参加者:林 晃史 日程:2018年6月30日-2018年7月16日 目的:キルギス1か国に絞って自然景観を楽しむことを主目的にした旅行。 山半分、旅半分の考えで取り組みました。 【キルギスの選定理由】中央アジアは自分にとって行ったことがなく、山岳景観が美しそうであることを偶然みつけた個人のブログで知ったことがきっかけ。物価が高くなさそう。 旅の概要:国際航空の往復、国内航空線1本のみ渡航前に確定させ、その他は全て入国後に決めていく旅とした。 費用:国際線航空費12万円、国内線航空費1万円、国内消費5万円(陸移動、食事、宿泊など) ・・・・贅沢な宿に泊まっていない、贅沢な費用がかかる移動をしていない その他: 【事前計画が希薄な理由】 あらかじめ入手できる現地の移動情報が極めて少なく、時刻表のある世界がわずかであることから。公共交通機関が脆弱で乗り合いタクシーのようなものを利用せざるをないが、どこ行きのものが存在するのか行ってみないとわからない。 【本気の登山をする場合】 7000メートル級の山もある国。こうした山に登頂するとなると行き先を絞り綿密な計画を立てて臨む必要があるでしょう。書籍や粗い地図だけでは情報不十分で計画しきれない。登山エージェントに相談して計画立案しないと難しいでしょう。もし旅行日数が長ければ現地到着後に問い合わせて決めていくことも可能でしょう。山は無数にあります。有名な山だけに目標を合わせる必要はないと思った。 【国内の行き先選定】旅行ガイドブックLONELY PLANETのCENTRAL ASIA編を参考 ●主な行ったところ ①パミール高原内の山麓 ②シルクロードの隊商宿が残るタシュラバト ③天山山脈の山麓 ④首都ビシュケク ⑤パミールへの基点の町オシュ、サリモグル ⑥タシュラバトの基点の町ナリン ⑦天山山脈の山麓基点の町カラコル ●キルギスの感想 ①自然景観がすばらしい ②スケールが大きい ③物価が安い ④入山料のようなものは無いので費用も抑えられる ⑤キルギス人は優しく親切な人が多い ⑥治安が良い |
日別旅内容
❖6月30日 成田空港1200発のアエロフロート航空で中継地モスクワに向かう。 16:00頃にモスクワ到着。21:50発でビシュケクに向かう。 ❖7月1日 5:00頃にビシュケク到着。到着して預けておいた荷物が無くLOST&FOUNDに申請。いきなり苦境に立たされる。大きいザック、雨具、着替え、防寒着、寝袋、三脚、薬、防虫関係などが無いことになる。よく見ると大きな有色のビニール袋に自分のザックと似たザックが入っていると思った。開けてみないと確信持てない。開けてみる。自分のザックだった。中身が外に出ている。物色されたとしか思えない。しかし特に盗まれたものは無さそう。安堵した。 両替をしてから、事前に予約しておいたペガサス航空で735発の国内線でオシュに向かう。 オシュは西部にある2番目に大きな町。ここからパミール高原方面の山の方に向かうため。 空港到着し今度は荷物問題なく、路線バスでオシュ中心部に向かう。バザール前が終点。食堂もある。食べたくなった。いきなり入ってみる。視線を感じつつ食事。 バザールを歩きながらオシュ、キルギスの町を感じる。気温が高く汗ばむ。 CBTという旅行者への情報提供、ツアーなどの紹介などしているところに立ち寄ろうとしたが移転していて無い。移転先もわかっていたが面倒になってバザール近くを歩く。次の目的地のつもりのサリーモグル行きのマルシュルトカ(乗り合い小型バス)を探す。1400発でサリーモグルからさらい西にむかうものがあることを確認した。500SOM(1SOM=1.7円程度)という。昼食をしたりバザールを歩きながらオシュに泊まるかサリーモグルに向かうか考える。サリーモグルに向かうことにした。 途中で4000メートルを越える峠を通過しながらキルギスの絶景山岳地帯を含めた車窓を楽しむ。車内は満員なので窮屈。車内には台湾人の一人旅行者もいた。