◇実施日:2013年5月3~5日(山中2泊)
◇参加者:男性6名、女性2名(計8名)
◇行程:
3日 5.50天王台=5.53我孫子=6.17/6.31北千住=8.25/8.40東武日光・・〈タクシー〉・・9.35/10.00金精トンネル脇の登山道入り口---11.10/11.30金精峠(金精神社)---14.40/14.50金精山---16.20国境平---16.35幕営地・・・20.30就寝
4日 4.40起床・・・6.25発---6.55五色山---7.35/7.50前白根山越え(朝食)---9.00白根隠山---10.10/10.40白桧岳---13.30/13.50錫ケ岳---16.15白桧山・・・21.30就寝
5日 6.00起床・・・8.20発---9.00白根隠山---10.40/11.10前白根山---11.55/12.15外山---13.05湯元スキー場上部---14.15湯元バス停・・〈タクシー〉・・15.25/14.31東武日光=18.30/春日部・・柏・・我孫子・・19.30天王台---19.45帰宅ごろ
◇装備:共同 テント2(スタードーム6~7人用、エアライズ3人用)、マット5、コッヘル1、(チタン大)、コンロ3(MSRガソリン仕様2、ガス仕様1;燃料はガソリン2L、ガス缶1、ランタン4(ガス仕様2、LED2)、スコップ1など
個人 残雪期の一般的な衣類(下、中、上、防寒、雨具)、手袋、靴下、登山靴(雪用)アイゼン6本爪、ストック、サングラス(ゴーグル)、寝袋、マット、スパッツ、ワカン、水筒など
※ワカンは全員持つが、ピッケルは任意、アイゼンは6本爪とした。
◇食料計画:3日夕=レトルトカレー+パックご飯、4日夕=スパゲティー+半粉末ソース
※朝食も含めて、夕食以外はすべて個人食(行動食)とした。
◇経費:帰りの弁当代・ビール代も含めて約9000円。
■今回の会山行について
ゴールデンウィーク前後は、1年で最も山が輝く時期だ。本会の創設以来、この時期には大きな山を目標として、毎年、山行を計画してきた。白錫尾根-皇海山の縦走もその1つで、巻機山-白毛門間とレベル・状況が似ている、難度の高い対象だ。どちらも長年温めてきた企画だったが、巻機山-白毛門間の踏破は2008年に成し遂げた。
一方、白錫尾根-皇海山のほうは、2004年に会員による個人山行で錫ケ岳まで足跡を延ばしたものの、そこから先を断念している。以降も何度か会山行計画に上がりながら、悪天候や準備不足などで実施することなく今日に及んでいる。
自分たちの年齢からして、これ以上、計画を後年にダラダラと持ち越す猶予はなく、そろそろ今年は成功させたいと強い気持ちで臨んだ。しかし、今回も力不足を思い知らされる結果となった。金精峠の上でのメンバーの滑落が直接の原因となったが、そこには隊としての「弱点」や「未成熟さ」もあった。結局、つまずきから回復はしたが、2日目に皇海山を遠望してその距離感に圧倒されてしまい、錫ケ岳山頂の往復で先を断念したのだ。
■3~5月の白錫尾根
厳冬期の奥白根山は、本会で得意の分野としてかなりの回数登った。しかし、同じ厳冬期にそこから先となると、気象の厳しさ(低温、強風)、雪の深さ、行路の長さ、逃げ道(エスケイプルート)のなさ、アプローチの制限などの条件が重なり、一般にも登られるということを聞かない。一方、残雪期の3~5月には気候が緩み、春山登山の絶好の対象となる。次にあげたようないくつかのルートがあるが、そのうちで「白錫尾根」に取り付くのに最短の金精峠からのルートは、峠の先で登山道が雪によってほぼ消える。
その登山道は、ただでさえ険しい岩稜の多い山の中に、人跡の刻印が可能な地点を細々とつなぐ経路であり、それ以外の経路は雪があるなしにかかわらず危険だ。ゆえに、春山といえどもその登山道に沿ったルートが頼りといっても過言ではなく、雪下の登山道の確実な探索(ルートファインディング)がそれだけに重要になる。もしルートを誤った場合には、この山の本来持つ危険に直面することとなる。ところが今回、僕たちはそのルートを、うかつにも外してしまった。しかも装備も十分でなかった。
1)白錫尾根に至るルート
5月に白錫尾根に達するには、大きく4つのルートがありうる。
①金精山を越えるルート:金精トンネル脇の入山口を起始点にして、金精峠から金精山を越え、白錫尾根に出るルートだ。距離的には最も短いが、危険が潜んでいる。
②湯元から前白根山を越えるルート:湯元スキー場上から夏道を外山の鞍部まで登り、そこを右折して進み前白根山を越える、最もオーソドックスで、厳冬期の通常のルートだ。
③菅沼からのルート:菅沼キャンプ場の駐車場から登り始め、弥陀ケ池を経て、直接、奥白根山頂上に達する。冬場は山頂下の懸崖と急峻なガリーが危険で、あくまで無雪期のルートだ。弥陀ケ池の上部から左にとれば、小1時間で五色山で白錫尾根につながる。
