【実施日】2012年7月13日(金)~16日(月) |
【参加者】4名 女性1名(T) 男性3名(N H M) |
【コースタイム】
13日 我孫子7:40→常磐道・磐越道(西会津)→弥平四朗登山口駐車場13:35→祓川山荘14:40
就寝19:30
14日 起床4:00・祓川山荘6:00→水場7:30①→松平峠8:27/37→水場②9:30→稜線9:48→疣岩山→
三国小屋 11:04/30 →切合小屋13:43 幕営就寝 19:30
15日 起床4:00・切合小屋幕営地発6:00→草履塚6:30→飯豊山小屋7:45/8:05 →飯豊山頂8:25→
切合小屋10:08
16日 起床4:00・切合小屋テント場発5:50→三国小屋7:40/55 →疣岩山・三角点8:45→分岐→松平峠→
水場①→祓川山荘11:12(残置物撤収)→川11:30→駐車場11:40→高郷ふれあいランド
(温泉・食事)12:50/13:40 →磐梯山SA 14:40→我孫子19:30 |
【参考地図】昭文社エアリアマップ「飯豊山」
地形図 1/25000 「大日岳」 & 「飯豊山」 |
【費用】 高速料金 5550+3300= 8850 車1日目 = 6000
ガソリン代 3840+5505= 9345 2日目 = 3000
テント台 500×3人×2日= 3000 運転謝礼 = 4000
食料 1930+2030= 3960
ガス代 400
合計 38,555円 / 1人当り 12,850円
*往復の昼飯、切合小屋で買ったビール、帰路の温泉入浴料など別
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【装 備】
共同装備 4人用テント コッヘル バーナー ランタン 携帯ラジオ ツエルト
個人装備 雨具、ライト、軽アイゼン、ヘッドライト、食器、地図、コンパス、救急用品、着替え、
サングラス、日焼け止め、ゴミ袋、健康保険証、テルモス、熊よけベル、ピッケル(Mさんのみ)
各自の軽アイゼンは、祓川小屋に残置。
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【記録】
7月9日(月)西会津町役場へTEL確認、7日(土)登山口駐車場まで確認したが、道路の崩れ等、雨の影響はない。しかし駐車場付近で、ツキノワグマ2頭を確認。鳴りものを持っていくようにとアドバイスされた。
7月13 日(金)
福島県側からの歴史的な登拝路は、川入である。14日は早朝から山開きでにぎわうようだ。しかし、弥平四朗登山口は、川入よりも西側で登山客も少なそうである。
N、H、Tの3人は我孫子から出発。Mさんは明日早朝、小屋に着く予定。高速を西会津で降りる。弥平四朗の林道最奥の駐車場までの道は、昨年Hさんが偵察済みとのこと。駐車場から重いザックを背負い、元来た道を数十メートル戻り、大きな登山口の看板の所から、山へ向かう。看板の下の“蛇”、“5~6匹の猿”がこちらを伺う。うーん、自然が豊富だ。20mほど下って川を渡る。木の橋は濡れていて、滑りやすい。荷物が重いので慎重にわたる。そこから対岸を20分くらい登ると、左手に祓川山荘が現れた。(760m)
無人の小屋は2階建てで、周囲には、うっそうとしたブナなどが茂っていた。まるで「もののけ姫」の世界。小屋は3人だけの貸し切り。入口付近に置いてあるノートをめくると、2階を掃除していたら蛇がいたと書かれている。(後で地元の人から祓川山荘には“しまへび”が住んでいるとのこと・・うー、知ってたら
一人では泊まれない!!)同じ道を下ることにしたので、余計なものは、この小屋に置いておけることになった。小屋の中には蚊取り線香もたくさん置いてあったので、使わせてもらった。夕飯は、Tシェフの水餃子で、野菜もたっぷりで美味しく頂いた。Hさんの畑の小さめの胡瓜を味噌をつけて、・・・これもうまい。
19時半就寝。Hさんの声で起こされる。何か外で音が!熊か? 3人ともシュラフから半身をおこし、じっと耳をすます。小動物か?熊ではなさそうか?しかしこんな小屋に3人で寝ているからいいけど、一人だったらちょっと怖いな。音はおさまったようで、再び眠りに着く。どれくらい眠っただろうか、確かにガサガサ音がする、今度は小屋の中?ネズミ?小屋の外でも音がしたような気がする、錯覚か?両隣の二人は、眠っているようだ。ヘッドランプを点灯させ小屋の中をぐるっと見渡す。ガサガサの音は、なくなった。再び眠りに着くが、また「ドン!!」という大きな音に目が覚める。今度は、Tさんがネズミ?がうるさいので、足で床を蹴った音だった。いつの間にか小屋の外は雨に変わっていた。深夜のラジオの天気予報は、新潟は「雨」ということだった。九州方面は豪雨が続いていて、神奈川も山北の方で、一時間で100mm近い強い雨が降り続いたようだ。こんな雨で登るのは嫌なだと思いながら意識が遠のく。