彼はサリータシュで下車した。ここから中国への国境に向かうつもりでしょう。自分はサリーモグルで下車4時間くらいの乗車だった。サリーモグルのCBT前で降ろしてくれた。CBTに入ってみる。到着が夕方でこのサリーモグルで宿泊することを考えていたが、いきなりこの日から4泊(3か所)の山麓でのユルト(移動式テント)宿泊を勧められる。7000メートルほどのレーニン峰のベースキャンプは8月に宿泊可能とかなんとかガイドブックに書かれているが詳しいことは不鮮明。寒いとかなんとか言ってまだベースキャンプ宿泊は厳しいとか言う。この日から4泊のユルト宿泊をすることにした。CBTにはフランス人旅行者2人もいて同じ車で山麓のユルトのあるところまで向かう。レイクツルパクというところ。途中、絶景に次ぐ絶景が拡がる。フランス人はテント持参しているようでユルト宿泊せず近くでテント宿泊。夕食は食事用ユルトでした。スイス人4人、韓国人一人、フランス人2人と一緒に。食材が不足しているようで料理はパンなど除くとスープと炒め物であるがじゃがいもとトマトと羊肉を使ったものである。 ユルトだが自家発電があり時間限定で明かりもつく、カメラバッテリーの充電もできた。このユルトに2泊する。翌日は日帰りで山奥に向かうことになる。この日は星空が美しかった。 ユルトの宿泊費用は2食付で1000ソム。レイクツルパクまでの車代はフランス人2人ときたので一人500ソムだった。支払い済み。 ❖7月2日 朝食をし、小雨が降る中上部に向かう。草原、丘が多い谷筋を上部に向かう。地形図などがあるわけでもなく踏み跡があるところも多いのでそれに従って歩いていく。途中岩がちなところもあるが危ないところはわずかである。テント泊していたフランス人と会う。草原は幕営地に向いているが、放牧された牛などの糞がいたるところにあるので注意しないとテントが激しくよごれてしまう。昼間に設営すればきれいなところを探しやすいが、彼らは夜設営している。大丈夫だったのか。 自分の歩きは特に遅くはないが写真撮影の頻度が多いので進行速度は上がらない。途中20人ほどのイタリア人登山者が追い抜いていく。自分と似たり寄ったりの年頃に見える。昼食はオシュで購入した大きなパンの残りのみ。水はユルトでもらったお茶。朝食のパンをもらっておくことも可能ではある。マーモットが沢山棲んでいる。時々巣穴から出てきて立ち上がり周辺を確認している。ユルト周辺、この道周辺など花が咲き乱れる。7月上旬に渡航した狙いはこれである。当たったと思った。エーデルワイスも沢山見かける。レイクツルパクで標高3500メートルある。そもそも基点となったサリーモグルで標高2980メートル。まさに高原にある山である。標高がさらに高いところは雪山である。美しい。しかし、雲の変化があり5500メートル以上と思われる高さ山間部は雲が停滞しているところが少なくない。おそらくレーニン峰周辺も雲の中。しかし、見えている山間部の景色でもかなり美しい。渓谷のスケールなど日本では見れないスケール感。来てよかったと思った。 程よい時間にレイクツルパクに戻るよう引き返し始める。地図があるわけではないのでなんとなく踏み跡にしたがい歩いていく。記憶も頼りだがはっきりしない箇所もある。帰りは撮影時間が短くなったので思ったより早くレイクツルパクに戻れた。このレイクツルパクは湖がある。周辺は高山植物の花園である。丸っこい丘、花園、遠くに見える雪山。山の素晴らしさを堪能できる。アルペン的な登山をしに来たわけではない。自分の技術、経験、今回の日数からして無理をする必要は何もない。 しかし、写真撮影は自分にとって大きな位置づけである。しつこく撮影する。記録ではなく記憶に残りやすい作品性の強い写真を撮ろうと思っていた。 この日の夕食は昨日の人たちは去り、ドイツ人2人、ポーランド人一人、マレーシア人一人、香港人一人、3人の運転手一人、不明な一人と一緒だった。今日は村までユルト経営の人が食材購入に出かけたようでメニューが良かった。