2009年5月の山行


仙丈ヶ岳
(標高 3032.7m)




マウスを置くと写真が替わります。



◇実施日:2009年5月1~4日(山中3泊4日)

◇参加者:男性5名、女性1名(計6名)

◇行路と通過時刻
1日 11.30我孫子・・13.20/14.00談合坂・・16.00伊那IC・・17.00戸台・・17.45Kさん合流(戸台川河川敷駐車場で幕営)・・20.30就寝
2日 5.00起床/5.40発・・6.15戸台大橋・・6.45/7.00歌宿・・8.50大平山荘・・9.15北沢峠・・9.30北沢長衛小屋のテント場・・10.50テント場・・12.20/13.15仙水峠・・14.30テント場・・20.00就寝(泊)
3日 3.00起床/3.55発・・4.20車道脇の登山口・・5.50大滝ノ頭・・8.20小仙丈ケ岳(9.00)・・9.40/10.00(10.50/11.25)仙丈ケ岳山頂・・13.00(11.00)・・13.00(15.20)テント場
4日 5.00起床/6.45発・・8.30/10.15(発)歌宿・・10.35/10.50戸台大橋・・11.20高遠・・12.00伊那IC・・16.40我孫子・・17.30帰宅

◇装備:共同 
テント(ICIスタードーム6~7人用;冬用外張り)、マット3枚、スコップ1本、コッヘル大(3槽セット)1式、コンロ(ガソリン仕様1台+燃料1.3リットル、ガス仕様1台+ガス1個)、ランタン(LED 1台、ガス仕様1台+燃料1個)、まな板、補助ロープ(8mm×20m) 個人 残雪期の装備一式、ピッケル、ストック、アイゼン、(12本爪)、水筒など

◇食事:1日(夕) 弁当 2日(夕) 焼きそば 3日(夕) カレーライス・・朝・昼食はすべて各自食

◇経費:交通費、食料代、テント場利用料など込めて10,500円





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Ⅰ 山行の総括
 本会ではこれまで、5月の連休には大きな山を対象として山行を行ってきた。この山行を一番の楽しみに1年を過ごす会員は少なくない。今年は当初、塩見岳が対象となっていたが、予定していた鳥倉林道からのルート(豊口山ルート)を含めて、3本の全ルートが通行止めのために使用不可能となっていた。この事態に対して、山行の対象を急きょ仙丈ケ岳に変更した。これに伴って参加者の若干の変更はあったが、6名で山行を行った。


■有雪期の仙丈ケ岳山行
 有雪期では仙丈ケ岳には、本会で十数年前の1月に一度だけ登っているが、それ以降の山行の履歴はなかった。今春、北アルプスでは直前の4月下旬に、鹿島槍ケ岳の東尾根や鳴沢岳などで気象遭難によると思われる遭難事故が連続して起こっていた。ひとたび悪天候につかまると、南アルプスの高峰でも相当な危険が伴う。しかし、今回の山行は好天に恵まれて、頂に立つことができた。個人的には奥穂高岳山行に引けを取らないほどの満足感が残っている。

 アクセスに関しては、2000年5月の塩見岳山行では、高速道路のひどい渋滞を経験しており、ゴールデンウィークの山行では車は使わないほうがよい、との結論を出していた。今回はさらに高速道路利用料金の上限1,000円措置が実施されたのに伴って、いっそうの交通渋滞が予想された。それを避けるために、連休に入る前日(1日)の出発とした。これが大当たりで、渋滞はほとんどなく、予定どおりの時刻に伊那ICに着いた。伊那市のスーパーで食料や飲み物の調達もできたし、帰りも4日の早め(午前中)に伊那ICから高速道路に入り、やはりほとんど渋滞というものにつかまらなかった。後で知ったが、4日も午後の後半になってからは、中央道は小仏トンネル付近などで30km以上の渋滞だったという。


■南アルプス林道のバス便
 この時季、戸台口からの南アルプス林道(かつては「多目的」をさす「スーパー」という語がついていた)のバスの運行がすでに開始されていた。われわれはそれを、たまたま冬季登山のときに使う戸台川河川敷の駐車場にやって来た登山者に、しかも受身的に当日の朝に聞いて知ったという、なんともお粗末な情報不足だった。帰りに高速道路の渋滞が避けられたのも、そのバス運行のおかげという面がある。戸台川歩きで冬季のルートをたどった場合は標高差1000mの北沢峠まで7時間程度かかるが、バスを利用して2時間半で北沢峠のテント場(北沢長衛小屋)まで至れたことが、その日の仙水峠往復の時間をもたらした。これがのちのちまで幸運の連鎖を生んだ。

