5月の山行

世界遺産  大峯奥駈道北半分を、歴史を感じながら歩いた

霧で見えない八経ヶ岳山頂 👆 / 西の硯にて、ここから鎖でぶら下げられる 👆
         
   1. 実施日: 2019年5月16日(木)八重洲夜発~20日(月)新宿早朝着
         山中2泊5日(うち2回は3列独立シートの夜行バス) 

2.参加メンバー: K(SL)、Tu(記録)、N(写真と医療)、F(会計)、I(CL)

3.装備: 標準テント宿泊装備(但し2ツエルト)+行動・非常食等

4.費用: 22,538円/人(往復夜行バス13,900円/人、弥山小屋素泊まり5,500円など)

5.コースとタイム:  
 16~17日 八重洲22:10-バス-06:20JR奈良06:37-近鉄-08:08吉野

  【1日目】 11時間10分(休息込み) 距離18㎞

 吉野駅発8:20→0845吉野山→金峯山寺バス停08:53-バス-奥千本口9:05→09:12
 金峯神社09:30→11:28四寸岩山11:38→12:42二蔵宿小屋12:55→14:56五番関15:10
 →16:58洞辻茶屋17:08→18:30山上ケ岳18:45→19:30小笹の宿

  【2日目】 12時間10分(同))同13㎞
 
 小笹の宿5:20→06:15阿弥陀が森(女人結界)06:15→和佐又分岐→大普賢岳7:42→9:16
 稚児泊9:25→七曜岳9:20→11:45行者還避難小屋12:40→17:30弥山小屋

  3日目】 7時間25分(同))16㎞

 弥山小屋7:00→7:30八経ヶ岳7:35→7:55弥山小屋8:00→8:10弥山→9:05狼平避難
 小屋 9:20→11:20栃の辻11:30→14:25天川温泉バス停 温泉入浴後15:25-バス-
 下市口16:54-17:51 JR五条(和歌山)21:10-6:00新宿

6.山行レベル:技術度 中級 体力度 風雨の中で中上級となった

7.地図: 国土地理院(吉野川 洞川 弥山 釈迦ヶ岳) 山と高原地図(大峰山脈)

8.下山連絡先:Tb

 今回は一日の歩行時間が長いことから、パーティ全員で軽量化を図る。それは2つのツエルトを使う こと、フリーズドライ食糧を多く使うことで、共同装備と食料で1.2㎏/人となった(表参照)。その結果 個人の荷物は個人の水、食料を含め12㎏前後に収まった。15㎏の人もいたが。Kさんがご自身の  ツエルトを実際に張ってみて、その際の情報も共有できた。さらに、歩行では、長丁場なので急がず 1時間ごとに立ち休息等の5~10分程度の休息を必ず取るようにした。長い休息は取っていない。

5月17日(1日目)
 八重洲鍛冶屋橋駐車場22:10発夜行バスで、JR奈良駅着。バスは3人独立シート、カーテン、トイレ付でコンセントと無料のペットボトル付。でも相変わらず眠れない。奈良駅より乗り継いでいく中、私は、向かいに座っている70才代ぐらいの方が読んでいた黄色の本の表紙が目にはいっていた。「大峰山遭難の記録 2011年8月」。その方が話しかけてきた。太古の森から前鬼口に下りて単独で遭難して6日間さまよった、幻覚もみたと。
 
山と渓谷2013年8月号に掲載された。羽根田さんが迷い地点まで一緒に登って書いたもの。その方が書いた記録そのものをいただき、Tuさんが預かる。パーティ全員にコピーを配る。なお、その迷い地点を地図でみると、太古の森の東の先、ルートは直角に右(南)に折れる地点で、そこを真直ぐに行ってしまったと。おかしいと思い、戻ればいいものを戻り切れなかった。電車や車両が変わっても、そばによって来られて、いろいろと話してこられる。当方のウエッブ名も伝える。いただいた記録の活用にて自分たちも気を付けていかねばと肝に命ず。
 
近鉄吉野駅08:08着。吉野口でJRから近鉄に乗り換える際にホームに設置の乗換改札機にタッチしなければならないこと。これをしなかったため、吉野駅でみんなカードを精算する羽目になり、時間が数分ロスとなった。トイレ等身じろぎ含めて、08:20出発、九十九折りを20数分かけて登り切り、吉野山 周りは、中千本で、4月の桜の時期は「人目千本」といわれる名勝である。歩いてほどなく、世界遺産の金峯山寺。その前で全員の写真を店舗の方に撮ってもらう。ほどなく奥千本行の朝一番のバスが到着。そう、これに乗らないと、小笹の宿には明るいうちには到着できないからだ。また、舗装された道ゆえ、あるくには適していない。途中義経と静御前とが今上の別れをした吉水神社があるが、今回はパス。奥千本口に定刻 09:05着,ここで写真を撮る(修行門とある)。少し奥(南)に登って、金峯神社。ここも世界遺産。義経隠れ塔もある。
 
