11月の山行 |
アルプス深南部の300名山 黒法師岳(2,067m) |
当初プランニングの寸又峡周回は叶わなかったが、念願の黒法師岳を加え、 黒法師3山を制覇。またエスケープルートは紅葉盛りで実り多い山行となった。 |
黒法師岳山頂にてパーティ |
ヘリポートテン場にて |
1.実施日: 11月2日(土)から4日(日) 2.参加メンバー:Ih N SL F CL Id(4名) 3.装備: 標準テント宿泊装備(但し2泊) 4.概算費用: 交通費約20,000円+食糧費 5.コースタイム:
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11月1日~2日
山行実施日が近づいてくると道なき山や藪山のバリルートを設定したため、リーダーである私の不安が増してくる。それは私を含めたパーティのメンバーが山行中に何らかのアクシデントに見舞われないかという不安。また個人的な事情(健康など)でリーダーとしてメンバーに迷惑をかけてはならないという思いからである。 加えて、自分で提案しながら、往路は利用に消極的な夜行バス設定となった。夜行バスは年を重ねると、回復力が弱い体にはきつい。一方ステーションビバークも候補であったが、予期せぬリスクをとらないバスを選択した。 ところが、Nmさんから怪我による辞退の連絡を受ける。この山行に向けてのトレーニングを兼ねていった結果とのこと。怪我はしたものの命に別条がなく一安心した。一方パーティ5人から4人に調整し直おすことに。さらに参加者減員の可能性もあり、さらなる調整必至であったが、日程のやりくりでその難を逃れる。 11月1日午後11時前4人で八重洲バスステーションに集合。座席は事前にバスネットにて、窓側縦一列で購入。空席があるので、2席を一人で使える可能性に賭けたのである。結局2人は右側にほかの客が座った。片道3,300円は安い。バス車中では、微睡むだけで、静岡駅に定刻前に到着、まだ暗い。コンビニで買い物、JRのホームにて各自朝食、JR、(SLで有名な)大井川鉄道、そしてバスに乗り継ぐ。バスは山間を縫うように走り、寸又峡温泉着。 |
千頭駅にて |
寸又峡のシンボルかもしかの前で |
事前の天気予報通り快晴、このまま3日間好天で山行が続けられるだろうと思っていたが。 準備を整え、標高500mの寸又峡温泉を出立、この標高ではまだ紅葉には早い。今日は標高差1,500mを登る。明るい日差しの中、既に幾組かの観光客が、いわゆる「夢のつり橋」に向かっている。 同じように我がパーティも歩きだし、環境美化募金案内所を過ぎ、トンネルを越え、最初の分岐で左に道をとった。右にとると、いったんさらに下っていって数十メートル、つり橋経由、そして登り返しの遠回り。最初からこれでは先が思いやられるので、我々は分岐を左に一路、「前黒法師岳」登山口に向かう。舗装路から飛竜橋、その後砂利の林道を歩き登山口着。一服してサブのFさんを先頭に西北方面に登り始めるが、いきなりロープもあるずり落ちるような斜面の難路、落ちればケガでは済まない。一歩一歩慎重に足を運ぶ。標高は稼げるが、危険極まりない。大汗をかきつつ、しかし、心地よい風に吹かれながら、石垣だけが残る昭和の初期に10戸ほどがあったと言われる湯山集落跡に到着。こんなところになぜ集落がと喧々諤々。実はこのそばに湯山温泉(寸又峡温泉の源泉)があったと後で調べて分かった。ほどなく廃屋のある湯山林道跡に到着。そこから開けた東(右手)はまだ登っていない寸又三山の「朝日岳」の雄姿が見える。 この林道を西(左)に行き、また北方面に急登が始まる。赤ペンキの目印が木々にあるので間違うことはない。少し傾斜が緩やかになって、ほどなく「栗の木段」。私が足の腿が噛まれている感じがすると言うと、Fさんは、ヤマビルがいると。今日は陽も差し暖かいので出てきたのか。この「栗の木段」までは季節により、ヒルがいると聞いていたが。まあダニではないので危険性は低い。 ここからは西方向に斜面を登っていく。「大無間山」の際にもあったひめしゃらの大木が目立つようになった。イワカガミの群生地をぬける。花の時期が綺麗だろうが、段まではヤマビルも盛りであろう。