2009年2月の山行
硫黄岳
(標高 2760m)


            

[本沢温泉~硫黄岳 山行報告 ]
―硫黄岳を目前に夏沢峠までで時間切れを迎える―

◆実施日:2009年2月14‐15日(山中1泊)

◆参加者(敬称略):男性3名、女性4名(7名)

◆行路・通過時刻:
14日  
 5.30我孫子---6.30(長野新幹線;あさま501号)上野---7.41/8.29佐久平---(小海線)---9.10小海---9.50/10.10稲子湯上のゲート---12.55/13.15しらびそ小屋---15.15本沢温泉テント場・・・9.10就寝

15日  
 4.50起床・・7.00本沢温泉---9.00/9.20夏沢峠---10.20/11.25テント場---11.50しらびそ小屋への分岐---13.50---車道(本沢温泉への分岐)---15.15/15.35稲子温への分岐(鉄砲撃ち場)---16.05/16.18小海---17.30/17.55佐久平---19.06上野---19.50帰宅


◆装備:共同 8人用テント(ダンロップV8)、マット3枚、コンロ(ガソリン)2台(燃料2本)、
     スコップ1本、コッヘル大(チタン)二重、ランタン1台(ガス1個)、ツェルトなど
     個人 冬用個人装備一式、ピッケル、ストック、アイゼン(6本以上)など

◆食事:14日の夕食は鍋(白菜、ねぎ、水菜、豚肉など+柚子酢・しょう油)

◆経費:交通費{JR運賃(我孫子←→小海3,750円)+新幹線(上野←→佐久平2,570円)}
     ×2=12,180円+タクシー代約3,000円/1人+テント場代600円/1人+食材などで
     16,350円/1人


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■実施前

 稲子湯を起点とする山行は、本会でも何度か企画、実施してきた。一度だけ、硫黄岳を越えて美濃戸口に出たこともあった。また、美濃戸口側から硫黄岳を目ざしたこともあった。その時期はすべて1~2月の厳冬期だった。
 12日、木曜日の時点では、予報はあまりにも悪すぎた。なんと、14日の土曜日が70%の降水確率を示していた。しかし、翌日の15日には天気は回復するという。問題は14日の状況で、降った場合に、どれくらいの標高で雪になるかだった。以前には、黒百合平のテント場で2月に雨に遭ったことがあったが、氷雨に打たれながら登る姿を想像した。最終的には、どんな天候になっても、愚痴は言わないことを約束して決行が決まった。


■エピソードを先に

 
今回の山行では、15日朝の出発にもまずさがあった。起床が少し遅かったが、加えて朝の食事に時間をとりすぎ、また1か所しか開放していないトイレで待ち時間を食ってしまった。そのため、本沢温泉の出発時刻は当初の予定よりも1時間も遅れて7時になっていた。朝は食事抜きで出発する(食事は行動食を行動中に摂る)こと、湯は前の夜に作って魔法瓶に入れておき、出発日の朝には時間をかけないこと、という点を遵守すべきだった。昨年の五龍岳での教訓を生かしていなかった。

 それと、もう1つ。この経験はあまりにも衝撃的だった。14日の夜、テントで食事をし、2回り目の鍋を準備する際に、MSRウィスーパライトのガソリンコンロの火災事故をおこしたのだ。おおげさに言うと、テントの中の中央部が0.5平方mほど火の海となった。幸い消し止めることができたが、テントは燃え尽き、隊の荷も失っていたかもしれない。あのような事故は、可能性や部品の不具合から、早晩おこっていておかしくはないと思われるので、この程度の経験であったなら、経験したことをむしろ幸運だったと理解すべきだと私は思っている。

