塩見岳の背後に控える堂々たる白峰三山* | 塩見岳につながるかのような蝙蝠岳(実は尾根を分ける)* |
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当山行の目標は「塩見岳(3052メートル)」だったが、登頂はもとより、登頂行動自体を見送る結果となった。だが、三伏山から、南アルプスの残雪期の堂々たる全容が、私たちに大きな感動をもたらしてくれた。5月晴のもと、甲斐駒ケ岳から光岳までの間の、長径45キロメートルに及ぶ日本列島最大の山脈(赤石山脈)の中央部、その絶好の展望台の上に私たちは立っていたのだった。 |
◆実施日:2019年5月2~4日(山中2泊) ◆参加者:男性10名 ◆進行:
◆経費:1人あたり8240円(個人食、おやつ、飲み物、街食代を除く) |
■5/2 |
早朝5時に圏央道・常総IC入り口で2台の車が合流後、心配していた大渋滞もなく中央道をひた走る。甲府を抜け、岡谷JCTで長野道と別れて南下し、中央アルプスを右手に見たあと、松川ICを9時15分に降りた。近くに具合よくスーパーがあり、10時前なのにもう開店していた。初日の食事(夕飯の弁当)などを買い込み、大鹿村に入っていく。やがて南アルプスの縦走路をなす稜線(小河内岳~板屋岳)を仰ぐと、11時過ぎに林道終点の駐車場(1630メートル)に着いた。
設置されていた立派な箱に「登山計画書」を投函し、ゲートを抜けて歩き始める。ここから標高差約150メートル余の登山口(1790メートル)まで長い車道(3~4キロメートルほど)を歩き、 12時半に登山口に着いた。Knさんの先導により、気持ちも新たに明るいカラマツ林を登り始めたが、しばらく行って先頭を交代した。豊口山へのコル(2160メートル)から勾配が弱まるが、無雪期の1時間10分に対してすでに1時間50分かかっていた。ここで初めて本格的な雪が出てきた。すぐ尾根に取り付き、さらに北側面のトラバース道となる。その先で、氷状雪面に加えて、一部切れ落ちている箇所もあったので、危険を覚えてアイゼン装着、ピッケル使用とした。通過後は、すぐピッケルからストックに戻した。 豊口山へのコルから上は、緩やかに上昇しながら、北側斜面のトラバースが続く、思いのほか長い行路だった。ときどき雪面を踏み抜く「ツボ足」もあって時間が過ぎていき、明るいうちの三伏峠到着は期待外となった。ビバーク適地があれば、と行路沿いを探したが、1か所としてなかった。塩川からの旧道(現在は廃道)との分岐(2450メートル)着が6時半近くとなっており、ここでランプを出した。 分岐から直角に右折して尾根上の道となり、傾斜が強まる。その上の樹林の切れ間から、本谷山越しに薄青い塩見岳が不気味な岩峰をのぞかせた。尾根道をひと頑張りすると、峠へ至る水平道となった。やや行くと、小屋だった。7時40分を回っていた。テント場を確認しに行ったが、すぐ使えそうな大型のテントサイトはなかった。「冬期開放小屋」泊に傾いたとき、先着者5名ほどのうち男性が移動し、一部屋を私たちに空けてくれるという。同宿者へ迷惑をかけることをこの上なく申しわけなく思った一方、その好意に深く感謝した。 ザックを入れ、小屋に入った。1人だけ、明日の早朝から塩見岳を目ざすという男性が片隅に寝ていた。食事をとったあと、最小限の明日の行動を小声で話し合った。明朝から即下山という声も上がったが、塩見岳山頂を、という前向きな意見もなかった。確たる結論ではなかったが、明日は「休養日」とし、テントを張って自分たちの生活と隊列を立て直すという折衷案にともかくも落ち着いた。就寝は9時過ぎだった。 |
圏央道・常総IC前で待ち合わせ | 中央道・松川ICを降りた近くのスーパーマーケット |
