【資料館】山岳気象

春山の特徴と危険



                     

2014/07 新設 

 春山の危険は、①変化の激しい春の気象(気候)による危険と、②この時期の山岳の自然状態による危険の2つに分けて考えることができます。前者は気象遭難に、後者は 雪崩遭難や滑落事故に結びつきます。気象遭難は、その山行に参加した全員に危険が及びますが、後者の危険は、雪崩を別にすれば個々人に生じる、という違いがあります。
 状況を知らないと、危険がどのようであるかの理解も困難でしょうから、その前に、春山の状況がどうなっているのかを見ていきながら、その危険を考えていくことにしましょう。雪山を実際にやっていない人は、人里から雪をかぶった峰々を美しいと見上げるくらいで、下界からは見えない部分やその奥、谷間などの状況は意外とわかっていないことが多いということを前提に述べます。しばらくお付き合いください。
 なお、本稿は2007年に我孫子山の会の育成講習用に作成した資料を、ほぼそのままここに再現したものです。
                                              
Ⅰ.春季の山岳地帯における危険性

 『気象遭難』という本が出版されています(羽根田治氏著、初版は2003年、山と溪谷社)。そして、まだ記憶に新しいのですが、昨2006年の2月末~4月に、それも何件も毎週のように事故が連鎖しました。前の週に実際におこった遭難から登山者としてなにも学ばなかったのか、いったい自覚していなかったのかと問いたくなるようなケースばかりで、 ほとんどが前例を軽視し、天候を甘く見たための山岳気象遭難でした。山岳気象の激変に対応できなかった登山者(個人、グループ)が次々と命を落とし、その天気だったにもかかわらず登山を行ったことに疑問符が投げかけられました。
 山岳気象遭難という場合、これは人の予想を超えていて、不可抗力(普通の人の努力や予測の範囲を超えていた場合に「防ぎえなかった」として理由づけされるもの)といわんばかりの評論がなされることがあります。しかし、気象はいつの場合にも、とくに山岳地 帯では激変・急変し、予想などをはるかに超えてしまい、その備えのなかった個人またはパーティー(そのパーティーの中でも弱い人)が犠牲になっています。一方、弱い人や山に不適切な人――とくに危険な山などに行くべきでないようなそのような人に限って、こ の時期の危険な山に出向いていくという選択をしている皮肉さを感じます。

 ※山岳気象と里の気象との乖離:山岳気象と人里の気象は基本的に並行します。山岳気象は悪いほうに増幅されるという面がありますが、人里の天候も当然ながら相応に悪かったはずなので す。とくに注意しなければならないのが、山岳地帯では、高さや山域、または季節などによっ て、ある部分(風の強さや寒波など)がとくに強調されることがあるという点です。例えば、100メートル高度を上げるごとにだいたい0.6℃ずつ気温が低下するという法則性を当てはめたとしても(それは連続する空気層において成り立つのであって、急激な変化がある場合には誤差が大きい場合がある)、その計算以上のはるかに寒冷な状況に見舞われることがあるとか、峠地形のところでは、漏斗〔じょうご〕のように風を絞り込む作用があるとか、那須の峰ノ茶屋付近のように冬季に異常に強風が吹く地形などといったことのために、計算以上に強い風が吹 くことがある、などの点です。そのほか、よく聞くように「体感温度」というのがあって、同 じ気温でも風が1m/s(「メートル毎秒」と読み、秒速のこと;時速に直すと3.6km/h)強まる ごとに、体感温度は1℃ずつ低下するとされます。

 さらに、なんの関連があるのか、同年末(11~12月)にも同じ気象遭難が連続しました (白馬岳、小蓮華岳など)。2006年の山岳遭難件数は、登山史上でもとくに多いと推測さ れます。
 私も気象の厳しさを経験したことがあります。それは1989年10月9日のことです。八 ケ岳の盟主・赤岳に真教寺尾根から登る機会があり、そのときに氷雨(ひさめ)が一緒に登っている仲間の体を打ちました。行程半ばで雨はみぞれに変わりました。逃げ場もなく、寒さに耐えて赤岳頂上の小屋に着いて、からくも危地を脱しました。20年の登山経験で、あのときほど寒さに震えたことはありませんが、驚いたことに同じ日に、立山(真砂岳)で京都から来ていた税理士で成るハイカー10人のうち8人が、この寒さにつかまって凍死しました。その寒さがどれほどのものだったかを、下山後に理解しました。

1.春山の区間
 いよいよ4月です。これからゴールデンウィークにかけて、すばらしい残雪の山々が待っています。厳冬期と違い、天気さえよければ山も暖かで、日照時間も長く、山面が輝く、いわゆる「春山」とよんでいる特有のシーズンです。ところで、暦の上と異なり、春(春 季)とは山の世界ではどの時期をさすのでしょうか。はっきりした規定はないでしょうが、 ここでは真冬(冬季;前年の12月から翌年の2月末まで)が過ぎて梅雨期(関東甲信地方では平年で6月8日に入梅、7月20日梅雨明け)が来るまで、すなわち3月初めから6月上旬ぐらいまで(約3か月)をさすということにしておきましょう。

