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「遠野まごころネット」前のホワイトボード。
活動先(支援場所)と責任者(隊長)名が記され、そこに事前に登録した団体名が書かれる。
2段目に本会の名がある。 |
朝礼の風景。
おおよその説明が終わったあとは、活動先ごとに整列する。
個人参加者は、希望でそれぞれの位置に並ぶ。 |
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常楽寺跡前の駐車場。 |
作業場所。
草を引き瓦礫を除去し、普通の平らな土地に直していく。 |
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常楽寺参道脇にあった住居跡地。
ガタガタの跡地で、その凹凸は大きな瓦礫が地中に残っていることを示す。
この土地を掘り返して、瓦礫や石を大小関係なく回収した。 |
同じ住居跡地の作業風景。
ところどころにこんもりと盛り上がった小山があった。
それにさらに鍬を入れ、崩して平らとしていく。 |
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常楽寺跡地と高台の墓地(遠景)。
右側の建物は、新たに建造された鐘楼。
さすがに釣鐘は失われなかったようで、鐘楼に釣り下げられていた。 |
休憩中の風景。
背を見せる若者たちは神奈川大学の学生さん。 |
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釜石市内の一角。
バスから見る市街地にも、変化が見られる。
語弊はあるが、内戦の続くシリアの市街地に似た、混乱と無秩序の極みにあったと思われたそこに、静穏さと同時に、整然とした市街が少しずつだが戻っている。
損壊した建物は再建と取り壊しのどちらかが徹底され、損壊したままの建物はもうない。 |
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24日の朝のまごころネット前庭。
一昨日よりも多い。 |
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釜石市箱崎漁港でO隊長から作業の説明を受ける。
この一帯のゴミの除去にかかる。
一番手前の麦藁帽子の男性は最年長のSzさん。 |
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箱崎漁港と港のゴミ。
この漁港を含めて、三陸の海岸には入江がたくさんあり、絶好の漁港を提供する。
津波さえなければ、漁港の条件として申し分はない。 |
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打ち上げられた海の藻屑を回収するボランティア。 |
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打ち上げられた海の藻屑。
多くが海藻だが、それにいろいろな人工物や木屑などが絡まっている。 |
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すっかりきれいになった護岸上の平面。
この上に網を広げて仕事が行われる。 |
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どちらを見てもゴミはなくなっている。 |
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これだけの広さからゴミを除去した。
気分は爽快だった。 |
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網の一時保管をするブルーシート。
オレンジ色の物体は、ブイ。
この2人に逆に缶ジュースをもらってしまい、恐縮至極! |
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25日の作業風景。
かなり作業が進んだあとの一枚だが、この畑地がなんと固かったことか。 |
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手前に並べた石は、畑から掘り出されたものだ。
力が入る。 |
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毎日お世話になったコンビニ弁当(ローソンのおすすめ幕の内、398円)。 |
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作業が終わり、きれいになった畑地一枚。
左の家が持ち主だが、この家の海(向こう)側の一角が破壊された。 |
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作業後のおらが衆。
われながら、くたびれた顔をしている。
右側の、ずっと後ろの白っぽい建物が小学校跡。 |
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自治会館内の様子。26日朝の食事。
外には子どもたちが集合し始めていた。 |
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中央向こうの大工町自治会館に集まってラジオ体操に励む人たち。 |
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元気印のおらが衆。
会館には、お世話になりました。 |
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陸前高田の一本松(水門の左手)付近。 |
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陸前高田の復興作業現場。
ここにはかつて家屋由来の大型漂流物や、自動車のスクラップが山と積まれていた。
遠くに見える橋もなく、道も左右に通じていなかった。それが、瓦礫の山が取り除かれ、平坦地に戻されていた。市街地はこうして、少しずつ整地が進んでいる。
だが、市街地に住居は再建ができない。
住居以外でなにをそこに持ってこようとしているのだろうか。
市街再興の青写真を見てみたい。
街を再建したあとも、人口の呼び戻しは成るのだろうか。 |
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新たに造成された陸前高田市上長部のグラウンド。 |
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昨年5月初旬の、同じ上長部の現グラウンドができたあたりの光景。
このあたりは、学校もあったようだが、住居が立ち並んでいたと当時の家屋の土台跡から推測する。
被災で荒廃しきった状態がここまで通常に戻された。
しかし、ここへ子どもたちの姿が再び戻ってくるのだろうか。 |
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