◇実施日:2017年5月2(夜)~5日(車中1泊+山中2泊)
◇参加者:男性のみ(7名;Is、Kt、Kn、Tn、Nm、Ht、Mm) ◇経過:
〈個人〉防寒衣類、雨具、寝具、マット、ピッケル、アイゼン、水筒など ◇経費:約1万7000円(バス・電車・タクシー代、テント場代、その他込みで) |
三股の案内板から
今山行の拡大写真は ➡ こちらの「思い出の山々」からまとめてご覧ください。 ※写真にカーソルを当てるとマウスポインターに変わる写真(*)は、クリックすればそれぞれ拡大写真が見られます。 |
蝶ケ岳から眺望した壮大な峰々の連なり ―左から、乗鞍岳、焼岳、明神岳、前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、大キレット、南岳~槍ケ岳~裏銀座~大天井岳、常念岳― |
5月2日 10時25分に我孫子で6名となり、柏でNkさんが合流した。上野駅で降り、京成上野駅前のバス停に向かう。しばらく待つと、成田空港からのバスがやって来た。ザック類を車底のトランクルームに押し込み、すぐに発車した。都内をゆるゆると進んだ後、首都高速に乗り上げると、間もなく消灯となった。幸い、連休での渋滞という事態はなさそうだ。 |
5月3日 ほとんど眠れないまま、バスは松本バスターミナル前に予定の5時20分にゆっくりと停車した。JR松本駅まで5分ほど歩く。15分ほどの待ち時間で大糸線・南小谷行きが発車した。 穂高駅前に降り立つと、予約してあった南安タクシーのジャンボの運転手さんが待っていてくれた。荷を積み込んで、すぐに走ってもらう。30分ほどで一ノ沢に着いた。沢から得ているという水を水筒に一杯に入れ、荷を整えて出発する。今回も、サブリーダーのKwさんに先頭でのリードをお願いした。 7時45分過ぎ、車止めゲートを回り込み、雪がない登山道を30分余り行くと雪道となった。進行左手に、雪解けを集めた激しい流れが樹間からときどき見えた。 樹床を笹が覆うオオシラビソの針葉樹林帯を縫ってさらに進むと、左手前方に前常念岳の一角であろう、真っ白い峰が視界に入ってきた。 2時間余り緩やかな樹林の中を行くと、勾配が少しずつ増し、上部の峰がどんどん近づいてきた。やがて、沢を埋め尽くした雪渓上をたどる行路となる。全層(底)雪崩の痕跡なのだろう、雪はどこも土で茶色っぽく汚れ、両岸の木々が川下側に激しく倒れ込んでいた。両岸からの落石の危険もありそうで、一ノ沢のこわい一面を垣間見る気がした。高度をさらに上げると、雪渓の上部まで先が見通せる地点に出た。まだ長い行程が待っていた。数珠つなぎのように列をなした、小さな多数の登山者の姿が見えた。ピンク色のビニールテープを付けた標識棒が、雪上に間欠して立てられていた。関係者の細かな配慮をありがたく感じた。 沢幅が狭まり、傾斜が少しずつ増していくころ、右側(左岸)山面に厚く雪をまとう木製の階段が見え隠れした。無雪期の登山道に違いない。ここを行き切ると、右が一ノ沢本流で、行路はここから左に別れて急斜面のつづら折れの道となるが、今回、ここは厚い雪に覆われた、直登のルートだった。この日随一の急坂だ。大休憩を挟み、呼吸を整えて登り出す。アイゼンを装着したタイミングがぴったりだった。急な勾配が続き、一気に登り切らなければならない。1時間余の苦しい登攀が続いたのち、傾斜が緩んだところで休止する。ダケカンバが真っ青の空に映えた。 乗越のシルエットがだんだんと近づいてくる。最後に左右に大きく逆Zを描くように登り切ると、雪が消えて岩礫がむき出しとなった乗越(鞍部)だった。赤茶色の常念小屋の屋根がすぐそこにあった。