2.春山気候の特徴と山岳地帯の状態
 とはいっても、3月と6月とでは大きな季節上の開きがありますので、ひと口に春山をかいつまんで述べるのは困難ですし、またその危険をいう場合にも幅が広すぎましょう。 そこで、春山を、①3月初め~4月上旬、②4月中旬~5月中旬、および③5月下旬~6月上旬の3つの時間(期間)に便宜上分けて、見ていくことにしましょう。
 これらの時間区分に、さらに(1)水平区分(水平気象;地域、緯度や日本列島の脊梁の北側・南側のどちらか、など)と(2)垂直区分(垂直気象;標高)、(3)地域特性を加味して、その時期におけるその地域や山域のだいたいの気象が推測されます。一般的な天気図をもととする場合にも、これらの要素を組み合わせて山岳気象は考えなければなりません。
  ①3月初め~4月上旬
 ざっと次のような特徴が考えられます。
 ・真冬の名残、寒さのぶり返しがある(真冬への逆戻り)。
 ・季節の交替期~端境期(冬と春の両方の性質を備える微妙な時季)。
 ・多量の積雪がある(日本海側の高所山岳地帯で積雪量が最大となる)。
 ・激しい気象変化、天候の不安定が続く。
 ・二つ玉低気圧が発生することがある。
 ・春への先取りとして低気圧が襲う気象がある。
 最近、季節が変化しているようですが、これまで最も寒い月(平均気温が最も低く、年 間の最低気温を記録する)は1月末~2月でした。それが3月に入ると、冬型の天気にもゆるみが出はじめ、戸外は明るさを増し、暖かな日が訪れます。しかし、この時期は、ま だ厳冬期の気象が、山々のみならず人里・低地にも残っており、またしばしば冬型の気圧配置(いわゆる「西高東低」型)がぶり返し、にわかに寒くなります。少なくとも3月半ばまでは、冬型と春型の気候の交代期~端境期(または同居期)ともいえる時期で、いつ真冬に戻 るかわからないといった状況になっています。そして、ひとたび冬型になると、山岳地帯は真冬と同等の厳しい天候に見舞われます。高所山岳ではまだ雪解けは始まってもおらず、 冬型の気圧配置による新雪ももたらしますし、日本海側の山岳地帯(とくに高所)は最も 多くの雪をいだく時期です(どれくらいの寒波が来るかの予測は、高層天気図というものでわかるとされます)。
 この時期の気象の特徴は、非常に天候が変わりやすい、という点です。厳冬期の西高東 低の安定した気圧配置から、シベリア大陸の高気圧(冷たく、重い空気)の影響が少しずつ弱まっていくと同時に、太平洋の小笠原気団(高気圧、暖かい)が少しずつ北上を始め、 南洋の遠くから日本列島上に影響力を及ぼしかけます。日本列島を挟んでその両者の影響 が拮抗し、また交代しながら、さらに東シナ海・黄海で生じた移動性の低気圧が日本列島上空や近くを通過するために、気候が激しく変化します。天気予報が当たる確率が低下するのも、9月下旬とともにこの時期の特徴です。
 なお、移動性低気圧は移動性の高気圧と入れ替わりながらやってくるので、天候の入れ替わりが頻繁となり、安定した晴天は長く続きません。
 3月に発生して山岳部に荒天をもたらす「二つ玉低気圧」というのもこの時期の産物で、 過去にもしばしば山岳遭難事故の原因となってきました(図ⅰ)。
 ※二つ玉低気圧:東シナ海と黄海に(実際は中国大陸で)端を発し、日本列島を南北または東西に挟むように進む2つの移動性低気圧で、これが三陸沖で1つに合体して、猛烈な風をもたらすもの。その影響で日本列島の高所山岳や、とくに東北方面の山は大荒れとなる。最後は北海道東岸(根室沖)をオホーツク海に抜けるが、台風並みの強風、時化となる。しばしば漁船が被害に遭っている。
  山を目ざす人には、この時期の荒天(強風の吹き荒れる「春の嵐」なども含め)が、冬型によるのか春型によるのか見定めが重要です。どちらによるかによって、気温、風、雪の質は異なります。そのどちらもがありうるのが、この時期の特徴です。雪の質も決まります。
  春型の場合は次項でみるように「移動性」低気圧によるもので、長続きしません。 
 ※高層天気図:高度4000~5000メートル上空にある寒波の等高線が日本列島のどの範囲にかかるかによって、その山や地点より1000メートル上空(例えば富士山だったら3776+1000=4776 メートル)の空気が-10℃以下であれば、降った場合は雪になるとされます。
 

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 一方、4月になると人里では桜が開花し、上越の山々(標高がさほどでない、2000メー トル前後の山)や八ケ岳などでは、気候は穏やかとなり、中腹では雪解けが始まります。 同時に、多雪地帯の急な山斜面では、ブロック雪崩がおきやすくなっています。いわゆる 雪渓(例えば針ノ木雪渓や扇沢雪渓、大樺沢雪渓)をたどる山行では、雪崩に対する注意 が必要です。時期や雪の状態によっては、雪崩の危険から雪渓ルートが避けられます。こ れらの多雪地帯の雪渓では、クレバスcrevass(図ⅱ)やベルクシュルントBerkschrund(ラントクルフトLandkluft)(図ⅲ)が生じていることがあります。