④丸沼スキー場からのルート:ロープウェーで標高2000メートルまで昇り、そこから奥白根山を越え、五色沼避難小屋を経由して白錫尾根に登り返すルート。
通常は、①と②が候補となるだろう。しかし、今回とった①は、上にも述べたように行路の通過・探索に困難を伴い、メンバーの力量や経験を必要とした。とくに、金精峠の上部で急な雪面のトラバースがあり、さらにそこを登り上げて岩稜部を乗り越す箇所でルトがわかりにくくなる。傾斜もある。ルートファインディングでは、ともかく金精山を越えるというイメージをしっかりと意識に保持し、トラバースしながらも岩稜部に上がるまで上へ上へと進路をとることが肝心だ。さらに岩稜部を出てからは、山頂まで疎林を配した急傾斜面上に安全な登高路をつなげることになる。なお、錫ケ岳だけを目標とする人には柳沢から遡行する沢登りルートがある。
2)白錫尾根の魅力
「白錫尾根」は、「白」を名称に持つ山と錫ケ岳とをつなぐ尾根の固有名詞と理解される。1本の尾根としてたどれて「白」を持つ山は、前白根山、白根隠山、白桧岳の3つあるが、はたしてどの山が一方の起始点になるのだろうか。不勉強にして僕は知らないが、おおよそのその尾根全体を指しているのだろうと考えるなら、前白根山の隣の五色山も入れてよさそうだし、いっそのこと最低部の金精峠からの尾根全体をそう呼んでよいかもしれない。今回の登り口を金精峠としたのには、そういった意味合いもあったのだ。
金精山を除くと、そこから上の尾根は、いたってたおやかで、危険という危険はない。五色山から先では大きな奥白根山の山体が角度を変えてずっと見え続けるし、白根隠山からは左手には奥足尾の山並みが手にとるように一望できる。また日光側には、男体山を盟主とするいわゆる「家族山」が堂々と立ちはだかり、中禅寺湖が湖面を輝かせる。一見「箱庭」風だが、実際に尾根の上に立てばスケールの大きさに圧倒される。さらに白桧岳から先では尾瀬や上越の山々が視界に現れ、行く手にはひっそりと錫ケ岳がたたずむ。贅沢この上ない。それと、錫ケ岳の魅力もあげておかねばならない。遠くにあって、山頂まで針葉樹林でおおわれた幽玄さを錫ケ岳は山体と行路に豊かに残しており、山が俗化した今日、数少ない「渋い山」の1つだ。また5~6月で運がよければ、この山域特有の「凍土層」を示す現象も見られる(⇒リンク「奥日光(奥白根山)山域における『凍土』とその植生への影響について」)。
■PDF (凍土について)
■今回の山行の反省点
金精山の上りで出てきた雪面のトラバースで、Frさんの滑落というアクシデントを引きおこしてしまった。それが尾を引き、計画からの大きな時間的遅れを生じた。その負債が影響し、時間切れとでもいえる事態から、錫ケ岳の往復という矮小化した計画に変更する結果となった。反省点は多く、伏在した原因とあわせて整理する。
1)入山口を誤ったこと:山行対象として「白錫尾根-皇海山」を掲げていたこともあって、金精山を越えるルートをとったことだ。ルートファインディングを間違わなかったとしても、意外と時間のかかるルートであり、潜在的な危険があることに変わりはなかった。今回、雪山の初心者がおり、メンバーの数も多く(隊員間のバラつきや隊列の離断を生じやすい)、重い荷物を背負っており、このルートを採用すべきではなかった。むしろ湯元から外山を経由するルートのほうが確実で、より短時間で進行が図れただろう。
2)装備の選択を誤ったこと:大山行であり、踏破すべき距離と装備の荷重を考慮して、軽量化のためにピッケルの携帯は任意とし、アイゼンも6本爪とした。金精山の危険部はわずかで、一過的なものと判断した結果だ。実際には1人だけしかピッケルを携帯しなかったが、最低限ピッケルは有雪期の山行では必携だと再認識した。以前はザイルまで携行したのに比べて、お粗末だった。逆にワカンを携帯したが、一度も使うことがなかった。ちぐはぐだった。
3)メンバーの経験・力量に差があり、それが隊員間で相互に認識・共有されていなかったこと:メンバーの経験や力量が相互に把握、認識されていなかった点がある。先頭を行ったIkさんのレベルとFrさんの経験・レベルにかなりの落差があった。Ikさんに「弱い」メンバーに対する正しい認識があったなら、別の行動がとれていただろう。リーダーとして適正な情報提供と指示を事前に行い、そのあたりを適切に補正していなかったことを悔やむ。
4)総合力の不足:結局は、「余力」のなさが響いた。タイトな進行計画による山行だったため、わずかの「ほころび」さえもが体系全体の破綻を引きおこしたものと理解する。言い訳がましいが、それだけ総合力を要求する山だったということでもあろう。
■登山の進行
