2009年2月の山行 |
硫黄岳 (標高 2760m) |
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小海からタクシーで20分余、稲子湯の上のゲートの前に着く。ここで荷を整えて歩き始める。しばらく車道を行くが、吸い込まれるように登山道に入っていく。カラマツ林の林床を、雪を踏みながら進む。最初に雪に足をならす場所だ。 |
雪におおわれた登山道を伝う。稲子湯までは雪が少ない印象があったが、山に入ると例年以上の雪があった。本会でのこの冬の雪山山行がことごとく悪天候のために中止となっており、この日の山行で思いがけなく天候が好転してくれて、上りの間に顔を見合わせて笑った。 |
起点から2時間半で達したみどり池から東天狗岳(2640m)を仰ぐ。池はもちろん凍結している。この池の前にはしらびそ小屋がたたずむ。ここは、小屋を配する地点としても情趣あふれる場所だ。ダケカンバとオオシラビソに周りを囲まれて、山の自然そのものの真っただ中にある。リスの餌付けもされている。小屋に立ち寄っていくつもりだったが、われわれには時間がなくなっており、アイゼンをはずす時間も惜しんで、小屋への立ち寄りを断念した。急いで行動食でエネルギーを補給して、先を目ざした。 |
しらびそ小屋を、ふと振り返った一こま。このルートで登山を行う場合に、ここからの1時間は自然の味わいがたっぷりと堪能できる区間だ。この日、しらびそ小屋を目標とするハイカーのグループ15名ほどと若手の2グループ、さらに1~2の2人連れが入ったが、しらびそ小屋から先にはほとんど進む者はいなかった。事前の天気予報があまりにも悪く、その影響が大きかったのではないかと推測した。 |
しらびそ小屋を後にし、小さな尾根を150mほど登る。オオシラビソを配する広い樹林帯を行く。あちこちにテント場適地がある。静かで、森に浸っている実感が湧いてくる。ここを越え、30分ばかり西に這うと本沢温泉の幕営地が見えてくる。 |
翌朝、硫黄岳を目ざしてテント場を後にし5分後に、本沢温泉の山荘前に着いた。 標高2150mにあり、高さでは日本で2番目の温泉だ。 |
本沢温泉から仰いだ硫黄岳(2742m)。北東側の褐色の山肌は爆裂火口の跡。今回は頂上を踏まなかったが、山頂はだだっ広いプラトー(平坦地)状をなし、頂上からは南八ケ岳の横岳、赤岳、阿弥陀ケ岳の眺めが豪快だ。加えて、南アルプス、北アルプスの眺望も得られる(次回の楽しみとしよう)。 |
本沢温泉の外湯の北側の尾根を行く。入りそびれた湯を“ちょっとだけ”見て進む。 |
夏沢峠から見た硫黄岳。まだまだ標高差はありそうだが、この地点から350m程度しかなかった。2つのピークらしい地点の間のくびれた地点の奥が山頂だ。2月厳冬期だというのに、この日は暖かく、この峠で氷点前後だった。 |
夏沢峠にある小屋(やまびこ荘・こまくさ荘)の地点から北々東側を望む。中央のやや右には浅間山が見える。視界の透視度はよくなかったが、真っ青な青空に恵まれた。 |
夏沢峠から下って、本沢温泉の外湯の手前まで来たところ。この雪稜の右側の下が外湯だ。中途半端ながら山行を終わったあとの顔が見られる。 | テント場で。本沢温泉の下の、広い台形の上のテント場をひとり占めした。北西側のシラビソ林に対して、南東側はダケカンバ、ナラ類の落葉広葉樹の疎林だった。その枝間から、硫黄岳が姿を見せた。7人の隊員数に対して、8人用の大型ベーステントを運び上げた。すぐ西側に細い水の流れがあり、ここが水場になっていて、雪山での水作りは不要だった。静かで、いいテント場だった。 |
一晩お世話になったテント場を後にする。後に残って、隊員が次々下る様を撮った。何度か通った真冬や早春のこの山だが、この日だけをとっても、すでに懐かしささえある。懐かしさとは、その場所に投げかけた気持ちのシミが外部ににじみ出たものかもしれない。それぞれの思いをどんなふうに胸に刻印しただろうか。 | 当初、みどり池(しらびそ小屋)を経て、来た道をそのまま下るつもりでいた。しらびそ小屋では、コーヒー、美味なラーメンを、と言い合っていた。それが、しらびそ小屋側に越える150mの尾根の段差をカットすることを選択し、本沢温泉に通じる荷道(キャタピラー車か小型の四駆なら無雪期は通れる)を下ることとなった。写真は、その荷道を下り始めたところ。しかし、山に私道をつけ、維持するのはものすごい負担だと感じさせられた。道の崩壊を食い止めるための半端でない鉄製の橋脚の敷設があり、ただでさえ道の激しい起伏、山面からの岩崩れなどがあって、荷用の車道で人力での荷揚げが効率化されると考えたが、とても採算が合うものとは思えなかった。実際に車が走れる道とは思えなかった。この道の半ばから下にあったキャタピラーの跡は、最後、タクシーを待った地点のそばに、過去の遺物かなにかのように雪上車が鎮座していたのを見て、「これか!」合点した。 |
上の写真と同じ、下りの道をたどる。カラマツが多かったが、シラビソ林もあり、その枝間から隣の尾根の山肌が絶妙の色合いをのぞかせた。 | とうとう舗装道路に下ってきた。稲子湯への分岐とあり、無雪期ならここまでタクシーが入るが、いくら掛け合っても迎えは来てくれないことがわかった。稲子湯への車道に合流するまで、なんと5~6kmとタクシー会社の人が言う車道を歩き始めた。最初はよかったが、山陰に入ると車道がツルツルに凍っていた(タクシーが入らないのもうなずけた)。写真は、その中間あたりでふと見えた夏沢峠と硫黄岳の情景(尖りは硫黄岳、鞍部が夏沢温泉、右が東天狗岳)。さっきまで800m上にいたことが、この絵図の上でくっきりとわかる。時間軸と空間軸とがここで交じり合った気がした。人の身体のもつ移動能力に感心もした。右左に氷結部を避けながら下るが、山でもなかろうに、最後の1kmにはアイゼンを出した。 |
タクシーが来てくれる地点まで下り着いた。猟師(ハンター)が何人かここにいて、タクシーを呼ぶ際に気をきかせて、この地点を説明してくれた。親切な人だった。この三叉路を街の人たちは“鉄砲撃ち場”だったか、そんなふうに言っているらしい。中央の奥に見えるのが、下山路に刻印したキャタピラーの正体だ。車を青シートをおおい、まさしく“デポ”されていた。ぐるりと回ってきて、ここから右に1km行けば稲子湯に至り、一巡することとなる。 |