甲武信ケ岳山頂から来し方を遠望する(後景は南アルプス)/金峰山山頂で 写真の上にカーソルと置くと別の写真が出ます。 |
奥秩父にある百名山、金峰山(2599メートル)と甲武信ヶ岳(2475メートル)を巡った。3日間、天候、山に恵まれ、参加者に恵まれ、苦しみを分かち合い、記憶に残る、最高の山行となった。 塩山駅よりバスで大弛(おおだるみ)峠(標高2365メートル)まで上るという安直なルートを取り、そこから金峰山をピストンし、2日目に甲武信ヶ岳を目指した。3日目の下りは、TVで放映され、「素晴らしい」という千曲川源流を通るルートを選んだ。2日目、市販の地図による行程計画では6時間20分だったが、途中に奥秩父の最高峰で「不憫な山」と言われている北奥千丈岳の往復を入れたとは言え、結果は+4時間の行程となった。 |
長野県川上村が発行している観光地図。今回の甲武信ケ岳からの下りの、毛木平までの行路は、薄い登山道(左から2本目の沢沿いの道)として描かれている。 |
〇実施日:2014年11月22日(土)~24日(月・祝) 〇参加者:女性1人、男性5人 〇行程:
我孫子~塩山(JR):2,590円/人、塩山~大弛峠(バス):1,800円/人、テント代:3,000円+3,500円、梓山~信濃川上駅(ジャンボタ クシー):10,000円、信濃川上駅~我孫子:6,590円/人(含 特急自由席)、食費:6,000円 〇装備: ・共同装備:テント一式、共同マット、コッヘル、コンロ・燃料、まな板、ガス付きランタン他 ・個人装備:雨具(上下)、寝袋、個人用マット、ヘッドランプ、スパッツ、サブザック、他諸々 ・食事:22日夕食:焼き肉、23日夕食:カレー、その他は各自 |
プロローグ: この山行が、誰の推薦だったのか、また何故、経験の浅い私がリーダーになったのか、今もって分からない。でも、昨年の和名倉山が良かったし、それに続いて、奥秩父の世界へ足を踏み入れることとなったことは、有難かったと言うべきなのだろう。 昨年、廻目平へキャンプに行った。ある人からは、金峰・甲武信なら、廻目平から日帰りを2回やるのだろう、と言われた。そのように単純に思っていたら、別の人からは縦走だよと言われ、それで昭文社の地図の解説を読んで、地図を見ながら計画することにした。 そこには、バスで標高2365mの大弛峠まで上るという安直なルートが示されていた。これだ!と思い飛びついた。後は、会で初めてという甲武信へのこの道の選択しかない。 帰路は、南へ下る徳ちゃん新道を考えて計画を作ったが、TVで見た北に下りる千曲川源流遊歩道が良い、との情報を得て、これも飛びついてすぐに変更した。 塩山から大弛峠までは、バスの待ち時間が勿体ないと思い、タクシーの計画にしていたが、今一度、時刻表を見たら、丁度良い時間があったので、20日に予約した。 あとは、天気である。20日の木曜日、山名で検索できる天気情報を見ると、土日は曇り時々晴れ、月は曇り、降水確率は20%で、乗る車両の確認も含め、実施の旨を参加者にお知らせした。登山届も、Eメールで提出した。これで準備万端、共同の食料を買って、荷物を詰めて、後は行くだけ、と思っていたのだが・・・。 |
|
22日: 我孫子4時43分発に乗り、新宿まで行ったが、乗り換え時間が4分しかないというのに、ホームが見つからない。駅員に聞いても、そんな電車は無いと言う。困った困った。というところで、一番端のホームを見つけてくれた。コンコースには電車の発車時間の掲示板も無かったのだが、ホームに駆け上がると、そこに電車がいたのだ。乗り込むと、直ぐに発車した。これが狂うと、塩山からのバスに間に合わない。本当にホッとした。 電車の中で、ガスコンロのヘッドは? と言われ、借りてくるのを失念していたことに気づいた。ガソリンコンロがあるから何とかなるだろう、という皆さんの優しいお言葉、それに昔の甲武信への山行で、同じようにヘッドを忘れた人もいるしね、と言うお言葉に助けられた。 塩山には、武田信玄公がお出迎えである。塩山から20人定員のバスは一杯、柳平(ここから先は11人以下の車両でないと行けない)で2台のマイクロバスに乗り換え、大弛峠へ向かった。バスで横に座った方から、大地震後3~4年で、大きな噴火がある、特に焼岳、浅間山が危ないと聞く。来年は孫と富士山に登ろうかと思うと言ったら、宝永火山も大地震後3年半くらいだったので、危ない期間に入っている、止めた方が良いよ、といったサジェスチョンを受けた。 マイクロバスでは、助手席に座ることになった。