涸沢(2309m) ●日程:2015年10月10日〈土〉~12日(月) ●参加者 男性4名 女性6名 ●コースタイム 10日:我孫子駅5:41=6:11日暮里6:17=6:38新宿7:00(スーパーあずさ1号=9:42松本10:15(バス)=12:00上高地12:25?13:10明神13:20―1405徳沢14:15―15:10横尾(幕営、夕食etc、19:00就寝) 11日:起床3:00の予定であったが、雨につき様子見、6:30朝食及び作戦会議,etc―11:00出発準備(雨が小止み)横尾テン場11:55―13:20本谷橋16:00涸沢(テント設営するも強風により失敗⇒涸沢ヒュッテへ―17:00涸沢ヒュッテ(夕食etc、20:30就寝) 12日:起床4:00(朝食,出発準備), 5:30(写真撮影、涸沢モルゲンロード鑑賞),涸沢ヒュッテ6:00―7:40本谷橋7:55―8:55横尾9:10―10:00新村橋10:05―10:20徳沢(軽食)10:55―11:45明神12:00―(明神池、嘉門次小屋経由)―13:10上高地(ティータイム、土産)(バス)14:40―15:45新島々16:04―16:34松本17:18(あずさ30号)=20:07新宿20:14-20:40上野20:51=21:28我孫子 ●費用:JR(都区内~松本)往復93000円、バス(松本~上高地)往復 バス(松本~上高地)往復45500円、横尾テンバ代7000円、食 材、ガス、飲み物、28300円、涸沢ヒュッテ宿泊(素泊まり)65000 円、 1人23900円+金町、我孫子運賃 一人合計約24500円 ●グレードC 今回は2泊3日の山行ですが、振りかえれば、素晴らしく感動した事、楽しかった事、残念だった事、反省すべき事、色々と脳裏に浮かんできます。 |
上高地バスターミナルと背景の紅葉 |
明神への道中で、女子隊のラインダンス |
リーダーのつぶやき 1.とにかく横尾まで早く歩きました。 10日は連休の始まりということで、テントの幕営地横尾は混むと予測していたので、塒の場所を確保するために、 前もっての打合せの時に、昼食は、松本~上高地のバスの中で取る。上高地~横尾までは隊 を2隊に分けて、 A隊は男性4人(Oさん、Fさん、Maさん、H) が先発隊として、スピードを上げて歩いて横尾に速く着き、そこでテント場を確保して、テントを張る。後のB隊(Itさん、Inさ ん、Kiさん、Krさん、Tさん、Muさん)はSLのTさんが引張り、A隊の後に続き横尾に向かう。 その作戦が成功して横尾で、二張のテントを張ることが出来る。ビールで乾杯し、11日は長時間の行程のために,栄養をつけようと、 Tさん、Kiさんコンビで準備していただき、女性陣で調理された、たっぷり肉の入った、栄養価の高いすき焼きを、たらふく食べさせてい ただく。お酒で気分も乗り、会話も弾んでいましたが、6時、6時20分の2回に分けて隣りのテントから、うるさいと注意を受ける。 何故?まだ6時なのに、どうして、 と皆、戸惑いながら、普通のように喋っていると、2回目は喧嘩腰のような喋り方で怒鳴る。 変人のような気がする。他の人のテントあちこちで、普通ように会話が聞こえる。我々がその人のテントに一番近いために攻撃され不 愉快な出来事であった。 その後、翌日の起床が早いため、19時就寝する。 |
横尾テン場 ウォーターベット跡 |
横尾大橋で | |
紅葉、黄葉、緑葉と屏風岩 |
涸沢に向かう途中、山中での休憩 | |
本谷橋の下側 |
涸沢に向かって登って行く |
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涸沢の風はきつかったなあ |