さらに緩やかにのぼって「白ガレの頭」。山名の通り、南側を見ると急峻なガレ場である。ここからも急登が続き、標高は稼げる。 コメツガとシラビソの林中、途中2組3名の下山してくる登山者に出会う。一組はご夫婦で前黒のピストン。あと一人はヘリポート跡で1人テントを張ったが、寒くて眠れず、撤退してきたと言っていた。ここまで全く展望のない山道であったが、唯一途中の展望所からは北方面だけに山々が見える。遠くに「光岳」から「聖岳」だろうか。樹木に隠れ見えないが東北方面には昨年歩いた「大根沢山」、「大無間山」があるのだろう。ここから根こそぎ倒れた木々が、登山道を塞いでいる。またいだり、くぐったりとアスレチックが続く。 さらに急登が続くが、風がやさしい。傾斜がゆるやかになると、ようやく「前黒法師岳」に到着。3つのお団子型の標識等が立っている。小休止。 |
前黒法師岳への登り |
前黒法師岳山頂 |
ここからいわゆるバリエーションルートに入っていくことになる。どんな道なのか、何が待ち構えているのかと。ワクワクする。が赤ペイントが行先を教えてくれてややがっかり。ゆっくりと尾根を北側に巻いて下っていく。初めて笹原がでてきた。これからずっと続くことになる。ダニの季節は大変だ。17:00時を過ぎ暗くなって、笹原の尾根上でへっでんを付けて歩く。寒くはない。ほどなく左下に林道が出てきたが、途中崩落の記憶があったので、そのまま尾根左側を歩く。登り返し、少し歩いて降り立ったのが黒法師林道。少し歩く、なんともだだっ広いところに到着。ここがヘリポート跡かと。あまり奥までいかず手前の北側が3メートルほどの壁になっている前にテント設営。焚き火は鉄骨で囲った焚き火跡を使うことにする。 |
ヘリポート跡、左後方がテン場、右後方の山が前黒法師岳 |
各人が散って、廃木を探しにいく。Ihさんが着火剤をもってきていたので、それに新聞、小枝とつなげ最後は中木にうつり、暖まってきた。 そこで、へっでんを付け、水の取水に10分ほど林道を歩き、目印の消火器から沢におりようとするが、暗くて危なっかしく、日が出てからの翌日、再度来ることにする。 今日の夕食は餃子鍋、暖まる。ひととおり、団らん、オールディーズを歌うと、すぐに就寝時刻。空を見上げると、星々がきらめいている。遠く南に、町の明かりが見える。静岡か浜松か。寝る場所を4人で決め、寝具類を除き、ザックなどは外のツエルトでカバーをする。結果、私は3シーズンシュラフであったが、寒いという感覚はなかった。途中出会った登山者が言っていた昨日は、とりわけ寒かったのだろうか。 Ihさんが重いカメラ機材を担ぎあげて撮ったこのヘリポート跡のテン場の写真をぜひ見てほしい。 |
11月3日 天候等からエスケープルートに変更 朝も焚き火をおこし、朝食。もちろん火の後始末は念入りに行う。税金を投じて作った2車線もある林道を歩き、水を求めに、昨日の場所にきて、ようやく全貌がみえて、そろりと降りて、取水することができた。そのため、出発は7:00と1時間遅れることに。東を見ると「前黒法師岳」の黒い三角錐が見える。天候は曇り、周辺の山々にはガスがかかっており、判然としない。これから向かう「黒法師岳」も山頂にガスがかかっている。 |
黒法師岳手前の笹原を泳ぐ |
黒法師岳へ笹原が続く |
尾根にのり笹原を歩き出す。この先もずっと笹は山頂まで続く。そして獣道に倒木、まさに笹原を泳ぐように動く。ときおりラクダの背のような狭い尾根をたどっていく。眼前に三角錐な山が見える。「黒法師岳」だ。しかし、深い背丈ほどの笹に阻まれ足が全く進まない。 おまけに、急登に大小の倒木。周りこんだり、括ったり、さらに笹をつかみ悪戦苦闘しながら、ガスの中、山頂には1時間30分ほど遅れて到着。山頂も笹原が覆っている。距離と高度差と難易度から時間を読んだが、この笹原の登りがそれをおおい隠した。「黒法師岳」 山頂には、誰もおらず、千頭山の会作の標識とあまりに有名なペケ三角点が笹原の中に、ひっそりとたたずんでいた。 |
笹原にどっぷりの黒法師岳山頂 |
黒法師岳山頂マニア垂涎の×の一等三角点 |