 ※クレバス:雪渓や氷河など、厚い層状の雪が上流から下流にかけて流れる(傾斜によって帯状に長時間移動する)ときに、流れに対して直角に生じる雪層内の割れ目をさします。ベルクシ ュルントはラントクルフトともいい(ともにドイツ語)、ベルク (山)やラント(Land;陸) との間にできるギャップ(裂け目、亀裂)のこと。登山者にとって危険な箇所となります。

 日本ではいずれも、春先からの気温の上昇に伴って雪の移動および流下と、大地の温度の上昇によって生じるものです。クレバスは、氷雪の粒子の連絡が面で断裂(断ち切れることを起こすもので、傾斜角度がきわめてゼロ(0)に近いところ(多くは規模の大きな、ゆるやかな、長い氷河;図ⅱ-a)では、地面に対してほぼ垂直にできます。そのためクレバスに落ちたとき は、真下に吸い込まれるように長い距離落下するうえ、クレバスの底は楔のように狭まっているため、きわめて危険です。
 一方、傾斜が強い(つまり流れの急な)日本の川にできるような 雪渓(図ⅱ-b)では、クレバスは水平面に対して斜め(山面に対しては垂直)にできるので、 ここに落ちたときには、上のケースのような危険がなく、そのため日本の雪山ではあまりクレバスを問題とすることがありません。それに、雪層の面での断列部は、上部からの雪の流下によって圧されるので、長くこの裂け目が見られることもありません。
 〔参考文献〕クレバスからの脱出、岩波文庫(アコンカグア南壁が舞台です)。  
 積雪は、この時期に最大となります。冬季には、もっぱら日本海側の脊梁部(白山、谷川連峰、立山連峰など)に降雪をもたらし、太平洋側の南アルプスなどは高さの割には降雪量は増えません。しかし、この時期になると、一定の高さ以上の山岳部に、冬型(西高 東低)の気圧配置による寒雪(冬型で降る雪)とともに、移動性の低気圧による暖雪(冬型でない、春型の気圧配置で降る雪)の両方がもたらされるため、とくに北アルプス・中 央アルプスでは被雪量が多くなります。富士山や南アルプスに雪が増えるのは、もう少し先のことです。
 この時期、雪の状態が変化を起こしし、さまざまな危険を登山者にもたらします。無雪期であったなら問題のない箇所が、覆(被)雪(ひせつ)しているために滑落面(滑り台)となっていることもあります。気温の上昇や日射量の増加で雪は締まり、硬くなっていきますが、新雪もあるので、この時期に雪渓を登るときは、雪崩に対する注意も必要です。 
②4月中旬~5月中旬
  ・気温が上昇する。
  ・雪解けが始まる。
  ・移動性の低気圧がしばしば通過する。
  ・高所山岳に多量の春雪が降る(暖雪;とくに太平洋側の高所)。
 ・雪崩がおきやすい。
 4月からゴールデンウィークにかけて天候は比較的な安定を取り戻しますが、依然として移動性低気圧がしばしば日本列島(どちらかというと南岸)沿いに通過します。冬型の西高東低型のときは、主として日本海側の山岳地帯に降雪をもたらし、太平洋側には乾燥気候をもたらすことはご承知のとおりですが、移動性低気圧が多くなるこの時期には、太平洋側に沿って多量の降水をもたらします。この時期には、これが高所では雪になるので、富士山や南アルプスの3000メートル峰に多くの降雪が見られます(太平洋側のこれらの山岳地 帯が最も多く雪をかぶるのは、4月半ばから5月上旬にかけてです)。
 つまり、①冬(西高東低)型からの脱却と、②南岸低気圧による降水(東シナ海方面に おける低気圧の発生)、および③高所で雪に変わるだけの低温(真冬から初夏への移行期のうちの前半期にある)という3つの条件がそろう時期に、太平洋側にある高所山岳にたく さんの雪が降ることとなるわけです(富士山や北岳は真冬には黒い地肌を見せていますが、 4月以降になるとある部分以上が真っ白な雪におおわれます)。
 比較的天候は安定している時期ですが、天候が急変して、例えば谷川連峰あたりでもテ ントが風に耐え切れない悪天候が襲うこともあります。
 しかし、そういった降雪の時期ばかりではありません。この時期は、微妙に気温が高く、 または低く変化します。低い場合には、1000メートル級の山や奥日光・戦場ヶ原・尾瀬あたりもまれに雪になることがあれば、高温で推移する場合には、例えば私たちがほぼ10 年前に行った穂高岳山行において、涸沢(標高2400メートル)のテントで終夜、強い雨にテントが打たれたことがあったように、比較的高所でも雨になります。涸沢(小豆沢) にこのような高温と、この多量の降水がもたらしたものは、雪崩でした。
 この時期には、このようにして雨水で水分を含みながら積雪の密度が大きく重くなり、 また地面の温度も上昇して、底雪崩(全層雪崩)が発生しやすくなります(その雪崩は私たちが涸沢から下山した数日後に発生し、そこにいた有名な登山者を死に至らしめました)。  
 高気圧、低気圧というのは、地表面をおおう空気の層(大気)のムラ(濃淡)によって決 まり、周囲と比べて、より濃い(高い=高気圧)か、薄い(低い=低気圧)かの相対的な関 係で成り立ちます。物体は重力加速度によって、必ず高いところから低いところに移動しようとします。同じように、空気や液体などの流動体(流体)は、必ず濃い部分から薄い部分へ移動しようとします(自然に行われるこの移動を「拡散」といっています)。
 空気層はその地域や地帯の条件によって、たえず暖められたり、水分を吸収したり、山脈にぶつかったり、別の空気と交じり合ったり、上昇したり、を繰り返しながら動いています。 同じ質の空気の塊を「気団」といいますが、空気のムラとは複数の気団の分布が存在することを示します。大局的に見ると、気団は地球の自転の作用によって、超高層を流れるジェッ ト気流に引っ張られながら移動するので、西から東への変化になりますが、局地的にも、拡散という物理的な作用によって、高気圧(濃い空気)から低気圧(薄い空気)へと移動して います。また、地球の自転の力(移動性)にもかかわらず、南北の気団の影響が大きい真冬には、この移動性がはばまれて、日本列島は南北に伸びる気団で安定しておおわれます(冬 型の西高東低型)。