 注意点は、コンロの扱いをもっと綿密に行うという、原則への回帰に尽きる。これまでの操作どおりで問題はないはずだが、以下の手順にいっそう注意したい。①コンロの組み立てはガソリン容器(ボトル)にジョイント部分だけを連結した状態で十分にポンピングをし、ガソリンの漏れのないことを確認する(この段階では火はランタンだけ)、②①の操作を終わったあと、燃焼部分をセットし、もう一度すべての連結部を確認する(念を入れる)、③以上が終わったのちに着火する、という3段階をきちんと踏むことだ。それと、④コンロのそばにいつもタオルを1~2枚置いておきたい。⑤私は普通ガソリン派だが、ホワイトガソリンのほうが揮発性が低いので、引火事故には結びつきにくい。それと、今回のコンロは直前に登山用具点に修理に出したが、修理自体に問題があった、というのが今回の最大の原因だろう。ただ、修理をすればだいじょうぶという先入観が無前提にあり、この意識が確認を怠らせた点は否めない。修理した箇所を正確に確認して検証するくらいのノーハウがない場合、瑕疵のある修理は、かえって決定的な事故をひきおこすに可能性がある。

 直接の原因は、容器にねじ込むジョイント部のパッキンの適合性が悪かったことだ。テント内で「ガソリン臭い」という声が上がり、連結部をさらに強くねじ込んだが、その連結部のパッキンの一部(5mm前後)がそれによって外に圧搾されて押し出された格好になり、そこから圧縮ガス(ガソリン蒸気)が漏れ出たのだ(そのときは、ねじ山のずれによるのかと推理した)。O型リングの場合、きつくねじ込んだ結果、連結部に均等に圧着しないで、パッキンが歪み変形をおこして、外部に出てきてしまったのだ。通例、連結部のねじ方によってこのような事態は絶対におこってはならない。ここのパッキンは完全なO型リングではなく、平型~半平型リングを使用すべきだ。


■チェックポイント

1)上野から新幹線を使えば、アプローチは楽だ。小海線は空いているし、小さな旅気分も味わえる。神々しい八ケ岳連山を見ながらだ。
2)タクシーは稲子湯の上のゲートまで行く。500mの節約となる。
3)厳冬期もこのルート上に危険はなく、気の合った仲間でゆっくりとたどるのに格好だ。標高差も本沢温泉まで700m程度ときつくはない。
4)みどり池(しらびそ小屋)から本沢温泉までの、シラビソ林のもつ情景は捨てがたい。意外にも、しらびそ小屋から引き返していく登山者が多い。
5)本沢温泉は通年の営業だ。テント場は小屋から150mほど下にある。水場は、テント場に接して、上部の硫黄沢側にある(不思議と冬も凍結しない)。
6) 速い人なら夏沢峠まで1時間半以下で達する。そこから硫黄岳までは標高差400m、時間差で1時間半ほど。その間、とくに危険はないが、強風時の耐風と、峠からすぐ上、樹林を抜けた直後の急坂の登高は、急がず、確実を期したい。あとはゆるやかな岩稜帯を進むだけだ。
7)山頂に立てば、驚くような景色が待っている。横岳、赤岳、阿弥陀ケ岳と連なる八ケ岳の主要な峰々が実に豪快だ。南アルプス、北アルプスも眺望できる。
8)硫黄岳の山頂を越えて赤岳鉱泉に下るのもよい。ただし、一昨年、硫黄岳のすぐ先の赤岩ノ頭の鉱泉側で雪崩がおきて、1人が犠牲になっている。雪を見きわめよう。
9)本沢温泉からの下山では、来た道をそのまま下るのが最良だ(この時季に真っすぐ下ると、かなりの距離を歩くこととなる)。時間をとって、しらびそ小屋でコーヒータイムをとるなどして、ゆっくりと楽しみながら下りたい。



■14日、雪を踏んでテント場まで

 
14日、雨はまったく降っていなかった。風もなかった。我孫子駅改札口前で参加の7人がそろった。常磐線で上野に向かい、地下ホームで上越新幹線を待って、全員、座席を得ることができた。軽井沢を過ぎると、噴煙を上げる浅間山が見え始めた。しかし、周辺にはまったく雪はなく、2月だというのに異様な光景だった。佐久平に着いて小海線に向かったが、たったいま小淵沢行きが出たばかりで、延々40分弱待つ。この日は暖かく、のんびりと次の便を待ったが、当然、この地では普通、2月は凍てつく寒さだろう。

 小海線に乗った。のんびりとした列車の旅を楽しんだ後、いつもながら妙名と思う小海に着いた。駅前にいたタクシー2台に分乗して稲子湯に向かう。上のゲート前まで行ってもらい、下車。準備を整えて出発した。

