日程:2012年10月12日~31日 トレッキングは10月14日~24日(11日間)
参加者:女性1名(M) 男性2名(K、F)
費用:約35万円 (渡航費用:15万円、トレッキングツアー代:13万円、カトマンズホテル代:3万円、その他:チトワン国立公園ツアー2万円、食費など)
[いろいろな顔を見せてくれるエベレスト] 写真をクリックすると、拡大されます
夕日に照るエベレストとヌプツェ
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夜明け前のエベレストとヌプツェ
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少し明けてきたエベレストとヌプツェ
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カラパタール頂上(5545m)から見た
エベレストとヌプツェ
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もうすぐ夜が明けるエベレストとヌプツェ
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朝日に輝くエベレストとヌプツェ
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[プロローグ]
・Kさんの声掛けでF、Mさんが参加表明。Mさんの希望で10月実施となった。
・Kさんがインターネットで調べてくれ、カトマンズと、トレッキングのスタート地点であるルクラ間の飛行機が飛ぶかどうか、その状況に合わせて対応できる余裕のある行程が組まれた。飛行機便の予約、そして現地で日本人が対応してくれ、HPの内容もしっかりしているということで、現地法人ヒマラヤンアクティビティーズ社でツアー予約し、ガイド1名とポーター2名のパーティと決まった。
・出発日が近づくに従い、階段の昇降の訓練を実施、高山病対策として北岳に登る予定が山行が実施されず、結局、出たとこ勝負となった。Kさん、Mさんは訓練も含め、山行に余念がなかった。
・高山病は深刻で、下山を余儀なくされたり、場合によっては命に関わる。それで、何が起こるか、どう対処すればよいかについて、山仲間に聞いた。
[10月12日(金)]
・20時40分頃、我孫子駅に集合。Tさんの見送りを受け、20時54分我孫子発の電車に乗り、羽田へ向かった。
[10月13日(土)]
・羽田00:30発、バンコック05:00着。バンコック10:15発、カトマンズ12:25着。
・翌日からの対応確認のため、ヒマラヤンアクティビティーズ社に顔を出す。ガイドはTejさん、25歳ということだが、可愛い坊やという感じであった。これが日本語は上手いし、なかなかのベテランで、いろいろなサジェスチョンを受け、いろいろな対応をしてもらうこととなった。
・14日の朝の飛行機は、アグニエアー、当初は10:30発だったが、8:30が取れたとのことであった。なお、帰りの26日はルクラ発9:00。翌日7時にホテルでTejさんのお迎えを受けるという約束をした。
・ルピー(Rs.)を換金(1Rs.=1円)し、ダウンジャケットを買いに連れて行ってもらった。
・夜は、ホテルを出て直ぐのタメル・ハウスで、伝統的なネワール料理と伝統の踊りを楽しむ。ロクシーという蒸留酒は、強い酒だが美味で、何杯かおかわりした。
・ホテルに戻り、借りたトレッキングに持って行く大きなズタ袋に荷物を詰め替え、寝ることとした。夜、携帯電話を見ると、電波状況は良いように見えてヒゲが3本立っているが、メールは受信しても、発信出来なかった。そのようなことがあるのだ。
・Kさんは行きの飛行機で風邪をひいたということだった。Fは夜中、良く目が覚める。喉がおかしい。うがいをし、トローチを舐めて事なきを得た。
[10月14日(日)] トレック1日目 ルクラ~パグディン ルート
・5:30モーニングコール、6:00朝食。7:00テージさんがピックアップ。町にはうろうろと犬や牛が居る。野良犬、そして野良牛と言うそうな。本当だろうか?
