1月の山行
〈杣添尾根〉からの横岳
 
 * 三叉峰から見た杣添尾根。幕営地点は森林限界よりずっと下だった        
*下山中の杣添尾根上の雪稜上でポーズとる登頂後の仲間たち 
マウスを写真にのせると入れ替ります      


*実施日:2010年1月30-31日(山中1泊)
*参加者:男性6名
*行路:
30日 5.58天王台=6.12我孫子=7.15/7.30新宿=(特急)9.35/9.58小淵沢=10.30野辺山
          ---11.00/11.20登山口・・15.45テント場
      31日 5.15起床/6.30発・・11.10/11.20横岳山頂・・12.10テント場/13.15発・・14.45登山口---
          15.26野辺山=16.05小淵沢=18.06新宿=19.30帰宅

*装備:〈共用〉テント2張り(ダンロップV6、アライ2~3人用)、マット3枚、ガスランタン(本体、ガス)、
          雪スコップ2本、コッヘル大1式、コ ンロ3台(ガソリンMSR2台+燃料1.5リットル、
          ガス2個)、標識棒(布付き)、 ロープ(30m×8.5mm)、
     〈個人〉冬山用装備一式(下着、中着、外着+その他)、手袋(替えを含む)、スパッツ、
          高所帽子(目出帽)、サングラス、日(雪)焼け防止クリーム、アイゼン、ピッケル、
          わかん、スリング・カラビナ(数個)、食器など
*経費:JR特急代金、我孫子-都区内、小淵沢-野辺山、食料代、タクシー(往復)、
       帰りの飲み物代込みで、1人につき約12,000円