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7.14 土
Mさんが5時前後に到着。雨が小降りのせいか、朝駐車場に着いた登山客が小屋を覗いたりしながら、どんどん登って行く。Mさんに、テントの本体とポールを預ける。合羽のズボンだけはいて、歩き始める。先頭からN・T・H・Mの順。雨足に合わせて、上着を着たり脱いだり、なだらかな道を登っていく。ブナの大木が気持ちいい。フィトンチッドを沢山吸い込む。Mさんのベルが可愛く絶え間なく響く。
(山荘出発前) |
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一時間半くらい、登って水場となる。「ちょっと上に平な所があるから、そこで休める」さすがに昨年、弥平四朗からピストンで飯豊本山まで登ったMさんのアドバイスは的確。松平峠(1300m)までは、のんびり、ゆったり登る。ここで、疣岩山からの尾根に乗る。疣岩山に続く稜線(1600m)まであと一登りだ。急登300mを70分で登り稜線。まずまずだ。稜線を、北に200mほど進むと標識があり、三国岳へ向かう。晴れていれば展望がいいだろうに。小ピークに三角点があったそうだが、この三角点が、疣岩山(1683.5m)。ヒメサユリなどが点在するようになる。登るには今日くらいの小雨が降ったりやんだりくらいが体力消耗しなくていい。Mさんは先に三国小屋まで行ってるから、と先へ。我々3人はHカメラマンの構図の邪魔にならないように、ゆっくりと稜線で小休止。
(ヒメサユリ)(ニッコウキスゲ) |
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三国小屋は、川入登山口から「山開き」で登ってくる人がいて、にぎわっていた。「飯豊の集い」という喜多方市の催しで募集登山もあり、切合小屋は満員のようだ。ここから切合小屋まではそれほどのアップダウンはない。種蒔山(1791m)から切合小屋までの3か所の雪渓を越えた。ステップは刻まれており、Mさん持参のピッケルは使わなかった。ヒメサユリ、ニッコウキスゲが咲いていて、その向こうに雪渓を抱いた稜線が美しい。 |
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切合小屋(1750m)に到着。早速テントの設営。飯豊本山も大日岳の方もガスで見えなかった。まだテントの数は少なかったが、夕飯は、Hシェフの野菜炒め、野菜の種類もたくさんで、特に感動的だったのが岩塩と粒胡椒が、ダイレクトに入っているのだ。野菜は炒め過ぎていなくて、それぞれの個性が、感じられる中に時折、岩塩をがりっと噛む、粒コショウもガリッと。塩分を求める身体のせいか、ことさらにうまく感じられた。これぞ男の野菜炒め!だ。ビール、やワインを飲みながら、天気は今一つだが、久しぶりのテント泊を堪能。雨も止んで、外が明るくなってきたし、風も適度にあるため、濡れた雨具を乾かす。水野さんの持参したお酒は、すこぶる大量。ビール、日本酒、ワイン、ウイスキー。つまみも続々と出てくる。 夕方の6時ごろだったろうか、ガスがとれて、飯豊本山(2115m)から大日岳(2128m)までの稜線が見え始める。大日岳も短時間だけだが、頂上付近のガスが取れて顔を出す。まわりのテントの人達も、大日岳に水平にあたる、稜線の影を見ながら、明日への期待がいっぱいだ。雪渓の雪の量も例年になく多いそうだ。再びテントの中、野菜炒めがトッピングのうどんも、いけるじゃないですか。 |
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7.15 日
翌朝、ささやかな期待は、ああ!!無情にも雨が降り続く。昨日、草刈りのお兄さんが、大日岳に傘がかぶっているから、明日は晴れない、と言っていたとおりになった。テントの中で聞いている音よりも、小雨だということで、行動食もそこそこに行ける所まで行ってみようと、予定通り出発。雨はぱらついたり、止んでみたり。昨夜の強風か、テント設営時のジョイント差し込みがあまかったせいか、ポールの1か所の継ぎ手が破断していた。Mさんがテープで応急処置。