 ※高気圧・低気圧:ここで、空気の密度(比重)によって相対的に表現するのが、高気圧、低気圧です。高気圧は重く冷たく、低気圧は軽く温かな空気です(ただし、日本付近の平均の気圧は1013 hPa(ヘクトパスカル);以前はmb〔ミリバール〕が使われます。Paは力の単位で、hは「100倍」の 意味)。シベリア大陸から下りてくる高気圧は非常に気温が低いため重く、密度の高い高気圧 です(最大1040hPa近くにもなることはご承知のとおりです)。

 晴天(いい天気)がもたらされるのは、一帯が高気圧(高密度、重い空気)におおわれる ときですが、日本列島にこの高気圧をもたらす気団(空気の塊)には3つあります。①シベ リア大陸から南に下りてくる気団で、安定して冬型の気圧配置をとるもの(自転によって西 から東に移動しないで、あくまで南北の関係にとどまる;図ⅳ-a)、②中国大陸の大河(長江) あたりに起源をもつ気団で、シベリア気団の影響が低下したあと、東シナ海あたりを通過しながら勢いを増し、地球の自転にのって東から西へとやってくるもので、低気圧とともに相交代しながら日本に来ます(頻繁に気圧が交替する、移動性低気圧;図ⅳ-b)。③もう1つは、 夏にかけて太平洋側から日本列島に向かって北上してくるものです。
 季節の交代期には、移動性が優勢となっても、そこにまだ大陸性の高気圧の影響が残って いたり、小笠原高気圧の北上もあったりで、これらの要素の複合的な関係で天気が決まりま す。そのため、予報がむずかしいわけです。
 冬型の場合には、シベリア方面から日本海を越えて寒気が流れ込み、北西の風が吹きます。 その際、日本海で水蒸気をたっぷりと吸い込んでいます。これが列島脊梁の谷川連峰あたりにぶつかって上昇気流となり、さらに冷やされるので雪に変わり、上越地方の山間部、とくに北西斜面に多量の降雪がもたらされるわけです。他方、移動性の場合には、低気圧に向かって周辺の高気圧が流れ込むため、その流入高気圧が太平洋上で発生していたものであった場合は、水蒸気を低気圧に供給するので、多量の降水をもたらします。移動性の低気圧の場合は、周囲の気圧にも目を向けて気象を読まなければなりません。
 そのほか、雪解けに伴って急速に発達し、登山者にとって危険となる雪山の状況として 「スノーブリッジ(雪橋)」があります。例えば、横尾から涸沢に向かう途中、横尾谷を右岸に渡るところ(本谷橋付近)でみられますが、スノーブリッジを踏み抜いて命を落とすという例もあります。下は雪解けの氷水が流れています。
 また、沢や雪渓などで両岸が挟まれた地帯には、岸部から低地に向かって凍上(▼詳細は下記)という現象によって雪で運ばれた岩石が滞留していて、雪渓上の登山者を襲うときがあります(白馬岳雪渓や石転沢雪渓 でしばしば落石事故が起こっており、後者では残雪期の登山が禁止となることがあります)。
 それとともに、雪の表面における結晶の変化が起こります。高所では、昼夜の気温差が大きいので表面の雪の粒子が変化し、しだいに硬化してクラストcrustという現象を呈します(▼下記)。 


 