 なお、南アルプススーパー林道のバスは、戸台口←→歌宿間が4月25日~6月14日、戸台口←→北沢峠間が6月15日~11月中旬の期間限定運行となっている。1日にそれぞれ5便が運行される。



Ⅱ 山行の実際(日めぐりで)

■5月2日 
 早朝、テントから顔を出したとたんに、天に突き抜けるかのような真っ青の青空が船底状の山間の上に広がっていた。バスが運行されていることが、たまたまこの河川敷までやって来た登山者の親切心で通報された。

驚きと感謝を胸に、急ぎ戸台川河川敷から取って返して戸台大橋まで戻り、そのそばのキャンプ場に車をデポしてバスを待った。3台目まで待って、中型バス(マイクロバスよりは大きく、25人乗りくらい)の最後の車両に座席が得られた。バス路の後半は、戸台川をはるかに見下ろす懸崖に沿って、身が縮む思いをしながら運に身を任せた。鋸岳が見えはじめ、やや行くと、展望台となった歌宿という広場に着いた。

 歌宿から南アルプス林道の伊那側を、北沢峠まで400m弱の標高差分、徒歩で登る。雪がもたらした崖崩れをあちこちに見ながら、迂曲する林道を歩くこと1時間50分で、大平山荘に着いた。ここから冬のルートとも共通する山道を約30分登ると、北沢峠に至る。この時季、峠にある長衛山荘泊まで来るハイカーも少なくないようだ。ここから5分少々、500mほど広河原側に下ると、北沢長衛小屋だ。小屋のそば、北沢のせせらぎの聞こえる下のサイトに、大型のICIスタードームテントを張る。雪は山際に残っていたが、テント場内にはまったくなかった。

 時間が余っており、仙水峠を往復すべく、11時前にテントを出る。仙水小屋を横目に進み、仙水峠では、でかい甲斐駒ケ岳、その横に張り付く摩利支天を飽くほど眺めた。視点を翻すと、鳳凰の地蔵岳があった。駒ケ岳南西面は雪がほとんど解けて花崗岩が露出し、簡単に登れそうな気配だったが、割愛する。下りはじめ、栗沢山から落ちた山面を使って滑落停止の戯れ事をしたが、それが翌日の山行で幸運を招くこととなる運命など知る由もない。

 午後2時半、頃よい時刻にテント場に戻った。黄昏はじめる少し前、角度が傾いて光量が減衰し、さらに小枝で屈折して柔らかく射す陽光が、実に心地よかった。環状に石を並べ、宴の場所ができた。中央には平坦な大石を置いた。「かんぱーい!」の声。結局、3時間ほども続いただろうか。この時季に、「つるべ落とし」とはならない陽光が、小仙丈ケ岳の向こうに沈むのを見やってから、おもむろにテントに入った。

 テントでも宴会が続いたが、作ってくれた夕食をたっぷりいただき、翌日の山行に備えた。今回は計画に従って、8時に就寝。
※水はテント場のそば、ここに来る山道の脇に細い流れがあり、そこで得られた。北沢は水が豊富に流れているが、上部に仙水小屋があるため利用しない。


■5月3日(晴れ)
 晴れ。3時の起床前から人声がした。他のテントはどれも、まだ真っ暗だった。めいめいパッキングをすませ、ヘッドランプを灯して、4時前にテントを後にした。いったん北沢峠のほうに戻って、トイレのそばの登山口の前でアイゼンを装着した(1名のみ、アイゼンを忘れて取りに戻った)。一晩を経て雪は締まっていた。アイゼンをつけてからは、ほとんど全行路が雪の道となった。明るくなり、また高度を上げるにつれて、枝間から周りの山岳景観が少しずつ展望できるようになった。2時間少々で森林限界に出、振り返ると、一気に鋸岳-甲斐駒ケ岳-仙水峠-栗沢山の連なりが視界に入ってきた。紫紺色に沈む山稜を何枚もカメラに収める。

