2012年1月の山行

阿弥陀ケ岳〈南稜〉


                 阿弥陀ケ岳南稜部の核心部(P3のガリー) / 阿弥陀ケ岳山頂で満悦の面々。厳しかったなー


1.実施日
  2012年1月7・8日(山中1泊)
2.参加者(五十音順、敬称略)
  男性のみ6名(30歳代2名、60歳代4名)
3.行路と通過時刻
7日 5.38 天王台---5.41 我孫子---6.38/7.00新宿---〈特急あずさ〉---9.08/9.20茅野---9.50
 /10.05舟山十字路・・12.05/12.20旭小屋・・14.55立場山・・15.30幕営地点(泊)
8日 4.00起床/6.30発・・7.30無名峰・・9.05/11.25 P3(待機)・・12.10/12.30 P4手前・・13.10/13.20阿弥陀ケ岳・・14.20/14.35 行者小屋・・16.40/17.10 美濃戸山荘・・18.05美濃戸口---18.40/19.06 茅野---21.06 新宿---22.36我孫子---21.00前 帰宅
4.装備
共同 テント(6人用ダンロップV-6)、マット3枚、スコップ1本、コンロ(ガソリン仕様1台+燃料1L、ガス仕様2台+ガス缶3個)、ランタン+ガス缶1個、登攀用具(45m×8.5mm+30m×8.5mm、スノーバー2本、付属用具類)、コッヘル(チタン製、大1式)、テントシューズ(3セット)、GPS
個人 防寒具類、高所帽・目出帽、サングラス、厳冬期用手袋(替えを含む)、登攀用具(アイゼン、ピッケル、ハーネス+付属用具)、地図、磁石、カメラ、魔法瓶、ゴミ袋など
5.食料
 7日の夕食(ヤミ鍋)以外はすべて個人食・行動食/アルコール+つまみ
6.経費(交通費)
 新宿-茅野間特急:回数券24,900円×2(往復)÷6=8300円/1人、タクシー(往路102,00円+復路8,200円)÷6=約3,000円/1人・・・・合計12,300円/1人+美濃戸山荘での食事1,200円=13,500円
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阿弥陀ケ岳南稜ルートの厳冬期登山について
 阿弥陀ケ岳への南稜からのルートは、本会のGoBさんを交えた4名(2名は会員外)で、1995年の正月に個人山行として踏破している。通常の登山道は通っておらず、いいかえると「バリエーションルート」というカテゴリーが冠されるわけだが、その割には比較的やさしく、雪稜歩きが楽しめ、また豪快な山岳景観にも恵まれている。また、途中には刺激的な局面も伴って満足感があり、多様な経験のできる対象として、会の山行に取り入れるべく働きかけてきた。本会ではこのルートは、正式には過去に3回計画し、そのうち最初の1回目にはP1‐P2のコルまで達しながら、翌日が悪天候だったため下山している。その後の2回は計画はしたものの天候に恵まれず、実施前での中止となり、記憶に「あざ」のように残っている。そして、ようやく、このたび登頂することができ、「四度目の正直」となった。
 
冬季の阿弥陀ケ岳南稜の概要
 昨年の『山と溪谷』誌12月号に、「八ヶ岳・阿弥陀ケ岳南稜―憧れのルート、ひとりじめ」という記事が掲載された。この影響で、正月明けの僕らの山行日程に合わせるように、何隊もの入山があるのではないかと僕は懸念した。結果的に、予想外の隊が入山していた。まず幕営地が限られる点を心配したが、幕営適地は立場山の先に割と多くあった。それ以上に、考えもしなかったが、行路上の進行で渋滞状態が出現し、P3のガリー(ルンゼ)の通過では2時間半近くの待機を強いられた。幸運にも、この日は風がほとんどなく、冬型気象がゆるんでくれ、強風や吹雪を免れたので、待機中に寒さで震えることはなかったが、場合によれば、標高2700mのこの地点の待機では相当の寒さを覚悟しなければならない。また、ガリーの通過自体はさほど困難度は高くないが、フリー(無確保)では危険で、ほぼどの隊もザイルを出していた。その際、経験のあるなしで、進行にかなりの遅速がみられた。
