三岩岳(2,065m)~窓明山(1,842m)~巽沢山(1,162m) 
 

窓明山幕営地

 

 
  • 実施日: 2016年5月1日(日)~3日(火)

  • 参加者:男性4名、女性2名

  • 行程:(車利用、山中幕営 2泊)

(1日) 我孫子5:50~(柏IC、常磐道・東北道西那須野塩原IC)~小豆温泉

 (駐車場)10:30―三岩岳登山口(旧道・国体コース)⒒:38-電波塔12:05-黒檜沢分岐14:30-幕営地1,550m地点15:30

(2日) 幕営地6:18-三岩岳避難小屋7:30―三岩岳8:50―三岩岳避難小屋9:30―(西方の尾根)平坦地(池塘)10:25-窓明山12:00―幕営地1,585m

  地点⒔:10

(3日) 幕営地6:30-コル1,430m 6:48―家向山西峰7:35-巽沢山9:00-保太橋沢10:03-小豆温泉(駐車場)10:15―燧の湯10:50-昼食(刀蕎麦)⒔:00―(三岩岳登山口、手前周辺で山菜採り)-我孫子:21:30

※グレ-ド:C

※費用: 11,665円

(車代:32,000円<2台分>ガソリン代、高速代、燃料代食料代)

※装備:

 共同装備:テント一式、共同マット、コッヘル、ストーブ(ガソリン仕様1台)

     (ガス仕様1台)燃料、ランタン、スコップ、マーキングテープ、標識棒、GPS、ロープ(27m×8mm)他

個人装備:マット、寝袋、シュラフカバー、ピッケル、ストック、アイゼン、ヘッドランプ、雨具、スパッツ、防寒具、帽子、サングラス、防寒手袋、コンパス、地形図、着替え、食糧、行動食、非常食、虫よけ、他
 

【プロローグ】

三岩岳は会津駒ケ岳の北西側に位置している。三岩岳の山名の由来は山頂部にある3つの岩峰(中岩、北岩、三角点峰)から付けられた。

この時季の登山は地形図とコンパスを必須とするバリエーションルートの世界だ。気は抜けない。2003年4月に三岩岳往復。また11年前になるが2005年4月中旬に三岩岳~大戸沢岳~会津駒ケ岳を「会」のメンバー6人で縦走した。今回は三岩岳~窓明山~巽沢山を縦走する。

出発の一週間前の三岩岳の天気予報は1日~2日は天気も良く3日から曇りになりその後雨模様。しかし出発の前日の予報では初日がくもり時々雨に変わった。2日目は晴れマーク。2日目がメインなので安心した。当初8名の参加者の計画だったが事情によりTKさんが来られなくなり、6日の金曜日にHSさんから急用ができてしまったと連絡が入り2名が参加できなくなった。8人用のテント装備は、かなりメンバーに負担を掛けてしまうと思ったが今から装備の組み直しは難しいと判断した。また車についてもKS車1台で行けるか、などの検討を翌日の集合の時に決める事となった。

5月1日 雨

我孫子駅5時40分集合。荷物の乗り具合の状況を思うとMH車とKS車の2台で ゆったりと行くことにした。 5時50分に我孫子駅を出発。連休ともなると高速道路もいつもより車の台数は多いようだ。後方についていたKS車が私達の車を追い越しどんどん見えなくなって行く。時速130㎞を超えている。メーターの計器が壊れていて何㎞で走っているのかが分からなくなるらしい。 那須ICを降りた辺りからポツポツと雨が降り始めた。あいにくな天気だ。国道406~121号線~田島町経由で352号線を1時間半程走ると小豆温泉スノーシェツドの途中に小豆温泉への入口がある。スノーシェツドを出てすぐの所にある小豆温泉の駐車場に到着した。車30台位は駐車できる広さだ。持ち物の確認や装具、食材の分担をする。積雪量の様子からロープ、標識棒、燃料(白ガス)1ℓ、GPS (スマホの機能を使う)を外した。車内で昼食を済ませ11時30分、駐車場の端から国道を下る。7~8分歩くと登山口だ。麓の雪は解けていて、登山口を探す時間のロスもなく降水で滑る急登をSLのKMさんを先頭にゆっくりと登って行く。登山道の両側にはイワウチワの花が一面咲き始めていた。あと1週間位で満開かなーと思いながら登る。30分程で電波塔を通過して1030m付近で休憩。足並みが揃った良いペースだ。 標高1300mを過ぎた辺りから雪道になり足跡の無い道をひたすら登る。荷の重さが肩に悔い込む。きつい!。私だけなのか?そんな事を思いながら一歩一歩、足を引き上げる。木々の間からタムシバの花、山ツツジ、ミツバツツジ、シャクナゲの花を目にするとホットする。黒檜沢分岐に14時30分。このコースは橋が壊れ通行止め。ブナの林の中を進みながら幕営地を雪の尾根に探す。計画では「1500m地点で幕営」と私は考えていたが、風も強まってきた。時刻も遅い。平坦地を見付けてテントを設営してもいいのではないかと思った。しかしSLのKMさんは、皆に声を掛け1550mまで私達を引き上げた。(さすがだな!) 任務を遂行する。15時30分、緩斜面で16時、整地完了するが台風並みの強風が吹き荒れ私達を襲う。幾度となく耐風姿勢を取る中、KMさんは新しい8人用のダンロップのテントの張り方図を用意していた。25周年山行の時にこのテントを尾瀬で始めて使用したが、きちんと、テントの組み立て方を私は習得してはいなかった。また「会」では既に講習会で学習していると自分の中で解釈してしまっていたのが間違いで確認が必要だった事に気付いた。KMさんのおかげで16時30分にテントの設営が出来、テントの中は天国で温かい鍋を囲み話は絶えることなく22時消灯。一晩中、風は止まない。心配になったが明け方には風は止み安堵する。