・国内線の入口には、ライフルを持った警官が立っていた。
・8:30発に変わったと聞いていたが、航空会社内の手続き不良で、当初予定の10:30発となっていた。10:30が遅れて11:30になり、一度バスに乗ったが、ルクラの天気が悪いということで引き返す。何時になるか分からない。飛ばないかもしれない。不安が募る。
・15:00になればホテルに戻ると言われた。そうなると行程が狂ってしまう。14:00急遽飛ぶことになりバスに乗る。ただし先に離陸する飛行機があるということで、バスの中で待つ。暑い。少しまたまた不安がよぎるが、バスもやっと動いた。
・14:30発、15:00ルクラ着。ルクラとは、ルク=羊、ラ=小屋という意味を持つシェルパ語とのこと。飛行機では勧められた左側に座ったが、ガスで景色はほとんど見えず。少し雪を被った山と縦の短い虹だけ見ることができた。
・ルクラのレストランで少し休憩し、トレッキング開始。最後はヘッドランプを点けて18:10パグディン(2,652m)着。
・ルクラへ到着することが先ず第一義。これが上手くいかないと全てが上手くいかないし、日程もかなり変更になる懸念がある。ホッとして、第一日目が終わった。
・ナマステとデンネバート(有難う)!を覚えた。
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最初に泊まったパグディンのロッジ
なかなか奇麗で気持ちがいい
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[10月15日(月)] トレック2日目 パグディン~ナムチェ ルート
・朝8:00、ナムチェへ向け出発。ドッドコーシ(ミルクの川)に沿って登っていく。ビスタール・ビスタール(ゆっくりとゆっくりと)を意識して歩く。途中、サガルマータ国立公園のゲートを通り、タムセルク(6,680m)などの山々を見ながらの山行だ。
・ジョルサレでの食事は、3人とも良く食べた。少し下った最初の長い吊り橋、ラルジャ橋からは600mの登り、Fの足は、牛歩(ゾッキョ歩?)より遅い、重い荷物を担ぐシェルパさんより遅い。当初6時間の予定が7時間掛かり、ナムチェ(3,440m)着。
・ナムチェバザールは、高度順応トレッキングの地であり、また下りの人も宿泊する賑やかな町であり、多く
の土産物屋が所狭しと並んでいる。
・夕食あまり食べられず。疲れなのか、高度の問題なのか? Kさんも食欲不振の様子。
[10月16日(火)] トレック3日目 高所順応トレッキング(3440m~3800mまで)
・高度順応トレッキングということで、シャンボチェの丘(3,800m)を目指す。日本人が経営するエベレストビューホテルの手前で、エベレスト(8,848m)の雄姿を見ることができた。エベレストビューホテルでは、残念ながらエベレストは雲に隠れていたが、ローツェ(8,516m)やアマダブラム(母の首飾り 6,812m)などの山々を見ることができた。
・エベレストビューホテルのテラスでゆっくり景色を見ながらお茶を楽しんだ。滋賀県野洲から来ているという、ガイド一人連れての女性一人の方がおられ、カトマンズからルクラまでの飛行機が飛ばず、4~5日、空港とダウンタウンを往復したという。これからゴーキョピークからカラパタールへ行くという。途中で会ったもう一人の女性は、お父さんの看護の後、自由になる時間を持てる内にと、会社を辞めて、単独でタイに行き、今はチュクンからアイランドピーク(6,198m)、そしてエベレストBC(5,364米)を目指すという。全て単独行で何ケ月の旅なのか、凄い人が居るものだ。
・ホテルを出ようとしたら、指がロウのように白くなっていて、感覚が薄い。植村直己が1年間住んでエベレスト登頂の訓練をしたというクムジュンの村へ下りる道でも復活せず、村に下りたところで股に手を入れて事なきを得た。一度軽い凍傷に罹ったので、血の巡りが悪くなっているのだろうか。
・クムジュンの北端にあるゴンパ(チベット仏教寺院)には、ガラスケースに納められたイエティ(雪男)の頭部と信じられている茶色い頭髪がスチール製の戸棚に鍵を掛けて保存されていた。その先、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリー卿が建てた大きな学校がある。そこから一山越えて、ナムチェへ戻った。
・郵便局は閉まっていた。明日10時に開くというが、その時は既に出発しているので、ロッジの方に出してもらうように依頼した。ガイドブックでは葉書はRs.25だったものが、最近Rs.50に値上がりしたとか。(11月20日現在、その葉書はまだ届いていない。)
#11月28日に届いた。消印は10月15日、AIRMAILと赤書したが、船便だったのか?