奥にはテント設営できるスペースもある。Nさんから、「やらないんですか」と督促がかかる。そう深南部ファミリーにわかる合言葉を山にかけねばならない。今回はIhさんも加わる。この瞬間、深南部に来て良かったと思う。Fさんが後日、今回の山行を楽しさ、苦しさ、素晴らしさ、不安、そして印象深さとその複雑な感情を言い表していたが、まさに同感。 |
黒法師岳から少し下った標識 ( 右 「丸盆岳へ」が読み取れる ) |
15分ほどいて、南東にあるバラ谷へ下山開始。周りは深い笹原。「バラ谷の頭」と「丸盆岳」方面との標識のあたりで1人登ってくる登山者とであう。水窪(みさくぼ)ダムから来たと。ここからがうんざりする急坂で背丈の笹原を足元のゆるさも手伝って歩きづらい。滑る回数も増える。ようやく人心地がつき、平たいところが続く。黒バラ平といい、テントが花を咲かせるようだ。落差の大きい水場で給水後、「バラ谷の頭」へ向かう。 |
あと少しで黒バラ平 |
頭への登りで2人組に出会い、二言三言交わす。野鳥の森方面から日帰りで「黒法師岳」に来たと。この方々とは後程出会うことになる。 そこから急登を登り切り、「バラ谷の頭」。ここで、皆と相談、このまま、1.時間から山犬段からタクシーで千頭方面か、2.県警に提出の計画書にエスケープルートしてあげていた、「前黒法師山」から「麻布山」方面を検討し、時間と天候、確実なタクシー手配から2.を選択。私のスマホの地図ロイドで地図をダウンロードしていたので、この時点で地形図を見ることができた。そして、有名なここより南には2,000mを越える山がない「本邦最南2,000mの地」をピストン。 |
本邦最南2000m地 |
しかし、戻ってきて再度スマホの地図を見たのが失敗。そのズームを変えたため、地図を見ることができなくなった。 現在地はでるが、そこがどこなのかが分からなくなった。ただ、前黒法師山から先はふつうの登山道と事前に調べていた。「バラ谷の頭」と「前黒法師山」の間が不明瞭であるものの、一旦乗越まで下がり、登りかえし、それもわずかのアップダウンであることも調べていた。 西方向へ歩を取る。シラビソと笹原の中を下っていくが、これまで以上のピンクテープがあり、道に迷うことはない。またがっかり。こちら方面から来る登山者は多そうだと思っていると、登ってくる3人組に出会う。男性1人と女性2人。言葉を交わす。男性は水もテントも担ぎ、ガイドのようだ。女性のザックは比較的小さい。年齢はいずれも60~70代か。会話では、危険なところはなく、テントなら、(打越)峠のこちらよりに適地があると。なんとか台に車を置いてきたと聞く。携帯は通じますかねと聞くと女性が使えると思いますと。彼らはバラ谷の頭にテントを張るとのこと。 ピンクテープ通り歩き、笹もなくなり広い尾根を下っていく。1,530mの打越峠を越えて、登り返す。テン場を探し求め、暗くなるまえに今夜のお宿を尾根通しの一段高い平地1,682mにみつけ設営。テント設営と焚き火の2手に別れ準備をしていると、先ほどの2人の男性登山者が下山してきた。又言葉を交わす。気を付けるところなども2ヶ所、「麻布山」と水窪(みさくぼ)ダムとの分岐標識、それと階段に気を付けたほうがいいとアドバイスをもらう。お気を付けてと言って別れる。 |
前黒法師山手前のテン場 |
外で焚き火を囲んで、カレーとベーコンポテトの夕食。話し込んだり、少し酔いも入り歌を歌ったりしながら、夜も更けていく。Fさんから深南部はいいねということで、深南部シリーズ化の話で盛り上がった。Mさんにも参加できそうな、今回いけなかった日本300名山の「高塚山」、あるいは「光岳」から「池口岳」、もう一つ、存在しそうな黒法師山をくっつけた山行(実際にはこの山はない)など来年に提案しましょうと。翌朝は遅めの起床とし、21:30就寝。夜には突風と雨音が混じり、ピーと言う鹿の声が聞こえる。当初の天気予報が全く外れてきたことになった。 |
11月4日
