和名倉山(別名白石山)2,036m
○実施日:2013年11月30日(土)~12月1日(日)
○参加者:女性2名(M,S)、男性5名(H,O,K,T,F)
○行 程:
11月30日
天王台4:39―我孫子4:42―5:13日暮里5:16-5:25神田5:32-6:29立川6:43―8:14塩山―(タクシー)―9:15三ノ瀬登山口9:30~11:30将監(しょうげん)小屋12:00~将監峠~東仙波(2003.1m)14:55~16:30八百平
12月1日
起床/4:30 八百平6:35~7:15二瀬分岐~7:35和名倉山7:45~8:00二瀬分岐8:05~造林小屋跡(水場あり)10:25~登尾沢ノ頭11:40~14:35秩父湖バス停15:05―西武秩父16:28―19:10我孫子
○費 用:JR・我孫子~塩山2,520円、バス・秩父湖~西武秩父720円、西武+JR・西武秩父~我孫子1,370円
タクシー・塩山~三ノ瀬登山口:20,500円(2台分)、食材など:9,300円 計4,300円/人
○装 備:
共同装備:テント一式、共同マット、コッヘル、コンロ・燃料、まな板、ランタン他
個人装備:雨具(上下)、防寒着パーカー等(羽毛着)、寝袋、個人用マット、ヘッドランプ、スパッツ、軽アイゼン、他諸々
#テント場には水がないので、将監小屋から各自、1.5リットルの水を持ち上げ
ルート図(クリックすると地図が出ます)
GPSのウェイポイント(クリックするとGPSのウェイポントが出ます)
天気は雲一つなく最高、道迷いも心配するほどではなく、でもGPSがあるという安心感もあったからかもしれない。和名倉山から下りて最後、秩父湖の吊り橋を渡ってこれで終わりと思ったら、ハプニングがあったのだが・・・
[プロローグ]
まず行程のこと。三ノ瀬登山口から登り、将監小屋にテントを張って往復するのが普通だったのかもしれない。でも、会として、秩父湖へ抜ける道は歩いていないということで、その道を選んだ。和名倉山から秩父湖へ抜ける道は、地図では点線で示されているし、道迷いが多いとの情報も得ていた。それでインターネットで山行情報を得、GPSも持って、そして地図を見てシミュレーションしてもらった妄想登山の情報も得ての山行となった。
[11月30日]
塩山から2台のタクシーで、三ノ瀬登山口まで。
ゆっくりの歩調で、緩やかな林道を、後ろに富士山を見ながら、将監小屋まで歩く。途中、将監峠と将監小屋に行く分岐があるが、小屋で水を汲むため、右の道を進む。小屋はトイレの新築と建屋の改築がされていた。ここで昼食をとり、雲ひとつない景色を楽しむ。水は滔々と流れていた。
ここから登りが少し急になる。将監峠、山ノ神土を通り、分岐は標識と地図、GPSで確認しながら西仙波、東仙波と進む。東仙波山頂から左に直角に進むが、ここからは下りになる。3日前の雨が雪に変わったとの将監小屋の事前情報、その雪が日陰で凍っていたので慎重に歩く。
前方の吹上ノ頭への尾根歩きは快適で、雲一つない青空の中、右手には雲取山が、左手には甲武信ヶ岳などの山々が、そして南アルプス方面や富士山までも見渡せた。
吹上ノ頭を越え、幕営をどこにするかを探りながら、やはり八百平と思われる、木々が疎らな平なところで幕営することとなった。テントはモンベル6人用とエアライズ3人用の2張り用意したが、モンベル6人用で、ザックを外に出しても、7人での食事は結構厳しいものがあった。
夕食は、焼き肉、サラダ、カレーとした。
夜9時まで呑んで外へ出ると、上弦の月と、大きな粒の星、特にオリオン座が光っていた。本日は雪があった。翌日は北斜面になるので、雪がもっと多いのではないか、そうすると道迷いの確率も高くなるのではないか、もっと遅れるのではないか、といった心配が頭をもたげていた。
[12月1日]
朝4時にトイレで外に出たら、これまた大きな粒の星、特に北斗七星が光っていた。テントから少し離れたところで用を足し、戻ろうと思ったら、ヘッドランプではテントが探せなかった。それで「おーい」とか「起きている人がいたら電気を着けてください」とか言ったのだが、何の反応もして貰えなかった。その内、起床の4時半になり、女性が寝ておられるエアライズのテントに火が灯り、事なきをえることとなった。寒さがきつくなかったことは幸いしたが、ちょっとしたことで、問題が起こるのだということを実感した。
お湯を沸かし、各自朝食をとり、6時35分出発。朝焼けが綺麗で、今日も雲一つない最高の天気だった。
川又分岐を越え、二瀬分岐に荷物を置いて、和名倉山頂上へ。道々での後ろに見る富士山は最高! ただ、頂上は、日光の黒檜岳のように四方樹林の中。三角点の上にあるカリントウ(何の糞なのだろうか?)とともに皆で記念撮影し、二瀬分岐に戻った。
少し行くと北ノタルの辺りだろうか、屋久島のもののけ姫の森で有名な白谷雲水峡のような、勝るとも劣らないような、苔むした素晴らしい世界が広がる。心配した雪は殆どなかった。本格的な冬の雪ではなく、南斜面への雨が雪に変わっただけで、北面には雪が降らなかったのだろうか。この時期、雑木林も木々の葉はみな落ち、その朝日にあたる様相も素晴らしいし、そこから見える山々も素晴らしかった。
1600m辺り、左の緩い尾根を外れて、気持沢っぽく下がるルートを行く。天気が悪く、ササが繁っていると、方向を間違いやすい場所なのかもしれない。さらに急斜面を下る。