ここからKさんを先頭に歩き出す。他に登山者はいない。天気は五月晴れ。林道や山道を交互に繰り返しながら、徐々に高度を上げていき、最後に一汗かいて四寸岩山。以前来た時とは雰囲気が違い、広い山頂となっている。運動不足の急登の中、私は左右のふくらはぎが交互につる事態が起こり、恐る恐る登る羽目に陥ってしまった。途中で濃いポカリを飲み、事なきを得たが。そこで今回は最後までふくらはぎの筋肉で強く蹴りだす歩行は控えが、歩数は増えた。痛み止めのノイトロピンで股関節の痛みを抑えているのに情けない。山頂から緩やかに下って、足摺小屋、そして二蔵宿小屋。ここは泊まりたくなる快適な小屋だ。ここからは大天井岳を経由せず、200mの登りを回避して30分ゲインしましょうと。2本の登山道うち、水場方面に歩き10分で水場につくも、先に道がない。2本と思ったのは3本あり、真ん中が、う回路で水場がある道。ここで直角に右にいく大天井岳経由に比べ30分ほど時間が短縮できるはずだったが往復15分ロスで、結局15分ゲイン。途中2ヶ所あった水場で沢の水を入れて、ひと登りで五番関到着。
 
あまりに有名な女人結界門がある。かつて来た時には、門の女人の女が削られていたが、今はある。関には1組6人ほどの男女パーティがいたが、彼らはすぐ下にある五番関登山口(車道)に下りて行った。わがパーティに女性がいれば、ここで一旦降りていただくことになる。10分の休息後、山上ヶ岳に向け南東方に足を踏みだす。山腹の北側を巻くように登っていくが、快晴の下ブナの新緑がまぶしい。シロヤシオも目につく。ここから最後に鎖場を登って、下ったとこが岩山で、天に城がそそり立つような山上ヶ岳の威容が見える。そちらから法螺貝を吹く音が時折聞こえる。中川さんが法螺吹きとの関係はと私に聞いてきたがわからなかった。調べると法螺吹きは法螺貝を吹くと見た目以上に大きな音が出るため、予想外に大儲けしたものを「法螺」といって、その話に尾びれや背びれをくっ付ける事を「法螺吹き」と言うようになったようだ。
 
ほどなく洞辻茶屋、金曜夕方では誰もいない。さらに胃薬で有名な陀羅尼介茶屋を越えて、左右に道が分かれるところにくる。左は鎖場や鐘釣岩があるやや高度、右はずっと階段。私は以前左を歩いているので、皆さんに左を推奨して、ここで別れる。途中合流して山頂域に達する。ほどなく、有名な「西の覗き」に達し、みな絶壁を見る。前にいた登山者(または服装から行者)がいろいろ話かけてきて
「先に行って待っていようか」と声をかけてくれたが、丁寧に辞退した。ここはそそり立つ絶壁から命を断つ覚悟で身をのり出し、仏の世界を覗く修行する場であるが、500円を払えば男なら誰でも体験できる。が今は番人がいない。そこから、いったん下り、登り切ったところが大峰山寺、宿坊もある。さらにその上が山頂であり奥に三角点がある。宿坊からは声がかかる。寺は閉まっている、小笹まで気を付けてと。写真をとり、今夜の宿、小笹の宿に向かう。心配なのは、先の方が小屋だと、こちらはツエルトを張る可能性が高まる。途中暗いながらも左側に人の手の入った石垣が目に入る。
 
山頂から皆さんヘッドをつけて、45分程歩く。私も後ろから真ん中に入って、TuさんやFさんが道を照らしてくれる。私はヘッドなしで夜目であったり、アイゼン装着も我慢の人間であるが、やはりライトがあると歩きやすい。するとお堂とお世辞に奇麗とはいえない小屋が左側に立っている。先客がいると、ツエルトになると道中心配したが、明かりは見えず今夜は我がパーティ5名で小屋を独占使用。例の方は行の方で宿坊泊りか。板間と土間が半々である。つめてあと1名か。事前の情報では3名というのが多いが、よっぽどゆったり使用か、土間を使わないケースだろう。土間も使えば10名は入る。本来はここで行を行う僧侶の方が、泊るための小屋であり、我々は有難く使わせてもらう。歴史をひもとくと、もともとはここに数十軒の僧坊が建ち並んでいたと。さらには前大僧正行尊が、百人一首の「もろともにあはれと思へ山ざくら 花よりほかにしる人もなし」と歌ったところがこの小笹の宿。