 凍りついた車道から、すぐカラマツ林の登山道に入る。普通、アイゼンの装着はもっとずっと上部でのことなのだが、この日は単純に登高の効率を考えて、橋を渡った先で早々にアイゼンを装着する。傾斜が少しずつ増し、アイゼンのきき目を感じる。シラビソにおおわれた薄暗いジグザグの急な道になり、少々到着予定時刻をはずれて、しらびそ小屋に着いた。東天狗岳の東面が、雪をまとった豪快な岩壁を見せる。ここからの見どころの1つだ。時間を考えて、しらびそ小屋への立ち寄りは断念し、簡単な食事をすませて出発する。テント設営のために5人が先行したが、テント場に着いて雪ならしが終わり、テントを出したところに後続の2人が到着した。この日は暖かく、薄手の手袋で十分だった。距離を置いて、小さなテントが1つだけあった。

 テントが建った。テント場のすぐ下に水の細い流れがあり、そこで水が汲めた。宵闇が降り、テントの中では団欒と宴会が始まった。鍋の準備も整い、調理が進んだ。白菜、豚肉、水菜など豊富な食材が入れられ、それをポン酢(柚子味)でおいしくいただいた。


 2回り目にさしかかり、少し時間を置こうというので、コンロのコックを少し調節した後だった。ガソリン臭が指摘されたので、ジョイント部を少し強めにねじ込みポンピングをしたところ、ガスが連結部から噴出してきた。引火のおそれを懸念する間もなく、ボッと火は燃えつき、テントの中で火勢を増した。詳細は省くが、力限りの“攻防”の数分後に鎮火に成功していた。まだ身震いがし、膝のわななく感触のまま、少し時間つなぎに飲み直して、就寝とした。わずかだが火傷を顔面に負った。8人用の丈の高いテントだったことも幸いした。テントは不思議と無傷だった。

 その夜、あの事故の前に外に出た人から、オリオン座とか星空の見事だったことが伝えられた。きっと、ひと晩、テントの上で星がまたたいたに違いない



■15日、本当はどこまで登りたかったのか?

 
朝を迎えた。出発予定時刻を30分余過ぎて、7人でテントを後にした。しかし、本沢温泉のトイレに立ち寄っていく段になって、1か所しかトイレが開放されていなかった。結局、本沢温泉を後にする時点で1時間まで遅れが拡大していた。“外湯”を上から見、雪稜をたどり、どんどん高度が上がる。しかし、夏沢峠に着いたのが9時過ぎだった。体調が悪いメンバーも出、テント撤収の時間も考慮して、硫黄岳は断念した。10時半前にはテント場に戻った。

 テントを撤収し、11時半前にテント場を後にした。しらびそ小屋への分岐のところで、そのまま真っすぐに下る選択肢をとった。しかし、その選択は間違っていただろうと思う。この時季のせいもあるが、先々の距離感が見えず、実際に距離的にも時間的にも長かったし、最後の車道上の氷雪歩きを考えるなら、すんなりとしらびそ小屋経由で下ったほうが正解だった。

 この下山道は、本沢温泉が荷揚げ用として私的に管理している(無雪期なら四輪駆動車で行き来できるはずだ)。しかし、民間で山間に車道を確保するということの大変さを感じながら下った。地図読みでは近いと思われた中間点のゲートは、このルートの全行程で1/3のところにすぎなかった。そのずっと下で車道に出たが、われわれが下ってきて、今立っている車道は車の通わぬ地だったのだ。その意味は、実際にこのアスファルト道路を下ってみて、すぐ明らかとなった。タクシー会社の人が、稲子湯へ通じる車道まで下りろ、と電話の向こうで命じている。そこから延々、何kmも氷結した危険な車道を下ることとなった。その先で、氷結面を下る苦労を避けるためにアイゼンを装着した。大きく迂回して高さが落ち、道路上を水が流れた。ここを過ぎると、道端に置いたキャタピラーが見えてきた。あの車道上の痕跡の正体だったが、この車はシートを掛けられて眠っていた。数人のハンターらしき人たちがたむろするところに着いた。この下りではだれ1人にも会わなかった。

