記念山行

涸沢~奥穂高岳


奥穂高頂上部から涸沢岳、北穂高岳、槍ヶ岳を望む
                                  
1実施日   2010年7月31日(土)~8月4日(水)

2山行形態  JR 路線バス 松本電鉄 テント4泊

3参加者   男3人

4実施行程                     

7月31日 (晴) 
      我孫子
5:53 新宿7:00 (あずさ1) 9:39松本(10:25⑥バス停
          12:20上高地  12:40キャンプ場テント設営13:45    17:00横尾(幕営)

8月1日 (晴) 
      横尾
7:00   8:30本谷橋   11:30涸沢(幕営)

8月2日 (晴) 
      涸沢
6:05   8:30穂高岳山荘9:45  10:35奥穂高岳11:30
          12:20穂高岳山荘13:20  15:40涸沢小屋18:30    18:40涸沢(幕営)

8月3日 (晴午後時々雨) 
      涸沢
8:15 10:05本谷橋 11:30横尾12:30
          13:20 徳沢13:55 14:55明神池15:30  16:15小梨平キャンプ場(合流)

8月4日 (晴) 
      上高地
9:20  松本12:00(あずさ) 14:39新宿駅 15:45我孫子駅

 

5概算費用 約16,580円(食糧飲料その他を除く)

  我孫子~新宿 JR往復                               290×2=   580

  新宿~松本~上高地~松本~新宿   4,500+2400+2,400+4,500=13,800

  テン場代               500×3+700              = 2,200

6装備

  共同装備 ダンロップテント4人用 マット2枚 カンタン コッフェル中

       ガスバーナー2 ガスボンベ大2 まな板 包丁

  個人装備 個人マット シュラフ 雨具 ヘッドランプ 水 行動食 非常食

       食器 サブザック ロールペーパー 手袋 防寒

7合同装備の荷揚げとテント設営(小梨平まで)  

V6テント(合同器食材デポ及び焼岳用) ジャガイモ10個 カレールー大5個 米5合 ガス1個 ビニール袋大2枚 レジ袋3枚 テントマット コッフェル バーナー

8山行概要

 7月31日天気は晴れ
 松本上高地間のバスが交通事故の渋滞のため20分遅れて12時20分に上高地に到着。小梨平キャンプ場に合同宴会の機材食材デポ用のテント一張りを設営。予定より45分遅れの13:45に転進、17:00横尾に到着す。すでに先行した槍ヶ岳班は夕餉の支度であった。こちらも男所帯ながらも今夕だけは野菜沢山の豚汁だ。明日からは軽量化のためと称し物臭な生命生存だけの食料計画である。

 8月1日天気は晴れ
 横尾橋を渡り左に屏風岩を仰ぎながら緩い登りの横尾谷をゆっくりと歩む。生憎と屏風岩に挑む人影はない。ハーケンを打つ音も無い。吊り橋の本谷橋を渡ると屏風岩は壁面を隠していた。ここからが傾斜が険しくなり涸沢の瀬音を聞きながらの登りである。 2,3か所の雪渓が有ったが傾斜もきつくなく難なく超え、11:30涸沢ヒュッテと涸沢小屋の間のテント場に到着し、すぐさま幕営する。青い空にガスが流れ、左から北尾根を従える前穂、奥穂、涸沢、涸沢槍、北穂と続きそれぞれに雪渓を抱えて屹立している。首を転ずれば横尾尾根と屏風の頭の間に常念が顔を出している。これにテラスに吹き流しがはためく要塞のような涸沢ヒュッテと山肌に張り付いた涸沢小屋と点在する色取り取りのテントが涸沢の全てであった。先ずはヒュッテのテラスで生ビールの乾杯。時間はふんだんにあった。前穂の頂上付近ではヘリコプターによる救助活動が展開、1回2回とホバリングと旋回を繰り返し山際との間合いを詰め3回か4回目に何かが吊り上がるのが観えた。最近救助中に連続してヘリコプターが墜落しているので息が詰まる光景であった。ヒュッテ裏のヘリポートにも飛来して怪我人を収容していった。気を緩めてはならない。

 8月2日晴れ
 予定通り6時過ぎに奥穂を目指して出発。時間に余裕があるのでたっぷりの休憩を取りながらザイテングラードのコースを登る。穂高岳山荘では接着剤の剝れた登山靴のソールを修理しながら1時間、感激の頂上で「穂高よさらば」を独唱と合唱して1時間、下りた穂高岳山荘で相客とのよもやま話で1時間、15:40に着いた涸沢小屋で3時間とこれまでの山行にはない悠然とした楽しい時間を過ごし、気が付いたら賑わっていたテラスには誰も居なかった。

 8月3日晴れ
 8:00テントを撤収し涸沢とおさらばする。パノラマコースは相談所によると禁止の処置を取っているとのこと、ならばと“自己責任で行くか”と云ったら係の人に“禁止にしているので止めて下さい”と言われてしまった。もともと素直な性格だから“はいはいそうします”と退散した。本谷橋まではゆっくりと下り、緩斜面になったところで普通の歩速とした。横尾で休憩中に懐かしや氷河公園班の仲間と合流し賑やかに小梨平に向かった。小梨平では表銀座班、槍ヶ岳班、焼岳班も先着し宴会の準備が出来ていて既にかなり盛りあがっていた。



涸沢ヒュッテを俯瞰し、屏風の頭越しに常念岳、蝶ヶ岳を望む



横尾橋を渡りいざ涸沢へ



本谷橋を渡り傾斜が険しくなると涼しい風と共に雪渓が現れた



涸沢テント村の二日間の住民となる。後方中央部が涸沢ヒュッテ



天気も上々、奥穂も前穂も待っているぞ



奥穂の岩場に取り付くと直ぐ穂高岳山荘が眼下となる



難無く頂上へ、一応は証拠の写真と、ハイ


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