 しかも、小屋のそばに清流が流れ、飲み水には不自由しない。おそらく源は南の竜ヶ岳の残雪等が源ではないかと推測する。ただ、小屋の扉が壊れていて、隙間風が入ってくるのは仕方ない。ランタン代わりは、私が持参のモンベルのシェードとKさん持参のライトにコンビニビニールで被せたものを天井からつるす。まずはつまみも兼ねて、エリンギ600gをガーリックバターで炒める。背負ってくれたNさん、「こんなに量がいるんですか」。結局皆食べきった。旨い。酒もNさん、Fさんのザックから出てくるTuさんからは豆類の提出があり、私もそれに合うモルトウイスキーを出す。次に、Fさんに背負っていただいたベーコンとネギのガーリックバター炒め、これはカロリー補充にぴったり。Fさんが持参のまな板でネギやベーコンを刻む。最後は丼の素をごはんに賭る。
 
Nさんが、私の山行は、何かある(起こる)のですが、麻薬みたいなものでやめられないと。なんか褒められているのか、けなされているのか?良い方にとっておこう。あす03:30に起きることから、話し込んでも22:00就寝。就寝後、屋根のトタンを風があおる音がうるさい。雨音も聞こえる。小屋自体は木つくりで丈夫。私は寝返りを打つばかりで眠れない。
   
         
 行程図
 大峯金峯山寺前で勢揃い
 金峯神社前修行が始まる  最初の小屋足摺小屋
 内部も立派な二蔵宿小屋  女人結界門1
 女人結界門2  軽やかな道
洞辻茶屋  要塞のような山上ヶ岳
 西の硯 山上ヶ岳山頂、三角点はこの後ろ
         
     5月18日(2日目)

 起きてはみたものの小屋まわりはガスって、霧雨状態。朝食は寝起きのお茶を一杯。Kさんにもってもらったコンソメにフランスパンを入れて、そこにとろけるチーズをかぶせたもの。コーヒーも飲む。これで水分は確保。

 05:00出発、天気は小雨。ゆっくりと、南東方面に登っていく。2018年の台風による倒木が行く手を遮っており 何度も迂回したり、またいだりを繰り返す。そのため予定以上に時間がかかる。ここらあたりはシャクナゲが目につく。6月には花が咲き乱れるのだろう。阿弥陀が森に到着。ここから東へ柏木方面へ道が続く。とりわけ南風が10数m。明王ヶ岳は気づかず通り過ぎた。登山道が南西への尾根を交互に巻いたりするので、北側をあるくと風はない。小普賢岳、和佐又分岐、大普賢岳と地形図では等高線の密な東南斜面側には梯子や鎖が頻繁にでてくる。ここで、1人和佐又からの単独行が追い抜く。風のない稚児泊で小休止。ここで計画より既に1時間30分ずれていると話す。このままでは楊子ヶ宿小屋には到着が19:30頃になると。また七曜岳あたりまでは気の抜けない道が続く。梯子やら、鎖やらが頻繁に出てくる。トップをお願いしたKさんは昨日は寝付かれずに大丈夫だろうかと気がかりであった。

 
梯子や鎖に強い雨風が合わさると、まさに修行の道である。それでも上をみるとところどころに、ヤマボウシが花をつけている。そこを徐々に緩やかに下っていき、最後に階段を3つばかり下ると、行者の水場があり、しっかり水が出ている。水を汲んで、すぐに立派な行者還小屋に到着。ほどなく、行者トンネルから上がってきた関西のハイカー5名ほどが来た。小屋は2部屋あるので、奥を我々、そのパーティは手前を使用。

 
お茶を入れ、皆で相談して、天川に下ることに決定。狼平避難小屋か弥山小屋かで検討して弥山小屋に泊ることに決定。歩き出すと、コバイケイソウの群落が、山全体を覆っている。
一の垰(たわ)もすぎて、シロヤシオが目につく中、行者西トンネル登山口からの登山道との合流点、奥駈出会いに着く。ここが、車で来て最短で八経ヶ岳(100名山)に登れる最短ルート。現に、先に進んでいくと、6組12人の方々とすれ違った、皆さんデイパック。そのうちの裸足のサンダル履きのハイカーになにげに弥山あたりのこと聞くと、モンベルのパーティがテントをやめて小屋に変更したと。弁天の森を経て聖宝の宿跡で小休止。
 