果物もある。食後この人たちと過去の旅行について、今回の旅行について話をする。運転手と巡っている3人はタジキスタンに向かうという。アフガニスタン国境に沿ってある谷地帯などに行くという。運転手をつけているのは公共交通が不十分だから。かといってタクシーで一人で行くには金がかかりすぎる。そこでマレーシアがLONELY PLANETのNET掲示板で同行者を探したようである。それにのったのがポーランド人、そしてオシュの宿で知り合った香港人を誘い3人となってレンタカー、運転手を雇い旅行ということだ。ドイツは6,70代の無職の夫婦。自前のキャンピングカーでドイツから来ているようだ。宿泊は車中だが食事だけユルトでしている。この夫婦もかなりあちこち車旅を今回以外にもしているようだ。この夜は雲が広がる。 花が多い。その割に蝶、飛ぶ虫などは少ない。警戒して持参した頭部に被る網、虫除けスプレー、虫刺され後の薬はそれほど出番がない。 ❖7月3日 朝は氷、雪が降る天気。少し積雪もあったのでユルトや近くの山も雪化粧。 この日は次の場所にあるユルト宿泊する。CBTから連絡はされているはず。山中だが携帯電話は所有している。雪が降り出発を急ぐ気にならない。 3人と運転手はこの日タジキスタンに向かって出発していった。 車で来れる場所ではあるがジープ類でないと困難な場所。 次の宿泊地までは太めの道なりに行けばいけるという情報のみである。 行ってみるしかない。途中放牧のための人が住むコンテナのような家やユルト、人、馬や牛もいる。途中の景色も雄大。歩く途中で雪は止み、融雪が進む中を歩いていく。道を進むも山ではない方向に道が続いている。おかしいと思った。放牧している人が遠くに見える。この人に聞いてみることにした。この場所よりももっと山側に次の目的地があるらしい。こお場所の名前もCBTで教えてくれなかった。いい加減である。レイクツルパクで名前を聞いておいたので良かったが、聞いてなかったら行き先さえ言えないので行くのは難しいかもしれなかった。ツユクという場所。 場所の名前といっても村があるわけでもないのでなぜ名前がつけられているのかわからないような場所。ツユクに上がっていく。放牧地で牛が沢山いる。遠くには羊、山羊の群れも見える。ツユクに到着し自分が予約したものであることを告げる。連絡は入っているようだ。 この場所も絶景である。近くの山も美しい。180度逆側の遠くに見える山脈もすごい景観。見える山群だけでも日本アルプスのような大きさがあるような気がする。ユルトと草原と雪山。絵になる風景である。 前日宿泊地とは異なりこの場所まで来る旅人は自分だけである。 夕食は昨晩の方が全然良い。しかし客が自分だけだから費用効率が悪いだろうから仕方がない。バター、ヨーグルト類は放牧の関係でふんだんに出される。 ユルト独り占め。この夜の星空も見事でした。流れ星も何度も見ました。 ❖7月4日 朝、目覚まし設定を忘れて起床時間が遅れる。明るくなる前に起きようと 思っていたが目が覚めたら明るい。とてつもなく晴れ渡る天気。そして絶景。山の中腹にいるので山での緊張感は必要ない。 白く輝く雪山、遠くに見えるユルト、馬、牛、羊、山羊、マーモットが自然を謳歌している。朝食を終え、この日はボウケに行く。ユルト4連泊の最終泊の場所である。 ボウケの場所はどこにあるのかさっぱりわからない。なのでツユクの主人が有料で連れていくという。リスク回避のため素直にこの提案を採用することにした。400SOMとなった。 主人が自分のザックを背負い馬に乗り向かう。自分はサブザックにお茶などを入れて歩く。当然馬の速度は速いので自分との距離が容易にできてしまう。ときどき立ち止まってもらいながら進んでいく。途中大きな川を渡る。自分の脚で渡るとなると登山靴は水没する。そこで、主人が河を渡り、ザックを先に降ろし、自分のところまで戻ってもらい、自分が馬に乗り、ザックのあるところまで行く。