造林小屋跡には小屋の面影もないが、昔、木を切り出したのだろうか、トロッコのレール、引っ張り上げるクレーンやワイヤが残っていた。木が生育したからか、木の上にワイヤが引っ掛かっている光景は、何か不思議な感じだった。
1350m辺りを、北東への尾根へトラバースして回り込み、尾根に合流したところで、向こうの山の中腹に、標高1000mにある三峰神社が見えてきた。
登尾沢ノ頭、電波反射板跡地に到着。ここから尾根を標高差850m近くを一気に下りる。結構、膝に来る。やっと、眼下に湖が見え、ここで少しホッとする。
降りきり、秩父湖に架かる吊橋を渡る。渡りきったところに、「橋は一度に5人まで」と書かれた看板があった。そして虎ロープで幾条か封鎖されているような、そして花が飾ってあった。その虎ロープの間をくぐり抜け、少し行くと、道が土砂崩れで通れないようになっており、修復作業をしている人が居た。結局、その崩落したところをよじ登った。そこからは、道路を歩き、ダムの上を歩き、秩父湖バス停で15時5分のバスを待つこととなった。停留所横の酒屋は、用事のある方はインターホンをと書かれていたが、何の反応もなかった。ここで、美味しい泡を口にしたかったのだが…
でもでも、本当、皆、無事で何よりで、最高の山行だったと言える。
[エピローグ]
二日間、奥秩父を堪能した。それにしても、登りの富士山や南アルプスなどの景観、夜は上弦の月、オリオン座や北斗七星などの澄みきった夜空、そして下りでは、屋久島のもののけ姫の舞台で有名な白谷雲水峡のような、苔むした世界、そして長々と続く日差しにきらめく雑木林、どれをとっても素晴らしいものであった。
GPSの効果は絶大だったし、妄想登山、インターネット情報も大いに役立った。
秩父湖のところの土砂崩れについては、秩父警察署に問合わせたが、秩父警察署はその状況を掴んでいなかった。ということは、秩父湖からの和名倉山ルートはそんなに歩いていないとはいえ、歩いた人はどうしようもない問題に晒されることになる。如何し難いことなのだろうか?
帰ってからのメールのやり取りで、木暮理太郎さんの話や本の紹介を受けた。奥秩父の素晴らしさが綺麗な文章で書かれている。このように、行く前から、そして帰ってから、色々なメールのやり取りがあったが、このような山行は初めてであった。それほど、注目していただいた山行だったのだろう。皆さんに感謝、感謝、感謝である。
最後に、N氏が寄せてくれた、ネルソン・マンデラ師語録とそのパロディを掲載して終わりにしたい。
「生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。」 ネルソン・マンデラ師
「山に登ることでもっとも偉大な栄光は、決してばてないことにあるのではない。
ばてるたびに起き上がり、登り続けることにある。」 誠のパロディ
[番外編] (各々、クリックすると内容が表示されます)
和名倉山山行の前後、いろいろと示唆に富んだ話がメールでやりとりされた。参考になると思い、番外編として掲載させていただきます。
1.道迷い対策(N氏の妄想登山)
1-1.道迷い対策としてのGPS(T氏)
2.衣類について考えられる材料(T氏)
3.ストックの使い方(T氏)
4.軽アイゼンの必要性(T氏)
5.吊り橋の先の崩落による道が通行できずの情報(山行後の秩父警察署情報)
5-1.吊り橋の先の崩落による道が通行できずの情報(T氏)
6.木暮理太郎の『山の憶ひ出』(N氏)
6-1.木暮理太郎の『山の憶ひ出』(T氏)
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12月22日の夕刻時の河原でのとした豪快な景観がある三ノ瀬登山口より出発
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22日の甲斐駒ケ岳の方面の日没前
将監小屋を出発
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道々での富士山は最高
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凍った雪の斜面を下りる
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夕日に映える吹上の頭辺り
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川又分岐辺り
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和名倉山頂近くからの富士山
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北ノタル辺りの苔むした樹林
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造林小屋への雑木林を下る
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造林小屋辺りの廃材
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吊り橋にて
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土砂崩れしたところを登る
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