5月の山行

巻機山(1967㍍)から白毛門(1720㍍)への縦走
予想以上に難儀した3日間




 小屋のそばから見上げた巻機山

 巻機山山頂から見た縦走路。中央は朝日岳、その左横の三角錐型の山が白毛門、右の連嶺は谷川連峰。
 ▼上の写真の上にマウスを置くと別の写真が出ます。⇒朝日岳から振り返り見た縦走路。

【実施日】 2008年5月3 ~5日(山中2泊)
【参加者】 
男性6名
【行 路】

  3日 5.06 天王台/5.09我孫子---6.03/6.19 上野(上越新幹線)---7.25/7.40 越後湯沢(タクシー)---8.15/8.40 桜沢橋---12.00 正規ルートに復す---16.45 巻機
山避難小屋(歩行時間=8h)

 4日 
4.00 起床/5.45 発---7.00 巻機山山頂---9.30 米子頭山---12.00/12.30 柄沢山---16.30檜倉山との鞍部(幕営)(歩行時間=10.5h)
 5日 4.00 起床/5.50発---8.00檜倉山---9.30 大烏帽子山---12.00朝日岳---13.30 笠ケ岳---14.45白毛門---20.20土合橋---21.10/21.43 上毛高原---22.55 上野---23.45 帰 宅(歩行時間=14.5h)

 ※歩行時間は休憩時間を含む。
【装備】 
共同 
テント(6人用ダンロップV-6;冬用外張り付き、竹ペグ20本)、マット3枚、ツェルト1組、スコップ2本、コンロ(ガソリン仕様)、燃料(ガソリン)2.5リットル、コッヘル大(チタン)1組、まな板
個人 
厳冬期に近い衣類(外着は雨具)、ピッケル、アイゼン(12本爪)、ワカン、そのほか水筒(最少1.5リットル)、非常食(2食)
【経費】 
我孫子-越後湯沢(新幹線利用)約7000円/1人、越後湯沢-桜坂橋 約8000円×2台(1人約2700円)、土合橋-上毛高原 8500円×2台(1人約2900円)、上毛高原-我
孫子(新幹線利用)約6000円/1人、食費 約700円/1人 など
----合計 約20000円/1人


Ⅰ.山と山行の概要
 
10年近く前から目標としてきた大山行を、今春ようやくなし遂げることができた。これは同行された本山行の仲間はもちろんのこと、本山行を後押しくださった多くの会員 の方々の気持ちや激励に負うところが大きい。
 ■山の状態
 