疲れた体に鞭打って最後に弥山小屋まで50分。300mの登り。ここからはなかなか大変ですよと皆に念を押す。途中1回休みましょうとも。私はどうも眠気と腹から戻すような気持になる。階段がえんえんと続く。何度も何度も、皆が小屋はまだかまだか、道は間違っていないかと2度ほど休みながら登り、標高1895mに立つ弥山小屋に到着。小屋前に小型テントが一張り。

 
小屋にて、素泊まりを頼み、入口向かいの一号室20人部屋の通路を挟んだ下5人分を使ってくれと。結局、部屋は我々だけの利用となった。ストーブがしつらえてある。有難い。濡れたカッパ類は扇風機のある入口入って右側の乾燥室に干す。既に先客が20数名使っているがまだ余裕があった。
自炊は、入り口の右にある場所で行うも対面型の席ではない。おそらくそうした客は少ないのだろうと推測。どうやら私は体が冷え切ったようで、膝がぶるぶるする。そう、古いストームルーザーのシームテープが取れたところから雨が入ってきて、シャツが濡れてしまった。熱いお湯とお茶を3杯のんで人心地がついた。Nさんが食堂暖かいです、と言うが、ストーブの回りは他の登山者の女性陣が囲んでいて入る隙間もない。
 
夕食はベーコンタマネギポテトのガーリックバター炒め。背負ってくれたTuさんがおれが料理しますと率先するまずはお湯を沸かし、各人のアルファ米に注ぐ。ガーリックバターの香りが食欲をそそる。
Kさんが、私が持参のフライパンいいよねと、炒めたり焼いたりすることができるのを褒めてくれた。私が買うなら四角がいいですよ、お湯も注ぎやすいから。そこにアマノフーズの畑のカレー、たっぷり野菜と鶏肉のカレー。これが皆さんから美味しいと評をもらう。10.5gに150gの水を灌ぐと本格的な辛口のカレーが誕生する。難はアマゾンで8個2,286円、281円/個と高価であること。でも軽くて美味しいにこしたことはない。
 
Nさんから、これで私がリーダーで3度目(大無間山、黒法師岳、今回)、実はタカマタギもあるが、でIさんの食事が毎回進歩している、今回はフランスパンにチーズがでてきたと。

 
その後は場所を食堂に代えて、20:30までストーブのそばでくつろぐ。ここで、小屋番の方が入ってきて、会話する。小笹からここまで8時間なんだけど、遅くないかと、ええ、9時間以上かかりました。とりわけ阿弥陀が森までの倒木のところで時間をくってしまった。知りたかったのはこの方が行者までは道を整備されている。その先がどのようになっているのか知りたかったようだ。行政にも話しているが、なかなか動いてくれない。道迷いの削減の虎ロープの設置など町に促すがなかなか動かないと。
また鳥取県のキャリアの方の遭難や先に電車でお会いした単独行の方の遭難の話もする。     21:00就寝。
   
         
水場もすぐそばで快適な夜を提供してくれた小笹の宿  雨風の中鎖もあり
コバイケイソウの道  行者還小屋手前の水場 
 立派な行者還小屋  聖宝の宿跡
 弁天の森
         
    5月19日(3日目)

 04:30起床、まずお茶を飲む。今日はアマノのにゅーめん蟹のかきたま(一人当り1個と3分の一で約20g)にお湯を200g強入れて、ネギと焼スライス餅を3枚乗せたもの。個人的には朝の食欲がわかないときには、格別食べやすく美味しいと思う。餅も腹持ちする。
 
 07:00ここから南周りに周回せずに、100名山八経ヶ岳を空身でピストン。Nさんだけ鍛えるためかザックを担いでいく。このルート上にはここに自生する天女花といわれる「オオヤマレンゲ」が咲くのだが目にはいらない。柵はあるのでそれを鹿害から保護しているようだ。山頂はあいにくガスと雨でなにも見えない。Nさんからやらないんですか?やりましょう。皆さんでご一緒に「有難う、八経ヶ岳」。と大声を張り上げる。すぐに来た10数名のモンベルツアーの方々に聞こえたかもしれない。その引率者の方にわがパーティ5人の山頂写真をとってもらう。小屋に戻り、その後弥山を経て下山開始。木製の階段がえんえんと狼平避難小屋まで続く。小屋はしっかりとしたログハウス風で水は近くの川。ここから天川川合か天川弁財天方面(坪内)への分岐の栃尾辻まで歩くが、すでに雨はあがり、時折陽がさす。虎ロープが設置してあるところもあり、登山者(とりわけ登りの方)が道を見誤らないようにしている。これもあの小屋番さん。道は五月の新緑の下の広い尾根の中をかろやかに下っていく。
 