梓川を隔てて西にそびえる穂高連峰中央部から北部にかけての峰々と槍ケ岳、さらに裏銀座の障壁が視界に飛び込んできた。すでに3時半に近かった。景観を楽しむ暇もなくテント場に向かうが、指定のテント場はどこも他のテントで埋め尽くされていた。エリア外で幕営していた方に聞いたところ、管理人から許可を得たと話してくれた。小屋の受付窓口に行くと、主人らしい柔和な男性が、「どこに張ってもいいですよ」とおおらかに応じてくれた。 雪面を整地し、テントを建てたとき、かわいらしくも、近くの木にホシガラスが飛来した。黄昏の訪れとともに、北側の横通岳から東天井岳にかけて山面が紅色に染まった。槍ケ岳と裏銀座の峰々が深い陰影の中に沈んでいく。 テントに入り、ビールでの打ち上げが終わると、夕食が始まった。Mmさんが手際よく鍋を作ってくれる。2ラウンドに及ぶ、野菜たっぷりの大鍋だった。さらに雪から十分な水と湯を作りおいておく。楽しい談笑が続いたが、周囲のテントの光も消えかけ、翌日の行動計画を話し合って、9時前に就寝とした。 |
一ノ沢の最終駐車場。ここが登山口で管理人に登山届を提出 | 右側に鳥居を見て登山開始。7時35分 |
やがて雪混じりの道となる | 一瞬だけ樹林が消え、雪も消えた |
残雪の針葉樹林帯を行く | はるか先に前常念に連なる雪稜が |
樹林帯から外に出た | 一ノ沢の川床を行く。土混じりの汚れた雪 |
長い沢の行路。土色は山谷が雪で削られて運び出されたものだ | 右からの支沢と合する地点。沢幅が広がった |
あたりに散らばる木々の藻屑がすごい。雪崩が襲った跡形と推測される* |
汚れた雪渓上をひたすら進む。大小の木々が激しくなぎ倒されている | ピンク色のテープを付けた標識棒 |
ときどき沢下を振り返る。登山者の姿がケシ粒のようだ | 分岐点に着く。右側が本流だが、左側に行路をとる |
今山行一の急坂。夏道はここをジグザグにたどっている | 1時間後、やっと勾配の落ちた場所で最後の休憩 |
次から次と登山者が登ってくる | 常念乗越に着いた。3時15分 |
乗越から煮えた穂高連峰の北部と槍ケ岳 | サイト外に得たテント場。テント場は満杯で大型テントの余地はない |
最高のロケーションのわがテント場 | ホシガラスが来訪(というよりこちらが侵犯者だったのだろう)* |
5月4日 十分な睡眠ができた。今日も晴天だ。食事はめいめいが個人食(行動食)を取り、適当なパッキングののち、1時間後にはテントの外に出た。テントの撤収も、穏やかな天候のおかげで1時間半で完了した。予定の7時を早めて6時35分にテント場を後にする。広いテント場の半分以上が、すでに居なくなっていた。 常念岳山頂まで相当の標高差(約400メートル)である。2倍以上の時間を僕らは見込む。小屋の赤茶色の屋根が小さくなり、ひと登りで岩場を通過すると、常念岳山頂に続く雪の行路となった。 この最後の、山頂まで20メートルのところに、前常念からの尾根が左からぶつかる。常念岳への最後の傾斜のある雪稜を考慮して、今回の山行ではアイゼンは全員が12本爪のものとしたが、ごく平凡な雪面にすぎなかった。ここをひと登りすると、常念岳の山頂であった。 小詞が岩の上に鎮座していた。それまで常念岳に隠れていた明神岳・前穂高岳・奥穂高岳の峰々や、その背後の焼岳、乗鞍岳の姿がとたんに視界に現れた。誰からとなく歓声が上がった。南方には今日これから進む蝶ケ岳、大滝山への長い稜線が、南西方向にはうっすらとだが富士山、南アルプス、中央アルプスのシルエットが遠望できた。多数の登山者が狭い山頂を雑踏のように占め、また次々と登ってくる。