 テント場から見上げていた急傾斜地に踏み出すころ、本隊に不具合者が1名出た。隊列を3人×3人の2つに分けた。2次隊は上りの手前で大休止をとったが、このとき、すぐ近くまでライチョウが寄ってきた。予想外に小柄だった。よそのパーティーの方の厚意も受けたおかげで、休憩しばしでFjさんは回復することができ、急な雪面を登り上げ、さらに小仙丈ケ岳に至った。小仙丈ケ岳からは、盟主・北岳を筆頭に南アルプス主稜線(赤石山脈)、中央アルプス、北アルプス、八ケ岳連峰、奥秩父連山など、山岳展望の贅が尽くされた。仙丈ケ岳の南側には、カール地形がくっきりと見える。大仙丈カールだろう。先んじた多数の登山者の動く姿が、雪稜上に見え隠れした。

 生気を取り戻して、われわれも再度腰を上げた。幾組もの登山グループと行き違いながら、ゆっくりと進む。日照時間は長く、晴れ渡った空にかげりはなく、時間の心配もなかった。この日の帰還は完全に観念から切り離して考え、遅くなっても登頂を果たしてテント場まで帰るように方向転換をしていたからだ。頂稜からの急傾斜面で、先行した仲間3名を認めた。登頂を果たし、下ってきた。サブリーダーのAbさんに、時間はかかってもできるだけ全員登頂を目ざす意思を伝えて、別れた。その急坂を登り切り、細った尾根をたどる。カメラを構えて、前の2人が雪稜の高みに消えるころ、またしても数羽のライチョウが現われた。低音の啼鳴ばかりか、岩場間の飛翔までを見せてくれた。2人を追って尖り部をまたぎ、一度下って、最後の急傾斜面を10m登ると、360度の展望をもつ仙丈ケ岳の山頂だった。集合写真を撮り合う。

 40分で下山にかかり、すぐ下の鞍部で食事をする。そのとき近くで休んでいた登山者が、「彩雲だ」と告げた。虹色の雲が浮いていた。夕焼けの空には見るが、日中の晴れ間に見たのは初めてだった。その先で、2名を見送る最中に、またしてもライチョウが近くに舞い降りてきた。こちらを意識しているようだが、こわがる風も見せない。その先の藪沢カール側への傾斜面をトラバースし、短縮した。

 数名を残して、ほとんどの登山者は私たちより先に下りきった。この行路上最も傾斜の急な頂稜部からの下りがほとんど終わり、ゆるやかになろうとしたところで、1人がなにげないスリップを起こした。簡単に止まると思ったが、ゆっくりと小仙丈沢カールに向かって滑っていく。「停止!」とつい叫んでしまう。そのとき、昨日の戯れ事が生きた。ピックが雪面に差された。なにげない小さな行動のほころびが大事故につながっていくことが思い起こされた(北海道山岳連盟隊の遭難のことを書いた阿部幹夫著『生と死のミニヤコンガ』〔山溪〕が参考になる)。雪面に出っ張りはなかったし、カールの縁(モレーン)で停止することは確かだが、カールの底までの高低差は50m近くもあった。20mの補助ロープがザックにあったが、その適用を考えなかったのがいけなかったのか、と下りでひとり悩んだ。
 水平の雪稜を進み、小仙丈ケ岳の下で休止した。見納めの甲斐駒ケ岳をしばらく正視した。南アルプスの特徴だ、派手さのない、実直な山容だ。私はやはり、どの山域よりも南アルプスが好きだ。

 1時間50分後、下りの分岐で「近道」を取り、30分程度で登山口まで戻った。ここでアイゼンをはずした。車道を5分さらに下ると、テント場に着いた。先に戻って退屈そうにしていたSzさんの名を呼んだら、笑って手を振ってくれた。ぐるりと回って、テントに帰着した。隊列を2つに分けること、そして全員登頂を目ざすことを快く承諾してくれた仲間たち、不具合にもかかわらずくじけず最後まで目的を遂行した仲間、あせらずその最後まで手を貸してくれた仲間に、深く思いを致した。すべては、登頂によって全員で美酒が“対等に”、心おきなく飲めることに象徴される。薄く高層雲がおおい、続いた晴天に少しかげりが見えはじめていた。

 今回、たった1人の女性参加者となったTmさんが、おいしいカレーを作ってくれた。夕食を早めにすませてテントに入り、登頂の感動をしばらく反芻し合った。


■5月4日(曇りのち晴れ)
 天候は明らかに傾きつつあった。抜けるような青空は消え、小仙丈ケ岳の方面が雲におおわれようとしていた。歌宿の始発7時35分に間に合わせるのは忙しく、次の10時15分を選択したが、早めの7時前にテント場を後にした。

