実施日 | 2020年11月21~22日(山中テント1泊) |
参加者 | 男性4名(Kn、Ft、Mth、Tk)、女性2名(Tn、Nd) 合計6名 |
経路と行動時間 | 21日 8.30我孫子駅前北口=13.30甲府昭和IC=15.30大弛峠……21.00就寝 |
22日 6.00起床/8.30発-9.45国師ケ岳10.00-10.17北奥千丈岳10.45-12.00大弛峠……柳沢峠……奥多摩……国道16号……19.00柏(レンタカー)……19.30我孫子(解散) | |
装備 | テント(スタードーム6~7人用+個人2人用テント2張り)、マット5枚、コッヘル、コンロ(ガソリン+ガス仕様)、ランタン、まな板/防寒着、寝具・マット、食器など |
経費 | レンタカー代42,240円(冬用タイヤ装着加算分含む)、燃料代約4,800円、テント場代4,800円、食料・飲み物代約19,000円など……1人あたり13,250円 |
【山行に先立って】 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、山行を実施するかどうかは担当の各リーダー(L)で任意に判断する、という進め方が本会で7月以降採用されてきた。実は率直に記すと、この時世に進んで危険を冒す選択をしたくはなく、できたら参加者がいないでほしい、とひそかに願った。ところが、最終的には6名の参加となり、L判断など出しようがなかった。 当初目的の水ノ塔山は事情で登山道が不通となり、奥秩父の大弛峠を基点にした国師ケ岳・北奥千丈岳に変更した。こんな状況下でも多数の登山者でごった返す山もあるようだが、奥秩父の名峰なのに、どちらも登山者にあまり登られていないようだし、季節はすでにオフに入っている。人は少ないだろうと踏んだ。 感染を心配して内向するばかりではしようがないという考えもあるようだが、山行で長時間戸外に出る限りは、自身の感染の危険、つまり感染の媒介者(加害者)になる危険性は、自粛するより確実に大きくなる。山行は本当に自由にやっていいのか、疑問が湧くばかりだった。社会道徳上は間違いなく家で過ごすほうが好ましいが、かといって空気を過剰に読む“忖度自粛”も性分ではない。少なくないLが、気の進まないまま参加者から背中を押され、つい実施を選んでしまっているような気持ちが少しわかる気がした。だが、迷うばかりなのは、あまりに優柔不断だ。しかも、今回は個人の願望の貫徹ではない、山の会の企画だ。お互いに一員として責任を自覚し、「もし何かあっても恨みっこなーしーよ」ということで確認し合った。 |
大弛峠駐車場 | 駐車場から見たわれわれの大型テント |
大弛小屋 | 広々としたテント場 |
❖1日目(11/21) 山に行くとしても電車での長時間の移動はしたくなく、8人乗りのワンボックス車をレンタルした。形態も幕営だし、大型のゆったりしたテントを使う限りは宴会が眼中にある。「密」だが言わずもがな、みんな承知だ。危険は他人事のようで、不思議な世界ではある。 直前になって天気予報は変化したが、SLをお願いしたKn さんと最終の確認をした。「キャンプが半分の目的だから行きましょうよ」ときっぱりとした一言に、迷いが吹っ切れた。 当日は連休の影響もあったが、コロナ下であるにもかかわらず、むしろ反動的に振る舞うのが人々の常癖という、外出を求める人たちの多さを事態は如実に示し、交通渋滞に巻き込まれた。運転役のKnさん・Mthさんには、長時間、ご苦労な運転を担っていただいたが、甲府盆地に着いた。あわただしくスーパーで食材の買い物をすませ、一路くねくねと山間に続くワインディング道を急いだ。長い林道だった。遅れて夕暮れ前ぎりぎりに近い3時過ぎに、標高2300メートル余の大弛峠駐車場に着いた。駐車場には20~30台の先着車があった。几帳面な小屋のご主人で、当日、小屋でお目にかかって改めて申し込みをするときも、アドバイスや要請もきちんとしていて、感染防止にかける本気度が伝わってきた。のんきに(?)出かけた私たちは、実質、“インベーダー”まがいだったのかもしれない。 