こうすることで登山靴水没回避しつつ進んでいく。この三つは太い道も使うが事情をしらないと使わない道、丘を沢山越えていく狭い草原のなかにある道がほとんど。なので自分だけではまったく通行不可能な道である。ボウケまで4時間程度かかるとのことだったが、この道のために2時間かからずに到着した。このボウケにも村はなく、ここのユルトと小屋、羊を囲むブロック塀などがあるにすぎない。 この場所に名前があることが不思議なくらいな場所。 この場所は下部への視界が開けてはいるが、山の方向の景色は開けていない。少し上に上がっていけば視界がひらけそうである。昼前に到着したこともあり昼食を出してくれた。宿の費用は1泊2食でありこの昼食は含まれていない。あとでチップとして払うことにした。この日の朝のパンをもらっておいたので困らなかったが。 お茶類が昼食時で底をつき水分をもらいたいが、夫婦で家畜仕事や子供の世話で忙しくとても水が欲しいと言うことができない。なのであまり水分が無い中で遠くまで歩いていく気にはならない。近くで花々の写真撮影で時間を割くことにした。とはいえ見える風景は雄大ですばらしい。 夕食は別のユルトでとる。トマトスープとパンが中心。電灯は車のバッテリーを利用している。この日の宿泊も自分だけである。あまり客が来ないのかいろんな準備に落ち度がみられる。夕立の際にはユルト内に雨漏りがあったり、出入り口は完全な扉で締めきれないので風が入り夜は寒い、食事の準備の手際の悪さなど。 手を洗うための水くみがなかったり指摘しないと改善されないので遠慮なく指摘した。雨漏り、扉などは指摘して改善してくれた。 この夜は雷、雨、雲が厚い。 ❖7月5日 朝焼けが見える。草花も露か雨水に濡れている。山並みは良く見える。 この場所のこの時間帯は山並みより花が美しい。 この日はサリーモグルに戻る日。歩いて戻るには時間がかかりそうだし、道もよくわからない。ジープで迎えにきてもらうことにした。1時間後にジープ到着。1時間かけてサリモグルに戻った。1700SOM。途中で河を渡る必要があるがどこに橋があるのかわからないので、自力は難しいと思った。 CBTにもどり預けておいた荷物を返してもらう。今回の宿泊地の情報や地図も説明もろくに無いなか出発させた不手際さを指摘した。自分はなんとか移動できたがこんなやり方では困るひとが発生する。 サリモグルでは市が開かれていて近隣住人も買い出しにきているようだ。2か所のユルトの人も買いにきていた。 この日はオシュに戻ることにした。オシュから陸路でナリンに行きたいが簡単ではない。同じ方面に向かう人を探さないといけないから。あとはヒッチハイクである。これも不確実なのでオシュからビシュケクに移動しナリンまで行くことにした。そのため先ずオシュまで行く。乗り合い小型車を見つけた。しかし簡単には出発しない。なんと乗客の家で昼食をいただくことになった。パン、羊肉、ヨーグルト、馬の乳、ケーキなどをいただいた。昼頃にこの小型車に乗ったがサリモグル出発は15時半だという。 この日はオシュで宿泊することに決めた。 小型車の運転手が現れたがサリモグルの市のあたりまで戻り客を更に乗せる。さらにガソリンスタンドによって16時ごろにようやく出発。途中3度ほど休憩して18時ごろにオシュに戻った。自分はオシュで下車したが、ごちそうしてくれた人はさらいビシュケクまで行くという。多分夜行で朝ビシュケク到着になるだろう。自分もビシュケクに行くが下痢でとても長時間乗車していく気になれない。なのでビシュケクまで飛行機利用のつもり。この日の宿泊はホテルだがあらかじめ泊まるかもと思い調査にておいた宿。ドミトリーがある宿。素泊まり500SOM。自炊設備もある。食材購入して軽い料理をした。オシュはそれなりの町だが外食は20時ごろにまともなレストランは閉まってしまったから。 同部屋には日本人が宿泊していた。