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●図の説明
図ⅳ:雪の表面を太陽が照らすと、下に述べたように雪の密度が増し、重い、硬い雪に変わっていきます。同時に風や、気温条件(暖まったり冷やされたり)なども、雪の質をより硬く変化させます(雪の凍状変化)。こうしてできる、少なくとも表面に人が乗っても埋没する(沈み込む)ことのない 雪になる(雪の表面が硬化する)こと、またはその状態を「クラスト」(crust;外皮、パンの 皮の意味)とよんでいます。クラストはだいたい表面から5~10センチの範囲に起こります(「もなか」のようで、下のほうは軟らかな雪です)。原因によって風によるサンクラスト(またはサニークラスト)、風によるウィンドクラスト(またはウィンディークラスと)、降水(雨)によるレインクラスト(またはレイニークラスと)などと呼びます。いずれもクラトに必須の融雪または雪の硬化に、日射、風、雨のどれが原因となるかで呼ばれている名称です。クラストした雪面も、青氷(ブルーアイス)ほどではないにしろ、滑りやすい斜面となるので、要注意です。なお、青氷は主として南側斜面など日のよく当たる面に (しかも解けた水をためやすい緩傾斜面に)できやすいのに対して、クラストは必ずしもどの面といった方角的な特徴がありません。危険だとはいえ、雪の斜面の下降に慣れた人にとっては、クラストした斜面は堅雪なのでバランスがとりやすく、下降には絶好のルートを提供してくれます。
図ⅵ:積雪のある南側斜面で、無風・快晴時に起こる雪の変化を考えてみましょう。外気の温度 はマイナスでもプラスでもかまいませんが、氷点下(例えば-5℃)としておきましょう。通常、 この気温では雪は解けないので、雪の層に変化は起こりません。ところが、①の表雪層に強い太陽が射すと、この太陽エネルギーは雪の層に吸収されるのです。表雪層はわずか1ミリ(mm) ほどといわれます。表雪層は外気にさらされているので、依然として解けないまま氷点下状態が堅持され、温室ガラ スの役をずっと果たします。この表雪層によって、それよりも内部の雪層(②熱吸収層)に太 陽エネルギーが温度(熱エネルギー)として蓄積され、②の熱吸収層部分には空洞が生じます (雪山に行ったら確かめてみてください;この空洞部分はまるで小さな自然の温室です)。②は 陽光を浴びる間ずっと、エネルギーをたくわえ続けるので、この層が全体として解け、雪の密度を増していきます。さらに、この層は解けて流下する水分をその下の③堆積層に流し始め、 何日か後には、②と③が一様に、高密度の雪質に変化していきます。つまり、青氷(ブルーアイス)がここに硬い層として形成されることになります。なお、「無風」ということの意味はおわかりでしょうか。風があると、太陽のエネルギーが蓄積されるよりも早く②の層も冷却を受けるので、雪の融解が進まないわけです。
 その途中のある日の夕方を想像してみましょう。日没後は太陽エネルギーの供給がなくなる一方、 夜間の外気温の低下によって①⇒②と冷却され、わずか1~2日のことであっても、無風快晴だった翌日の早朝の雪面は非常に固まった、危険な状態となっています。雪の表面だけでなく、その下の状態にも注意が必要なゆえんです。また、中・短期的な天気の予測、把握が登山には必要なわけです。
  青氷(ブルーアイス)生成の過程は、この時期の特徴です。昼間暖かく、 夜間に氷点下に気温の下がる、日射量の多い高所の斜面におこります。登山者が注意しなければならない山岳状況の1つです。上に述べたような快晴だった翌日に新雪が降った斜面は、きわめて危険です。雪の下には、大きな口を開けたワニが待ち受けているかのような情景が想像されます。
 ずいぶん前のことですが、私の職場にいた山好きが、北穂高岳で滑落死しました。よりによっ て、早朝一番の
北穂沢を下山していて、歩行に破綻をきたした結果でした。昼間に雪が解けて密度を増し、夜半にこれが氷結して、日の出前には雪の表面はガチガチに硬くなっています。ここの歩行がどれくらい危険かは、下の状況(北穂沢の両岸の岩の出っ張りや、下部の傾斜など)から推測できます。装着していたアイゼンもなくなっていたと聞きましたが、滑落後に頭部への衝撃によって意識を消失し脱力しているため、アイゼンの抵抗によって片足が股関節部から飛んでなくなるということもあるいといわれます。
図ⅶ:さらにこの②の層は、表層雪崩(旧来の雪面の上に新たに降った雪が、はがれるようにおこす雪崩)の原因要素として、あげられます。雪崩学上は、このような層を「弱層(じゃくそう)」と呼んで います。②の表面の結晶がその下部よりも大きくなり(このような粒子の雪をざらめ雪と呼び ます)、特徴のある層を形成し、この部分で、雪の上下が剥離を起こしやすくなるためです。そのほか、天候(とくに気温)が激しく急変した後の雪面や、みぞれ、あられ(霰)が降った 場合も、その面が弱層を作ります。弱層は「異層」とでも呼ぶ膜状の断層で、時間的にずれて重なり合って存在する雪の間に接着していますが、ここから雪の層が層全体として剥離、ずれ、移動を起こすのです。
 弱層の確認を する方法に、弱層試験というのがあります。この方法は、雪崩の危険のある雪面を円柱状に何十センチか(50センチ前後)掘り下げ、この積雪の層間に剥離をおこす層があるかどうかを発見するものです。 円柱を両手で抱えて引いて、その途中で円柱が動くようなときは、そこが弱層です。
 ついでに、表層雪崩に対する全層雪崩(底雪崩)について言及しておきます。全層雪崩は、 雪面が地面から滑って、全体が落ちてしまうものです。この因子としては、雪全体の重さが増えること(雪は解けてもその中にしみ込んでいる限りは、重さになります)、外から降水などで水分の補給があり、雪面下に流れ下って、雪と地面の接着面をぬらすこと、そのほか地面の温度の上昇などが考えられます。こうした条件から、全層雪崩は春の後半に、温暖化や多量の降 水などの気象的な現象に伴って起こりやすいことが推測されます。
 登山者が巻き込まれる場合は、表層雪崩が圧倒的に多く、これには登山者自身の影響も大きく関与しているとされます。とくにスキーヤーによる雪崩の誘発には警告が発されているほど です。〔参考文献〕最新雪崩学入門、山と溪谷社、1996。