●3日 我孫子組の6人は、北千住から東武日光線の一番の快速に乗り込んだ。春日部でNmさん、Ikさんが乗り込んだが、下今市でようやく合流した。日光駅前には、連休は予約ができなかったはずのジャンボタクシーがいて、1台お願いする。運転手さんの話を聞きながら、切り立った金精山の方面を仰ぎ見るうちに、1時間ほどで金精トンネル手前の駐車場に着いた(タクシー代金は1人2000円、合計1万6000円とリーズナブルだった。帰りも予約する)。準備をしていると、15台ほどのバイクのツーリンググループがやって来た。
準備を終わろうとするころ、号令もなくIkさんが先頭になって登り始めた。Ikさんは過去にここを経験しているので、先頭についてはあえて口にしなかったが、登山開始まではにKwさんかNmさんに先頭をお願いしようと考えていた。しかし、登山が始まってしまったのだ。とはいえ、Ikさんのルーとどりはじょうずだった。すぐ上部にはガレ場があり、足どりが落ちた。岩石がもろく、危ない箇所だった。ヤブの中をたどる雪道を登り切ると、尾根に出た。右方向に根名草山への道を認めて、左にとり少し下ると、鞍部(金精峠)に小祠があった。日光連山を眺めながら、軽く食事をして、先を急ぐ。
最後尾から少し遅れて追い付くと、すぐ右に折れて、金精山の北面のトラバースにさしかかった。その上でうっすらと左手への踏み跡の分岐を見た。たいして考慮もせずに、先頭の進むにまかせて僕らは右へのルートを行き、ほぼ水平に、そして少し下り気味に進んだ。そこで、僕はFrさんの歩行に危険を感じて、注意を喚起しようと名を呼んだ。Frさんは雪道歩行に習熟しておらず、滑落の可能性があったからだ。その一帯は半ば堅雪の急な斜面で、もし滑った場合には、ただならぬ滑落がおきそうだとも認識した。そのときだった。トラバース道を踏み外し、雪面をFrさんが滑り落ちていった。
落ちた箇所の傾斜がまだしも比較的緩やかで、15メートル程度下で止まってくれた。別の場所や沢部であったなら、ただではすまなかった可能性は小さくない。ピッケルを持ってきていたHtさんにピッケルを出してくれるようにお願いし、Frさんの滑落場所まで僕は下った。ザックから外れた水と食料の少々が下のほうに見えたが、回収は断念し、ピッケルをFrさんに渡して、2人でトラバース道まで登り返した。Frさんの体力は余裕を残しており、精神的な動揺もなかった。結果的に何事もなく隊に復帰でき、登山が続行できたのは、これよりない幸運だった。
登山を再開後、Ikさんは岩稜部を越え、数十メートル先の小さな尾根を回り込むようにして、踏み跡のないトラバースでルートを見いだそうとしていた。「もがいている」ように僕には見え、先ほどの事故もあり、それ以上深みに入っては危険だと感じた。同時に、仮にIkさんがそこを突破できても、他の者が追随するには危険すぎると判断した。それ以上の進行を制し、すぐ引き返すように指示した。記憶にあるルートに戻すべく隊列の進行を逆にし、最後尾にいた僕が先頭になり、引き返す。岩場を越え、少し戻ったところから、上への行路をとる。10メートル余り進んだところで鋭角に急旋回し、右上の岩稜部に当てをつけ、そこ目がけてひたすらステップを切った。
この急な雪面にはところどころデブリの塊雪が見え、雪崩の名残を示していたが、堅雪で締まっていたので不安はほとんどなかった。息も切れ切れになりながら、危険地帯を10分余りで一気に抜けた。見覚えのある岩稜隊に出た。ホッとする瞬間だが、上でひと休憩入れたあとに、上部に雪面の登高が待っていた。疎林の雪面だったが、安全を期してKwさんにとNkさんにFrさんを挟むようにしてもらった。30分ほどのアルバイトののち、金精山の最高部に達した。すでに3時近くになっており、当初の予定より3時間も遅れていた。
金精山からは、小さな雪庇の張り出しの見られる尾根の縁近くに沿った樹林の中を下った。一度下り切った雪稜部を国境平に登り返すとき、すでに傾きかけた日射が8名のシルエットを真横から雪面に映した。国境平に着いたが、そこはテント場に適していなかった。念のためと思い上までテント場の偵察に行くと、無名の山頂の向こうに絶好の平坦地があった。戻って、メンバーを呼ぶ。ザックを背負いなおして、再度、この日最後の上りを進む。上にはクレバス様の深いギャップがあった。ここを越えると、テント適地があった。樹間の、緩くくぼんだ地形の底だった。すでに4時半を回っていた。雪面を踏み固めてならし、急いで2張りのテントを建てた。黄昏が近づき、気温が下がった(-2℃程度だったろうか)。
テントに入り、宴会となった。まずは乾杯だ。Frさんは、自身が「不謹慎だった」と語ったが、ビール缶を6本も持ってきていた。飲み物とツマミが出てくる。なにはともあれ、「大事に至らななくて、本当によかった」と言い合う。さすが、みんなに精神的な動揺はなかった。早めに食事をすませ、翌日の行動中の飲み水も十分量作りおきして、8時半に就寝した