予定のルート自体は、ヤブがその一部に組み込まれていたものの、ほぼ一本の稜線を一貫して這うものだったため、比較的見通しがきき、目測で進むことができた。樹林の中のヤブだったり、複雑に分岐する尾根や太い尾根だったりしたら、そうはいかなかっただろう。また、先行者が今回の私たちの進路上に5名いたし、逆からでも数名いた。お かげで、雪上にも、ヤブにも痕跡が残っていた。だが、やはり、このルート上はそうは歩かれていないことが、ヤブの中の踏み跡ともつかない不明瞭な様から推測された。登山道はヤブ地帯にも尾根の上にもまったくなく、無雪期には巻機山~笠ケ岳の間に水場は1か所もないので、この時季にのみ縦走が可能になる。登山道らしきものが現われるのは大烏帽子山から先である。
 年によって残雪量が違うだろうが、個人的な印象では、今回、雪は多くなかった。今冬は冬型の気圧置となる寒い日が割りと多くあったが、その後、意外と早く春の気候に移行したため、日本海側の2000m以下の山に最後の寒(かん)雪(せつ)(西高東低の気圧配置で降る真冬の雪)の“降りだめ”が少なかったからだと思われる。もう少し雪が残ってくれていたほうが、少なくともヤブが隠れて、歩きやすかっただろう。残雪期の山岳景観もさらに引き立つものになっただろう。巻機山山頂から越後三山を眺望したとき、その雪の少なさにはいささか驚いたほどだ。春先からの移動性の低気圧の影響(暖雪)は、南アルプスと北アルプス、奥日光の白根山くらいの高い峰々にしか及ばなかった。さらに気象の温暖化の影響もあって、年々、雪線が高くなりつつあるのかもしれない。
 やはり寒さは、真冬とは別ものだった。手袋も軍手程度の薄いもので間に合ったし、行動中は半袖の下着の上にシャツ1枚ですんだ(風がなければ半袖だったろう)。だが、今回の入山者のなかでは、私たちのザックがとくに大きかった。寒さを考えて、過剰な装備になっていたきらいがある(しかし、私は20年前に平標山で同じ時季に吹雪でひどい目に遭ったことがある)。ワカンも携帯したが、雪質は素靴による雪上歩行にちょうどよかった。結局、ワカンが無駄な装備となった。そのなかで正解だったのは、12本爪のアイゼンを持っていったことだ。これは、植物たちには悪かったが、ヤブ、とくに上りで笹のヤブを漕ぐのにとても役立った(Abさんはこれを「笹漕ぎ」と表現された)。 総じて、装備類はもっと絞り込むべきだったことを、反省点として銘記する。
 入山前に地図読みをしておけばその心構えができるかというと、必ずしもそうともいえないと感じた。当初なにげなく地図を眺めた限りで比較的なだらかな稜線を想像していたが、想像と実際との間にはかなりの隔たりがあった。米子(こめご)頭(かしら)山から柄(から)沢(さわ)山にかけて、檜倉(ひぐら)山の前後、それから朝日岳から笠ケ岳までは、かなりのアップダウンと岩稜歩きを強いられた。巻機山までの上りも入れると、全行程での累計高低差は2000mは下らないだろう。

 ■今山行のこと
 以前の計画では白毛門から入り、巻機山まで歩くという経路だったが、実施にあたっては、この計画を逆にしたNdさんの計画に従った。今回の計画で正解だったという気はする。白毛門からの下りのあまりの“悪路”とその長さを考えると、白毛門側から入山していた場合、白毛門の通過自体に手こずり、相当程度の身体的・精神的な強さ、目的達成への強固な意志が必須となるだろう。ここで気が萎えるパーティーはいるに違いない。むしろ、山自体は巻機山のほうが、標高こそ高いが登るのはずっとやさしい。
 今山行の道程は、地図読みで延べ25km程度はある。その全過程の3/5が登山ルートのない稜線上だった。縦走路上では、そのうちの1/10がヤブ地帯だった。ウネウネと不規則に曲折し、また雪壁上の安全地帯を選び、さらに“ヤブ漕ぎ”を強いられた過程をすべて加算したなら、その負荷がどれくらいになるかは、推測していただくほかない。
 帰途、今山行に参加されたAbさんが、ここに再度来ることはないでしょうね、とおっしゃった。自他における身体的、年齢的な条件も含めて、この山行の大変さを表現するものだが、とくに最近の天候の異変から考えても、3日間天候が持ってくれたという意味合いが大きいという。このような僥倖に恵まれることが確率的にありにくいためだ。3日目の出発早々に、檜倉山への上りで、この山行でいちばん大きな規模のヤブに出くわした。天気も下り坂に向かっており、ガスが立ち込めて視界を遮っていた。ひとときルートを見失ったかに見え、一抹の不安が仲間を襲ったかもしれない。だが、幸い、先行者のトレース(トレール、踏み跡)があり、それに従って難路を脱することができた。自らルートをつけなければならなかったとすると、視界を失った状況では、その進行はきわめて困難で、道迷い遭難をおかす危険がある。尾根上なので、行路の探索はやさしいと決めてかかっていたが、実際には“像に取り付く小虫”のような存在だった。
 さらに、私自身がパーティーの進行のうえで障害となったという事実について述べておかなければならない。ボクシングの試合で、セコンドがタオルを投げ込む、という状況を想像できるだろうか。その当事者が私だった。Nb君が、私が「やーめた!」という表示をいつするかもしれないと心配したというのだ。それだけ自分が危うかったし、自他がそう感じた。遺憾なことに、自分自身が歩けなくなっていた。体力(スタミナ)は余地があったが、脚力(大腿四頭筋)と腰が激痛を発し、限界に達していた。一晩では快癒せず、しだいに深刻化した。こんな経験は初めてだが、身体の部分的な閾値が絶対的に低下した現状を本当に知って、いまは、むしろありがたいと受け止めている。
 それにもかかわらず、「目標どおり」にみんなで達成できたことが感激だ、と語ったNb君の言葉が忘れられない。他の方にしても言葉には出されなかったが、言葉をかみ殺して、別れるまで笑顔で対応してくださったことに対して、深甚の謝意を示したい。