 

 そのほか、気団の入れ替わりが激しく、また日射量の多い時期ですから、雷雨・落雷も しばしばみられます。10年程前、我孫子にひょう(雹)が降ったことがありましたが、こ れも5月20日ごろだったようです。私も5月ゴールデンウィークに、千枚岳手前の尾根 (マンノー沢ノ頭)上で、強烈な雷に出会ったことがあります。ひょうと雷は発生原因が共通しています。日射量が多くて地面が急激に熱せられたときや、冷たい空気を含んだ高 気圧が低気圧の下に潜り込んだときなどに、強い上昇気流が発生して、あるときは積乱雲 が発生したり、上空の水蒸気を凝結させて雷雲・雨雲が発生したりします。  冷たい風が吹いたかと思うと、急に空模様が変わり、空が真っ暗になり、次いで冷たい 雨(場合によっては雹ひょう)が集中して降ってきたりします。経験がおありかと思います。

 ③5月下旬~6月上旬
  ・山岳地帯でも冬に逆戻りをすることがなくなる。
  ・まだ残雪が多い。
  ・5月の中旬まではある程度は天候が安定する。
  ・6月に入ると梅雨の前ぶれ状態となる。
  ・山では土砂崩れがおこりやすい。
 この時期は、真冬の寒さを覚悟する必要がなくなり、山の厳しい気象に対する一種の安心感が生まれます。しかし、こわいのは氷雨です。雪にならないで、しとしとと降った雨が身を濡らしたときです。  まだおびただしい残雪が、高所をはじめ豪雪地帯の山岳部には残っています。気温が上 昇した際に起こるのは、やはり底雪崩です。それとともにこわいのが、とくに豪雪地多や 高所山岳地帯における自然崩壊が進行していた場合です。すでに初冬期から高所山岳地帯 では「凍上」という現象が起こっていますが、その結果、大きな岩石が移動を起こしてい ます。雪解けが進んだ傾斜地帯である部分は、微妙なバランスで斜面上にひっかった状態 となっており、登山者によるわずかの衝撃で落下や動きを生じることがありえます(図ⅷ)。

 ※凍上:霜柱は地表面に垂直に成長しますが、この霜柱によって地表付近の土や石が持ち上げられる現象をさします。持ち上げられた土石は、傾斜地では元の位置には戻らず、持ち上がった分だけ斜面下方へと移動します。これが何度もおこって、一冬かけて霜柱は斜面物質の大きな移動を引き起こします。何年かの後には、巨大な岩が何十メートルも移動することもありえ ます。しかし、1シーズンが終わった時点で、そうして運び下ろされた岩石が、転がり落ちないまま斜面にかろうじて静止している状態となった箇所は非常に危険です。雪渓とは異なり、斜面からの落石は、このようにして雪解けが終わった6月ごろから起こる頻度が増します。さらに、多雪地帯では雪による運び下ろしが進むため、危険は増します。 同じ理由で、高所には「浮き石」がたくさんできやすくなります。 

 

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Ⅱ.春山登山の危険性とその対策

 以上にみてきたことから、やはり対策としても、①天候(気象)に関連する危険と、② 山の状態に関連する危険とに分けて理解しなければなりません。

1.天候(気象)に関連する危険とその防止対策
 天候(気象)が登山者に関連してくるのは、ただ登山に適さないというばかりでなく、 山岳地帯ではいっ
そう荒れ狂う悪天候で、短時間といえども山岳地帯での人の生存を許さない気象環境になるということです。その状況に入っていった場合、もっと別の表現をすれば、その状況(天候)に「つかまった」場合、そこから逃れられもしないで、ただ悪天候が通過するまで、その時間、生存をなんとか保ってやり過ごすほかない、というほどの ものです。
 はじめに述べたように、このようなきわめて悪い気象状況(悪天候)の特徴は、山行を決断したら、そのパーティー全員を襲う、という共通性(一般性)です。それだけ、リー ダーの判断が重みを帯びてきます。
 誰にも同じように厳しく迫り来る危険ですが、そのようななかでも、助かっているグループや、同じパーティーのメンバーであっても、助かっていたり助かっていなかったり するという選別性がみられる点では、体力や経験、健康度、精神的な内容など個人の資質がものをいったとみることができますし、助からなかった人はその山に行く適性・耐性を欠いていたということもできます。しかし、これが問題です。
 そのようにいいうるのは、救命率がもっとずっと高く、偶然的な部分が大きな場合であ って、例えば100人中何十人(あるいは10人=確率1/10)という高危険率の場合には、 このような状況の中に身を置くという行為、ひいてはその行為をするという決断自体にこそ責任はあったと判断されるべきでしょう(ヒマラヤ登山のエベレストなどよりもずっと 高危険率ですから、「必然性」のレベルにまでこの場合の危険率は達しているといってよ いと思います)。実施を思いとどまる以外に適切な選択肢はなかったのです。
 このような天候にぶつかっても助かったパーティー(例えば2004年2月、石川・福井 県堺の大長山で、年関西学院大学ワンゲル部)は、雪洞を掘って退避していたといい、メ ンバー間での混乱が生じず隊列の統制がとれていたこと、救助隊が来るまでじっとして動 かなかったこと、無線機を持っていたこと、などの点があげられています。テントで耐えられなかった場合は、雪洞構築しかありません。