●4日 4時半すぎに起床。依然として風は強かった。食事はせず、テントを撤収し、予定よりも30分近く遅れて出発する。風を切って進む。わずかに下り、登り上がると、根名草山や鬼怒沼山、ずっと背後には燧ケ岳が見えてきた。金精山はここでお別れだ。しっかりとカメラに収めた。雪庇が張り出した五色山までの雪稜がダイナミックで、そこから左にダムのアーチを描くように続く前白根山が眼前になった。
五色山には標識が建っていた。そこから大きく見えるはずだった奥白根山の山頂付近は、雲に隠れていた。前白根山の基部を西に回るようにして、ダケカンバの疎林の中のトラバースに移る。前白根山の山頂はカットしてさらにトラバース後、白錫尾根に再度立った。風をよけ、春から夏にかけて残雪性の池(池塘だったか?)ができるくぼみで朝食とした。
五色沼避難小屋への分岐を右に見て、尾根上をどんどん進む。白根隠山の手前の無名峰のプラトー部に着目したが、今回はまだ「ぬかるみ」(凍土の存在を示す風物;リンク)はまったく形成されていなかった。白根隠山からの下りで夏道から一時外れたが、すぐ尾根に合流した。その先の岩稜帯を注意して乗り越す。角度を変える奥白根山の表情を横目にしながら進むと、白雪を頂く白桧岳が近づいてきた。すでにここまでにも、その日の行動計画からの変更意見、迷いが生じていた。白根隠山から先で視界の一角を占め始めていた皇海山の方面までが、見るからにあまりに遠かったのだ。本来なら白桧岳の山頂で昨夜は幕営していたはずだが、ようやくここに至って10時を回っていたから、4時間相当の遅れである。この日の進行距離から推算すると、荷を背負っての錫ケ岳までは3時間を要するが、その先は誰にも経験がなく、目視では行路の状態も把握しかねた。
選択肢は、①計画どおりに進む、②退避路(エスケイプルート)となる三俣山から黒檜岳方面を経由して千手ケ浜へ下山、③錫ケ岳を越えてある程度進んだところで幕営し、進捗状況から進退を決める、④錫ケ岳の往復で諦める(同時に白桧岳に荷をデポする)、など何通りもありえた。到達度と時間によって幕営する場合のテント適地も、行ってみないと定かでなく、④以外はどれも確証が持てなかった。リーダー判断を示せないまま、時間がたっていく。
焦りが増すが、皇海山までの距離感、そしてその間の曲がりくねった尾根、アップダウン (その間の最低部は皇海山の手前の国境平で標高は1600メートル弱だから、錫ケ岳からだと800メートルもの下降となる)など、見た目以上に厳しいことが推測された。しかも、六林班峠から庚申山荘までおそらく残雪面の延々たるトラバースとなるだろうが、その間の歩行とルートファインディングのむずかしさも勘案しなければならなかった。
無念さはあったし、行って行けないとは僕は思わなかったが、「敵」は手ごわいといわざるをえず、結論は自ずと出た。錫ケ岳までの往復とすることに落ち着く。荷を降ろし、白桧岳の山頂の木の本にまとめて置いた。負け惜しみではなく、錫ケ岳までの雪稜はやはり素晴らしかった。贅沢にも、その行路から尾瀬や上越方面の山々がいやというほどに眺望できた。燧ケ岳、至仏山、笠ケ岳、会津駒ケ岳、巻機山~白毛門、その間にある大きな朝日岳、笠ケ岳、平ケ岳、武尊山など、挙げるのに暇がない。振り返った奥白根山が、傾きかけた陽光を受けて一段と輝いた。本来の目標からすれば、歩く距離は3分の1程度にしかならないが、同行者から「来てよかった」との声を聞いた。その心配りがうれしかった。
山頂で集合写真を撮って、Uターンの開始だ。ところどころ雪稜に底の見えないほど深いクレバスを刻む箇所があった。用心して通過し、白桧岳に戻った。テントを張り終わると、5時だった。往時には、ここで昼すぎから宴会をやったものだ。日没を前に、テントに入った。
明日を思い煩うことがなくなり、みんなの表情がいくぶんか和らいで見えた。その夜の食事は、Kwさんが1人で用意されたパスタだった。明太子、たらこ、ツナマヨの3種類のソースから各自、好みのものを選び、おいしくいただいた。10時就寝としたが、9時半に消灯となった。
●5日 樹林を少し北西に進んだ場所から、被雪した上越方面や群馬の山々を存分に展望した。今年の雪の多さと気温の低さを、おびただしい雪かぶった山々に見た。今年だったら巻機山~白毛門の縦走はどうなっていたか、と想像した。