 P3のガリーでは雪崩の危険も考えたが、吹き付ける西風によるのであろう、積雪は少なく、かなりクラストclustしており、その心配はなかった。むしろ、ガリー基部から15m程度上部は、確実なアイゼン・ピッケルのコンビネーション技術が必要になる、硬雪あるいはブルーアイス状の雪面だった。できれば、ここの通過には、ザイルと氷壁の登攀経験のあるメンバーが上下に2人はいたほうが無難だ。中間者は、上部のアンカー(以前にはなかった確保点がガリー基部から約35m上の小さな岩場にボルトで取られていたが、ここからさらに10m上には立木があり、この点がより確実なプロテクションとなる)とガリー基部との間の固定ザイルに沿って、ユマール操作(登高器)やプルージック操作で登攀することとなる。できれば、この部分のためだけでもユマールは持参したほうがよいかもしれない。
 一気に立木に至るには、最初から50mと20mのロープを連結して臨んだほうが確実ではあろう。ランニングビレー用スノーバーは雪質・嵩の関係で使えなかったので、トップは確実な登攀のできる人が担うこととなる。
 またP4 基部のトラバースでは、先の隊は中間者にザイルを出したようだ。わずか3~5m程度だし、的確な足場の確認を行えばザイルは不要だ。ここの通過では、右足を基点にして、次に左足を、谷側に大きく幅をつけて踏み出した地点にとることが肝心だ。そうすれば、山側の岩が迫るのを避けられる。ここを通過すれば、先は岩場を手も使いながら急上昇したあと、右(東)側に回り込んで登り上がると、突然、頂上に連なるゆるやかな雪稜部だ。突如、空が抜けたような広大な青空で区切られる平坦な頂稜部が伸び、そのすぐ先に山頂がある。
 阿弥陀ケ岳の頂上には、360度の展望が待っていた。展望を楽しんだら下山だが、東側の尾根を下って行者小屋経由で南沢沿いに美濃戸山荘、美濃戸口に下るルートと、逆の御小屋尾根をたどって美濃戸口に下りるルートの2通りがある。今回の山行では、タクシーを下りた舟山十字路の先に何台かの車が停められてあったが、御小屋尾根から下ったあと、御子屋山(2137m)から美濃戸口に向かわず左にとり、駐車場に環状に戻ってくるルートがあるようだ。僕たちは、美濃戸口への選択者がいなければ、御小屋山から美濃戸口へのラッセルを強いられ、またルートファインディングの不安もあって、本会で無雪期を含めて一度もたどったことがない御小屋尾根ルートは、今回は見送ることとなった。阿弥陀ケ岳登頂時刻がすでにかなり遅くなっており、結果的には正解だったろうと思う。
 
山行のあらまし
実施まで
 NB君、Okb君という若者の参加によって、本会の山行に大きな意味を添えてくれるという認識を持った。なんといっても、このような本格的な雪山の経験を若者に経験してもらい、本会の今後のこのレベルの山行を引き継いでいってもらうという意義がある。そして、事前に12月23日に船田の森でロープの訓練を、25日には奥日光で基礎的な雪上訓練を行った。そして、多彩なメンバーと同行できる楽しみを思い描きながら当日を待った。
 参加メンバーは当初は紅一点のNkdさんを含めた7名だったが、最終的には6名となった。それに伴い、多少窮屈だろうことは覚悟で、2張りのテントをダンロップの6人用(V-6)1張りに変更し、装備を調整した。Nkdさんからは、手配してくれた始発の「特急あずさ」の指定席つき回数券を届けていただいた。
 問題のP3のガリー部の通過を考え、また基本的にバリエーションルートという背景をもとに、Kwnさんに期待して、サブリーダーをお願いした。あわせて、行路全体の先導、P3のトップもお願いした。ベテランクライマーのKwnさんが、入会早々にバリエーションルート山行に参加してくださるというのは、僕としても大変うれしかった。
7日
 あれこれの共同装備を両手に抱えて天王台駅に急いだが、自分のザックだけでも出発時の計測で27kg程度あり歩速が伸びず、発車時刻ぎりぎりにあえぎつつ駅に着いた。我孫子で4名と合流。新宿ですぐNB君とも落ち合った。
 正月明けとあって空いた車中に陣取り、好天下の山々を眺めるうちに、2時間ちょっとで茅野駅に着いた。予約してあったアルピコのジャンボタクシーの運転手さんが、大書した名札を持って改札口で出迎えてくれた。乗り込むと、40分程度で舟山十字路に着いた。積雪量は少ないが、しっかりと雪がついていた。近くには自家用車が10台ほど停まっていたから、南稜を目ざすグループがその程度はいるものと覚悟した。