この大弛峠への道は、40年前に黒松の植林事業をやった時のトロッコ道だったとか。柳平には分校と馬のための牧場が4軒あったが、今は分校は廃校となり、農家とロッジの2軒だという。道々に沿って植林された松は細い。国に借金した事業であるが、外国の木に押され、従事者の高齢化もあり、赤字のまま駄目になったようだ。そこに道だけが残った。杉の植林にも、同じようなことが言えるのでは・・・。 そのような話をしている内に9時55分、標高2365mの大弛峠に到着。日本最高地点にある峠の駐車場である。 直ぐに大弛小屋のところでテントを張り出発としたかったが、そこでまた問題が・・・。ポールが2本足りない、そして1枚マットを忘れているという不始末。こりゃ帰るしかない、といった軽口とともに、ストックを使ったり、他に誰かが持っていたシートを使ったりで、何とか組み上がり、格好がついた。でも、強風にさらされたら、ひとたまりもなかっただろう。 11時出発、金峰山往復はサブザックで行く。朝日岳からの眺望は良い。丁度、マイクロバスの運転手さん2名が登っておられた。午後2時半の帰りのバスに間に合えば良いということで、良く登っておられるようだ。話を交わし、お礼を言って別れる。 金峰山到着13時半、最高の天気に恵まれ、富士山、南アルプス、八ケ岳、北アルプスなどの眺望、そして異様な五丈石を楽しむ。そこに「揺れてる!」「本当?」「確かに揺れてる!」という声。皆の結論、本当に揺れていた! (#夜10時に地震があったとか) 休憩を別にすると、行き帰りの行程は予定通りだった。空身に近いと本当に違うのだ。 テント場に戻り、途中で話し合ったとおり、24日の毛木平から信濃川上駅へのタクシーを手配した。6人ということで、運よくジャンボタクシーを用意してくれることになった。約束の時間は、当初計画+1時間の11時とした。 水を調達し、そこでウィスキーのためにゴロッと固まった氷を入手し、夕食の準備に入る。今度はMSRのガソリンヘッドが詰まっているというトラブルに見まわれ、火が点かない。掃除には時間が掛かる。念のために持って行った予備のヘッドが役に立ったのだ。 夕食は、ビールで乾杯、そして日本酒、ウィスキーへ。ホウレンソウを湯がき、継子にされ可哀そうな温泉玉子、焼き肉+野菜炒めを食す。満腹で、快い疲れが、眠気を誘った。 |
塩山駅で武田信玄公がお出迎え | 塩山駅から大弛峠への乗り換え地点の柳平 |
塩山駅から大弛峠への道路から見る景色 | 大弛小屋入口にある標識 |
大弛小屋にある秩父多摩甲斐国立公園案内図 | 朝日岳手前からの富士山 |
朝日岳山頂 | 朝日岳から金峰山・五丈石(ごじょういわ)を望む |
金峰山山頂にて | 金峰山山頂から見る五丈石 |
23日: 大弛小屋を6時35分に出発。とっぱな、皇太子さまが登山される際に整備された標高差200mの木道は、登りごたえがあった。前国師を過ぎ、事前打合せ時の発案通り、北奥千丈岳往復を入れた。山頂では、突然、ウサイン・ボルト・マツが現れた。格好は良かったのか? この山は奥秩父の最高峰であり眺めは最高だが、訪れる人は少ないようで、「不憫な山」と言われているとか。 メインルートに戻り、国師ケ岳へ。これまた素晴らしい景色が待っていてくれた。 国師ケ岳から国師ノタルまで、倒木が多く、和名倉山で見たのと同じような苔むした道を進む。まあ長い長いアップダウンの道のりで、「国師のタル」の標識が無かったのかと、錯覚するくらいであった。また登ったり下ったりを繰り返し、東梓、両門ノ頭、富士見、水師(みずし)を通過すると、奥秩父主脈縦走路分岐に出る。ダケカンバが綺麗で、季節が良ければ綺麗な花を咲かすだろうな、と思わす大きなシャクナゲが群生していた。 分岐を少し過ぎると、幅広いガレ状の尾根筋を急登する。途中ヘッドランプを用意し、甲武信ケ岳の頂上に立ったのは17時、日はとっぷり暮れてしまった。仲間が握手の手を差し出してくれた。ウルッときそうになったが、堪えることができた。頂上の楽しみは翌日に残し、甲武信小屋着は17時半になっていた。 連休ということで、テント泊が多く、張る場所がない。22日バスの中で甲武信小屋は30張と張る場所が少ないので、下手すると小屋泊まりになるかも、と言われていたが、それが本当になりそうだった。親切にも小屋の方(小屋の主人の徳ちゃんご自身)に張るところを探してもらって、土地が少し斜めになっているが広い場所を提供してくれた。 ヘッドランプを点けてのテント設営、そこで今度はポールが折れるというトラブルに巻き込まれた。