8時20分、白桧岳のテント場を後にした。もと来た稜線を戻り、前白根山に着いた。ここから分岐して、湯元方面に下ることになる。久々に登山者と出会い、集合写真を撮ってもらった。いい天気続きであったため、その頂上には凍土の存在を示す浅い「ぬかるみ」が生じていた。しばらく山頂で過ごした後、奥白根山の一番の撮影ポイントといわれる天狗平の手前の岩場から、白錫尾根を中景に奥白根山の雄姿をカメラに収めた。そこから広い天狗平を日光方面に下る。頭を越えると、一方的な下りだ。順調に下って、外山の鞍部で下りの凍結に備えてアイゼンを装着した。
やはり急な凍結面だったし、樹間の雪面は硬く、氷結していた。アイゼンを利かしながら用心して一歩一歩を踏み降ろす。上級コースのスキー場設備のところに、早く1時に上に着いた。今は営業をやめて放置された建物、傾いた施設が痛々しかった。そこから、スキー場の雪面を下る。安心したせいか、最後のこの雪面を転がり、滑だりし、楽しみながら下る仲間の姿に笑いこけた。そして、雪のなくなったスキー場の芝生の上を白錫尾根を振り返りながら歩き、車道を駐車場まで戻った。予約したジャンボタクシーがバス停のそばで待っていてくれた。
連休なのに道は空いていて駅には早く着いたが、蕎麦屋での打ち上げをやめ弁当とビールを買い込んで飛び込んだ日光駅構内の混雑に、快速便を1本見送ることとなった。1時間後の便で全員座席を確保して、和気藹々で帰途に就いた。1日早い帰宅だった。
いろいろな要素のあった山行だったと同行のみなさんが肯定的に言う。それは目標を逸した山行だったとの意味にもうがてる。しかし、下山後の笑顔にこそ成果を見いだしたいと僕は思う。次回のチャンスがめぐってくるかどうかはわからないが、人の紐帯に破綻がなければチャンスが消えたわけではない。 |
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登山開始直後のガレ場。足場の岩石がもろく、
危険だった。下りには通過したくない地点だ。
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金精峠。小祠がある。
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金精山。この先を右に数十メートル進み、そこ
から急な雪面を樹林のある岩稜部まで登る。
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金精山にかけての最初のトラバース道。
ここから先、傾斜はさらに急になる。 |
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トラバースの中ほど。この経路は間違ってい
た。実際には、ここから左上にかけて斜めに
約50~60メートル登ると、夏道のたどる上部
岩稜に至る。
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岩稜部に出る手前の急傾斜面。強くキック
をきかせて足場を作りながら登り、一気に
抜ける。 |
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国境平を間近にした雪稜を行く。上の樹林
帯を越えたところがテント場だ。
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金精山の山頂から見た五色山の方面。
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1日目のテント場。幕営地として申し分なかっ
た。夜半の風を周囲の地形と木々がさえぎっ
てくれた。他人に気がねなく宴会ができた。
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中景となった金精山(左)とテント場となっ
た頭部(右)。背景は根名草山(右の丸い山)、
鬼怒沼山。
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2日目、五色山に続く雪稜。雪庇の規模は
奥日光の山域は小さい。
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五色山山頂(左は弥陀ケ池)
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五色山から見た奥白根山(右)と白錫尾根。
中央は白桧岳、その左隣は白根隠山。
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五色山から前白根山に続くダケカンバの
林のあるトラバース道。
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白根隠山への行路。雪解けのころ、この辺
の平坦な場所には、「ぬかるみ」がいくつも
出現する。