 10分後に登山開始となった。尾根の取り付きまで先頭をまかさせてもらい先導するが、何度も来たはずなのに、見慣れぬ光景が気になりつつも、どんどん車道を進んだ。これまで入山時に行路どりで失敗したことはなかったが、KwtさんにGPS(ナビゲーション装置)で確認してもらったところ、進路が間違っているらしいことが判明し、逆戻りすることとなった。遺憾なことに、30分のロスタイムを刻んだ。天候がよく視界がきいた分、皮肉にも山々がよく眺望できたが、そのために西岳(2365m)を立場山(2370m)と誤認したようだ。
 500mほど引き返したあと、二度、三度、沢を徒渉し、旭小屋に向かう。点々と血が染みた痕跡が道に沿って見られたのは、ハンターによる狩猟を物語っていた。酷寒のこの山の中で生と死が生々しくぶつかり合う様を複雑な気持ちで感じながら、先を急いだ。旭小屋は思ったよりも遠かった。この小屋は立場山への尾根の先端を大きく回り込むようにしてあり、通常、ここが尾根への入山口となる。1995年には旭小屋から上部を目ざしたが、その後は舟山十白路のすぐ先の沢を渡った箇所からそのまま尾根に登り上がるルートを見つけ、ショートカットした。今回もそのルートをたどるつもりだったが、出端をくじかれてしまった。
 この日の行路としては、旭小屋から鋭角に戻るように尾根に進み、尾根に達したあとは、ひたすら尾根通しに東進、登高する。以前はこの山域にはアカマツが多かったのだろう、キノコ(マツタケ)の採取厳禁の札がおびただしく行路に沿ってあったが、見たところアカマツはあまりなく、ほとんど下部ではカラマツ、上部ではシラビソに遷移していた。うっそうたる樹林帯の中、坦々と歩を上に上にと進めるだけの登高動作が続く。かつてから踏み跡はしっかりしており、行路を間違うようなことはない。Kwnさんを先頭に、安定した、いいペースだ。
 傾斜が弱まり、目標の大きなダケカンバを右側に見ると、間もなく立場山だった。山頂はシラビソに囲まれていて、眺望を欠いた。誰かがつけた質素な標示があった。立場山からは少し下るように進むと、突然、右側(南)に権現岳のシルエットが目に飛び込んできた。しかし、まだ藪は切れない。樹間には北アルプスや甲府平野がちらちら見えはじめた。その先の開けた地点で、出発をほぼ同じくしたパーティーがすでに幕営態勢に入っていたが、幕営目標地点はまだかなり遠い。しかし、すでに午後3時を回っていた。
 そろそろ幕営の決断をしなければいけない。少しでも進んでいたほうが好ましいので、いったんここでみんなに待っていてもらい、先の地点を偵察に行く。青ナギという堤防のような地帯の手前、樹林の切れた箇所に、すでに一度、誰かが幕営したと思われる格好のテントサイトを見つけた。仲間を呼びに戻る。
 夕暮れが襲う前にテント設営を急ぐ。日没と同時に気温が急下降する。寒い(-7℃)が、風がないのが助かった。ザックを全部テントの中に入れたが、6人用のテントに6人は厳冬期ではきついようだ。
 火をつけて暖をとり、早速、ビールで乾杯が始まった。いろいろな飲み物が出て盛り上がった。今回のメンバーは初の組み合わせであり、新鮮だった。若者2人はもちろん、年配者もこのルートによくぞ参加してくれたものだ。うれしい限りだ。
 その夜のメニューは、「ヤミ鍋」だった。めいめいが「少なめ」とお願いした食材を出し合って、食べられる分量に絞って出した(持ち帰りとなった食材がある)。いい気持ちで宴会が進んだが、8時にお開きとし、8時半には全員、就寝した。
8日
 夜間に風が吹いたが、朝は収まっていた。4時前に、誰ということなく起きた。朝は湯を
沸かして水分の供給を早めに行っておき、またポット(魔法瓶)の湯を確保した。
 この日は、明るくなるのに合わせて出発することにしていた。払暁を待ったが、結局、6時前になってようやく外が白みはじめた。テントを撤収し出発したのは、6時半になっていた。この朝、最低気温は-15℃まで下がったが、さほどの寒さでなかったのは風がなかったせいだ。幸運と思うしかない。