 北沢峠からは登山道を避けて車道をたどった。大平山荘では、小屋のおかみさんを見かけて、いつだったか小屋でミョウガをたくさん天日干しにし酢に漬けて宿泊客に出すんだと、漬かっていたのを行きずりの私たちにいただいたことを思い出し、お礼を言った。「落石に注意して下ってください」と、うれしいひと言が気持ちよく背中を押してくれた。飽きるほど見入った鋸岳の中に、二度目に行った横岳と、一度目のときの岩棚が確認できた。思い出がいっぱい詰まった山だ。いつしか、青空が広がりかけていた。歩き続けて、峠から1時間半で歌宿に着いた。バスの出発まで1時間45分の余裕があった。丸太で作られた椅子に腰かけて、鋸の方面に目をやる。みんな同じ格好で、残りのパンを食べながら鋸岳のほうを見やっていた。

 1台目のバスに乗った。運転手からガイドがあり、道に沿って青葉を茂らせているカツラ、道端にそっと咲く固有のシナノコザクラ(ハクサンコザクラに似る)を教わった。さらにその下で、30年前まであったという人家を林道沿いに見た。この林道の周辺にたむろする、何十人という昆虫採集用の網を手にした人たちは、ここにだけいる固有種のカミキリムシの採集のために来ていることがわかった。1匹で何万円もの値段がつくらしい。初ルートの楽しいバスの旅が20分ほどで終わった。戸台大橋のゲートを出たところで下車した。

 車を戻し、橋の前で名古屋に帰るKwさんを見送った。そのあと、5人は遠野の「華留運(ケルン)」という蕎麦屋さんに寄った。2001年に鋸岳で遭難し、まる1日下山が遅れたあと立ち寄った店だ。店主はこの地の山岳救助隊の副隊長を務められた方で、その話をした。伊那側では甲斐駒ケ岳のことを東駒ケ岳と呼ぶことを再認識した(「甲斐-」とは呼ぶことはありえないのだから、当然ではある)。遅くならないようにと昼過ぎには伊那ICを入り、高速道路をひたすら走った。甲府を過ぎたあたりで、Kwさんから名古屋に無事着いたと電話があった。私たちも幸い、渋滞はほとんどなく、5時過ぎに我孫子に帰着した(帰りは高速道路代金の恩恵を受けた)。

 まだ晴天が続きそうな気配だったが、連休を目いっぱい楽しまない贅沢さを、残した2日の休日に感じながら、仲間と別れた。


■追記

 この山行は当初の目標である塩見岳から変化し、急きょ仕立てた山行だったため、本会の規定によって「個人山行」として実施した。山行後の5月の例会で事情を説明して、塩見岳山行が不可抗力により無理だった事実に鑑み、仙丈ケ岳山行の会山行として追認することが多数の意思で確認された。(KT)





戸台大橋のゲートの前で。4月25日から6月14日の間、戸台口から歌宿まで二十数人乗りの伊那市営の中型バスが運行している。戸台大橋からは荷物代200円を含めて1人、片道850円也。増発された3台目にようやく乗れた。 
  

標高約1000m地点から、バスがぐんぐん高度を上げる。1380m地点から車道は戸台川を見下ろす北側山面に移る。懸崖を控えた場所で、運転手さんが、「そろそろ寒気のする地点です」と車速を落として、周囲のガイドを始めた。歌宿という平らな地点に着いて、ホッとする。                           


歌宿から北沢峠まで、残すところの車道の1/3(約6km)をこの時季は歩かなければならない。車道上には崩落したクズ岩石があちこちに転がる。写真は鋸岳。左の三角錐型のピークが山頂(第一高点)、右の平たい峰が第二高点。その間のV字型の切れ込み部分が大ギャップ。過去、この難所を二度通過した思い出が脳裏をよぎる。                             


北沢峠(2032m)目ざして車道を延々と歩く。歌宿から峠までの高距は約400m、荷を背負っていると2時間程度はかかる。途中、大平山荘の前を通過して山道に入り30分で峠への最後の車道に出、間もなく峠に着く。遠景は駒津峰。    