この縦走路がこの時期には人気が高いことが納得である。 そして鞍部までの下山だ。雪がところどころに残り、大小の岩石が不規則に混じる、急な下山路が続く。最低鞍部まで、上りと同じ400メートルほどの落差だ。振り返ると、前常念の張り出しが東側に雄大な雪稜を引く。常念岳からの大きな岩壁がかぶさらんばかりに高くなり、ひとまず1つ目の鞍部まで下った。ひと休止して、コブ状の岩場をもう1つ越えた。 そこを下り切った地点から樹林に入る。行路どりの難しくなりそうな針葉樹の中には、トレースが厚くたどっており、雪質も締まり重い荷重を支えてくれた。そこから左(東)側に雪庇の張り出した峰が待っていたが、樹林の行路を選択した。登り切ろうとするところで、若い2人の登山者が追い越していった。すれ違う際、僕たちがこの日の常念-蝶間の縦走のパーティーとしては最後尾にいることを知らせた。 その峰を登り上げたところ(2592メートル地点)で、僕たちは予想外に“遠く”にある蝶槍を目にした。時刻はすでに午後2時を回っていた。当初の計画では午後1時には蝶槍に到達しているはずだったが、ここまで遅れていた。蝶槍までは一度、鞍部を下ったあと、200メートル近く登り返さなければならない。予定の幕営地点(蝶ケ岳ヒュッテの数百メートル先)に着くのは、5時前後になるだろう。 衆議の末、蝶槍との間の鞍部近くまで下ったあたりで、適地(その間にはそこしかビバーク適地はない)を見つけてビバークすることを決断する。50メートルほど雪道を下りると、行路から右(西)側に格好の平坦な広い雪面があった。場所を特定して、雪面ならしを急ぐ。午後2時半を過ぎており、頃合いのよい時刻だった。 この日の進行の遅れの原因は、常念岳への上りにあまりにも時間がかかりすぎたことがはっきりしていた。将来のGW山行などのことに話題が及んだ。話は尽きなかったが、翌日の早い出立を考慮して、8時に就寝とした。 |
晴天に恵まれる3日目 | 槍ケ岳をバックに |
常念乗越を振り返る | ゆっくりと高度を上げる。背景は横通岳* |
常念岳への上りで見る槍ケ岳、西鎌尾根や裏銀座の峰々* | 常念岳への後半部。意外に大きな山だ* |
常念乗越が下に見える。遠景は常念山脈と後立山の峰々* | 常念岳山頂から見た蝶ケ岳(中央)と大滝山(左)* |
常念岳山頂で* | 山頂の小祠* |
山頂から見た穂高の峰* | 常念岳山頂を後にする。10時10分 |
ごつごつして下りにくい、急な下山路を行く | 登山者が多い。人気の縦走路のようだ(それもわかる) |
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途中の頭部で安らぐ仲間たち |
槍ケ岳がくっきりと「角」を見せる | 縦走路上から蝶槍見えるが |
なにやら意味深なことが書かれてそうだ➡隠し撮り拡大写真* |
急な下りが続く | もう少しで最低鞍部 |
やっと1つ目の暗部まで下った | 雪道に替わり、ここからきつい上りに。 |
1つ目を登り切った頭部から見た蝶槍。まだこんなに遠い* | 下って、蝶槍との間の暗部でビバークをすることに* |
見つけた絶好のビバークサイト。テント先行者の跡があった | テントの夜景。周囲に気づかいする必要がなかった。静かな一夜 |
