3月報告

「大震災ボランティア第7次活動報告」
(遠野まごころネットでの支援活動)




昼食時、日本財団で来た学生さんと/作業が終わりこの後、黙祷
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     「大震災ボランティア第7次活動報告」
      ~手をつなぎ前を向いて~


 3月11日午後2時46分、釜石市箱崎地区の廃校となった小学校前の広場で、防災無線のサイレンとともに脱帽し、海に向かって黙とうした。各自の思いは違うかもしれないが、今回の参加者5名とも、来て良かったという思いだった。

■実施日 2012年3月10(土)-12日(月)
■参加者 男性4名、女性1名 T(企画・車)、G(会計)、S、I、F(とりまとめ)
■行程
10日  我孫子駅集合6:00--15:00 遠野まごころネット着。センターでの団体登録など。
11日  釜石市箱崎地区 廃校になった小学校前の瓦礫処理
12日  大船渡、陸前高田、南三陸、石巻などを回って、18:30我孫子着

■プロローグ 3.11は現地に居たいと話をし、行く方向で検討に入った。遠野まごころネットに登録して、ボランティアとして行くのか、式典に参加するだけにするのか、意見が分かれた。式典にしても、遠野まごころネットがどういうことを考えているのか、ホームページでも質問メールへの返信でもハッキリせず、行って登録時に決めようということになった。

■概況 3月10日
・朝6時に我孫子駅に集合し、高速を走り、先ず遠野まごころネットへ行き、団体登録することにした。3月11日は釜石市箱崎地区の瓦礫処理のハード作業があるということで、その作業にエントリーした。
・今までにボランティアした人が延べ5万人を越えた、3月8日149人、9日229人とも書かれていた。新聞には、昨年5月の連休中がピークで1日最高600人、夏から秋にかけて次第に減り、12月・1月は多くて50人ほどと書かれてあった。大震災後1年になるここにきて増えているのだろう。

3月11日
・朝は雪が少々パラついていた。7時半に遠野まごころネットに集合、かなり多くの人が集まってきた。釜石市箱崎地区対応だけでバス5台、150人くらい居たのではないかと思う。
・釜石の市街地は、店を開けているところがあり、補修に掛かっているところもあった。
・箱崎地区に到着。廃校となった小学校前の広場で瓦礫の撤去作業。一度整地されたのだろうが、まだまだ瓦礫は一杯であった。午後2時過ぎまで作業した。昼食時、日本財団の募集に参加して来ていた大学生と話をした。皆、気持ちの良い若者であり、何か日本の行く先も捨てたものではないなと感じた。
・午後2時46分、海に向かって黙とう、心が打ち震える感じがした。隣ではすすり泣く声が聞こえた。その後、第3次で清掃などをしたその民家の主、Kさんが話をされた。「ボランティアの方が3.11に来ていただいて、ここに来ていただくだけで心が落ち着く、心が和む」。「子どもの野球チームに用具を揃えてやりたい。家の補修の廃材でキーホルダーを作った。1つ千円で高いが支援ということで購入いただきたい」。第3次で一緒に作業した方の分も買って帰ることにした。

3月12日
・雪が積もっていたが、天気は良く、大船渡、陸前高田などに寄って帰ることとなった。
・大船渡では、昨年10月に大船渡カフェで寄せていただいた際、その感想を書いている。
「活動1日目、仮設住宅に住まわれる方の交流を行う大船渡カフェへ、盛(さかり)では約10名の参加があった。85歳のSHさん、65歳からはじめた絵が津波で流され、避難してから描きためた絵を見せていただいた。傷心の中で、前向きの明るい活動・言動は素晴らしい、何かこちらがパワーを貰った感じがした。「また来てね」のお言葉、心残りになっている。」  それで突然だが訪問したところ、家に上げて歓待してもらい、またまたパワーを貰った感じになった。SHさんと一緒に写真を撮ったIさんは、「SHさんは写真を撮るとき、私をぐっと引き寄せてくださいました。小さいSHさんなのに、力強い手でした。本当に宝物になる写真です。ありがとうございました。」と書かれていた。
写真を同封して、Iさんの言葉も添えて手紙を送った。
・陸前高田では、前に来た際にさんまの処理、瓦礫の撤去などを行った上長部地区は、綺麗に整地されていたし、冷凍庫は新しく建ち、加工工場も建っていた。他地区に瓦礫が多いのと比べ驚きだった。
・海岸近くを南下していったが、特に南三陸は、言われているとおり、かなり酷い状態だというのが良く分かった。

■エピローグ ・Gさんのメールの言葉が響く。
「3.11ボランティア大変お世話になりました。皆さんとボランティアに参加出来て、とても充実した日々でした。ボランティアに参加の若者との写真や仮設住宅在住でのSHさんとの写真など、やさしい人の心が写真に写しだされているようです。」
・1年経って、どう考えれば良いのか、何を行動すれば良いのか、まだ心の整理がついていないが、何らかで活動を続けようと思っている。多くの方に支えられてのボランティア、更に一人でも多くの人が関わりを持っていただければ幸いである。多謝そして多謝
・追記:会社の大船渡出身の元同僚からメールが届いた。「3月11日を過ぎてだんだんと忘れられることになるかもしれませんが、被災地を思って実際に足を運んでくださる方がいらっしゃることをありがたく思いつつ、私もできることをやっていきたいと思います。まずは母や親戚、友だちなどの話を聞くだけでも私の役目だと思っています。」この言葉が今後の糸口かもしれないと思いつつ・・・  [20120321 F記] 


 岩手日報の3月12日の新聞記事

 3月11日、センターに集まった人々

 瓦礫処理に勤しむ

 昼食時、日本財団で来た学生さんと

 作業が終わりこの後、黙祷

 SHさんとIさん
 綺麗になった陸前高田上長部地区

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