|
渡良瀬渓谷鉄道・沢入(「そうり」と読むんだと)駅前の静かなたたずまい。7時40分だったから、我孫子を出てから2時間半余だ。左側の車道を真っすぐ行って左に曲がり、谷間に3~4km入っていく。途中、黒坂石という地名のところに、大小のバンガローが並ぶ、けっこうな設備の整ったキャンプ場がある。 |
|
椀名条(條)山コースへの入山口。小さな、低い立て札が1枚あるにすぎない。登山道というしるしも踏み跡もほとんどない。ここから先には、壊れかかけ、苔むして滑る木製の登山道補修部があり、入山者の少なさを示していた。 |
|
一度道を見失ったが、地図読みで沢側に行路を切った。うっそうたる人工林の沢部を尾根目ざして登る。 |
|
尾根に出た。落葉広葉樹が葉を落として、周囲は明るかった。葉が登山靴を隠すほどに積もり重なり、柔らかな尾根道が楽しめた。ときに男体山や奥白根山が枝間から見られた。 |
|
一度登った尾根から先は、なだらなか上り下りのある心地よい登山道が続いた。尾根上はほとんどクヌギ(コナラ)を主な種とした広葉樹で、静かな雰囲気が楽しめた。登山道という明らかなしるしはなかったし、道標の類はほとんど皆無だった。丹沢や奥武蔵、奥多摩など、標高1000~1500mの山でしばしば出くわす、尾根の共通する情景を備えていた。 |
|
尾根の上からずっと左側に見え続けた奥日光の山々。枝が切れたところから、パチリ。この時期に男体山、女峰山にもおごそかな感じを抱かせるほど降雪があったが、今季は雪が多いのだろう。奥白根山山頂付近は岩場がゴツゴツしているはずだが、その部分が完全に埋もれてしまうほどに雪がかぶっていた。
|
|
椀名条山。この山の読み方を依然として知らない。下ってくるにつれて、椀名条山を経て氷室山を登る人は非常に少ないということがわかった。しかし、初の経験からは、椀名条山の手前の尾根が最も素朴で、落ち葉も深く、山のよさを感じさせた。
|
|
椀名条山がよかったのがなぜかというと、その先で、右(南)側の谷間には工事が行われ岩を崩す轟音がここまで鳴り響いたし、尾根の右(南)側斜面は大規模に伐採されて植林が行われるようとしているところで、山としての基本条件を欠いていたからだ。植林したばかりの稚木を鹿の食害から阻止するためにセットされた網が見える。 |
|
氷室山山頂の手前から見た袈裟丸山(遠景)と椀名条山(中景)。ちょうど写真の左右中央の中景の山の向こうから尾根を這い、そのまま進み、現在の地点の右のほうから直角にここまで達したわけだ。ここまで3時間半くらいかかっている。中央部右側の比較的白いところが、前の写真で示した植林地帯。 |
|
氷室山山頂で。この日、山の中で出会った2人のパーティーの方に撮っていただいた。山頂には、その名をとどめ、あるいは山頂であることを示す標識はなにもなかった。こういう素朴な(人が味付けばかりをしていない)山もいいなー、と思った。ヒマラヤの高所の山頂に標識の類がないのとはわけが違うが、世の中、とかく騒がしすぎる気がしてしかたがないことを、この山で再認識した。 |
|
氷室山山頂から、下山路にかけて出発したばかりのところ。今回の山域は背丈の低い、葉の周囲が白斑を帯びたササが敷き詰めていた。また、この山域の樹層の特徴として、樹幹径はさほどではないが、高さが高く、ひょろひょろとした木々が多かった。奥多摩と違う特徴だ。 |
|
同じく、氷室山から先の下山路上で。たまにミズナラも混じる。この周辺には、テント適地(テントが張れる平坦地)が5か所くらいはあった。それだけゆるやかな尾根だ。雪の降りた季節に、方向や時間を定めないで、2~3日かけて峰々をテントで歩き回るのも楽しそうだ。遠くで鹿の鳴き声を耳にした(しかし熊も出るらしい)。 |
|
尾根から右(西北西)に直角に右折して下りにかかる。中央部にやや左側の丸い山が椀名条山。そこから右にとり、大きく迂回して現在地点に至った。その背後の遠景は袈裟丸山の連山。現在地点から400m程度下ると、四駆(四輪駆動)車だったら上ってこられるだろうという地帯に着いた。 |
|
車道に下った。フランス-デモよろしく、ホッとして楽しげな横並びの仲間たちの表情。車道がこれから登山口まで3kmほど続く。この山域には、谷(尾根-尾根間の地帯)に入込む多数の車道が敷設されている。山塊が小さいからそれが可能だが、それだけ車道の終点や途中から山に取り付くルートがあり、なるほど、どのルートというお定まりの経路がなかったわけだ。結果にすぎないが、幸い、われわれがたどったルートは、「正道」だったようだ。
|