中国での出張と出張の間を休みにして中国、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスと2週間ほどで旅行とのこと。自分のような山半分、旅半分ではなく旅全てな人はこうした旅行になりがち。つまり一つの国に絞るほど強い興味が見つからないからである。 加えて旅好きなひとは渡航国を増やすことに喜びを感じる。 これも悪くないが自然の絶景をゆっくり楽しむ時間を持てない。都市から都市への移動が多くなるからである。 オシュの到着が思いのほか遅くなったので国内線航空でビシュケクへ向かう券の入手が店でできない。スマホなども持ってきていないし。キルギスはインターネットの通信状況が良くないとの書き込みがあり、フリーWI-FIに期待しなかったので持ってこなかったのである。 この宿ではニュージーランドから来た2人の女性とも話した。シルクロードを中心に西安を基点にして4か月の旅だという。シルクロードとは関係ない場所ではあるがアゼルバイジャンのバクーを最後にニュージーランドへ戻っていくつもりだという。カスピ海沿岸の町で旅心を誘うんだろう。この人もタジキスタンでの旅行仲間を探しているがみつからないとのこと。2人での割り勘費用では納得できないとのこと。タジキスタンはそれほど物価が高いわけではないが、レンタカーなどの費用は高いらしい。借主の多くは外国人だからか。 ❖7月6日 チーズ、パン、りんごなどで朝食を済ませる。航空券を扱う店でこの日ビシュケクに向かう航空券を購入3800SOM。当日便だから高いが仕方がないと判断。マルシュルトカで空港に向かう。 ビシュケクの空港から市街にバスで向かう。ナリンへは翌日にする。 ビシュケクでは市街からバスでSAKURAゲストハウスというところの近くまで向かうつもりだったがいつまで待っても来ないのでタクシーで近くまで行く。この宿は日本人とキルギス人夫婦が経営する宿。 日本語が聞こえる。ドミトリーに宿泊しているのか。ゆっくりしたかったのでシングルルームに泊まった。950SOM。 タクシーに乗る前に購入した食料を部屋で食べる。惣菜、ぱん、水、果物など。 ❖7月7日 宿から出ようとしたら日本人の自分より年寄りな人に話しかけられた。3か月ほど避暑として毎年のようにキルギスで滞在するらしい。山が好きなわけではない。物価も安いので滞在しやすいのでしょう。物価の安い発展途上国の多くは日本より暑い国が多い。キルギスの夏も暑いが日本よりはましなんでしょう。キルギスは物価安いが渡航費がヨーロッパより高いので長期滞在でないとヨーロッパ滞在の費用を逆転できない。なのでキルギスに来る日本人は自分のような興味がないと来ない。せいぜい中央アジア諸国を巡る旅行ということになる。巡るとなると期間が短いとバカらしくなるし無理なので、この点からもキルギスに来る日本人はとても少ないということになる。ヨーロッパからであれば距離感や費用も日本人の置かれる状況とは異なり来やすい。なのでそれなりにヨーロッパからの旅行者はいる。 ビシュケクの長距離バス乗り場にバスで向かう。 ナリン行きの乗り合い小型車をみつけて客が埋まるまで待つ。1時間程度で出発。500SOM。5時間程度でナリン到着。途中ドライブインで昼食、休憩もした。 ナリン到着し、ナリンのCBTに立ち寄ってタシュラバトへの交通について問い合わせ。タシュラバトはシルクロードの隊商宿の跡があるところ。 ここへはタクシーでないと行けない。往復で2500SOMという。しかも運転手を1泊で待たせる場合には500SOMが追加。安いと思った。 翌日行くことにした。この日の宿泊先を紹介してもらった。朝食付きで800SOM。ホームステイのような宿。家の質感は良い。4人のフランス人旅行者も宿泊していた。この4人は自分と同様にオシュから来たらしい。 白タクシーのようなもので。タクシー運転手も宿泊した。4人だから一人当たりは安いでしょう。 ナリンの標高は2000メートルある。昼間はそれでも暑く感じた。そこそこ夜は冷えた。