天場からも見える雪渓も先行者の後をたどって登れば、滑るようなことはない。1908mのピークが草履塚、ちょっとした平な所がある。足取りも軽く草履塚を下り平坦になり、何人かが休んでいる。標識はあったが見通しがきかず本山はどっちの方か、足がとまった。地図とコンパスで、方向を確認するところだが、Mさんの「こっちだ!」と方向を指し示す。天気が晴れていればまったく問題ないところだ。
再び、先頭を歩き始める。「姥権現」の石像もちらっと横目で見て、岩場となる。この岩場が後で調べたら、「御秘所」と呼ばれていて、飯豊山に登ることが成人になる通過儀礼だった時代に、この岩場を越えることが一つの関門だったとのこと。岩稜帯ではウスユキソウなどがきれいだ。赤の○や→などを確認しながら、本山小屋に着いて一休み。
山頂へ向けて出発。風が強くなり、雨も勢いを増す。こんな天気で門内の方まで足をのばす人もあるようだが、大変だろう。私はうかつにも、手袋を忘れてきてしまった。水野さんはさすがに薄手の手袋をきちっとはめている。我々は、頂上へ着いても、強風のため三角点にタッチして、すぐに引き返す。そんなわけで、山頂での写真もない。滞在時間は、30秒。往路を戻って 切合小屋小屋を出てから4時間のピストンだった。
テント内でゆっくりと、各自の昼飯などを食べて、小屋で買ったビールなどで何回目かの乾杯。Hさんは、初めての飯豊で、展望はなかったが、本山まで行けて、大満足。Tさんは以前、飯豊山荘から川入まで縦走した時に、大日岳を悪天候で逃したので、今度こそは、と思ったのだが、今回もかなわなかった無念さを語り、Mさんは、現在小豆島にいるJさんとの飯豊での出会い、今は亡き、Fさんとの山行の話が切れ目なく続く。
夕方、外が明るくなり、風も出てきたので、雨具を干したりしていると、いつの間にか、大日岳までの稜線が見えてきた。大日岳も顔を出す。明日はいい天気になるだろう。夕飯は、レトルトご飯とカレー。それに、赤いパプリカの色合いも綺麗なボリュームたっぷりのサラダが、とっても嬉しかった。Tシェフに感謝。テントの外で、濡れた登山靴を脱ぎ、素足になって飯豊の大地に座る。大日の稜線を眺めながら、Mさんの美味しい白ワインをいただく。 |
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7.16 月
雲間から登ってきた太陽が、眩しかった。東の方に、磐梯山、安達太良、吾妻連峰が見える。こんな日に大日までの稜線を歩いたらさぞかし気持ちがいいだろう。 |
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朝食は、行動食でということで、テントをたたんで出発。ほんの少し前に出発した「飯豊のつどい」のグループが歩いているのですぐにつかえてしまう。途中の岩稜帯、ハシゴ、鎖などで渋滞。まあ、時間的には余裕だ。渋滞を待つ間に、昨日火を通しておいた、焼き鮭を一切れづつ食べる。これがまたうまい。真夏でも塩鮭は、焼いておけば3日は持つんだな。行動食にもいける。
三国小屋で、数十人のグループと別れると、我々の前後には人がいなくなる。下降点から松平峠まで急な下りとなる。Mさんの「しゃべるな!」激が飛び、最終日の気持ちの緩みがすっとぶ。Mさんの「激」に感謝。松平峠は素通りして、水場まで行こうということで、どんどん下る。 山荘で 残置物を持ち、駐車場へ下る。帰路、喜多方の「高郷ふれあいランド」で、温泉と、お蕎麦を食べる。そば粉100%とは思えないしなやかさと喉越し、実にうまい。
帰路は、会津坂下から高速に乗り、磐梯山SA で出迎えのTKさん、SZさんと合流。こんな遠くまで、バイクで!!!。途中のSAで休憩、SZさんも少々お疲れのようだった。二人を乗せたバイクは、いつしか視野から消え去った。万年青年二人の無事を祈りつつ、我々も我孫子へ向かった。 |
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12年前にMさんなどと、飯豊を川入から登って以来、いろいろなコースを春、夏、秋と何回か登っているが、どのコースも味わいのあるいい山だ。今回の山行もいいメンバーに支えられ、新しい感動を脳裏に刻むことができた。 |