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①今回の山行で天候が変化し、我々にいろいろと影響を及ぼしました。 出発前には、今年3番目の威力ある台風23号が日本を目指してましたが、山行を決行するか否かの判断をする日までに、台風の進路 がそれたため、決行の判断をする。 ②11日は横尾を早朝出発して途中、涸沢でテントを張り、奥穂高岳に登頂して涸沢に戻る計画でしたが、11日、3時の起床時には雨が 激しく降り、そこで予定の奥穂高岳の登頂を断念し、様子見をする。 ③朝食を取り、今後どうするか検討する。横尾での11日の天気予報は雨後曇り、12日の天気予報では曇り、晴れの予報になっていまし たので、11日の雨が12時出発まで降り続けば、小梨平へ下る。そこでテントを張る。12時出発で、11時30分までに、雨が上がれば、 涸沢に行く方向で待つ。幸い11時には雨が上った為にテントを撤収して、涸沢に向かう。 ④大雨が長く降った影響で、横尾のテン場では8人用のテントが床下浸水して、ウォーターベット状態になる。何たることや! ⑤待機中のテントの外は雨が降っているので、8人用テントの中で、今後の作戦会議の後,お茶を飲みながら雑談に入り、そこから、ヒヤ リハットの話に話題が集中する。私は、過去にこういうヒヤリハットの経験をした、僕はこういう経験をして、文例をIsさんに送った。 10人全員が、なんらかの形でヒヤリハットを経験している。こういう気楽な場所では、スムーズに発言される。 こういう雰囲気の場は普段でも必要であると感じる。又、こういう場で、こういう話が自然と出ることは「ハイリッヒの法則」を待つまでもな く、参加者一人一人が「小さな気のゆるみが小さな事故になり、小さな事故の積み重ねが、大事故につながる」と自覚して行動すること だと、再認識された気がする。 ⑥横尾から曇りの状態で、涸沢に向かって登って行く。登って行く位置からはっきりと涸沢ヒュッテが見えたころ、雨が再び振り出しその中 を登り、ようやく涸沢ヒュッテに到着する。 |
Inさんの美談 本谷橋から涸沢への上りの途中。親子3人、(お父さんと子供2人)で登っていまし たが、その時、子供達はは元気が良く、お父さんは疲れ切った状態で登って行く。 涸沢の手前で雨が降り出し、寒くなる。お父さんの歩くペースは、相変わらず遅く、 子供と離れて姿が見えず。2人の子供の内、下の4年生の子供は寒い中、手袋も 無で登って行き、寒い表情になっていく。 Inさんは、その状態を見るに見かねて子供に寄り添い、自分の手袋を子供にはめてあげる。子供は元気を取り戻す。素晴らしい出来事でした。 登攀担当のOさん、横尾から涸沢の往復、先頭を歩いていただきましたが、実に全体をコントロールして、全体が疲れないよう な歩きやすい(早くもなく、遅くもなく)スピードで歩き、適度に きっちり休憩し、又歩き出す。これの繰り返しで、後ろを歩いていた人は、ほとんどの人が歩きやすかった、との声が多かった。 |
談話室内 |
涸沢ヒユッテでの晩さん会 ご馳走がならんだ |
野菜炒め最高!ストーブの暖かさで気分もほっこり |
穂高連峰を背景に |
穂高の夜明けの表情、その1 夜明け前 |
その2 もうじき夜が明け、うっすらと穂高連峰の稜線が浮かび上ってくる |
その3 太陽の光が穂高の岩壁に少し射し込んでくる |
その5 まさにモルゲンロートだ |
本谷橋と紅葉 |
黄葉に映える屏風岩 |
◎涸沢にて、天候異変とうっかりで参加者に苦難を招く。 涸沢ヒュッテに到着するなり、参加の皆様と乾杯をするために、私がテントを持参しながら迂闊に、ビールを買いに行く。 その間寒い中、涸沢のテン場でテントが到着するまで、待たれていた。反省点として、行動する優先順位が違いました。 二つ目の反省点として、涸沢のテン場では当然テントを張れるものと思っていました(決行した過去の山行ではテントを張れなかった事は なかった)。 しかし今回8人用テントにポールを付け持ち上げた瞬間 強い風のためにテントがまともに張れない状態になり、過去に、台風の時に涸沢にてテン トを張った経験から(夜テントが吹き飛ばされるような状況になった経験を思い出し)すぐさま、テントを張るのを中止して小屋で宿泊することを 全員に伝える。そしてサブリーダーのTさんに、涸沢ヒュッテに宿泊を申込みに行くことを、伝えて出発すれば良かったものを、今日の小屋は混んで いるので、「早く申込に行かないと」と思い、すぐさま、走るように、どこに宿泊を申込するかを、サブリーダーに伝えずに、急いで涸沢ヒュッテに、経理のMuさんと申込に行く。