 1) 天候の把握と判断
 このような悪天候に対する心得としては、
 1) そのような悪天候につかまらない、
 2) かりにつかまったとしても、それに耐えられる力量をつける、
  3) 山行を断行し、つかまりそうになった場合も、危険を早めに察知して下山や避難の態勢に   入る
 という3つの選択肢があります。

 2) 隊列の乱れをなくする
 思い出してみてください。昨年2月末から4月にかけて(その年の11月や12月にも)、 こうした悪天候下に山行を断行したパーティーのうち、普段ならとても考えられないほ ど高い確率で、遭難(死亡は当然ありうることで、助かった場合も救助で他に多大な迷惑 をかけたり、凍傷を負ったりした)を引き起こしました。なかには山岳ガイドが同行(それ以上に、実施を決断)したケースもありました。あるときは、視界が失われ、寒冷・強 風下、飛ばされた帽子を取りに戻った(その人に付き合った)数名が、先行の隊から離れて、避難すべき小屋まであとわずか(30メートルとかでした)というところで凍死してしまったケースもありました。隊列の分裂(とぎれ)が原因のようにいわれますが、それに加えて、やはりそのようなミスで命を失うほどの危険な状態だったという認識を欠いていたこと、もっと以前は、悪天候の到来を正確に予測できなかったことが基盤にあります。
 少なくとも、隊列が割れて遭難したということなどは、天災というよりも人為的な災 害というほかなく、このようなことはどんなことがあっても防止しなくてはなりません。 日ごろから山行実施の形態については注意を喚起したいと思います。
 これを避けるには、 ①隊列を乱すような行動をとらないこと(誰が自分の前を歩いていたかがわからなく なるなどして、隊列構成の規則性・順番に対する観念が消失する)、 ②危険を個々のメンバーが感じ、他者(リーダーになど)依存一方の姿勢にならないよ うにすること(自己管理をしっかりと維持すること)、 ③危険は危険と、気づいた人が声に出して言うこと(笛での合図なども有効)、 ④状況把握に長けた人や経験の豊かな人に先頭を交替すること、 ⑤体力的・精神的な不安や心配事は早めに告げること(特定の人のコンディションなどを事前に他の隊員が知って注意を注ぐ)、 などを徹底するべきでしょう。これらは突然のことではないので、平常から丁寧な山行 をする、ということに尽きるのではないかと思います。

 3) 方向の間違いを防ぐ
 また、雪山で方角を失った場合のルートの確保のために、標識布・標識棒の携帯なども状況によって組み込むべきです。要所要所で方向を確認するなど、山登りの基本に立ち返って原則を守って、あわてないで進行をはかりましょう。
 なお、テントの場合は、必ず雪ブロックによる防風壁を周囲に造ります(風上側;冬型 の気圧配置では北西から吹き込むので、天候からどちらが風上かを判断する。ただし、風下側は雪崩をおこす可能性があるので、場所の見きわめが重要)が、吹雪が続く場合は、 テントと防風壁との間に雪がたまって、これがテントの布を圧し、そのまま放置するとテ ントのポールを折ることがあります。安全な空間が確保できるということが、精神的な、 物質的な安定にもつながりますから、雪ブロックはもちろんですが、雪山に登ろうという人は、夜間の寒さの中でも、「ちょっと用足しに」という控えめなひと言で、自ら率先して雪かきに出る、といった山男の心得などを銘記しておきましょう。