   

5月2日 曇りのち晴れ

4時起床。今日は晴天の予報だが天気の回復は遅れている。ご来光は望め無かった。

きな粉餅とコーヒーで朝食を済ませテントを撤収した。6時18分に三岩岳を目指して緩やかな雪原を登る。1600mを過ぎるとダケカンバやオオシラビソの林に変わり視界も広がり西側には窓明山の尾根が見えて来た。1時間10分程で三岩岳避難小屋に到着。

 
11年前はこの小屋は雪に覆われて屋根のてっぺんだけが少し見えていただけだった。)小屋に荷を置き身軽で三岩岳を目指す。Hさんは荷物キーパーになって私達5人を待つ。曇ってはいるが尾根からの展望は素晴らしい。私達しかいない白銀の中、1時間で山頂を踏む。  

《三岩岳山頂背景は大戸沢岳・会津駒ケ岳》 山頂からは残雪の会津・日光・那須の山々を一望する。大戸沢岳から会津駒ケ岳までの稜線の尾根を縦走した記憶が蘇った。20分程の休憩をとり小屋に向かう。途中で3人のパーティーと出会う。2泊の予定で会津駒ケ岳まで縦走すると話していた。


 

越後の山々

《小屋へ戻る》          

小屋に9時30分に戻る。待っているHさんは十分に朝寝をしていたようで機嫌も良さそうだ!!私達は身支度を整えて小屋の外から窓明山を眺める。窓明山へ続く真っ白な稜線と大きな雪庇、三岩岳より120m程、低い山だが風格を感じる。窓明山は「会」での記録はまだなく、まして残雪の山ともなると地形図とコンパスを必須とする。私は緊張していたが強力なメンバーの力を借りて絶対の信頼関係で踏破出来ることを確信した。 
   
緩やかな尾根を登り雪庇の脇で休憩する。雪庇脇を登り切り下ったところに広大な雪原(池塘が在るという)夏の花畑を想像する。(10時25分)コバルトブルーの空と真っ白な山々のコントラストは絶妙な調和となって輝いている。私達6人は笑みがこぼれ雪原を踏む。嬉しい時間の中でKSさんはいつも私達を楽しませてくれる。シルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」の歌をKSさんと二人で口ずさみながらテンションが上がる。KHさんもご自分の世界で満足そうだ。 50m程、登ると窓明山だ。あと少し。頑張れ!、ここが山頂か?高度計では1842mの地点だが、山頂を示す標識は雪の中に埋もれてしまっていた。  素晴らしい展望の尾根を少し下りブナの原生林の中を歩く。  
  振り返ってみると、どっしりとした窓明山の山容は美しい。山頂から歩くこと45分、計画通り家向山西尾根のコルの周辺で幕営地を探す。13時10分幕営するにはまだ早い時間だが積雪量のある所でと考えるとこの辺りとした。(1585m地点) ブナ林の神秘的な中、鳥のさえずりに耳を傾け、真っ青な空に鷹が舞う。
  最高のロケーション、天空のテント場だ。風もなく穏やかな中でのんびりといつまでも景色を眺めていたいが私達にはテント設営が待っていた。今日は昨日の悪条件の中での設営ではない。時間の余裕も沢山ある。Hさんは整地監督、KMさんはテント建設現場監督の元で完璧なテントの設営ができた。15時 (みんな満足) テントの中では話が尽きる事ない宴会と山談議に盛り上がる。昨日は『明日の夜は早く寝よう』と言っていたがいつの間にか、また22時になっていた。夜空の満天の星は限りなく輝き私達の心を惹きつける。 
5月3日 晴れ            