Ⅱ.山行の道程
 ■3日 登山口(桜坂橋)⇒巻機山避難小屋/新潟県・晴れ、山頂で曇り
 
上野からの上越新幹線の車中で、参加者の6名が集合した。越後湯沢からタクシー2台に分乗し、雪稜を見上げながら清水部落(現在は魚沼市清水町)の登山口に向かう。40分ほどで桜坂橋に着いた。共同装備の分担をならして、8時40分、登山開始となる。
 晴天の下、サブリーダーのKwさんを先頭に進む。すぐ広葉樹林の中を縫う雪上の歩行となった。先行者のトレースをたどるが、これが正規ルートでないとの情報が、引き返してきたハイカーから伝わった。だが、わが隊はさらに先に進む(ここで出発地点まで後退してルートを再確認することをSzさんは言われたという)。すぐ先で行路をはばむ猛烈なブッシュ帯にぶつかった。地図を出して現在地と進路を確認し、ここを強引に突破することとする。先行者の痕跡は消え、急な斜面の登攀となった。だが、この急坂に生息する小木の枝に、点々とピンクのテープが付けられてあった(なんと、このピンクのテープは白毛門を下りきった地点まで続いていた)。
 Kwさんが転倒をおこしたあと、Nb君に先頭を交代し、ヤブをかき分けながら急傾斜地を登り、左に回り込むように上昇すると、登山道に飛び出した。その間に要した時間は、2時間以上になった(私たちの後を来た少なくとも数パーティーが全部、このヤブをたどったことを私は聞いて確認した)。その上の開けた場所で食事をしながら、明日進むべき稜線を仰ぎ見た。それほどの高低差と感じなかったが、この地点からそこまで進むのに5時間ほどもかかることを、私はこのときほとんど認識しなかった。
 夏道はすぐ一面の残雪面に替わった。見事なブナ林が広い山面を上へ上へと導く。高度を上げながら後ろを振り返ると、近くの山域の、新緑を配した褐色と雪の白との織りなす絶妙の色調が目を引いた。白毛門を目ざすという単独行者が追い越していった。ブナ林が消え、傾斜がゆるやかになり、そこから笹の混じる尾根に上がる。下の雪面を数パーティーの登山者が追ってくる。雪解け水を補給してニセ巻機山までの最後の上りをひとがんばりし、巻機山本山のだだっ広い雪の面が視界に入ったかと思った瞬間、ガスがおおってしまった。ここを5分下ると、巻機山避難小屋だった。窓の上のほうまで残雪があり、小屋はまだ締め切られたままだというので、小屋は断念した。すでに5時に近く、私たちは近くにテントを張った(そのあと来た3人パーティーは小屋の窓を開けて、入った)。ザック類は雪上に敷いたシートの上に並べて置き、ツェルトをかぶせた。周囲はガスで閉じられた。Kwさんの予報情報をわずかに下回り、外気温は2~3℃。
 すぐに食事の準備にかかった。夕飯はSzさんが材料もすべて準備してくださったツミレ鍋だった。このひとときがテント山行の醍醐味で、なんとも楽しい。適度に飲みながら、他愛のない談笑が続いたが、8時にはお開きとした。8時半、就寝。

1日目
出発早々の様子。すぐ雪が出てきた。夏道が隠れていて、なにげなく進んだ先はブッシュ帯だった。この先で、ヤブ漕ぎの洗礼を受ける。
標高1800mあたり。ブナ林を抜けると、ゆるやかな雪面となった。先に見えるのはニセ巻機山。ここまでさらに遠い
避難小屋のテント場から見上げた巻機山頂稜部