その間、寒さの中で皆さんを待たせたこと、又古田さんが私を探しに涸沢小屋に行ったこと、行動(情報)の伝達、共有が、いかに大事であるか、痛感し、今後このような事が起きないように深く反省しています。 又、どこのテン場でも、状況により、テントを張れない場合がありますので、そのような時、リーダーとしてテントを張れない場合どうするかということを常に考えて行動することが大事である 4. 11日夕方からの涸沢ヒュッテ(素泊まり)にて。 涸沢ヒュテへの宿泊申込は天候状態の悪化と、連休、紅葉時期とも重なり、非常に混んでおり、10名の申し込みをした時は、普通の10人泊まれる部屋は一杯の状態でしたが、申込のタイミングが丁度良かったので、幸運にも、20人分のフトンと寝袋とストーブの有る大きな談話室を開けていただき、そこで独占状態(後から若い性格の良さそうな男女3名が同室になるが)で、ゆったりと、又、涸沢の風、寒さが嘘のように、室内は暖房で暖かく過ごすことが出来ました。それに、なんといっても夕食が美味しかった。Inさん、Krさんが準備されて、女性陣が手伝われて、非常に美味しいシイタケスープとベーコンパプリカ野菜炒めは寒さで冷えた身体に沁みわたりました。 5. 12日、予定通り4時に起床し、全員でゆったりと食事を取った後、涸沢ヒュッテの小屋を出ると、冷たく澄んだ空気に覆われている。薄暗い中、テラスから見上げると、ガスが抜けて、涸沢カールを取り囲む穂高連峰の峰々が顔を出していました。厳かな風景である。涸沢ヒュッテと涸沢小屋だけが、電気の光で明るい。その後、時間の経過とともに、あたりはうっすらと、明るくなってきました。これからがモルゲンロートの本番に入るため、涸沢の出発時間を30分、予定より遅らせ、その瞬間を見ることにする。そして、その瞬間がやって来る。朝日が穂高連峰の山肌を照らしはじめ、だんだんと赤くなってきました。時とともに穂高の岩壁の色が変化する。自然界って、なんと神秘的なのだろう。その美しさに見とれる。そして大きな感動と高揚感を覚える。ほんとうに、素晴らしい、素晴らしいという言葉を連発する。全員で記念撮影をして横尾に向かう。 6.①山行目的のひとつ紅葉―涸沢の紅葉は今年の傾向として、例年より時期的に速く紅葉になったために、涸沢での紅葉は期待外れであり残念であった。その分、紅葉の中心は涸沢より少し下から上高地までの長い間に移り、秋深まる色彩(赤,臙脂、橙、黄、緑のグラデーション)美と大自然の織りなす景色が我々10人の目をくぎ付けにして、楽しませる。今回の山行での紅葉と大自然という組み合わせの景色では、色々と有りますが、特に私が素晴らしい景色と思ったのは、圧倒されるボリュームの屏風岩と周辺の紅葉、黄葉とのマッチングした山岳風景は非常に幸せな気分になれました。 |
屏風岩と黄葉 |
黄葉の樹林 |
黄葉の中を横尾へ向かう |
スクラム組んで 横尾にて |
明神橋にて | 嘉門次小屋 |
自然探勝路の紅葉ポイントで |
自然探勝路の紅葉ポイント |
穂高連峰の説明地図 |
帰りの上高地バスターミナル |
②12日、明神から上高地への帰りのルート、は先頭にKiさん(リーダー代理に)を指名し、全員を明神館~明神池~穂高神社奥宮、 嘉門次小屋(日本近代登山の父、Wウエストンの山案内人として知られる上条嘉門次。彼のひ孫にあたるのが4代目、 嘉門次小屋の当主です。)~木道で繋がれた原生林の道をたどる。梓川の流れと豊かな緑、紅葉、黄葉、との共演を楽しみつつ、 上高地近辺をゆっくりと歩くことにより、この時期の上高地の素晴らしさを感じる。自然探勝路を通り、河童橋を渡り、上高地バスタ ーミナルに着く。今回の上高地近辺の散策で見た景色は忘れられない程、心に残る。 7. 末筆ながら参加の皆様には、謝意を表したい。各々の役割、(Tさん(SL)Oさん(登攀)、Itさん、Muさん(経理)、Inさん、Krさん、 Kiさん、Tさん(食担)、Fさん(記録)、Maさん(写真)}を、十分に果たしていただき、又、全員が協調性を持って行動していただいた 結果、何の怪我も無く、全員無事、家に帰ることが出来、有難うございました。皆様にお礼申し上げます。 H記 |