杣添尾根からの厳冬期登山について
(1)アプローチ:JR小海線を使う場合には小淵沢からが近く、野辺山が登山口までの至近の駅となる。ここからタクシーで別荘地のある南牧地区の登山口まで入ってくれるが、野辺山駅前に常駐している保証はないから、予約が必要。道路は上まで除雪してある。タクシー代は片道、ジャンボで約5,500円(小型は4,500円程度か)。なお、登山口までマイカーで入るのは、急激な降雪などがある可能性があり、危険と思われるうえ、駐車エリアが近くにない。
(2)行路:登山道の標示のあるところからすぐ登山となる。しばらくは遊歩道とルートが重なるが、東屋のある切り開かれた地点で沢を渡り、その先で右にとる(ここまで30分弱)。ここから本格的な登山道になる。さらに、少し先で小沢を渡る。
(3)ラッセルとルートどり(ルートファインディング):以降、森林限界となる標高2,600mあたりまで樹林(ほとんどがオオシラビソ)の中の道となる。厳冬期にはラッセル、ルートどりで時間がかかる。ラッセルには少なくとも4~5人はいたほうが有利だ。今冬、積雪量は予想より少なく、尾根の上部で1m足らずだった。登山道から森林限界まで雪上で5時間程度はかかる。なお、ルートは木々・枝が切り開かれた地帯をつなぐが、頻々とマーク用のテープが付けられているので、ルートを間違うことはない。
(4)テント場:今回使った標高2450mほどのところに4張り分ほどあるが、どれもはっきりした平坦地ではなく、狭い。最良のテントサイトは、森林限界の上に出るまでない。森林限界を出れば見晴らしはよく、尾根上に多数のサイトが見いだせる。ただし、露出帯なので強風時には対応が必要となる。
(5)危険箇所:この尾根上には危険地帯といえる箇所はまずない。ネットには、一部、三叉峰に登り上げる手前で、夏道を避けて尾根上部をとったという情報もあるが、とくに気をつかう必要もない。坦々と尾根通しをつないで登ればよい。雪庇の張り出しは規模が小さく、問題となるほどのものではなかった。
(6) アルバイト量:2日かけての高度差、ルートの長さとしては、登山を楽しむのに適度だった。今回は横岳主峰となる奥ノ院(2835m)までは行かず、三叉峰(2825m)を往復したが、さらに横岳から赤岳に回るのも十分に選択肢となるだろう。
(7)ワカン・アイゼン:行路の上部半分から上ではワカンを使った。“最中雪”とでもいうのだろうか、表面がある程度硬く、その下の雪質が軟らかな雪だが、今回は、最中の“あんこ”部分もある程度密度があったので、ワカンで踏み固めて進行できた。三叉峰までの30分間がアイゼンの地帯だったが、経験者ならアイゼン装着の必要もない程度の傾斜だ。   
(8)総合評価:意外に知られていない経路だが、静かで、趣深い印象が残った。冬山に初心者を同行するのにも格好ではなかろうか。1日でテントサイトまで行かなければならないから、そこだけ時間配分を注意すれば、お徳用なルートといえよう。   
■この山行の趣旨
 私がこの尾根の存在を知ったのは、はるか以前にさかのぼる。市内の別の山岳会員だった1989年10月に、真教寺尾根と杣添尾根の2つのルートから赤岳山頂を目ざす集中山行が企画され、それに参加したときだった。行程半ばで気温が急激に下がった。本当に寒かった記憶がいまもある。帰宅して、立山の真砂岳で京都の税理士仲間の8名が疲労凍死したことを新聞で知った。寒かったのも当然だった。
 この山行の上りで、並行してずっと見え続けていたのが杣添尾根だった。「杣」とはきこりのことだと辞典で知った。美濃戸側からの登山者は多いが、なぜか杣添尾根からの入山者はほとんどいないという感触は、そのとき以来、ずっと私の心の中にあった。静かなルートだ、と理解した。ぜひ、このルートを厳冬期にたどってみたいと思い続けてきた。1998年1月下旬に硫黄岳から横岳をI君、Khさんと縦走した折に、杣添尾根を上から見た。危険のない、たおやかな尾根だという印象を胸に刻んだ。 
■登山の経過
30日 晴れ/気温暖かめ
 忘れ物をしたMhさんが我孫子から取りに引き返したが、小淵沢でめでたく合流し、6名がそろった。珍しく男性だけのパーティーとなった。小海線に乗り込み、北上した。土曜だというのに、人は少なかった。清里なども往時の面影はなくなっていた(タクシーの運転手さんも言っていた)。約30分で野辺山に着いた。Gtさんが予約しておいてくれたジャンボタクシーが待っていた。すぐ乗り込んで、登山道まで行ってもらう。別荘地の中をたどる車道を、行けるところまで行ってもらった。
 「杣添尾根登山口」と小さく標示のある地点から、雪を乗り越して雪道に入る。20分ほど進んだところで横岳と杣添尾根が上に見えた。東屋の横を通過して、その先から登山道に入った。1~2人のたどった足跡が残っていたが、まださほど時間が経過していない。その跡を忠実にたどった。先頭を適当な時間刻みで交代しながら、どんどん高度を上げた。オオシラビソの密生した薄暗い樹林の中の経路だ。
 最初、行動時間は3時半までだろう、と話していた。クネクネと樹林を進み、時間がしだいになくなっていくが、テント適地はどこにも見いだせなかった。そのうち、先行した単独者が下ってきた。森林限界を尋ねると、すぐこの上で引き返したのでわからない、と言う。その先で、踏み跡が消えた。とうとうわが隊だけでルートファインディングして行路を切ることとなる。3時半になった時点で、テントサイトが見つかったところで即テントとすることにした。3時半に2張り分のサイトといえる地点が見つかった。雪面を平坦に切り崩し、雪を積む。寒くなるころテントが建った。個人用のアライテント(2~3人用)も、荷物収納用に建った。
 幸い、この日の気温はさほどでもなかった。-5℃程度だったろう。トイレでテントの外に出ると、星がまたたいていた。野辺山といえば、国立宇宙研究所と東大の天文台があるところとして知られている。
 コック長のMhさんが腕を振るってくれ、豪勢な鍋ができ上がった。次々と飲み物が出てきた。思う存分飲み、話し込んだあと、翌日用の水を魔法瓶に詰め、9時に就寝した。
 小淵沢駅のホームで、小海線下りを20分待つ。幸い、遅れた後続のMhさんがここで合流した。この駅の名物の駅弁「元気甲斐」の本舗がホームの八ヶ岳側にある(赤い色の大きな看板)。青空が一帯に広がる。
  野辺山の手前で車窓から八ヶ岳連峰を見る。杣添尾根は右端から3本目の、ラインがくっきりと見える尾根。
 タクシーを降りて歩き始めて15分後のところ。無雪期の遊歩道になっており、東屋がある。この広場から徒渉して、そこからが本格的な登山道になる。上に見える銀嶺が横岳の稜線。
 黒木の森Schwarzwaldの中を坦々と進む。1~2人がたどったと思われる足跡が、この日のわれわれのテント場の手前までずっとついていた。
  すぐ深い樹林帯の中に入る。結局、この日、樹林帯から出ることも、樹林外の景色を見ることもほとんどなく、樹林(森)の中をひたすら登った。
31日/曇り
 5時起床が15分遅れとなった。水を沸かす手間などで、出発が30分遅れの6時半となった。足跡のまったくない雪上を、ラッセル役とルートファインディング役の二役を負って、先頭が雪を切り裂く。すぐ上で、樹林南側に切れた地点で、ぼんやりとたたずむ富士山を遠望した。マークのテープが一時途切れ、行路に迷いを生じたが、このときだけで、以降は順調に進んだ。数分ごと、次々とラッセルを交代しながら、高度を上げた。長かった樹林も切れて、森林限界の上に飛び出した。さっと赤岳のプロフィールが視界に飛び込んできた。天候が幾分傾きかけて、頂上付近を雲がおおっていた。
 小規模ながら雪庇の張り出しがみられた。その上部の広い雪面上でワカンからアイゼンに替えた。ワカンはまとめてデポした。アイゼンに障害をもった隊員も出たが、傾斜はさほどではなく、全員で頂上を目ざした。遅れて三叉峰に着くと、先行した仲間の3人が食事を取っていた。今回、ここから15分程度はかかるだろう奥ノ院(ここが横岳山頂とされている;2835mでここより10m高い)はあえてカットした。岩場を西に回り込んだところで、赤岳、阿弥陀ケ岳、行者小屋などを写真に収めたが、急に天候がどんよりとして、ダークグレーに変わってきた。下りは、安全を期してゆっくりと進行するが、予想したほどではなかった。慣れている人なら、アイゼンの必要もなく、いい調子で下っていけるだろう。ワカンのデポ地でワカンに履き替え、そこからわずか30分ほどでテント場まで戻った。ちらちらと雪が舞い始めていた。この日も雪の状態は登山には最高だと言い合うほどよかった。ワカンを装着しての下山には、雪がクッションになってくれるし、無雪期なら木々の根っこやデコボコ、岩の出っ張りに神経を集中させながら下らねばならないが、雪がすべての細かな障害をおおい隠した。確実にワカンを踏み下ろすだけでよかった。下りは速かった。途中でタクシー会社に連絡し、2回の休止で遊歩道まで下った。さほどの疲れもなく登山口まで戻ると、ジャンボタクシーがすでに来ていた。無心だったが、早く下ったおかげで、当初予定した小海線の上りに間に合うという。急いでくれて、野辺山に10分前に着いた。昨日の八ヶ岳連峰は雲におおわれつつあった。小淵沢で待つ間に、売店で飲み物を買い求めた。リッチにも、野辺山の駅で帰りの特急も座席を確保することができ、新宿までおおいなる今回の山行の成功を背景に満ち足りた気分で会話が尽きなかった。献杯も進んだ。新宿で降り、さらに上野から車上の人となり常磐線を下った。
 出発して間もない31日の早朝、テント場の少し
 上の、富士山が見える視界良好の地点。

