時期 | 2001年11月22~27日 |
参加者 | 片平、鈴木清、立原、田辺(CL)、水野(SL) |
概要 |
2001年11月下旬に南アルプス・鋸岳に入山した。何年も温め続けてきた目標だった。伊那北方面から車道がたどる最終地点の戸台川の河床を基点に、川を遡上し、途中、北沢峠までへのルートから左に逸れて、角兵衛沢を詰める。1日目は岩小屋にテント泊し、翌朝から沢を稜線まで登り上げ、鋸岳(第一高点)を通過して、甲斐駒ケ岳の西側にある六合石室のテント場で2泊目を過ごした。3日目、宿営所からやや戻った箇所から戸台川に向けて下山を開始したが、下山口を間違えたため五丈ケ滝(大滝)の流域に入ってしまう。この滝、流域は、甲斐駒ケ岳~駒津峰を左に見上げる、険しいも険しい戸台川の本谷である。非常に急峻な沢筋、岩場の連続する、人間の入り込めない領域で、下山を進めすぎたため下山予定日に下山する状況から大きく外れてしまった。下山予定日から丸1日完全に遅れており、明らかに遭難という事態に陥ってしまった。なんとか我孫子の連絡先(笠間さん)に、遭難したため下山が遅れるが、全員元気の旨、携帯電話で通知できたものの、それも切れ切れで、その夜はやむなくビバークとなった。 なんとしても自己脱出を絶対せねばと心得、翌日の行動を相談し、谷からの脱出、下山に打って出た。前日に打ち合わせた計画は、甲斐駒ケ岳~駒津峰側から派生している支尾根を幾つか大きく高巻いて、ともかく大滝の下に下るという目論見だったが、その高巻きは通常の登山では経験したことがないほど危険を伴うもので、今考えてもきわめて危険度の高い選択であった。隊員の誰もが体力と精神を消耗した。そして、「もうそろそろいいか」という、行動から5時間後に高巻きから切り替えて下った地点で、まだ大滝の上にしか我々はいないことが判明した。進退極まってしまった。だが、大滝の左岸上に2本の残置ハーケン、1本のボルトを見つけた。人の確かな足跡だ。誰かが下降に使った支点だったと思う(戸台川本谷の沢登りルートは専門書を見ても皆無だし、ここまでこの大滝の下部から登ることはとても考えられない)。 そこを支点に滝からの下降を試みることにした。最初は2段構え(2ピッチ)での下降を考えていた。一定の下降点でテラスを下降台にして、そこから下へのもう一段の下降を目ざすつもりだった。しかし、集合ができるテラスなどなかったし、身を預けながら、滝の左右(とくに左岸)から下降できるルートも、見る限りではなかった。あまりに傾斜が急で、山肌が岩角をむき出していて、危険すぎた。そんななか、20メートル近く降りたバンド帯は一定の安定を保てるだけの平坦面で、助かった。一瞬だったが、体を休め、考える時間を与えてくれた。私はザックを背負ったままここまで下降してきており、安定地点から次の、最終下降点までの安定した下降ルートを何としても見つけなければならなかった。しかし、滝の高低~高さ(長さ)に対して50メートルロープ1本のダブル(25メートル弱)ではとても足りなかった。滝つぼまで、少なくとも10メートル以上、どう見ても15メートルはまだ落差がありそうだった。こんな経験はやろうたってできるものではなかったし、すっかり困り果てた。しかし、思案の末、一考を案じるゆとりを、なぜかその深刻な状況でも持ち続けていた。声が届かないほど距離は開いていて意思伝達に手間取ったが、確保点でロープを解いてシングルにする最終の決断を水野さんに伝えた。直径9ミリのロープが1本にリセットされた。そのロープをハーネスに結わえ直した。 すでに大滝の表面の水流部分は半ば氷結していた。それを避けながら下降する。いくらか曲線を描きながらジグザグの下降となったが、そのときである、氷結した滝の面で滑ってバランスを失い、逆さ吊りの状態となった。滑ったあと、一定の落差分落下した。それから目の前の風景が激しく移り変わり、一瞬、これで終わりか! という思いが頭をよぎった。振られた体が滝の下のハング部分にできた大きな氷柱をなぎ倒しながら振り子のように振られたが、やがて止まった。上部の仲間からはこちらの状況は見えない。まだ落下は免れていたのだ。「助かった」という実感だが、それに安んじている暇はなかった。頭が下になり、ザックを持ち上げて、体勢を立て直すよう試みたが、とても無理だった。窮余の策だった、逆さ吊りのまま滝の下に向けてロープに両手でグリップ制動をかけながら、滝つぼまで下ることを選択した。じわじわ滝つぼが近づいてきて降り立ったこのときの安堵感は、何とも表現のしようがなかった。上部の仲間に下降したことを告げたあと、仲間のザックを先に下ろし、続いて残り4人の下降を、と送った。次々とザックが降りてきて、そのあと仲間たちの下降が終わった。ともかく最難関の脱出が成功して、ひと安心した瞬間だった。生きて帰れた! という感動が全心身を巡った。最後に、大きく背伸びしてロープを切断した。持ち帰った長さは16メートルだったから、滝の長さは35メートル余りとなろう。 もしさらに滝などの難所が待ち構えていたなら、1本のロープの残りだけでは困難を極めたに違いなかっただろうが、先には難所はなく、丹渓山荘、引き続いて、前年の台風で行路は大荒れに荒れてはいたが戸台川を歩き通し、駐車場まで戻り着くことができた。高遠の蕎麦屋さんに立ち寄り、連絡先の笠間さんに無事脱出・下山の報告をし、心配をかけたことを詫びた。夜半になったが、下界に生還することができた。(2019年7月10日 当時を想起しつつ 田辺記) |
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水野さん 鹿穴(鹿窓) 第二高点 五丈ケ滝・・・幅20メートル、長さ35メートル、平均勾配70度の氷瀑の懸垂下降 |
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