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白根隠山を越える。最奥が錫ケ岳、中間
が白桧岳。
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白錫ケ岳上から見た日光方面の山々と中禅寺湖。
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斜め裏から見た奥白根山。Nkさんが「裏側
はどこか間が抜けている。やはり奥白根山
は真正面がいい」と。
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白根隠山と白桧岳の間にある、ちょっと
した岩稜部。
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白桧岳を間近にする。奥は錫ケ岳。
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白桧岳からの下り。錫ケ岳を目ざす。
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真裏(菅沼から)から見る奥白根山。左奥
に見えるのは燧ケ岳、その左は平ケ岳。
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錫ケ岳に続く雪稜。奥深い森林地帯を行く。
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途中で見えた彩雲。太陽の周りに虹状に、二重の笠を作っていた。
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錫ケ岳への途中からみた皇海山。
はるかに遠い!
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振り返り見た奥白根山と白桧岳。
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錫ケ岳山頂で |
山頂からの視界はほとんどないが、一部、皇海山側の樹林が切り払われており、
そこから先の尾根のアップダウンや曲折がつぶさに望見できた。それらを勘定に
入れると、横目で見てきた距離(直線距離)よりもはるかに遠い。山頂には、
雪のブロックにクレバス様の割れ目があり、まともに落ち込むと危険だった。
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錫ケ岳からの往路で見た奥白根山の方面。
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白桧岳山頂の幕営地。
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白根隠山の西面。
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白根隠山山頂付近の平坦な尾根。雪解けの時期には、
山頂が広くて平坦な場所に「ぬかるみ」ができる(別記「凍土」参照)。
前の山行では、この山頂と、その向こうの無名峰がその観察地点だった。
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無名峰。
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白錫尾根を前衛に奥白根山を望む。
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奥白根山はいろいろの表情をみせてくれる!
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前白根山の山頂で。
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外山の鞍部から下降路に入った。
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スキー場の上まで下る。
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スキー場の草場を下る。
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下山を終わり、ジャンボタクシーに乗り
込む。みなさん、お疲れさま!
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