 登山が終わった。その地点でタクシーを呼ぶ際にハンターの1人が、待機するこの場所を親切に電話の向こうの人に自らの携帯電話で説明し直してくれた。うれしかった。この場所を下りのタクシーの運転手さんが「鉄砲撃ち場」と表現していた。小海駅からは来た経路を戻った。新幹線は込んでいたが、途中で空くや、買い込んだビールで乾杯を行った。経路の選択や行動上の管理で問題があったかもしれないし、今回は、山行以外の要素も疲れに加担したかもしれないが、願ってもできない経験が、大きな損傷なくできたことを幸いとしよう。小さな経験というには、トラウマにさえなる恐怖のひとときが悪夢のように記憶にまとわりつくのを解き放つのは、さほど簡単ではない。しかし、山は山だ。たくさんの仲間とこの経験を共有し、分ち合ってもらおう。少しは不安が和らぐのではなかろうか。帰途で示された仲間たちからの配慮をありがたく感じる。

 下りの氷結した車道から西を見上げた写真を掲げた。この地点から800m上に、さっきまでいた夏沢峠が懐かしげに稜線をさらしていた。時間軸と距離軸とがここで3次元の描画を見せたかと思う、感動的な情景だった。思いなしか、仲間たちの後姿に疲れと山への哀惜がにじんでいる気がする。山はこのひとときだけでなく、がまんにがまんを重ねてなし遂げたあとの健康感、自身への肯定感が必ずあることを確信する。(K・T)
 









小海からタクシーで20分余、稲子湯の上のゲートの前に着く。ここで荷を整えて歩き始める。しばらく車道を行くが、吸い込まれるように登山道に入っていく。カラマツ林の林床を、雪を踏みながら進む。最初に雪に足をならす場所だ。


雪におおわれた登山道を伝う。稲子湯までは雪が少ない印象があったが、山に入ると例年以上の雪があった。本会でのこの冬の雪山山行がことごとく悪天候のために中止となっており、この日の山行で思いがけなく天候が好転してくれて、上りの間に顔を見合わせて笑った。



起点から2時間半で達したみどり池から東天狗岳(2640m)を仰ぐ。池はもちろん凍結している。この池の前にはしらびそ小屋がたたずむ。ここは、小屋を配する地点としても情趣あふれる場所だ。ダケカンバとオオシラビソに周りを囲まれて、山の自然そのものの真っただ中にある。リスの餌付けもされている。小屋に立ち寄っていくつもりだったが、われわれには時間がなくなっており、アイゼンをはずす時間も惜しんで、小屋への立ち寄りを断念した。急いで行動食でエネルギーを補給して、先を目ざした。



しらびそ小屋を、ふと振り返った一こま。このルートで登山を行う場合に、ここからの1時間は自然の味わいがたっぷりと堪能できる区間だ。この日、しらびそ小屋を目標とするハイカーのグループ15名ほどと若手の2グループ、さらに1~2の2人連れが入ったが、しらびそ小屋から先にはほとんど進む者はいなかった。事前の天気予報があまりにも悪く、その影響が大きかったのではないかと推測した。



しらびそ小屋を後にし、小さな尾根を150mほど登る。オオシラビソを配する広い樹林帯を行く。あちこちにテント場適地がある。静かで、森に浸っている実感が湧いてくる。ここを越え、30分ばかり西に這うと本沢温泉の幕営地が見えてくる。




翌朝、硫黄岳を目ざしてテント場を後にし5分後に、本沢温泉の山荘前に着いた。
標高2150mにあり、高さでは日本で2番目の温泉だ。






本沢温泉から仰いだ硫黄岳(2742m)。北東側の褐色の山肌は爆裂火口の跡。今回は頂上を踏まなかったが、山頂はだだっ広いプラトー(平坦地)状をなし、頂上からは南八ケ岳の横岳、赤岳、阿弥陀ケ岳の眺めが豪快だ。加えて、南アルプス、北アルプスの眺望も得られる(次回の楽しみとしよう)。