・夕食。Mさん食欲不振。Kさん風邪。
・カメラの電池の充電をする。アダプターは用意されており、フル充電でRs.100。他のロッジでは、1時間でRs.100が普通のようだ。
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ナムチェ(3440m)で高度順応トレッキング
シャンボチェの丘(3800m)にある
エベレストビューホテルでエベレストなどの
山々を楽しむ
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クムジュン村にあるゴンパ
(チベット仏教寺院)に納められた
イエティ(雪男)の頭部
信じる者こそすくわれるぅ
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[10月17日(水)] トレック4日目 ナムチェ~パンボチェ ルート
・5:30起床。良く眠れた。Kさんは頭痛とのこと。7:00出発。
・当初はナムチェからタンボチェ(3,860m)までの予定だったが、ロッジが取れないということで、パンボチェ(3,930m)まで行くことになった。ナムチェからシャンボチェ(3,750m)まで登り、プンキテンガ(3,250m)へ下り、タンボチェまで標高差600mの急坂、Fには結構堪えた。
・タンボチェからのエベレストの眺めは素晴らしい。タンボチェは、大きなゴンパで有名だが、全焼し1995年に再建されたもの。ゴンパ正面に向かって左奥の小道を進むと、見晴らしの良い尾根上に、橋本龍太郎の記念碑と、1982年に日本人として初めて冬季エベレスト登頂に成功し、帰路に遭難死した加藤保男の慰霊碑が立っていた。
・昼食後、少しくだり、長いだらだらの登りを行くと、パンボチェ(3,930m)に到着する。
・パンボチェのロッジには、単独行の日本人の男の方がおられた。前日、道に迷い、野宿をしたという。カトマンズからはルクラ行きの飛行機が飛ばなかったので、カトマンズからジリまで8時間バスに揺られ、そこから亜熱帯の道を4泊5日でルクラまで歩いたという。ロッジでのやりとりと言い、日本人でないような感じであった。
[10月18日(木)] トレック5日目 パンボチェ~ディンボチェ ルート
・前日に2時間多く歩いたので、パンボチェからディンボチェ(4,410m)までは5時間の行程。
・ディンボチェに着いて、Kさんは2時間のトレッキングに行かれた。私が歩いていたペースより少し早いペースで歩くと、それだけで息が切れると言っておられた。
・MさんとFは、村の散策をし、雑貨屋を覗いた。
・午後、前に出会った単独行の女性がロッジを訪ねてきてくれた。大変性格が明るい。携帯電話よりWi-Fiが完備されているので、情報を得るにはそれを使う方が良いという。
・夜は、素晴らしい天の川を見ることができた。
[10月19日(金)] トレック6日目 高所順応トレッキング(4410m~5050mまで)
・高度順応のため、ロッジの北側にある山に登った。砂埃の上に、坂が結構きつい。Fは4,900mで諦めたが、KさんとMさんは、ガイドさんが勧める5,050mまで登られた。寝ころんで待っていたが、真っ青な青空は気持ちが良かった。そこからは、アイランドピークや氷河湖、その他美しい山々が素晴らしかった。
・ロッジに下りたところで、ヘリコプターが来ていた。昨夜、大いに騒いでトランプをしていたシンガポール
の仲間の一人が高山病に罹ったということで、その連れ合いと2人が乗って下りられたという。こういうことは、日常茶飯事のようだ。
・翌日は、これもロッジの予約の都合もあり、相談の結果、ロブチェ(4,910m)までの予定を、更に上のゴラクシェプ(5,170m)まで登ることとなった。8時間の行程である。ガイドさんからは、馬に乗ることを勧められた。Fは、$200以下ならお願いするということで交渉していただいた。交渉結果は明朝聞くこととなった。
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ディンボチェ(4410m)で高度順応トレッキング
北側の山を5050mまで登る アイランドピーク、
氷河湖など、素晴らしい眺めだ
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4900m
パーティ6名全員で
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[10月20日(土)] トレック7日目 ディンボチェ~ゴラクシェプ ルート
・6:00起床、6:30スタート予定。馬の交渉は$180ということで成立しており、F一人、馬で行くこととなった。泊まったロッジの主は2日分相当なので$350と言ったそうだ。馬を連れてきたり、餌を与えたりで、結局スタートは7:30前となった。Kさん、Mさんと同時にスタートしたが、アッと言う間に、馬は先を行くことになった。広い草原を行き、小さな川を渡り、何か三蔵法師のような気持ちで馬に揺られていた。
手綱を持たず、ふつうは鞍の前を、下りは鞍の後ろを持って体を後ろに反らす。そうしないと前のめりになり怖い。馬は小川を渡る時は結構、躊躇する。岩の間を行く時は、あぶみがぶつかりそうになる。そしてお尻が擦れるのが辛い。でも歩くことを考えると天国だ。空身でそしてパカパカ、”カラパカール”だなんて言われていた。
・最後の長い登りに差しかかり、11:30にはゴラクシェプに着いた。その後、同行してくれたポーターはちょっと登ろうと声を掛けてくれたが、ロッジで昼食を取り、辺りをブラブラしたり、本を読んだりして二人を待つこととした。
・Kさん、Mさんは15:30頃到着された。ただただ登ったという感じであったと聞いた。
・カラパタール、あるいはその道々からの夕日に映えるエベレストは素晴らしい、というガイドさんの言葉に誘われて、17:30の日の入りのエベレストを見に登っていった。ガイドさんの言葉に反することなく、黄金に光るエベレストは、これだけで値打ちがあった。ロッジへの帰り道は暗く、かなり冷え込んでいた。ロッジに着いて夕食、かなり混んでいて、ストーブが暑く、帰って早々の食事で、とても食べられる状態ではなかった。明日は大丈夫だろうか?