■4日 巻機山避難小屋⇒檜倉山への上り/快晴~晴れ、南東の風強し
 
4時起床。テントを開けると、紫紺色を混ぜた碧空の下、針葉樹が色をつけた山岳の雪景色が目に入った。昨日がうそのような、雲ひとつない快晴だ。今山行では早発ちを励行するために、朝は湯を沸かすだけにし、翌日携帯する飲料水はすべて前夜に作りきることとした。食事は、カップラーメンかパンですます。他のパーティーが次々と出発した(そのうちの一部のパーティーは、白毛門とは逆の越後三山のほうに向かったものと推測する)。Kwさんがテントの狭さのために眠れなかったという。
 5時45分、アイゼンを装着して、われわれもテント場を後にする。巻機山の広大な褶曲雪原上をまっすぐ上を目ざす。振り返ると、ずっと下になった小屋越しに、奥日光から会津や尾瀬の山域、そして越後の山々が一枚の横長のスクリーンのように視界に入ってきた。この山域にしては、意外と雪の付き方が少ない。やがて、だだっ広い雪稜上に立った。昨日の単独行者の方があいさつし、6人の集合写真を撮ってくれた。彼は、ずいぶんと歩行の速い方と見受けた。はるか北西の方向には、真っ白な雪をいただく北アルプスが見えた。その中に、仲間が登っている穂高岳を認めた。頂上を地図で同定し、未知の脊稜に踏み出す。この稜線が果てようとするはるか彼方に、白毛門らしい頭部を見る。左前方(南東)からの風が強く、しばしば進行がじゃまされた。
 Kwさんが先頭を切り、Abさん、Szさん、Khさん、Nb君と続く。快調に進むが、すぐヤブにぶつかった。その先で一度鞍部に下りきる。この鞍部は今ルート上2番目に低い地点で、1650m程度だ。ここの手前で向こうから来た2人連れに、この上のヤブがいちばんひどいと聞いたが、Kwさんの誘導で、そこも難なく通過する。
※巻機山-白毛門間のほぼ真っすぐな脊稜(脊梁)を軸にして、進行方向の白毛門側が真南、巻機山側が真北に当たる。雪庇は北西(日本海側)からの季節風で東側にできる。今回の行路は一貫して、脊稜部の左側すなわち東側にとった。雪庇が脊稜部に引っかかり、しばしば亀裂(クレバスの一種ともいえる)を生じていたが、雪庇の上が格好のルートを提供してくれた。ヤブ漕ぎの場合だけ、脊稜上に乗り上げるようにして進んだ。「ヤブ」はササ(笹)やシャクナゲ、ハンノキ、クロマメノキなど、総じて丈の低い種類だった。笹の上り斜面では滑るが、上の笹を持ちながら、アイゼンのおかげで能率よく進むことができた。植生への配慮など言っていられなかった。ヤブ漕ぎは疲労をまねく。
 巻機山から約3kmの距離にある米子頭山(1769m)まで、小さな頭部を2つヤブ漕ぎで越える。最後の雪庇上を登りきり、左から頂上をかわすようにトラバースすると、この山の向こう側に出た。だが、まだ1つ目のコブを越えたにすぎない。その約3km先に、ずいぶんと高い白嶺が立ちはだかっていた。柄沢山(1900m)だ。Szさんの姿を一時見失ったりしたが、再度鞍部まで深い笹の中を下る。そこから雪壁上を200m登りきると、広い、平らな頂上に着いた。30分の大休止をとり、展望を楽しむ。この日のテント適地(檜倉山手前の平坦な雪面)をずっと先にみんなで確認した。Kwさんに疲れが見えはじめ(先頭をお疲れさま!)、Nb君に交替してもらった。すぐ急傾斜面を下り、ヤブを抜けたあと、今縦走中最低部(約1600m弱)まで300m強下る。この鞍部から見事な姿の柄沢山の南面を見上げる。頂上に人影が1つ見えたが、こちらに下ってくる気配がなかった。細い尾根を進み、雪壁の割れ目を渡り、ここから檜倉山にかけての再度の上りにかかる。岩稜の混じるヤブを抜けると、不思議と再度の下りとなった。そろそろ行動の終わりとすべき時間にもなり、柄沢山から見たテント地までは達せられなかったが、その先の平坦面で荷を解いた。すっかりガスが立ち込めていた。雪面をならして急いでテントを張り、竹の十字ペグでプロテクションを数か所とった。
 この日の行動時間は、休憩時間も入れて延べ11時間に近かった。Kwさんの用意されたキムチ鍋が煮立つのを待つ間、互いの疲れをねぎらって「乾杯!」。Khさんの持参量がいつも多いが、Szさん自慢の「黒」焼酎、Nb君のマッカラン、Abさんの日本酒と、飲み物には事欠かない。水を作って翌日用の水筒に満たした。
 就寝前に地図で明日の経路を確認すると、がんばって歩いたにもかかわらず、現在の地点が全行程のちょうど真ん中であることが判明した。2日かけて、まだ半ばにしかいないのだ。愕然とするものがあったが、互いにがんばることを確認して、8時に就寝とした。夜中じゅう風がテントをたたき、明け方には雨音を聞いた。