大型のテントと、今回は、ということでTnさんとNdさん持参の個人用のテントの3張りが立った。ところが、指定された場所を僕のミスで間違った。後から来た登山者に迷惑をかけてしまい、ひたすら謝る。すでに僕たちの宴会が始まっていたのだ。小屋のご主人は、穏便に収めて、とだけ言って、去った。その後、咎められることもなく、逆に他人の寛大さに接するという経験をした。失敗にも当たりクジあり、という天運だったのか。 テントでの寛ぎは、こういう状況下でもあり、実に久々で新鮮だった。これがあるから山はやめられないのだ。ランタンの明るい灯の下、互いにテント山行の楽しさと親睦の有難みを確認し合った。夕食は、Tnさん曰く「思い切ったのよ」という上等の牛肉を使ったすき焼きだった。もはやと言うべきか、ビールや日本酒で交歓し合ったが、もともと多くなかった飲み物が半分近く残ってしまった。テント場にも8時消灯が指示されたが、小声で、と注意し合いながら9時まで続けて、就寝した。夜空には天の川、北斗七星が瞬いた。 |
ここからスタート | 振り返り見た金峰山方面 ➡拡大写真 |
同じく金峰山方面 ➡拡大写真 | 南アルプスの連山 ➡拡大写真 |
❖2日目(11/22) 翌朝、隣にいた例のテントはすでになかった。テント生活はとくに朝方忙しいが、普段にないほどのゆったりとした時間が流れる。おもむろにテントをたたむ。テント場の地面には霜柱が立っていたから氷点下の気象だが、この日も晴天だったせいなのか、さほど寒いという感覚ではなかった。それでも、今冬早々のこの経験が何ともうれしい。 登山者の多くはこの峠を挟んで西側に続く、金峰山までの尾根歩きを選択するようだ。われわれは小屋の脇を通り、Knさんを先頭に反対の東南に向きをとる。すぐに木製の階段が現れた。相当に手がかけられた立派な人工の道だ。それはほとんど国師ケ岳手前の頂稜部下まで続いていた。途中、樹間から振り返り見た金峰山の特徴的な五丈石が、6年前(2014年11月)の既視感を醸した。背後には赤錆色の八ケ岳連峰がのぞいた。頂稜部に着くと、視界が開けた。雲上に浮かぶ富士山、遠くに横たわる南アルプス連峰、赤岳などの八ケ岳連峰、雪を帯びた北アルプスの連山、浅間の周辺が眺望された。Ftさんは山々に詳しく、ここを「アルペン的」とうれしそうだ。他のみなさんも、それぞれ思いを刻まれたに違いない。 頂稜部を覆う奥秩父の雰囲気をたたえたシラビソの道を東に進むと、国師ケ岳山頂に着いた。ここは、甲武信岳への縦走路上の通過地点にすぎない寂しい印象だが、それでも一角の山頂だ。縦走のパーティー数組と挨拶を交わし、写真を撮り合う。Knさんが雲上の富士山を指さし、見事な雄姿を称える。存分に山頂を堪能して戻り、分岐点から北奥千丈岳を目ざすころ、金峰山に雲がかかり始めた。わずか15分の違いで、金峰山を北奥千丈岳から望む幸運を私たちは得たのだった。ボルトスタイルならぬ「Mth」スタイルが山頂岩上にあった。 木道をゆっくりと下る。残してあった展望台を迂回し、峠に戻った。小屋にひと言お礼を言って、車に乗った。久々だっただけに、一抹の名残惜しさが残った。 |
国師ケ岳に向かう途上で | 針葉樹林帯を行く |
国師ケ岳から見た北奥千丈岳 | 国師ケ岳から望んだ雲上の富士山 ➡拡大写真 |
下りにかかる | 木の階段 |
❖帰還 数えきれないほど来た塩山を基点とする登山は、ほとんどが電車でだったが、この日は柳沢峠を車で越え、青梅街道を東進する珍しい帰路を選んだ。込んだ中央道は嫌だし、同行者へのちょっとしたサービスだと思ってだ。Mthさんの軽やかな運転に身を任せるが、さすがに奥多摩湖周辺では車、バイクの多さが目立った。それでも渋滞もなく国道16号線を走り、柏には7時過ぎに着いた。結果的には正解だったのだろう。我孫子で想定内の反省会となり、労い合った。 車の運転、会計などとお願いばかりだったが、おかげで大過なく担当山行を終えることができた。「みどりのプラン」としたが、次の機会にはまだ参加者がいそうだとうれしい情報を聞いた。山行に同行してくださった方々、お世話になりました。 (Tk) |