オシュやビシュケクはもっと暑いが一年を通じればこちらの方が過ごしやすいのだろう。 ❖7月8日 9:00にCBT前から車でタシュラバトに向かう。途中でKOSHOY KORGONというところによってもらう。昔の教会後らしい。博物館、美術館も小さいながらあり入ってみる。キルギスらしさがあり良かった。 タシュラバトへの道から見える景観も素晴らしい。初夏から夏という季節柄のはずだが、菜の花も咲く。この時期来てよかったと改めて思った。 ユルト、遺跡、山と想像以上に素敵な場所でした。 昼食をコンテナのような建物で食べた。そのあと、付近を散策。南下するとチャタルクルという湖がある。ここまで10キロ以上あるので行かなかったがこのあたりも素晴らしいらしい。このチャタルクルから中国まではそんなに遠くない。ナリンは中国に向かうために立ち寄る町でもある。 タシュラバトにはキルギス人も沢山きているし外国人も沢山いる。 レンタカーなのか車でも旅行者が来ている。 17日間の旅行の9日目なので中日まで来たことになる。かなりここまで充実しているが移動にも時間がかかることを感じた。 夕食も悪くなかった。充電はできなかった。ユルト宿泊。 星空に恵まれたが車で来れる場所だし光害がややある。 ❖7月9日 晴天の朝。 隊商宿跡に入ってなかったので入る。鍵がかけられてもいなく有料だと思ったが誰も入口にいないので無料で入る。西洋人数人が三脚を使ってさかんに写真撮影している。自分の三脚より重いもの。彼らは車で来ていたようだ。 朝食をとりしばらくして待たせておいた車でナリンに戻る。ユルト経営者の娘と運転手は夫婦であるらしい。だからタシュラバトで宿泊するのに金がかからないのだろう。だから往復費用が安いのか。 ナリンに昼前い到着したが、次の目的地カラコルは遠い。タクシーは高すぎる。1日1便のカラコル行きのマルシュルトカがあるが朝850発なのでナリンい再度宿泊することにした。オシュ以降は移動のために日を要することが増えた。前々日宿泊した宿い再度泊まらせてもらうことにした。 バザールやモスクで時間を過ごす。標高2000メートルにしては暑いと思った。にわか雨もある。夕食を済ませゆっくりした。 ❖7月10日 朝食をしていると何人もここに宿泊していることがわかった。 タシュラバトで見かけた3人組も宿泊していた。一緒に食事することにした。この3人も運転手を付けていた。 ナリンのバス乗り場からカラコルに向かう。途中イシククル湖の横を通過する。世界で2番目に美しい標高の高いところにあるおおきな湖らしい。 日本ではありえない美しい湖でした。見入ってしまう。 途中コチコルという町で昼食。バス乗り場の横にある食堂だが安いし味も良かった。16時ごろにカラコル到着した。CBTに行き、アルティンアラシャンという山のほうにある温泉地やその周辺の山歩きについて話を聞く。そして宿も紹介してもらった。 ここもホームステイのような宿でした。 CBTの後、ツーリストインフォメーションセンターに立ち寄りハンテングリなどの登山するための地図の説明を受ける。かなり粗い尺度の地図。とはいえ記念に購入することにした。ベルギーからの旅行者がいた。自転車で旅行しているようだ。キルギスで購入したのかわからないが。 宿に行った。靴は玄関口で脱ぎ客間に入る。日本式と同じなのでアジアの仲間という気がした。 カラコルは天山山脈の山歩きの基点となる町らしい。街並みが広く、ソビエト時代の影響ではないかと思った。そして古い建物は木造でそのデザインはイルクーツクなどの装飾と共通する気がした。文化性もある町だと思った。 ❖7月11日 宿に2泊の山間部で宿泊するにあたり多少の歩きがあるので不要と思う荷物を置かせてもらった。 そしてマルシュルトカ乗り場に向かう。迷ったが見つけてアクスという町で下車。ここから4時間半かかってアルティンアラシャンに到着した。 綺麗な景観はあるが、宿などいくつかあり自然景観を損ねていてややごちゃごちゃしている。