・ガイドさんの勧めで、夜、高山病の薬、ダイアモックスを飲んで寝る。KさんもMさんも、飲み始めていた。
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ディンボチェ(4410m)から一人、ゴラクシェプ
(5180m)まで馬で行く 最後の長い登り前で休憩
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ゴラクシェプ(5180m)のロッジは満員
夜はガンガン、ストーブを焚いていた
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[10月21日(日)] トレック8日目 ゴラクシェプ~カラパタール頂上~ディンボチェ ルート
・KさんとMさんは3時起床。4:00出発。カラパタール頂上を目指して出発された。カラパタールは、黒い石という意味である。朝日に照る頂上からの景色は最高だったとのこと。後で、頂上往復はそんなに厳しくなかったので行けたのに、という言葉をいただいた。
・Fは前日の夕日で良しとし、カラパタール頂上を目指さず、6:30下山スタート。朝にもダイアモックスを飲んで、手が痺れる中、最後はエネルギー切れで、でも何とか13:30にディンボチェ(4,410m)まで下りた。KさんとMさんは15:30頃到着された。
・夜は疲れ切って、夕食前に横になる。食欲は全くなかった。それまでにもやってくれたことだが、ガイドさんが担ぎ上げて剥いてくれたリンゴは最高の贈り物だった。
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夜明け前のカラパタール頂上(5545m)
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カラパタールから見た
エベレストベースキャンプ
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[10月22日(月)] トレック9日目 ディンボチェ~ナムチェ ルート
・7:30スタート、16:00ナムチェ到着。最後はこれまたヘトヘト。でも食欲は出てきた。先ずは3人でビールで乾杯。
・聞いていた部屋とは違う部屋で、地下のジャンバルジャンが居た牢獄のような感じさえする、人の歩く音がうるさく、湿気がある酷い部屋だった。夕食はステーキをということでジンジャーステーキを頼んだ。水牛の肉ということで、硬く、味がなかった。
[10月23日(火)] トレック10日目 ナムチェ~パグディン ルート
・11:00スタートまで、皆お土産物屋を覗いたりして時間をつぶす。その間、葉書を書いたが、22日から祭りで郵便局などは1週間休みという。これまたロッジの方に投函を依頼した。(これも11月20日現在、届いていない)
#これも11月28日、前の葉書と一緒に届いた。消印は10月30日。ゆったりした時間が流れている。
・ガイドさんから、カラパタール頂上で採ってきた石を幾つか貰った。Kさん、Mさんも持っておられた。黒い石、日に当てると白い部分が光る、記念になる石だ。
・11:00スタート、4時間の行程が5時間掛かってパグディン(2,562m)着。胃腸の調子が悪く、背中がカチカチに凝っており、途中、ガイドさんとKさんに背中を押してもらい、何とか着くことができた。本日もエネルギー切れで最後は牛歩より遅くなってしまった。申し訳ない気持ちで一杯だった。
・ロッジでは、北アルプスの太郎小屋に勤めるネパール人が、太郎小屋を愛する登山家達を案内していた。写真左から2人目:Tejさん、右:太郎小屋勤務の方。
・ここでTさんに差し入れてもらったハタハタの昆布巻を食す。美味しい。日本食が恋しい。他のグループはどぶろくのチャンを飲んでいた。
・26日から25日に変更になる、ルクラ~カトマンズの飛行機予約は、まだハッキリしなかった。
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ゾッキョの荷上げ風景
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ロッジでご一緒したガイドさんとポーターさん
写真左から2人目:Tejさん、
右:太郎小屋勤務の方
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[10月24日(水)] トレック11日目(最終日) パグディン~ルクラ ルート
・雨と言われていたが、運よく晴れ。体調は大分回復。朝食におこげスープとトマト入りオムレツ、ホットレモンを食し、いよいよ最終地のルクラへ。7:30スタート、残り4時間の行程でルクラへ。Fは結構快調になっていた。Kさんがしんどそうにされていた。