 栃尾辻から北へ一般的には天川川合へ1時間50分、西に大原経由、天川温泉のある坪内まで2時間10分と20分余計に時間を要すが、下山後の温泉が待ち遠しい。当然坪内を選択。しかし、このルートの一部はひどかった。途中の大原あたりからは山腹を巻くへっつり道となり、落ちるとケガではすまない。ほとんど踏み跡はないか微か。鉄製の天理大ワンフォゲの古い標識はある。また山の斜面が崩落で道が消失しているところも多々ある。さらに1か所完全に登山道が流出しているところがあり、5mの金属のワイヤが張られて、それを使って通過。写真を撮る余裕はなかった。この辺の通過には20分の約3倍の60分を要したと思う。その分汗をかいた。その後は鉄塔整備用なのか道は広く、葉が落ちて柔らかな道。ヘリポートもある。つまりこの登山道は即ち、林道なのである。その先林道が大きく1ヶ所崩落し、落石のない開けたところで一服。東をみると、天川川合への尾根に沿って、ガードレールのある林道が走っているのが見える。自分たちの位置も確認できた。地図に記載のあるこの地点より、さらに北西(下部)にある川沿いにある林道に下りていく登山道があるようだが気を付けていたわりには、それに全く気付かなかった。
 
 さらに下って行くと、右手にかすかな登山道が見え。今は閉鎖されているところに出る。そこには「坪内弥山コースは、大規模な山腹崩壊により登山道・林道が消滅しています。川合弥山コースをご利用ください。天川村」と書かれたビニールに入った書面が地面に転がっていた。今さら下ってきて言われても困る。登りの登山者むけではあろうが。
 
帰京後調べると、昨年の台風で崩落して、昨年は栃尾辻には坪内方面に通行禁止の虎ロープが設置してあった。今回それらしいものは見当たらなかった。しいて言えば、中ぐらいの大きさの裸の枝が一本、道の半分をふさいでいるようにも見えたが。最新版昭文社山と高原地図も鵜呑みにしてはいけない戒めである。今後は単純な道のようでも、直近の状況を一度は調べておくことが必要である。ということで、昭文社には新たな記載方法も含めすぐに連絡しておいた。回答があり、自社でこの情報を確認し、次回改訂版の際には、適切な情報を提供できるよう、より一層の改善に努めていくと。こうした道に慣れた方々にはなんともないが、初めてだと不安がつのるはずである。
 
未舗装の幅広の林道から舗装の林道へ、そして最後に大崩落の道を通り、天川温泉に1時間遅れの14:25着。Tbさんにパーティ全員無事下山したと連絡を入れる。なお、スマホのGPSでトレースを取っていたつもりだったが、バッテリーセーバーを起動していたため、GPSが機能していなかったのは残念。

 そして、望みの温泉に入ることができた。皆さんシャツ等の着替えを持参。私は、下着を着ないでシャツのまま。15:22発の下市口へのバスは乗降客がなく、この5人で最後まで貸切。近鉄に乗り、先日通った吉野口駅のホームにある改札にタッチしてJR西に乗り換え、五条へ。お勧めしたここ五条にしかない老舗の「柿の葉すし本舗 ヤマト」で皆さん柿の葉寿しを購入、その後バス乗り場を確認後、イオン内の店で軽く打ち上げを行い、余った時間はイオン内にいた。そして21:10発、往路と同じような3人独立シート、カーテン、トイレ付、USBありの新宿行のバスに人となった。新宿到着後、解散したが、Fさんだけは、会社に出て着替えて出勤するという猛者ぶりだ。
 
 Kさんからは一部やり残したが達成感があるとの言をいただいた。八経ヶ岳以南の釈迦ヶ岳、由緒のある前鬼の希望があり、さらに熊野神社まで検討してみたが、今回と同じ山中2泊(小屋1泊、ツエルト等1泊)、バス2泊で行者トンネルから入って踏破できることが分かった。来年の山行に挙げよう。そしてなによりパーティで修行の道50㎞を3日間歩きとおしたことが何よりも代えがたい(I)。
 
   
         
 快適な弥山有人小屋 霧で見えない八経ヶ岳山頂 
落ち着くとろも多い天川への道 ここから始まる汗をかくへっつり
へっつりを抜け崩落した林道 天川温泉バス停
     
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