6月の山行

焼石岳(1547.7m) + 御嶽・黒森古道を行く




残雪多い焼石岳を登る / 黒森神社での祝詞に頭を垂れる
(カーソルを置くと写真が入れ替わります)



≪会山行報告≫
焼石岳(1547.7)+御嶽・黒森古道を行く

 当初の予定は栗駒・焼石山行でしたが、そこに後三年の役などで有名な、秋田県横手の北にある金沢(かねざわ)に住む友が金沢諏訪堂の会員とともに御嶽・黒森への古道を再開通させたということで、本山行に合わせて、6月14日に頂上で、古道開通記念祝賀会を開催するという話をいただき、その話に乗ることにし、今回は栗駒山をやめ、日程も含め計画を変更しました。

 焼石岳は、突発事故のため銀明水避難小屋までとなりましたが、雪もたっぷり残っており、途中の沼に咲く水芭蕉、黄色のリュウキンカ、タムシバなどの花々は、私どもを楽しませてくれました。

 古道ついては、金沢諏訪堂の会の方々から大歓待を受け、開通された古道のいわれ、苦労、そこに住む動植物の話などを聞きながら、充実した山歩きとなりました。黒森山山頂には、六郷山岳会の方々、仙台から駆けつけられた方も含め、30人ほどが集まりました
(▼参考:黒森通信)。祝賀会として、金沢諏訪堂の会の代表KAさんが祝詞をあげ、その後お神酒をいただき、豪勢な果物付のお弁当を食し、少し靄は掛かっていましたが、栗駒や奥羽山脈など、素晴らしい景色を堪能しました。下りは同じ道、山菜採りに花が咲きました。

○実施日:2015年6月12日(金)~15日(月) 
○参加者:6名(女性3名、男性3名)
○行程(車利用・小屋とバンガロー泊):
 12日 我孫子5:00―(常磐・東北道・水沢IC)-(昼食)-13:00中沼登山口(標高720)13:30~(中沼コース)~16:20銀明水避難小屋泊
 13日 起床5:00~銀明水避難小屋7:05~9:25中沼登山口10:00―(岩手県立胆沢病院経由)―15:20あったか山(美郷町六郷)バンガロー泊 ワクアスで前夜祭
 14日 起床6:00―あったか山7:15―黒森山登山口(標高174)8:00~11:55黒森山(標高766、頂上で祝賀会)13:30~16:30登山口―17:00あったか山バンガロー泊 
 15日 起床5:30―あったか山8:15―金沢周辺の旧所名跡+角館探訪13:05―(大曲IC・秋田・東北・常磐道)―20:10我孫子
○グレード: 焼石岳C(行程が長いためC、実際は登頂できず)、黒森山B(計画ではA)
○費用: 総計120,000円 (20,000円/人)
交通費:64,000円、宿泊費:13,000円、食費:27,000円、土産等:16,000円
○集中連絡先:NAさん

[プロローグ]
 私にリーダーが当たっていた鳥海山は行った事があり、代わってもらった、それが栗駒・焼石だったのです。山行計画を作る際に見た地図では、焼石岳の直ぐ北西に横手があるので、友に古道を歩けるかとメールしたところ、金沢諏訪堂の会の総会で6月14日に開通の祝賀会をやることが決まったので是非!という返事、こんな機会はめったにないということで、その話に乗ることにしました。

 仲間から、古道をどう通したかをプロットした地図や、黒森山は東北で40もある、その言われは何かなどの情報をいただきました。

今回は、祝賀会があることから雨天決行、梅雨の中、初日60%の降水確率の中、出発することになりました。

[6月12日]
 朝5時に雨模様の中で我孫子を出発、焼石岳中沼登山口まで600km、途中「すいとん」の店で昼食をとり、中沼登山口に着いたのが13時。そこから銀明水避難小屋へ向かいました。中沼、上沼と進むにつれ、この標高、この時期にしては多くの残雪と、水芭蕉をはじめとした花々が素晴らしく、多くの写真を撮ってもらいました。
 思っているより時間が掛かり、下りてきた人に聞いたら、銀明水から5分で下りてきたというので、後10分くらいかと思ったのですが、歩けど歩けど着かないのです。斥候で見に行ってくれたTKさんが空身で戻ってこられ、「銀明水があったよ、もう少し」と言われた途端、木道で滑ってしまわれたのです。カメラの上に乗って、かなりの打撲だったようです。何とか小屋に着き、当初は買いたてのテントをと言っていたのですが、雨模様だったこともあって、その場では誰もそのことは口にせず、小屋に入ったのでした。