アルティンアラシャンまでの景観は悪くはないが絶景ではない。 ELSAという奥のほうにある宿に宿泊することにした。ユルトもあるが、 ゲストハウス風の部屋にした。食事前に温泉に入った。湯量は豊富で無色透明ながらほのかな匂いが温泉であることを感じさせた。 この日はドイツ人の2人が隣の部屋で宿泊していた。 夜は曇っていた。 ❖7月12日 小雨の中、朝食を終えてゆっくり外の活動を始める。 この日はアルティンアラシャン周辺を歩くことにした。アラクル湖という湖が片道4,5時間にあるようだが遠いと思ったので、そのかわりの散策。 アルティンアラシャンの脇には水量の多い川が流れている。川幅も広い川もある。草花も美しい。乗馬を楽しむ旅行者もいる。天山山脈を目指す場所ではなく優しい山を楽しむところ。 たぶんアルペン登山をやる人たちはタクシーでふもとまで迫るか、ヘリコプター利用でしょう。 小雨なので遠景を楽しむことができない。そこで草花を中心に楽しむ。 パミール方面とは咲いている花の種類に違いを感じる。 土壌の違いなのか気候の違いなのか。 雷が発生し雨も激しくなると思い急いで宿に戻る。 激しい雨の中でゆっくり時間をすごす。アラクル湖方面から盛んに登山者が歩いてくる。このアルティンアラシャンは人気の場所。 この日の宿は盛況だった。フランス人3人と同部屋となった。 ドイツ人2人、キルギス人4人、ロシア人一人も宿泊。テント場にも数人が宿泊していた。 食事を終え、温泉に入った。電灯がなく自分のヘッドランプを使った。電灯は貸してくれるようだった。 ❖7月13日 後半は時の進みが速く感じる。 朝食をしているとフランス人が早々に宿をあとにした。だれもいない早朝を静かに歩くことが好きだという。晴れやかな朝だった。 この日はアクスまで歩き、カラコルにバスで戻り、カラコルの宿で荷物受け取り夜、ビシュケク行きのバスがあれば乗車したいと思った。 下痢止めの薬で夜行バス乗車は可能だとおもったからだ。 カラコルで昼食、散歩などしてバスターミナルに行ってみる。夜行バスがあり行くことにした。360SOM。宿に戻る前に市場で桃をいくつか購入してから宿に行った。桃を差し上げ、自分も食べたいので皿をだしてもらいここでたべさせてもらった。お茶が出された。ゆっくりさせてもらってから、荷物受け取り、荷物を整えてから再度バスターミナルに向かう。 22時発のバスなので十分すぎる時間がある。荷物保管の施設に預け身軽にして散歩を再開。夕食を近くで食べバスをゆっくり待つ。21時はつの便もありこれは空いているように見えたので22時発もすいているのかと思ったが満席である。そして自分の隣には体格の良い太った男性が座り窮屈なおもいをしつつビシュケクに向かうことになった。途中ドライブインで休憩。朝2時頃だったか。 ❖7月14日 朝5時半ごろにビシュケクに到着。バスで苦労しつつSAKURA ゲストハウスに向かう。 朝で旅行者も多い時期で部屋の空きを待ってシングルルームに入った。 日本人旅行者がいたので話をした。1年半以上の旅行だという。自転車と一緒に。時に自転車を飛行機に積んで。サッカーワールドカップが終了するまでこの宿にとどまることにしたとのこと。 モンベルやMSRのスポンサーにしたらしい。旅行計画書をメーカーに提出し合意を得て無料で欲しいものを提供してもらい、そのかわり使用感や旅行で撮影した製品を含めた写真をブログに入れるので、この写真を自由にメーカーは使ってよいという契約を交わしたとのこと。 テント宿泊も時にしてバッテリー充電用に太陽電池を自転車走行中も発電できるようなところに設置して走るのだという。 ポルトガルまで行ったら戻ってくるという。キルギスが気に入りサリモグルでの写真を見せたら興味を持ち再度キルギスに来たらサリモグルから山に入っていきたいと言っていた。 SAKUARAゲストハウスの夫が日本人だった。よくあるのは妻が日本人の場合なので、すっかりこの宿もそうかと思った。 