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活動の後に憩いの場となったテント場。
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「まごころネット」前に集まったボランティアたち。若者が圧倒的に多かったが、われわれのような年配者が混じる割合が増した感じがした。
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釜石市箱崎町の活動現場の跡。被災が軽微だった民家のそばを流れる水路の汚泥を汲み出し、清掃した。周辺の草木も鎌で刈り取った。
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釜石市箱崎町の作業場の一角。右向こうに見えるのは、廃校となった小学校の校舎。伸びた周辺の草を刈り取り、除去すると、大小さまざまな瓦礫や木屑、瓦・ガラスの破片など「人工物」が散乱していた。掘っても掘っても、これらの器物が出土した。
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陸前高田市上長部地区のバス置き場:4月末~5月上旬に「サンマ」の回収で1次隊で通った場所だ。往時とはまるで様変わりし、ここまで整理・復興が進んでいた。しかし、奥に踏み出すと、さまざまな危険物が出土した。
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同じく上長部地区のバス置き場から。
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同じく上長部地区のバス置き場から。
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帰幕後のなごみ。紅一点のNdさんには、またまたお世話をかけた。しかし、この場所は3次隊のメンバーからも聞いたように、虫が多かった。
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大槌町小槌地区の被災現場。この周辺は、最も復旧から取り残されていたように感じた。そこらじゅうに、大小の瓦礫、廃屋がまだ放置されたままだ。
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大槌町小槌地区の被災現場。活動現場から200メートル程度のところの漁港には、うず高く漁具が積み重ねられてあった。出漁は遠いと思われた。
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