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起きだしたのは5:30.小雨のなか、風も強く火も炊けず、テント内でお茶と中華丼等と珈琲の朝食をとる。ただそれほど寒くない。07:45から歩き出す。途中、教えてもらった水窪ダム方面と、「前黒法師山」への小さな標識をみて、前黒へ進む。ここからは前黒法師山までの登り返し。Nさんが「まえくろ」は言いにくい。「まいくろ」と言えばと。 山頂手前では、苔がいたるところに広がっており、おそらく谷合からの霧が苔を育んでいるのであろう。そのあざやかな緑が見事である。ほどなく「前黒法師山」山頂、1,782m標識があり、名盤は磐田ライオンズクラブとなって地域が変わったことがわかる。ひっそりとあり、Nさんから、「やらないんですか」と督促がかかる。そうここでも深南部ファミリーにわかる合言葉を山にかけねばならない。黒法師と名がつく山が3つある。今回はこのうちの2つを予定していたが、ここを登ったことで結局3つともに制覇することになった。黒法師三山制覇である。 |
前黒法師山で黒法師三山制覇 |
雨もあがり、時折陽も差す中、木々も広葉樹が増え、イロハカエデの赤も混じる紅葉の中を、下っていく。 |
紅葉の尾根を下っていく |
紅葉の尾根と人工の階段 |
万葉集の大阪の生駒山の歌を思い出す。「妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山 打ち越え来れば 紅葉散りつつ」と二重山稜、広々とした尾根が続く。落葉を踏む足にも優しい道だ。振りかえると、いわゆる水窪ダムからの等高線尾根の三角錐の「黒法師岳」がみえる、あれに登ってきたのだ。なんという達成感。 そして、人工の階段がでてきた。「麻布山」到着、東屋があり、どこか山頂かわからないようなだだっ広いところである。10分ほど休み、直ぐに歩き出すと麻布神社奥宮、そして廃屋から麻布神社、水窪方面の標識がある。尾根を外さずに、下っていく。急斜面に人工の階段がありやれやれここからはハイキングコースだとおもったが、それは過去の話。ところどころ、その階段が無くなったり、崩れていたりして危険極まりない。これがあの2人組が話していた危険なところか納得。もう、ここは崩壊等で一般のハイキングコースとは言い難い。だが紅葉が美しい。すっと紅葉の中を歩くだけで十分満足できる。ああこちらのルートで良かった。単にピークを踏むより心が安らぐ。遠くはるか眼下に林道が見えた。水窪ダムから来ているスーパー林道天竜線。しかし行けども、行けども時間だけが過ぎる。途中「三森山」という標識がでてきた。この地名には事前の調べで心当たりが全くない。このままでいいのか皆で不安がる。戻って先ほどの水窪ダム方面を下る意見もあったが、これまで左右、特に右方面に下る個所が全くなかったこと、先に見える地形などから、まだ先ではないかと歩きだし10分ほどで右下に人工の白いガードレールが見えた。皆ほっとして、たどり着いのが、野鳥の森公園駐車場。そうここが下山地。まだ携帯の電波が通じない。しかし林道は崩落で閉鎖されており、車は来ない。周りは紅葉真っ盛りなのに我々のためだけの紅葉。もちろん、水窪方面へもここのゲートで閉鎖されている。 何か所も石が落ちている林道を延々とゆるりと下る中、携帯が由一通ずる場所に出て、Ihさんがタクシー会社に手配。途中一か所、崩壊地を回りこみ、林道にゲートがある自然観察園に到着、ここに浜松ナンバーの車が一台。これがあの3人組のかと。さらにゆっくりとほぼ直線的に歩き、標高1,000mの山住神社でジャンボタクシーに出会う。寸又峡温泉よりも500m標高が高い。水窪駅に15:55分過ぎに到着。運転手に聞くと、このスーパー林道が補修されることはないと。ただ、こちら周りで「黒法師岳」から寸又峡温泉を目指す方が結構いて、タクシーの手配があると。さらにここで交通の便利な温泉を聞くも、ないとのことで一路16:12の下り豊橋行に乗車、会計も済ませ、豊橋駅にて、切符類の精算を済ませ、そのまま18:46混雑のひかりに乗車、戸口付近にて4人固まり山行終了の一杯を終え、家路についた。 参加者各位のチームワークが当該山行を成功させたと強く思う。また各位の写真等も利用させてもらった。謝意を表したい。今般のトレース図を添付したので参照されたい。 注)一部の写真の時間がカメラ不具合から7時間ずれている。
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