2本少ない上に、もう一本使えなければ設営は難しいだろう。しかし凄いものだ。金属製のペグを添木代わりにし、その上にテープを巻き、更に細引きを巻いて使えるようにしたのは、流石としか言いようがなかった。勉強になった。 先ずはビールで乾杯。皆の頑張りを讃えあった。イカ飯を食し、オツマミでお腹が膨れてきた。残りの菅にされた温泉玉子も優しく完食となり、最後にカレーを食べると、満腹となった。本日の歩きの状況を見ると、翌日に予約した11時のタクシーに間に合わせるのは難しいだろうと、電話を試みようとしたが、携帯電話は電池切れとか、電波が届かないので駄目。小屋は20時過ぎでオネンネの時間で駄目。仕方なく、翌日少しでも早く発ち、途中で間に合わないようなら、電話するか、斥候が先を急ぐことにした。 その後、チビチビと焼酎、ウィスキーをやり、就寝は22時となった。 |
大弛小屋 準備中で営業はしていなかった | 大弛小屋からの標高差200mの整備された木道を登る |
木道を過ぎると南アルプスの絶景が望める | 前国師岳山頂 |
前国師岳からの眺望 | 奥秩父最高峰の北奥千丈岳山頂にて |
北奥千丈岳からの眺望 | 北奥千丈岳山頂で突然、ウサイン・ボルト・マツが現れた ⇒カーソルの先は・・・倉岡さん |
国師ケ岳山頂にて | 苔で覆われた樹林は目に優しい |
あまりに遠かった国師ノタル | 石楠花 咲いていれば綺麗だろう |
やっと主稜線が見えたが、まだまだ遠い! 両門ノ頭から | 黄昏が訪れかけた 富士山がはるか向こうに顔を出し、慰む 富士見で |
甲武信ケ岳山頂 19時になっていた | テントの折れたポールを補修する ⇒カーソル* *折れたポールにL字型ペグを当て、上をテープ(今回はテーピング用のテープ)で巻き、さらにその上をテント用の細引きロープで巻いて補強した。十分な強度が得られた。 |
24日: 甲武信小屋を6時20分出発。頂上へ登り返す途中で日が明けた。これまた茜色に染まった山々が美しかった。6時45分、甲武信ケ岳山頂に着く。風が強いが、清々しい。遠く、金峰山・五丈石が見えたが、よくあそこから歩いてきたものだと、感激ひとしおだった。 ガレ場の急坂を下り、分岐で衣服の調整をし、いよいよ千曲川源流遊歩道を下る。千曲川・信濃川水源地標までは急坂である。そこで一服、美味しい源流の水を楽しみ、苔むした坂道を下る。川は、いろいろな形をした氷のオブジェが一杯で飽きない。 ナメ滝は、名前のように大きな岩をなめるように水が流れている。気持ちの良い空間となっていた。そこを過ぎたところで、一人、岩の割れ目に靴を入れて抜けなくなった。これもアクシデントの一つだろう。靴を脱いで靴を外し、事なきを得た。その先、丸太橋を渡る際、二人が滑って転んでしまった。後で、二本の丸太に横木が渡していないところは、丸太の間に斜めに靴底の縁を入れるか、節を探してそれを踏めば滑り防止になる、そういうことをしないと滑る危険性があると教えられた。初歩的なことかもしれないが、これも勉強になった。 毛木平に先発隊は10時55分、後発隊は11時05分に着いた。既にタクシーは待っていてくれた。そして皆で、この山行を讃えあい、歓びの記念写真をパチリ。運転手さんからいろいろな話を聞かせてもらった。川上村梓山地区は、夏場、全国のレタスの70%を出荷するという。標高は1200mと高く、昼夜の寒暖差が大きく、美味しいレタスが育つとのこと。その時期は、700人の外人がサポートに入る。朝1時か2時から刈り取り、5時には出荷という重労働の毎日が続くと聞いた。5月下旬から6月、紅花一薬草(ベニバナイチヤクソウ)が咲き誇るという。これは見もののようだ。石楠花(シャクナゲ)は十文字峠への道が素晴らしいとか。 そうこうしている内に、信濃川上駅着。都合の良い便があり、予定より1時間半早く我孫子に帰れた。車中で乾杯、我孫子駅北口の蕎麦屋で乾杯。この流れは当然だろう。 |
エピローグ: 帰って参加者から頂いたメールを紹介する。 「同行する仲間の大切さをしみじみと感じました。多少、予定時刻から遅れはしましたが、むしろ山行の仲間の“質”を確認する機会となったと思っています。今回ほどトラブルのあった山行は経験したことがないほど、たくさんありましたが、それもまたよしと思っています。ただ、今後の反省の材料として、山行の前にはさらに装備品を厳重にチェックする必要がありそうに思います。」 これが全てを物語っているように思えた。山よ有難う、皆さん有難う。またまた、多謝そして多謝。 [20141125 F・S記] |