鳥倉林道終点の駐車場 30台程度収容可 トイレ・水が完備 | ゲート前の登山者カート投函ボックス |
ゲートを抜け、歩き始める 山行が始まった |
登山口(1790メートル) 広い平坦でテントも張れる | 登山道を登り始めてからわずか 明るいカラマツ林の中を行く |
葉を落としたカラマツ林をたどるジグザグの道を登る | 林が一時切れた場所から、南ア・荒川三山への縦走路を右側に仰ぎ見る |
トラバース道の通過(1) | トラバース道の通過(2) |
トラバース道の通過(3) 太陽が傾いてきた | 塩川からの旧道(いまは廃道)との合流点 |
■5/3 |
早朝4時過ぎ、同室の男性が塩見岳に向けて出発した。その後、6時前に私たちも起床した。小屋に一礼して、7時には荷物をまとめて外に飛び出した。樹林の中に20張りほどの広さの、切り取られたようなテント場を見下ろすように、青空がこの日も覆っていた。 小屋のすぐそばの上段には小さなテントが数張り残置されていたが、下段のサイトにはテントはなく、その形跡もなかった。入山者が少ないことを物語っていた。私たちは上段のテントから隔たった下段の適所を選んで、代わるがわる整地のスコップを振るった。2張りのテントが建った。 昨夜の話し合いから、塩見岳登頂は断念すること、3日の下山は見送るが4日の下山とすることなどを前提に、最も三伏山までの登山を昼前後に組み入れることにした。 10時過ぎにテントを後にして少し下る暗い樹林中を進みながら、踏み跡が二手に分かれた箇所に出た。右へ行ったが、烏帽子岳・三伏小屋への道だとわかり、修正して左の道に戻した。聞いたところ、早朝に塩見岳を目ざした他の隊には、このあたりで2時間も迷った組があったという。緩やかに上る尾根から樹林が消え、低木帯から岩稜帯へ、そして雪稜に変わった。そこには思いもよらぬ大展望が待っていた。山頂には「三伏山2615m」の道標が立っていた。雪稜を本谷山側に移動すると、塩見岳を真ん中にして仙丈ケ岳から白峰三山、蝙蝠岳までの豪快な連嶺が背景に横たわっていた。1時間近くも展望を楽しみ、集合写真を撮って、来た道を戻った。 強烈な日射を受けながら雪上でのビールでの乾杯となる。行動計画変更により余った食材の野菜炒め+うどんをその日の昼食に充てる。MTさんの調理でおいしくいただいた。ゆったりとした、静かな時間がそれぞれに過ぎていったそのとき、小屋の屋根半分に残っていた厚さ50センチほどのブロック状の雪が、ドーンという音とともにテント場側に落ちた。住人不在の1張りのテントが危うくつぶされるところだった。そのころテント場にやって来る登山者や、テント場に戻ってくる登山者が数人いた。 太陽が傾き始めた4時半、私たちもテントに入った。それぞれの自慢のツマミとアルコールが出、世間話やとりとめのない話に花が咲く。いつしか、この夜も締め時になっていた。9時過ぎ就寝。 |
大型V-8のテントの骨組みができた | 黄色の2張りのテントを後に |
三伏山に立った! | 三伏山上の道標 |
三伏峠、小屋を振り返る* | 前小河内岳(左)と烏帽子岳 右奥の雪嶺は悪沢岳* |
南アルプス南部の名だたる雪嶺群 中央は板屋岳* | 三伏峠から烏帽子岳(左)と背後に顔をのぞかせた悪沢岳* |
荒川三山への縦走路となる峰々* | 三伏山から見た塩見岳 |
三伏山* | 三伏山山頂での記念のショット |
テント場に戻ってきた オレンジ色の2張りが我らのテント | 三伏峠のテント場から見た三伏山 |
野菜炒め+うどんと雪山の取り合わせ 実においしかった | つれづれなるままに時間が過ぎていく |
テントの中でのくつろぎ(1) | テントの中でのくつろぎ(2) |
■5/4 |