  朝日が昇る。わがラッセル隊員の元気な姿。
 テントを出てから1時間45分後に、この尾根で初めて針葉樹林が切れた。森林限界だ。尾根の左側に盟主・赤岳が視界に入ってきた。ここからの標高差もあまりあるように感じられない。
 ずいぶん登った。清里から赤岳に直接続く長い真教寺尾根も近くに見える。

  雪稜に乗ったところでひと休止。まだ先は長いが、硫黄岳から横岳に続く主稜線が視界に入ってきた。ここまできたら、全員に「行くしかない」という気持ちがみなぎった。この先、ラッセルで時間をとられ、この地点から横岳まで2時間余を要した。
  どんどん高度を上げながら進む。5分おきに交代しながらラッセルをし、雪固めをする。Abさんの速いこと、セカンドとの間に溝が開いてしまう。
  杣添尾根最後の雪嶺を進む。左側に小規模ながら雪庇の張り出しが見られる。
  横岳への最後の上り。この手前でワカンからアイゼンに履き替えた。たいした傾斜ではなく、ほとんど危険はないが、注意して岩稜部をたどる。
  頂上直下、100メートル。しだいに寒くなる。上りの隊員の息が聞こえるようだ。
  横岳の稜線から来し方を見下ろす。ゆるやかな、長い尾根が裾まで続いている。急に天候が傾き、風が強まった。

  横岳の上から稜線の向こう側をのぞき見た。寒々とした阿弥陀ケ岳。
  同じく赤岳。   下り始める。野辺山、清里あたりの農耕地が一面、雪の膜をかぶっていた。

  
  さらに稜線をどんどん下る。このころ、再度、アイゼンからワカンに替えた。   テント場に近づくころ、雪がちらつき始めた。暖かかった天候  は厳冬期の曇天に変わりつつあった。その後、テント場で荷物の撤収・整理に1時間余かかり、テント場から登山口まで1時間半で下った。幸い、この日、天気は持ち、天気で山行が困るというようなことはまったくなかった。

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