  4) 装備や技術の問題
 春山に備えた生活装備として、雪(スノー)スコップや強度の高い細引きなどは欠かせません。ま た、万が一の遭難で長時間の寒さに耐える装備として、エアーマットおよびゴアテックを 織り込んだシュラフ(寝袋)カバーが有効です(寝袋にカバーをかぶせて中に潜り込めば、 雪洞が持ってくれるなら、相当の時間は生存が可能)。
 雪洞を他の登山者が踏み抜くことがないように、尾根上やルートの近くだったときは、必ず標識棒・布(布は強風を受け続けるとなくなってしまう)を雪洞の上部と出入り口の前に差します(捜索隊や救助隊の目につくように、という意味もあります)。
 携帯TVやラジオ、無線機、携帯電話も必要でしょう。  また、雪山は行路の状況に難点が出ることが少なくなく、予想外の時間を要する場合が あったり、ルートの不規則性から時間を無雪期の登山よりも多く必要としたりすると了解 しておくのが、予想を裏切られないコツでしょう。つまり、夏よりも長い時間、多い日数をとることとなるわけです。これは、山中での生活時間の長さが長いことを意味し、さらに雪山自体の生存に対する危険性や、山小屋の休業状態(つまり人が山に入っていない) から、より多くの食料を携帯する必要のあることを示しています。これは、雪山は健康体で、ある程度頑強な身体でないと登れないというようなことをも示唆します。
2.山の状態の危険への対処
 最後に、春山の状態による危険を整理しておきましょう。
 ①雪の斜面であることによる滑落の危険性がある(滑る距離が長い)。
 ②斜面が不安定で、岩石が急な傾斜面に乗っかっていることがある。
 ③無雪期にはルートとなることがない雪渓や藪(ヤブ)地帯が通行できる代わりに、夏道 は消えており、自力でのルート検索となる。
 ④崩壊地が進行先のいたるところに生じる危険性がある。
 ⑤雪崩の危険性がある。
 ⑥進行速度が落ちる。
【対応】
 大きく分けて、次の点にまとめられます。
  ①雪上の歩行技術
 ピッケル・アイゼンを使っての単独歩行が、山面の傾斜や雪面の状 況(雪が硬い・軟らかい)にかかわらず確実にやりおおせること。雪面上の安定歩行、フラットフッティング(対雪面平行歩行)、滑落停止技術の習得は必須です。
 ②雪上の確保技術
 危険な箇所で危険に対応した、ザイルや器具を使っての確保技術が 実施できること。ひと通りの技術があるほうが、間違いなくいいでしょう。また、隊のメンバーがこわがって、かえって正常歩行ができ
ず滑落を引き起こす場合もありま すので、適宜ザイルを適用して、安全を図ります。また、一部だけであっても、とく にトラバース(斜面を横切って進むこと)は危険で、とかくトラバース下の斜面が急で、滑った結果が懸念されるようなところでは、ザイルを適用します。しかし、慣れた人なら、カッティング(雪を掘削すること)で行路を造り、後続の通過に不安なく進む手立てが講じられることもあります。ケースバイケースですが、複数のメンバー での登高(ジグザグ登高)のような場合には、先頭者は大きく足場を開削するよ
うにすれば、後続の安全度は高まります。かつ過剰な用心での無駄な時間は省くこと。
 ③ルートファインディング(確実な行路上の進行)
 冬季に、南アルプスや北アルプス、 あるいは八ケ岳南部の稜線の縦走をする際は、ルート(行路)は「尾根通し」ということがいわれます。無雪期(夏や秋)には一般登山道をたどればよいのですが、雪をかぶった山では山腹の通過(トラバース)は危険であるうえ、雪崩の危険性があるためです。しかし、これに伴って、稜線上をつなぐように移動しなければならないとな ると、岩場の通過(登攀や下降)が入ってきます。南アルプスの小赤石岳の通過には一部、懸垂下降を必要とする箇所があったりします。
 ④雪崩の危険回避
 沢状地形や谷間の通過、傾斜の強い山面、樹木のない斜面などの通過では、1人ずつが静かに通過します。ピッケルのバンド、ザックのバックルははず し、もし雪崩れたような場合は、すぐそれらを放り出して、「裸」になれる態勢を作り ます。また、例えば涸沢から白出ノコルまでの沢(小豆沢)や、針ノ木雪渓の登高では、確実なピッケル操作、アイゼン装着時機の判断も大切になります。広大な雪面の登高では、ルートをどこに取るかが分かれ目です。雪崩が不安なときは、弱層試験を行い、また樹林、樹層なども参考にして、より安全な行路を選びます。
 ⑤ラッセルや雪面の登高・下降
 やはり、基本は歩行のじょうずさ・慣れ、安定度が大事です。 厳冬期と異なり、クラスト状態の雪面は、素足歩行では陥没する場合も、ワカンの使用で安定 した歩行が可能となることが少なくありません。しかし、不要な装備は余計な荷重となって体力消耗を早めますので、ワカンなどの携帯は十分に雪の状態・質、降雪のあるなしなどから割り出すべきです。


 



《追記》
 雪庇(せっぴ)の張り出し  
 雪庇は上越の山々や、南・北・中アルプス、そのほか多雪地帯の山岳部、その稜線で、 1月以降にくらいから、雪庇の崩壊がすむ6月下旬くらいまで見られます。
 雪庇は北西側(日本海側)からの季節風に乗って運ばれてきた雪が、脊梁を乗り越える際に向こう側(すなわち風下側である南東側)に中空状に庇構造を形成するもので、春山の風物詩です。思い出すのは遠見尾根上のとくに白岳の東側にできる見事なものや、湯檜 曽川川床から見上げる白
毛門の稜線にかかるものなど、枚挙にいとまがありません。  2000年5月、大日岳での文部科学省登山研究所の登山講習に参加した若者(学生)2人が、雪庇の崩落によって雪崩を誘発し、死亡した事件は訴訟事件に発展しました。雪庇 の存在が予見できなかったかどうか、自己責任と引率者責任との拮抗をめぐって、争われ てきました(主催者側の敗訴に結果しました)。
 雪庇の張り出しの上に乗り出してはならないのは、いうまでもありません。例えば下のA点で雪庇の崩落をきたした場合、雪塊の落下距離や角度、雪塊の量、硬さなどから、巻き込まれた場合の救命は絶望に近いものがあります。稜線上のルートをたどる際は、地殻の上に少なくとも位置する地点を選びます。   


 



 


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