5月5日 爽やかに朝が明けた。外をのぞくと、晴天が樹冠の上を広く覆っていた。昨日同様、朝は個人食とし、火器は使用しなかった。めいめいで食事をし、粗パッキングをし終わると、外に出た。6時半予定を30分早めて出発となった。 スタート早々に、蝶槍との間の最低鞍部だと思っていた昨夜の幕営地の先に、さらに下りがあった。鞍部近くに、同じようにビバークしているパーティーを見かけた。彼らを横目に通過すると、すぐに急な上りが待っていた。1時間ほどのアルバイトで蝶槍に着いた。これまでの眺望と角度が少しずつ変わるが、蝶槍から蝶ケ岳にかけてが最も穂高連峰に正対する位置だったようだ。奥穂をほぼ真正面にして両脇に前穂高岳と北穂高岳があった。 蝶槍から蝶ケ岳ヒュッテまでは、なだらかな散策路だった。1時間を見込んだが、30分ほどで歩いた。ヒュッテのそばのベンチに荷を置き朝食を取る際に、ごく参考までにと、計画段階で伝達していなかった、徳沢とは反対の松本平野側(三股)への下山路の選択もあることを仲間にお話した。明日(6日)の天気が雨混じりの予報であることを話し、確認し合った。あっさりと、その経路・日程の変更への賛成意見が返ってきた。拍子抜けする思いだったが、簡単に「これで決まり」となった。 荷を下山口の分岐点にデポして蝶ケ岳山頂に急いだ。そこから見えた大滝山は、まだまだ遠くにあった。当初、大滝山を経て徳沢に至るというような壮大な計画も話し合ったりしたが、今の僕(たち)にはいささか過ぎた願望だったようだ。だが、次回は大滝山を計画してはどうか、といったことも話題に出た。穂高連峰の見納めだった。 長い、急な雪面をしばらく下るが、樹林の中でアイゼンを装着した。傾斜が緩んで土石混じりの道となったが、裾野までの登山道は実に長かった。10組以上の登りのパーティーと行き違ったが、上りの苦労を察する思いだった。以前、11月下旬にここを一度下っているが、この下山路が大変だという印象はなかった。 「ゴジラの木」を過ぎ、花々を登山道の周辺に見た後、せせらぎに沿って進むと、間もなく吊り橋を渡って、前常念への分岐だった。すぐ下に1つ目の駐車場があった。 ここでタクシーを呼び、10分ほど下ると、広い駐車場だった。登山装備を整理して待つうちに、ジャンボタクシーがやって来た。穂高駅に近づくと、車窓から常念山脈が高々と雄姿を見せた。 穂高から乗車した後、松本で始発の特急に乗り換えた。運よく、この連休にもかかわらずガラガラの自由席車両に乗り合わせることができた。駅弁をツマミに、残りの飲み物で乾杯する。その車内も、甲府を過ぎるころには多数の外人客も交じり国際色豊かに変わり、すっかり混雑してきていた。 翌日の徳沢~上高地の周辺の天気がどうだったかは知りたいとも思わなかったが、こうして1日早く下山した。とくに何ごともなく山行を成し遂げえたことを喜び合いたい。 同行のみなさん、いい山行を、ありがとうございました。(2017/5/24 TK) |
翌朝のテントサイト | 暗部だと思っていたのが、そうではなかった。鞍部まで下る |
最低鞍部付近から見た焼岳* |
鞍部を行く隊 | 蝶槍への上り。1時間余で着いた |
蝶槍への上りから振り返り見た常念岳。右端の頭部が前常念岳 | 蝶槍から見た大キレットのあたり |
蝶槍からの大キレット* |
蝶槍でほっとなごむ仲間たち | 蝶槍から見た蝶ケ岳(右手前)と大滝山(左奥) |
蝶ケ岳への縦走路上で | 蝶ケ岳山頂で |
三股への下山路に変更する | 松本平野側の三股に向けて下山 |
下山路下山路の途中で | 意外に雪の多かった下山路 |
下山途中で見た「凍裂(とうれつ)」跡 | 「ゴジラの木」というが、なんとなくひょうきんな表情だ。 |
下山終了間際に渡る吊り橋 | 奇木。苦節に耐えた木なのだろう |
ようやく人里に下った。一般車はここまで入れない | 穂高駅のプラットフォームから常念岳~蝶ケ岳を懐かしむ |