 全員、アイゼンを装着した。青ナギの入り口には2~3張り分のテントサイトがあったが、すでに空だった。すぐに登りにかかるが、記憶では、ここからの上りがとてもきつい。しだいに風が強まっていく。無名峰の上部の、稜線に出る手前で、防寒衣類を着込むように指示を出す。目出帽も着け、防寒を完全とした。
 その先のピークを仲間が乗り越す様を、下で待機してカメラに何枚か収めた。きすっかり先頭との距離が開いてしまった。P2の手前で何張りかの幕営があった跡がみられたが、以前はここにテント場を求めた。ここから岩稜帯に突入する。スリリングな箇所が少しずつ現れはじめ、ロケーションはどんどん面白くなっていくが、巨岩を上部に見上げると一抹の恐怖が襲った。仲間が上部の岩稜の西の端にシルエットを描きながら姿を消したあと、その上の棚をP3の基部に向けてトラバースするのを写真に収める。
 しかし、トラバースの先のどん詰まりに他のパーティーがたむろしていた。状況が推し量りかねたが、その先のP3のガリーの通過で順番待ちをして渋滞をおこしていることがわかった。1時間以上(実際には2時間超)を要すると聞いて唖然としたものの、しかたがなかった。そのうち、下のほうから残りの2隊の若者グループがやって来た。P3のガリーまで偵察に行くと、10人ほどが列を作ってじっと待っていた。これはあわててもしかたがない、と観念した。ただじっと待つ。
 17年前は、ガリーの基部に10cmほどの幹径のダケカンバがあり、かろうじてそこを確保点にとったが、それも根っこがガタガタの状態で、心もとなかった。そのときはずっと戻って、大勢がたむろしている近くの岩から、L字型に大きくプロテクションをとった。今回は、ガリーの基部に数か所ボルトが打たれて、そこにワイヤーを通してあった。ワイヤーは、基部の上のガリー部に打たれたボルトにもつながっていた。ガリーの登り口が岩場で最も傾斜が強く難度が高いため、ここを登る際にワイヤーをたぐって手も使えるようにしていたのだ。
 なんと2時間半近くも待機して、やっと順番が回ってきた。僕がセルフビレーをとり、Kwnさんがトップで登りはじめる。出だしのところは、岩がむき出しになり傾斜も60度ほどあって、むずかしそうだ。その上は氷結したガリー部になっている。姿が見えなくなって、ザイルがどんどん伸びるが、途中で止まったままとなった。声が伝わらず、上部の様子がわからないまま待つと、「登っていいぞー」という声がした(気がした)。距離を置いて、HTさん、Kwtさんと続く。Okb君の前になって、「ロープの連結を」という声がした。ロープがさらに伸びるが、声はさらに届きにくくなり、上部の状況はわからなくなってしまった。目いっぱいロープを引き上げてくれるように叫ぶが、まったく伝わらない。すると、またスルスルと上がっていくが、再度、下がってきてたるんだ。どうなっているんだろう。
 ロープが止まったところで、引き下げてテンションをかけ、Okb君に登ってもらう。NB君も続いたあと、僕もすぐ後を追う。いきなり急な傾斜に突っ込んでいく感じだ。上の2人に不安がないのが、安心材料だ。ガリー部を出たところでカメラを構えるが、顔を上に向けられないほど傾斜は急だ。KwtさんとHTさんがKwnさんのところに着いていて、なにやら動作をしていた。下から35m余りのところの小さな岩にボルトが打たれてあり、そこが確保点となっているのが、以前とは異なっていた。この支点を越えて、Kwnさんは上部の立木に支点をとられていた(だからロープの連結が必要だったのだ)。下から別のパーティーがすごい勢いで登ってきた。この岩場が、中間のビレー点か、と尋ねたので、そうだ、と答えた。中間のビレー点に関しては、僕にも情報はなかったので、彼とてそうだったのだろう。
 立木のところに僕らが着くよりも早く、Kwnさんは早々に、さらにロープを伸ばすべく直登のルートを先に進んでいる。以前は、立木のところからは、ガリー部の上部の縁(いわば漏斗状の周縁)にトラバースぎみに右に移動し、そこから周縁部に登り上げた。
 今回の難所を脱した上部の尾根上まで達し、ひと呼吸入れる。次々と後続の若者の部隊が到着した。ここまでの登攀で、つま先で耐える時間が長かったために、脚にかなりの疲れを生じていたし、かなりの体力の消耗を伴っていた。後から追随した数パーティーに先を譲り、ほとんど最後尾のところまで落ちた。疲労困憊状態に陥っていた。しかし、そういっているわけにはいかなかった。少しずつでも上へ、上へと歩を伸ばす。