 TKさんの痛みが引かないようで、まずは今晩中に関係のところに声を掛けておいてはということになったのです。小屋を同じくしたお二人が地元の方のようだったので、意見を求めたら、まずは冷やせと言われ、雪をビニール袋に入れるとともに、山岳救助隊の方に連絡を取ってくださったのです。このお二人は、岩手県山岳連盟のメンバーだったのです。本当に親切に対応していただき、ヘリの事も含め、責任を持って下ろす、とまで言っていただきました。一緒に話をし、食べ飲む中で、お世話になっている早池峰山岳会の方の話も出ました。このような出会いはたまたまなのか、必然なのか、いずれにしても、この山行に彩を添えていただきました。

 お二人に、金名水と銀明水と、どちらが美味しいのですか、という質問をしたら、銀名水という答えが返ってきました。それを「焼石に水と言うのかなぁ」と言ったような・・・
 それにしても、アルコホルを飲まない神妙なTKさんは、やっぱり普通じゃなかったのでしょう。
 夜中は凄い雨、小屋の中は暑いくらい。そしてTKさんの容態はどうなるのか、ケセラセラで翌朝を迎えることになりました。

焼石岳 中沼登山口 いざ出発!

ガスの中を歩む 中沼の水芭蕉にカメラ休憩

ガスの中を歩む 勾配が増してくる

 
ガスの中を歩む 勾配が増してくる

勾配が増す雪渓を登る

やっと銀明水に到着

銀明水避難小屋は広くて美しい

夕食は焼き肉とラタトューユ


[6月13日]
 晴れ。焼石岳登頂は諦め、TKさんは自力で下りられると言われるので、岩手県山岳連盟のお二人のフォローを受けながら下山しました。
 登山口でお二人と別れ、車で水沢に戻り、岩手県立胆沢病院に行き、休日なので救急対応で見てもらうこととなりました。レントゲンの結果、骨に異常はないということで、その足で、宿泊地のあったか山に向かいました。面白い作りのバンガロー泊。

 温泉につかり、ゆったりして、新しくできたワクアスという会場で、来賓6名、金沢諏訪堂の会15名、秋田民謡6名、我孫子山の会6名の総勢33名で前夜祭が開催されたのです。
 金沢諏訪堂の会副会長ODさんの挨拶、我孫子山の会からTKさんの祝辞、FSの発表+HSさんのエール(KHさん作製の熊のかぶり物付)、KAさんの発表、祝宴(秋田民謡「秋田おばこ」、「角館お山囃子」などと余興)と進んでいきました。KAさんの発表では、我孫子山の会のモットーである「山半分、人半分」に対する、新しい見解も披露してもらいました。「仙」という字がそれを物語っているというのです。そして余興、相撲甚句、HSさんのサラリーマン哀歌など、素晴らしいものでした。FSがやった黒田節の詩吟「名槍日本号」が翌日の、黒森山山頂での祝賀会のハプニングに繋がるとは・・・

晴れあがった朝 いざ出発!

小屋から 焼石岳頂上はまだずっと先

下りの雪渓から見る景色

上沼の上方から見る景色


上沼の緑は身体が同化する

岩手県立胆沢病院

「あったか山保養館」の温泉は最高

変わった形のバンガロー 住めば都

前夜祭での発表「いつか黒森の中」

前夜祭での発表「山と共に生きる」

前夜祭での秋田民謡 歌、踊り、三味線、尺八など

前夜祭のために作られた頭にかぶる熊さん(KHさん作)

前夜祭のために作られた頭にかぶる猿さん
(KHさん作)

熊さんをかぶっての金沢諏訪堂の会へのエール


[6月14日]
 晴れ。7時半集合、朝礼をやり、軽トラックの荷台に乗り、8時出発。荒れた古道、仙北平野眺望、武衡沼、家衡沼、クマの寝床、鏡沼、中岳眺望、黒森神社、ブナ原生林(樹齢100~200年、450余町歩)、庭漆(ヤシの木)、東洋菩提樹(マンダの木)、クロサンショウウオやモリアオガエルの卵などなど。道は、4月に急坂にロープを付けるなど、再整備して迎えていただいたと聞いて、本当に歓待を受けたことを実感しました。

 黒森山山頂での祝賀会では、六郷登山協会の方と合流し、金沢諏訪堂の会の代表で我が友KAさんが祝詞をあげました。そして突如の指名で、前夜に作ったという初めて見るKA作の漢詩を吟じよと言うのです。お目出度い席でもあり、思いきって吟じさせていただきました。
黒森山行                   熊谷 章 作