早朝5時に起床。テントをたたみ、アイゼンを装着して7時過ぎにテント場、そして三伏峠を後にした。この日も好天に恵まれたが、わずかに雲が増え始めていた。 30分で塩川ルート(旧道)との分岐を通過し、緩やかに傾斜するトラバース道を行く。注意しながら進んだが、沢を左から回り込んだ先で1人がツボ足に取られて転んでしまった。木があったから難を逃れたが、踏み抜いた際に自重で膝関節を痛めたようだ。いっそう慎重にゆっくりと起伏のある雪上の踏み跡を下る。 危険箇所を通過した上で岩稜帯となりアイゼンを外した。程なく豊口山へのコルを通過する。カラマツの尾根にさしかかったあと、右に曲がって傾斜がやや強まるころ、塩見岳を目ざした単独の男性が追い越して行った(登頂したと言う)。足の痛みが出始めるころ、ジグザグに下って行くと、ようやく車道が見えた。 ホッとするいとまもなく、長い車道が待っていた。駐車場は来たときよりもずっと彼方にあった。車に乗り込み高速道に入る手前のコンビニで昼食をとり、高速を順調に走った。道路が濡れていた。途中、冷たい風とともに雷雲が覆ってきたから、山中は氷雨に見舞われたかもしれない。この日、同じ中央道もわずかの渋滞ですみ、たいした遅れもなく8時前に常総ICを出た。精算をすませたあと、家まで送り届けていただいた。運転をされた方々、同行のみなさん、お疲れさまでした。 |
帰り支度 テントの収納にかかる | 帰路のトラバース道で |
あと少し と歩をつなぐ | 荒川三山への縦走路をなす稜線を仰ぐ* |
アンカーとなったTさん お疲れさまでした | 駐車場から来し方を見た 登山口は見えるさらにその先だ* |
参考までに―経過を振り返って
今山行で目標とした塩見岳の登頂は成らなかったが、その原因や経過のあり方について考えてみた。 1)進行計画の失敗 当初予定した2日の登山口近くでの幕営を、GWの交通渋滞を懸念しすぎ、山行を1日前倒しして取りやめ、そのまま登山続行につなげてしまった。これが、非常識な夜間到着を招き、塩見岳登頂の意欲をくじいてしまった。急ぎすぎた結果という面があるのではないかと思う。 2)体力の問題 雪道による歩行の大変さや時間のロスはあるが、登山口から三伏峠まで参考時間(市販の地図にある基準時間)に比べて実際は倍以上の時間を要した。これは、10人という大所帯による歩速制限を考慮したとしても、かかりすぎている。パーティ―構成員の平均年齢の高さなどからも、全体の登山の力量が低下していた結果によるところが大きい。 その限りで、2日の駐車場着時刻では登山の続行はすべきでなかったと思われる。 3)その他の要因 大きくは以上の点が登山の失敗を招く重要な要因となったと推測する。ほかに派生的な要因だが、メンバーが多く、その体力や経験の度合いがまちまちであった背景を考えると、進行を遅らせる因子は少なくなく、それらが複合して現れた結果として大幅な遅れが出たと考えられる。 1日目(2日)の行動を高く設定した(急ぎすぎた)ため、翌日以降の計画を全否定するかのような流れとなったが、もっとゆっくりとした進行としたなら、このような進行全体の破綻が急激に現れることはなく、登頂行動が一気に消失することもなかったかもしれない。そう考えるなら、全員でなくとも登頂できた可能性はあると思う。ただ、まわりの登山者から聞いた限りでは、約半数者しか登頂していなかったようだった。過去に本会では同じ時季に2回試み、2回とも登頂しているとはいえ、現在の私たちの状態からすると、塩見岳は意外と遠い山なのかもしれないと認識した。 夏時間で三伏峠から往復10時間程度を要するが、この時季に塩見岳を目ざすなら、過去にそうしたように本谷山の手前ぐらいまでテントを先に進めておくことが賢明で、そのためにも私たちにおいては3日に登山口発と遅らせるべきだったと考える。
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