4時15分起床。ご来光4時50分、皆は『今か!今か?』とシャッターチャンス待ちカメラの準備。ご来光の出会いにいつも感激する。雲海が広がる中、雪上の赤いテントに朝日が滲み、その鮮やかさが実に印象的だ。朝食を済ませテントを撤収して6時30分出発。気の抜けない最終だが皆の体調も良さそうだ。道迷いなく無事に下山できる事を祈るばかりだ。

登って来た尾根と三岩岳に思いをはせながら記憶に留め山に感謝する。晴れ渡る中、巽沢山を目指す。ブナの尾根を150m程下るが藪の中にルートを見付けようと試みたりしながら下る。1430mのコルを過ぎると間もなく家向山西峰へ。歩くこと1時間、分岐を通過して家向山に向かってしまい掛けたがルート確認をNさんがして下さったお蔭でアルバイトする事なく分岐に戻った。(地形図とコンパスの実践講習も兼ねる)分岐でのお別れ写真を最後に

 

巽沢山へ9時、巽沢山から標高差350m。後半は200mを一気に下る。すれ違う登山者は二人だけだった。高度を下げていることが実感できる急な下り坂は、汗がにじむ。残雪も程なく消えたかと思っていると登山道の両脇には草や木々に咲く花と出会っていた。『暑い!』尾根の両脇からは谷の瀬音が聞こえ、下山口の様子を想像してしまうくらいに今は下って来た。益々、緑が濃くなってきた。窓明山の登山口に10時着。小豆温泉より「燧の湯」へ。そしてこの山域に訪れた時には必ず寄る蕎麦屋「裁ちそば」は季節折々の山菜の天ぷらは最高に美味しい。13時をまわった所でHさんは帰路に着くには、まだ早い時間と言う。山菜採りを進めてくれた。 帰り途中の352号線、三岩岳の登山口手前の林道に入り道沿いに車を止め30分程だが皆、少しだが「こごみ」を収穫した。帰りの高速では1時間位の渋滞に巻き込まれたがその後、順調に我孫子に21時30分に到着した。
 (左、後方に三岩岳)  
 

《コース地図・小豆温泉から
・・・点線は黒檜沢コース。その上の旧道(国体コース)で入山し1300mを過ぎた辺りが分岐となる》    
 

【山行を終えて】

 〇 装備について

 ・共同装備のテント8人用ダンロップ(新)を使用。本体、ポール、フライシート、三点みの準備(冬用外張リは残雪期には使用はしなかった。この時季は雨ともなるとテント内が濡れてしまう事から厳冬期のみの使用と考えています。) ・今回は台風並みの強風に耐えたテントですがフライシートに付いているペグ紐6本では少ないと思います。紐の間に後6本取り付けるフック布が付いているので取り付ける事によって安定が増すと思います。 ・燃料はガソリン仕様、<スノーピーク>(白ガス)約1.8ℓ用意しましたが持ち上がったのは1ℓでした。残量は50㏄程、ガス仕様250gを4個はほぼ使い切りました。 ・標識棒(赤布付き)は2日、3日の予報を見て外しました。マーキングテープのみ持参。補助ロープ20m×8mmは残雪量を見て外しました。・5月の残雪の山行で入山してない山域でしたので各自ピッケル、ストック、軽アイゼンを装具としました。アイゼンは装着する事なく歩けました。 

〇 食事について 1日目 共同(夕食、鶏鍋、うどん)2日目 共同(朝、きな粉餅)夕食のカレーライスのルーは各自でアルファ米とサラダ<生野菜>は共同で準備しました。全て完食です。 

皆さんのサポートの元で念願だった山行を実現できる事が出来ました。ありがとうございました。2日目からは天気にも恵まれた山行となりました。沢山の思い出を残しました。またの山行でご一緒出来ます事を楽しみにしています。最後に私、個人の反省としてテント設営に付いて安易に考えていました。事前にテントの組立て方法を習得して置く必要がありました。また体力に付いても若い時とは大違い。(例)今から13年前なりますが!グレードではDでしょうか。5月の連休にいつもテント泊で残雪の山を縦走しました。

   今回の山行では体力の回復速度は遅いと感じました。昨年の鍋割山山行を最後に、忙しさで自分を甘やかせていたのかも知れません。    このままだと登れなくなってしまうと実感しました。体力づくりに心掛けなければと痛感した山行でした。 
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