涼風初夏立山嶺 涼風初夏、山嶺に立つ
天下悠然翠嶂連 天下悠然、翠嶂連なる
杜鵑啼過千古秘 杜鵑啼いて過ぐ、千古の秘
住山残夢似登仙 住山の残夢は、登仙に似たり

平成二十七年六月十四日

 下りは同じ道、フキ、ミズ、曲がり竹などなど、山菜採りに花が咲き、そして山椒の木まで採ってもらい、庭に植えるべく、持ちかえりました。夕礼を終え、あったか山に戻り、山菜を分けあい、濡れた新聞紙で包むと、ダンボール箱一杯になっていました。

 夜は、まとめの宴、15名で、ミズタタキ、ミズ貝焼(鯨肉入り)、カツオ刺身)、ミズ漬、イブリガッコ、茄子菊漬、じゅんさい(生産量日本一)、曲がり竹と鯛のお吸い物、白米、角館・福進堂の「金柑まんじゅう」などなど、郷土色豊かな大歓迎の宴を催していただきました。そして話に加え、カラオケ、ハーモニカ、手品などで夜が更けていきました。

古道へ いざ出発!

あの山は黒森山か?

第二の唐櫃石(からといし)
* 後三年合戦で滅亡した清原一族の財宝がこの唐櫃石に埋蔵されているという伝説がある

東洋菩提樹(マンダの木)

険しい登りにはロープが用意されていた

黒森山頂の黒森神社でKA氏による祝詞の奏上

FSによる詩吟の奉納

神妙にお参りする参加者

黒森神社の前で

感謝の心を込めて鐘を鳴らす

採った山菜の種類は多く、量も多い

手の込んだ郷土料理 ミズのタタキ

唐櫃(からと)は中国か伝わったら物を入れる長持。この石の形状がそれに似ているから名付けられた。後三年合戦で滅亡した清原一族の財宝がこの唐櫃石に埋蔵されているという伝説がある。また、世の中に惨事がおきるとこの石が泣くような音を出すと言われている。別の場所に(北沢林道)に、第一の唐櫃石がある。

[6月15日]
晴れ。金沢の旧所名跡探訪:金沢八幡宮(後三年合戦金沢の柵跡)、祇薗寺(清原氏の卒塔婆:金沢諏訪堂の会が建立)、そして角館を案内してもらい、昼食を済ませ、大曲ICから帰ってきました。途中、凄い雨に降られたのですが、無事、20時過ぎ、我孫子に戻ってきました。

あったか山のバンガローの朝

金沢八幡宮に参拝

祇薗寺にある新奥の細道の案内

祇薗寺に建てられた清原家一族を弔う卒塔婆

角館の桜並木

角館 武家屋敷が並ぶ

天然記念物のしだれ桜

角館 西村屋の昼食で食せる御狩場焼


[エピローグ]
いろいろな趣向満載の山行となり、そして、多くの出会いと歓待がありました。梅雨の時期に、雨はあったのですが、その雨も歩く時は上手くくぐり抜け、TKさんの事故があったとはいえ、トータルとして素晴らしい山行になったのではないかと思っています。
TKさんの打撲は完全な骨折で、患部の転位(骨折部の接合面が動くこと)が起こっていたとのこと、良くご無事で歩かれたと感心するとともに、危機一髪だったということは、或る意味、不味かったのかもしれません。ともかく、お大事になさってください。
 そして12日にお会いしたお二人から、箴言をいただきました。反省点も多々です。

 KAから、黒森山でご一緒した、週刊美郷話題新聞の方の、古道開通の記念登山・祝賀会の記事が送られてきました。改めて一緒に祝えた、そして良い経験をしたという喜びが蘇ってきました。

金沢(かねざわ)のKA邸は、昨年10月の素晴らしい紅葉・黄葉の時期にも行っているのですが、7月はホタル、冬は2mを越す積雪、そういった時期も素晴らしいようです。焼石は頂上を踏めていないし、別の時期も含めて、また来ようという気になっています。
皆さんの心遣いに多謝そして多謝
                                        20150630 FS記

「焼石岳の花」
ミズバショウ

ミズバショウ

ミズバショウ

シラネアオイ

シラネアオイ

シラネアオイ

リュウキンカ

リュウキンカ

タムシバ

タムシバ

マユミ

コバイケイソウ


「黒森山の花」

タニウツギ

タニウツギ

タニウツギ

ヤマオダマキ

ヤマオダマキ

ヤマオダマキ

ヤマツツジ

サラサドウダン

ニッコウキスゲ

ミズ


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