2日目
巻機山への上りから振り返る。小屋がずっと下に見える。遠景は谷川連峰。左から2つ目は茂倉岳で、左隣の山面は一ノ倉沢。雪の付き方が少ないのは、いうまでもなく傾斜が急峻で、雪を斜面にとどめようがないためだ。岩と雪、それと植物が微妙な配色を見せる。なんとも悩ましい色合いだ。
巻機山山頂付近で。同じ白毛門を目ざすという単独の方が撮ってくれた。
巻機山を後にした直後で、米子頭山との鞍部に下る手前。最も高く見えているのが米子頭山。右半分の背後に見えるのは谷川連峰(左から一ノ倉岳、茂倉岳など
米子頭山への上りから巻機山を振り返る。左の三角錐型の山はニセ巻機山。
米子頭山を越えたところ。先は柄沢岳。鞍部までまた下るが、そこの笹は丈が高く、人の姿が隠れてしまった。一貫して進行方向左側(東側)に雪庇の張り出しはあり、雪 の割れ目を避けながら進路をとった。
柄沢岳の堂々たる山容。頂上から300以上も鞍部まで下る。ここから、尾根が細くなる。


5日(子どもの日) テント場⇒土合橋、帰還/曇り、のち時々晴れ間、午後小雨
 昨夜、おおいのツェルトをかぶせなかったため、ザックがぬれてしまっていた。食事をすまして、5時50分、テント場を後にする。Nb君に先頭をお願いする。昨夜の雨で踏み跡がわかりにくくなっているようだ、いきなり、この行程ではいちばんルートどりがむずかしいと思われる地帯に突入した。ヤブの背丈も高かった。行き詰まったが引き返してルートを戻したあと、雪面に入り、またヤブの上りを進む。視程は150mほどで、危険を感じた。大きな雪の斜面を渡り、ひととき切れたガスで行く手を確認して、登りきると、檜倉山の山頂に着いた。Nb君が出発前に、「1時間」と読んだ倍の時間を要していた。山頂は狭く、古びた三角点があった。ここでガスが切れて視界が広がり、行く手に大きな朝日岳の全容が見えた。でかい! 手前に大烏帽子山のコブも見えた。登山者の通う朝日岳まで行ける現実感で、ひとときの感激をかみしめた。遭難はこのようにしておこる、という想念が私の心に一瞬芽生えた。私の歩速が落ちてきていたのを気づかって、Nb君が荷物の一部を負担してくれた。5分の休憩ですぐ出発となる。
 また150mほど広い雪面を下り、大烏帽子山への上りとなる。このころから顕著に、下りで私の太もも(大腿四頭筋)に激痛が持続するようになった。体重と荷物の負荷に脚が支えられなくなっていたのだ。下りでの歩速が落ちた。時間のことが気にかかる。コブを2つ越えたところで、朝日岳への笹の上り斜面に、踏み跡がわずかに筋状についているのを認めた。雪面から笹のその“道”に入る。50cmほどの幅刈り取られた空間が、ずっと上部に向かってたどっていた。150mほど登ると、小規模の湿原があり、そこでSzさんが汲んでくださった水で思い切り喉を潤す。さらに50m余り雪面を登りきると、朝日岳の連なりの頂稜部に着いた。小休止をしている間に、Abさんが先のルートを偵察してくださり、登山道があることがわかった。Khさんは、ガスが切れた檜倉山や柄沢山方面の撮影に余念がない。巻機山も遠望された。すばらし情景だ。