 P4の基部で、先行した隊がなにやら作業をしていた。あとでわかったのだが、ここのトラバースでリーダーがザイルを出して安全を確保しながら同行者を先に送っていたのだ。休憩後、僕たちもここでわずかに詰まったが、困窮することなく通過した。ここからぐっと傾斜が強まった岩場の登攀で高度を稼ぎ、東側に回り込むように短距離を横にとり、さらに左に岩場を登高すると頂稜部の雪面に出た。青空がくっきりと山面と山を区画し、上にはなにもないことを告げていた。足が急いた。休むことなく進むと、山頂の標識があり、何人もの登山者がいた。そのほとんどは阿弥陀ケ岳南稜からやって来ていた。僕らも疲れはしたが、若者たちにほとんど遅れることなく山頂を踏むことができた。
 Kwnさんが、本会で未経験の御小屋尾根を下りで選択する意義を言われたが、当初予定した時間から大きく遅れており、未経験の領域での時間のロスなどを考慮し、今回は南稜の踏破をもって満足することとした。集合写真を撮ってもらい、通常ルートを下る。
 下山の開始だ。阿弥陀ケ岳の登頂者の中では僕たちが最後尾となった。隊列の順番は維持し、用心して下る。岩場の経路が混じる。雪崩の危険はなく、下りきったところで中岳の手前からの行者小屋への下山路をとる。意外に傾斜の強い道をシリセードも交えながら下り、30分余りでテント群のある行者小屋に着いた。
 ひと休みののち、冷え込みはじめた行者小屋を後にし、ひたすら南沢沿いに下った。途中、大きく経路が修正されている箇所にぶつかった(昨年の台風による登山道の被害のせいだろう)。2時間足らずで美濃戸山荘に着いた。ビールを3本頼み、うどん・そばで腹ごしらえをする。さらに、「40分」といわれた凍てついた車道を、ランプをかざして、ただ歩いた。踏みしだいた雪をのせた真っ暗な車道は危なかった。暗闇で何度か転びながら、タクシーの待つ美濃戸口に着いた。
 少し遅くなったが、茅野駅で指定席をまとめてとることができた。買い求めたビールと残りのアルコールで感動話を続けるうち、あっという間に新宿に着いた。
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 本会における「阿弥陀ケ岳南稜山行」、それも会員歴の短い3名の方の力の助けがあって、ようやくにして成し遂げることができた。記念すべき最高の山行だったことを記し、仲間に対する感謝の気持ちとする。またの機会が来ることを念じたい。

  ■阿弥陀ヶ岳 南稜の行路地図

  ■南稜 プロフィール
行路の間違いで、ようやく30分遅れで旭小屋に至る。無人小屋で、17年まえから変わらないのは、杣人や猟師が利用して利用しているせいなのだろうか。
立場山への尾根に登り上がり、うっそうとした樹林の2時間余の登高が待っている。
立場山の山頂。愛想のない標識がぶら下がっていた。
立場山の先で見えた権現岳の景観。
テント場の先から見た阿弥陀ケ岳南稜の夕景。
8日の早朝にみた権現岳西北面。登頂をそそられる山容だ。
わがテント場。冬季の山行では、ダンロップV-6に6人は狭かった。
8日の早朝、テント場を出た直後、阿弥陀ケ岳南稜を目の前に、青ナギを行くわが隊。
無名峰から見た南稜。
無名峰からの権現岳(富士山も)
P1を越えるわが隊(無名峰から)。
P1から見た北アルプス、中アルプスの方面。視界は最高にいい。
P2を目前に、岩場が圧倒する。負けないように歩を進める。
振り返ると視界に入ってきた富士山(P2で)。
同じく権現岳(P2で)。
P3のガリーの手前で待機する仲間。
P3のガリーの登攀。上を登るのはNb君
ガリーを上に出たところから、下を見下ろす。下部に行くほど傾斜は急だ
ガリーの中間地点から下部を見たところ。
P3を通過した稜線上から見た赤岳。
P4の基部を渡ったあと、最後の岩稜部。
阿弥陀ケ岳山頂。
阿弥陀ケ岳を後にし、スキップして下る。
行者小屋からの眺望(赤岳と阿弥陀ケ岳)。寒かった。

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