本沢温泉の外湯の北側の尾根を行く。入りそびれた湯を“ちょっとだけ”見て進む。






夏沢峠から見た硫黄岳。まだまだ標高差はありそうだが、この地点から350m程度しかなかった。2つのピークらしい地点の間のくびれた地点の奥が山頂だ。2月厳冬期だというのに、この日は暖かく、この峠で氷点前後だった。





夏沢峠にある小屋(やまびこ荘・こまくさ荘)の地点から北々東側を望む。中央のやや右には浅間山が見える。視界の透視度はよくなかったが、真っ青な青空に恵まれた。





夏沢峠から下って、本沢温泉の外湯の手前まで来たところ。この雪稜の右側の下が外湯だ。中途半端ながら山行を終わったあとの顔が見られる。 テント場で。本沢温泉の下の、広い台形の上のテント場をひとり占めした。北西側のシラビソ林に対して、南東側はダケカンバ、ナラ類の落葉広葉樹の疎林だった。その枝間から、硫黄岳が姿を見せた。7人の隊員数に対して、8人用の大型ベーステントを運び上げた。すぐ西側に細い水の流れがあり、ここが水場になっていて、雪山での水作りは不要だった。静かで、いいテント場だった。


一晩お世話になったテント場を後にする。後に残って、隊員が次々下る様を撮った。何度か通った真冬や早春のこの山だが、この日だけをとっても、すでに懐かしささえある。懐かしさとは、その場所に投げかけた気持ちのシミが外部ににじみ出たものかもしれない。それぞれの思いをどんなふうに胸に刻印しただろうか。 当初、みどり池(しらびそ小屋)を経て、来た道をそのまま下るつもりでいた。しらびそ小屋では、コーヒー、美味なラーメンを、と言い合っていた。それが、しらびそ小屋側に越える150mの尾根の段差をカットすることを選択し、本沢温泉に通じる荷道(キャタピラー車か小型の四駆なら無雪期は通れる)を下ることとなった。写真は、その荷道を下り始めたところ。しかし、山に私道をつけ、維持するのはものすごい負担だと感じさせられた。道の崩壊を食い止めるための半端でない鉄製の橋脚の敷設があり、ただでさえ道の激しい起伏、山面からの岩崩れなどがあって、荷用の車道で人力での荷揚げが効率化されると考えたが、とても採算が合うものとは思えなかった。実際に車が走れる道とは思えなかった。この道の半ばから下にあったキャタピラーの跡は、最後、タクシーを待った地点のそばに、過去の遺物かなにかのように雪上車が鎮座していたのを見て、「これか!」合点した。


上の写真と同じ、下りの道をたどる。カラマツが多かったが、シラビソ林もあり、その枝間から隣の尾根の山肌が絶妙の色合いをのぞかせた。 とうとう舗装道路に下ってきた。稲子湯への分岐とあり、無雪期ならここまでタクシーが入るが、いくら掛け合っても迎えは来てくれないことがわかった。稲子湯への車道に合流するまで、なんと5~6kmとタクシー会社の人が言う車道を歩き始めた。最初はよかったが、山陰に入ると車道がツルツルに凍っていた(タクシーが入らないのもうなずけた)。写真は、その中間あたりでふと見えた夏沢峠と硫黄岳の情景(尖りは硫黄岳、鞍部が夏沢温泉、右が東天狗岳)。さっきまで800m上にいたことが、この絵図の上でくっきりとわかる。時間軸と空間軸とがここで交じり合った気がした。人の身体のもつ移動能力に感心もした。右左に氷結部を避けながら下るが、山でもなかろうに、最後の1kmにはアイゼンを出した。
タクシーが来てくれる地点まで下り着いた。猟師(ハンター)が何人かここにいて、タクシーを呼ぶ際に気をきかせて、この地点を説明してくれた。親切な人だった。この三叉路を街の人たちは“鉄砲撃ち場”だったか、そんなふうに言っているらしい。中央の奥に見えるのが、下山路に刻印したキャタピラーの正体だ。車を青シートをおおい、まさしく“デポ”されていた。ぐるりと回ってきて、ここから右に1km行けば稲子湯に至り、一巡することとなる。


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