この主人は登山もそれなりにして、レーニン峰に登ったらしい。キャンプ4を作って登ったらしい。普通はキャンプ3まで作って登頂を試みるらしいが成功率3割程度らしく、その失敗原因の一つがキャンプ3から頂上までが遠いらしいのでさらに4を追加して成功させたらしい。 ベースキャンプにはロシアの登山エージェントがテントを設営していてテント無でも夏場はベースキャンプに金さえ出せば宿泊できるらしい。 レーニン峰に行ったときは日本に住んでいる山仲間が来て一緒に登ったらしい。このときの写真をパソコンで見させてもらった。しかるべき装備をしているがあまり急な場所は多くないらしい。もちろん高度順化はしたので日数はそれなりに必要なんでしょう。 大きなバザール、博物館、中心地を歩く。 トルコ料理屋い入った。トルコ料理とキルギス料理はそれなりに似ているがトルコ料理の方が洗練されている。 ❖7月15日 キルギス最終日。 飛行機は16:20発なので十分ビシュケクを楽しめる。 鉄道駅に行ってみる。わずかだがキルギスにも鉄道が走っている。 ハチミツの産地でもあるようなので話に聞いた白いハチミツを購入したいが教えてもらったところは日曜日で休み。諦めていたが宿にもどると宿の近くの売り場を教えてもらった。買いに行く。大きなスーパーをみつけたので昼食をここで買い、チェックアウト後だが宿で食べさせてもらった。 空港までタクシーとバスを乗り継ぎ向かった。モスクワではサッカーワールドカップの決勝戦をテレビ放映していて、ちょうどフランスが1点目を入れたところを生で見ることができた。 ❖7月16日 10時半ごろ成田空港到着。 荷物がモスクワで乗り継ぎできず到着していないとのこと。 紛失ではない。荷物が翌日成田到着するので宅配便でその翌日家までおくるとのこと。モスクワの乗り継ぎ時間が1時間10分しかなく警戒していた通りになった。警戒していたのでかなりの荷物を手荷物としていた。とはいえ後味は良くなかった。 |
旅が感じられる写真を中心にご紹介します。 |
7月2日 イタリア人 パミール高原 | 7月2日 パミール高原 |
7月2日 マーモット | 7月8日 マーモットの巣穴 |
7月2日 ユルト
7月3日 ユルトのストーブ牛糞燃料
7月3日 移動の途中
7月3日 移動の途中に出会った子供たち
7月3日 移動の途中にあった放牧民の住居
7月3日 ユルト3泊目の遠景・1
7月3日 ユルト3泊目の遠景・2
7月3日 ユルトの中での夕食・・・スイス人4人、フランス人2人、韓国人1人の旅行者
7月4日 昼食~自家製ヨーグルトとバター、パン
7月5日 サリモグルにあったガソリンスタンド ここでオシュ行きの車を探した
7月5日 サリモグルへの車 途中で降りて
7月5日 サリモグル近くの川にかかる橋
7月5日 朝の光を浴びて
7月5日 民家での御馳走にあずかった・1
7月5日 民家での御馳走にあずかった・2
7月5日 民家での御馳走にあずかった・3
7月5日 民家での御馳走にあずかった。この家族の子供
7月7日 ビシュケクからナリンへの途中のレストラン
7月7日 ナリンへの途中の休憩
7月8日 タシュラバトで遊ぶ
7月8日 タシュラバトで
7月7日 タシュラバトへの途中 教会跡
7月8日 タシュラバトの隊商宿跡
7月10日 ナリンの宿で朝食
7月9日 タシュラバト前で
7月10日 カラコルの建築装飾木造
7月10日 ナリン郊外のガソリンスタンド
7月10日 アルティンアラシャンの温泉
7月10日 アルティンアラシャンの景観
7月10日 アルティンアラシャンで宿泊した宿ELSA
7月13日 カラコルのバスターミナル近くの売店
7月13日 カラコルの市場内の野菜売り場
7月13日 アルティンアラシャンからの帰路にて
7月13日 アルティンアラシャンの風景
7月14日 ビシュケクの大きな市場にて
7月15日 ビシュケクの中心部近くの散歩道
7月15日 ビシュケクの鉄道駅