(左、ゾクゾクする)/行く先の青い屋根は権現小屋
権現岳付近から編笠山を振り返る/南八ケ岳のたたずまい 左から阿弥陀ケ岳、硫黄岳、横岳、赤岳 実にいい配置で、きれいだ
権現小屋の先から鉄製の長い梯子を下る かなり古いもので、やや不安を感じる/カメラのアングルとしても峰々のバランスのうえでもとてもいい
キレット小屋のテント場から見上げた赤岳へ続く峰々(右の針峰群は天狗尾根)/赤岳への上りから見た権現岳 紅葉には少し早かったようだ
キレット小屋あたりから見た東(小海)側/赤岳の山頂でケロッとした4人
オーレン小屋の気持ちのいいテント場/オーレン小屋を後にする
そろそろ登山も終わりにさしかかろうかというとき/山行の最後に見た周辺の景色 少し紅葉が増している気がした