 休憩地から10mが、今山行で最後のヤブ漕ぎとなった。そこから平坦な頂稜部を300m進むと、朝日岳の山頂(1945m)に着いた。この縦走路上では巻機山に次いで高い。眺望すると、笠ケ岳までに2つの大きなコブがある。通常の登山道になったが、けっこういやな、岩場の悪路だ。Mkさんから、以前、朝日岳は意外に大変なことを聞いていた記憶がよみがえった。下りにさしかかり草地を行くと、笠ケ岳避難小屋を右に見た。歩速の落ちた私一人が取り残されたが、ここで私が“待機”となることを恐れて、私を放置したという。すぐ先で笠ケ岳山頂(1852m)に着いた。アイゼンをはずした。
 白毛門には二度ばかり登ったが、笠ケ岳との間がこんなにもアーチ状になっているとの記憶は私にはまったくなかった。その最低部で、私の荷を再度分けることとなる(本張りも、アイゼンもなくなる)。面子など言う状態ではなくなっていた。
 白毛門からの下りは、想像を超えた。膨大な雪の力が山面や登山道を破壊し、ぬかるみを造っていた。登りの単独行者とすれ違う。尾根に沿って左側の白毛門沢への雪ブロックの激しい崩壊を見ながら、先行のパーティーから距離ができてしまったが、どうしようもない。Kwさんが後尾に回ってくれたのが、ありがたかった。しばしば後ろ向きで、段差のある登山道を降りた。それにしても、この登山道の険しさはなんだろう。鎖場も何か所か現われた。いつしか本降りとなり、雨具を着込んだ。
 しだいに後ろ向きの下りスタイルとなる。四つんばいとなり手を使えるので、脚への負荷が緩和される分だけ楽だったが、かがんだ腰が痛んだ。松ノ木沢ノ頭を過ぎたあと、樹林の中の道となり、雪はほぼ完全に消えた。不運なことに、私のヘッドランプは電池を消費しきっていた。Abさんが途中、待っていてくれた。とっぷりと暮れた登山道を上下に挟まれながら下る。その下で、Nb君が登り返してきて、私のザックを背負ってくれた。谷川岳のロープウェー近くの光が近くなり、さらに低くなり、さらにSzさんとKhさんが雨の中待ってくれる地点を経て、約1時間ののち、白毛門への登山口に着いた。土合橋に向かう道路の左右に、光の灯る2張りのテントがあった。人里への帰還を実感した。時刻はすでに8時半になっていた。
 タクシーで上毛高原まで走る。この日の最終新幹線の自由席車両は、ほとんど貸切状態だった。缶ビールで無事と完遂の喜びをたたえ合いながら、バツの悪さを少しも感じさせないおおらかな仲間たちの笑顔と言葉づかいが、私を包み込んでくれた。(了)

3日目
檜倉山付近から見た朝日岳。大きな山だ。レンズがくもっている。左から大きく回り込むようにして、稜線をたどる。ここから2時間半を要した。
朝日岳への上りから、朝日岳南面を見る。どこもそうだが、南側に雪が多いのが不思議だ。
朝日岳頂稜間近から来し方を見る。右の黒褐色の山は檜倉山。最奥は巻機山。
朝日岳から笠ケ岳に連なる、2つのいやらしいコブ。登山道こそあったが、岩と雪のミックス帯で、楽ではなかった。

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