凍った北沢峠からの道を10分弱下ると、北沢長衛小屋のテント場に着く。写真はテント場から見上げた小仙丈ケ岳への雪面。テント場から、雪面に取り付いているパーティーが仰視できた。                       


1日目は仙水峠(2264m)に登ることにした。仙水小屋を過ぎ、もうすぐ峠という地点で、突如、怪しげな巨大岩峰が視界に現われる。甲斐駒ケ岳の摩利支天(2820m)だ。この峠の下には奇妙な岩クズを集めた地帯がある(野口五郎岳付近と似る)                                            


仙水峠から望んだ甲斐駒ケ岳の全容。奥の白い部分が山頂付近、右のコブが摩利支天。意外と雪が少なかった。この状態だと、わりと簡単に登れそうだ。


仙水峠から反対側に視点を移すと、鳳凰三山の地蔵岳があった。昨秋行ったばかりの山だ。小さいながらオベリスクが目を引いた。            


頃よい時間にテント場に帰り着いた。早速、ビールを小屋で求めて、野外で高らかに「かんぱーい!」となる。黄色の大型テントがわが隊のベーステント。静かな場所を選んだ。せせらぎの音も快かった。空は真っ青に晴れ上がっていた。
                                


われらが楽しい仲間たち。環状に石を並べて、宴会場を整えた。夕方の寒気が降りるまで野外で続いた。次から次とご馳走が出てきた。
          


5月3日、早朝の仙丈ケ岳への上りの道。北沢峠にあるトイレの脇の登り口からアイゼンを装着し、その日、下山地点までアイゼンをはずすことはなかった。2時間少々で森林限界に出る。ここからはほとんどが雪道となった。     

森林限界を抜け出たところで振り返り見た甲斐駒ケ岳、仙水峠、栗沢山。仙水峠のくびれ部分の向こうの小高い山は黒戸山(黒戸尾根の五合目手前)、峠から流れ下るのが北沢。北沢の下のほうの裸地がテント場だ。
           


昨日、テント場からはるか高くに見上げた雪面に出て、急坂に差しかかるところ。この上の斜面は冬場にピッケルを打ち込みながら登った記憶があるが、さほどのことはなかった。ここを登り上がると小仙丈ケ岳(2855m)に至る。その下でライチョウが1羽、すぐ近くでハイマツの実をついばんでいた。ラッキー!


小仙丈ケ岳から先の尾根上で遠望した塩見岳の方面。中央の両翼を引いたコブ状の山が塩見岳。その左側の背後にわずかに見える真っ白な山は悪沢岳、ずっと左の三角形の山は千枚岳で、塩見岳の右には中岳・前岳(荒川三山)、赤石岳、聖岳と続く。
                              


北岳と間ノ岳。南アルプスには13個の3千m峰があるが、その上位2個を並べた、日本で有数規模の山岳景観だ。間ノ岳と仙丈ケ岳を結ぶ仙塩尾根の下に水源を発したあと、北岳の北側を回り込むようにして広河原の前を過ぎる野呂川は、身延、奈良田を流れ下り、最後は富士川となる。
         


近づいてきた仙丈ケ岳。左側の大きなえぐれた部分は、小仙丈沢カール。仙丈ケ岳周辺にはカール地形がいくつかあり、大仙丈沢カールは頂上からの仙塩尾根側にある。馬ノ背ヒュッテ側のえぐれ部分は、藪沢カールといわれる。写真からも、モレーン(氷河の舌端=流れの下端に堆積した岩石類)の存在がわかる。


仙丈ケ岳への主稜線上から振り返り見た甲斐駒ケ岳方面。雪は確かに少ない。                                


この日、三度目に見かけた雷鳥。すぐそばまで飛んできた。警戒する風もない。特徴ある「グウェー」という鳴き声を発する。                      


山頂に続く最後の雪稜。3人が遅れて着いたが、仲間のがんばりを視線で後押しする。もう少しだ、がんばれ!                          



山頂を後にしたところ。ちょうど正午ごろで、この3000m地帯でも暖かな気温になりつつあった。時間をかけ、周囲を堪能し、高所の風を受けながら、ゆっくりと下った。このルート上に危険地帯はほとんどないが、装備品にはピッケルが必携だ。スリップしないように注意して下る。
                    


仙丈ケ岳山頂の先行組3名。360度、視界をさえぎるものはない。
    


遅れたが達した後続の3名。                      
     


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