・携帯電話を確認すると、ヒゲが3本立っていたので、そこで携帯でメールを送った。夕方、Kさんとスターバックスでコーヒーを飲む。Kさん語録:「目標に向
かって食べる」、Fは結局、これができなかった。
・ガイドさんの話では、明日25日、当初より1日早い戻りであったが、$140立替れば別会社の朝のカトマンズ行きの便に乗れる可能性大という。費用は戻ってくるし、確実にカトマンズに行ける便を所望した。
・夜は、ガイドさん差し入れの14日来のロクシーという強い蒸留酒と会話を楽しんだ。
[10月25日(木)]
・6:00起床。山の朝焼けが素晴らしかった。
・飛行機情報がコロコロ変わる。結局、11:30発の当初の航空会社アグニエアーに乗れることになった。手持ちのザックに入れておいた、貰ったカラパタール頂上の石を、チェックインで没収されたしまった。飛行機からの山々の景色を楽しみ、12:00カトマンズ着。カトマンズに戻れば、後は問題ないだろうと一安心。
[10月26日(金)~29日(月)]
・飛行機が飛ばない事を考えての予備日も使わず、しかも1日早くカトマンズに戻れたお陰で、カトマンズの町、カトマンズから車で悪路6時間のチトワン国立公園など、ネパールを楽しんだ。
カヌーでワニの住むラプティ川を行く
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カトマンズからデリーへ向かう飛行機から
ヒマラヤの山々を望む
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[10月30日(火)]
・いよいよ最終日。7:30朝食、ホテルでバッゲージを測ったら18キロであった。Kさん、Mさんは20キロと言われていた。
・ガイドのテージさんの見送りを受ける。一緒にコーヒーを飲み、お礼を言い、メールのやり取りなどを約束してお別れした。
・カトマンズ空港へ着き、チェックインしようとしたら、インドではデリーをはじめ4つの都市以外のトランジットの場合はVISAが必要と言う。今回はインドのバラナシ経由デリー経由なので、VISAが必要と言う。寝耳に水であった。急遽、カトマンズのダウンタウンに引き返し、エアーインディアに行く。神のご加護か、当初の1時間半後にカトマンズからデリーへの直行便があるという。持っているのはフィックスの航空券なので、当日を逃すと宿泊も含めかなりの出費になるし、帰国が遅くなる。それでその航空券を購入し、空港に取って返して、やっとの思いでデリー行きの便に乗ることができた。
[10月31日(水)]
・デリー発01:25の成田行きANAに乗り、本当に一安心。
・日本時間12:50、成田着。ヒマラヤトレッキングの旅も、これで幕引きとなった。
[エピローグ]
・注意することは幾つもある。高山病、下痢といった病気に関するもの。体力に関するもの。食事・水。飛行機便、特にカトマンズ~ルクラ間が日程を左右すること。その上で更にVISAの問題まで発生してしまった。しかし、スルスルと何とかすり抜けて、最終地に行くことができ、チトワンにも行って帰ってきた訳だから、この旅は成功と言っていいのだろう。ただ、KさんとMさんには、トレッキング中の行程でご迷惑をお掛けして、申し訳なく思っている。
・2年前の我孫子山の会創立20周年で講演していただいた、我孫子在住のセブンサミッター(世界7大陸の最高峰制覇者)倉岡さんに、今回のトレッキングに際してのサジェスチョンのお礼にメールを送ったら、下記のメールが返ってきた。
「おかえりなさい。カラパタールおめでとうございます!
なかなかの旅でしたね。また、インド経由のご旅行おつかれさまでした。
写真ありがとうございます。チトワンは私も何度か行っていますが、酸素が豊富でいいですね。これで会員の皆様に高所の話をできますね。
やはり特別な世界ですから、行った人でないと理解できませんね。という意味では、Fさんがいくら話してもわかってもらえないということなんですけどね(笑)」
本当にいい経験をした。ガイドさんの話では74歳で40数回目のトレッキングをしている方がおられるという。このようなことにはならないと思うが、また来年、虫がうずくかもしれない。デンネバート(有難う)! [20121120 F記]
PS.(Mさんのお言葉) とにかく自分で行ってみられた方が絶対いいですよ。あそこはゾッキョやヤクのカウベルの音、色とりどりの旗が結びつけられた長い吊り橋に渡る風、
信じられないくらいすぐ近くにある8000M級の山々等、いろいろなものを体で感じる場所なんだと思います。
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