11月の山行

荒海山
(1580.4m)


..
                          

[ 山行報告 ]

【実施日】2008年11月15日

【参加者】4名(男性2名、女性2名)

【コースタイム】我孫子JR4:42=北千住(東武鉄道)5:15=会津高原尾瀬駅着
      8:46=八総鉱山跡(タクシー)9:10~登山口9:40~町村界尾根10:20
      ~荒海山12:25~町村界尾根14:25~八総鉱山跡15:35=会津高原
      尾瀬駅(タクシー)16:00=会津高原駅発16:54=我孫子JR21:13

【費用】 我孫子―会津高原尾瀬口電車(往復)5,620円
      タクシー(往復)1人 2,500円

 始めにこの計画が出された時に山名はおろか、山域もどこかも知らなかった。それからは地図を見、本屋さんで立ち読みし、ネットで調べ、行った人がいれば聞いた。
計画では1泊2日になっているが、調べているうちに我孫子を朝1番の電車で行けば
日帰り可能な事がわかる。車利用ならなおさら便利だがあえて電車にした。電車の中の雰囲気を楽しみたかった。ただ時期的に日没が早く16時までには登山口には戻りたい、1か月位早い時期ならもう少し余裕があるのになあーといろいろ思いめぐらしての山行日となった。
 荒海山は栃木、福島県境にある双耳峰の山で静けさと樹林の多い山だと聞いている。
当日は天気もまずまずで暖かく、タクシーで八総鉱山跡までの道のりは、紅葉の盛りは過ぎたが木々がすーと立ち並び、川の音が聞こえ、まわりの山なみからだんだんと奥深い山に入っていくようすが感じ取れる。鉱山跡は1969年に操業を停止し廃鉱となった所でちょっと異様な感じがする。ここからが登山口となる。めいめいストレッチをして、沢沿いの林道を進み赤いポストを過ぎ、飛び石で荒海川をわたり、3箇所、ロープの設置された急斜面を登りきると境界線尾根のコルにでた。一休みし、左の主稜線に進む。迷うことない1本道で「大嵐山」が見えているよと後ろから声がきこえる、樹々におおわれた山なので途中の展望はないが、それでも葉がおちたせいか左前方に白い雲に頂上がおおわれたどっしりした荒海山も見ることができる。針葉樹(アスナロ キタゴヨウ)などの木が多くなったあたりから倒木や木の根が露出した滑りやすい尾根になり、しばらくアップダウンを繰り返した後、最後の急坂の笹やぶをかきわけて頂上に着く。ようこそ荒海山へ!ふうふういいながら握手をかわす。ガスがかかって真っ白でまったく展望は望めず。それでもなぜか充実感あり。すぐ下にある南稜小屋で軽く喉をうるおし登った道を下る。
今回の同行者はベテラン揃い。足並みもそろった。予定より早く15時35分には鉱山跡に着いた。「奥深い山なので麓からは望めない山なんだよ」と同行者は言った。ほんとうだ。迎えにきたタクシーに乗って駅舎に向う。おいしい蕎麦とビールで乾杯だ。



 
タクシーを降りてから少し上流に進んだところ。荒海川右岸を伝う。ところどころにコンクリートの堰が残っていて、人の行き来した往時の鉱山跡を偲ばせる(後出の写真参照)。
15年前には、この少し下の川ぶちで、20人もで芋煮鍋を囲んで、大々的に宴会を開いた。その跡を横に見て、すぐ上の地点だ。
二度ほど徒渉して上流を目ざす。この川幅が狭まったあと、傾斜が強まる。しばらくは荒海川の源流域の左岸を行く。清水が流れ下る。夏なら顔を浸し、喉を潤したいところだ。ゴロゴロとした石が登山道を埋めているところもある。ところどころ雑木が登山道に突出して、上りでは注意しないと顔をぶつけそうになる。危険地帯はほとんどないが、登山道の傾斜は強く、あまり一般のハイキング向けの山ではないかもしれない。ロープが張られた箇所がある。
峠までの間、登山道から南側に眺望された、荒海山と思われる大きな山塊。目標地だけに雲がかかっているが、山頂付近の山容がだいたい想像できる。ここから、「おおっ!」と感じるほどの高みにあり、なかなか大きい峰を擁しているのがわかる。
長かった尾根を進んで頂稜部に取り付くあたりで、とうとうさっき見ていたガス(雲)の中に突入する。頂上まで1時間弱、樹高が落ちるところから、左側の斜面が切れ落ちる細い尾根上のルートとなる(ヤブで隠れていて、その状況のスリリングさはほとんど感受できない)。傾斜は急峻になる。ここは3月、ナイフリッジになるといい、そこを登るんだそうだ。しかし、リッジ上はいいが、登山口から峠までの沢地帯は、雪崩の心配もありそうだし、どんなふうに進めばいいんだろうか。もちろん、別のルートがとられるのだろうが、冬にこの山に登るのには苦労が必随のようだ。
最後の、ササと低木に激しくおおわれたやせ尾根を進むと、高度計はその上で1600m超を示した。荒海山の山頂だった。頂上は正確には1580mで、今朝、北千住で高度を合わせてきたのからすると、20mほど低く、つまり気圧が軽く出ている。天候は低気圧のほうに移行しつつあることを示している。頂上はササにおおわれているが、天気さえよければ360度の展望が約束される。この山を、最後には絶賛することとなるが、この山をなぜ登るのかの意味を求道者よろしく上りでずっと考え続けた。次の機会にこの山があがった場合も、担当していいよ! と下りにリーダーが言った。気に入ったというのだ。
山頂まで2分のところ、登山道の左側脇に立つ避難小屋。わずか2畳ほどの床面積だ。そこに観測器具などを入れた箱が置かれてあり、横になるスペースはない。が、非常の場合に安全だけは得られる。

八合目あたりの林の切れ間から、来し方を望む。向かいの山との間の尾根の最低部が峠だ。ここを右に進んで下山するが、上りでは真っ青だった空がしだいにどんよりとしてきた。
下り切る少し手前の、荒海川右岸を登山口に向かう。登山道は整備されているとはいえないが、さほど悪い道でもない。そんなことを言うと失礼にあたるだろう、急な傾斜のところなど5~6か所にロープが張られていた。登山道管理者の存在をありがたく意識した。このあたりにも、鉱業所あとの残骸がわずかにみられた。人が生活していたことが、遺跡のようで、しかも同時代の人間の生活の跡が残っていて、なにか哀しい。
八総鉱山の鉱業所跡を刻印する看板。徳川時代から開坑され、昭和44年に閉坑となったという。ここは縦坑で、ニッケル鉱、亜鉛鉱などが採取された。最盛期には家族を含めて4000人がこの荒海川の両側に沿って住んだという。現在は、ここには生活人は1人もいない。しかし、まだ立派な小学校がある。ここがキャンプ地となっていて、本会でもここを使ったことがあるが、最近、神奈川県の遠隔施設として買い取られたようだ。使用目的の変更とともに、模様替えが行われていた。


PAGETOP

前のページ