星野順一郎我孫子市長と、市長を表敬訪問した倉岡裕之さん(右) |
訪問日時:2016年7月5日午後3時~3時半
2010年5月にエベレストに登頂を果たした倉岡裕之さんからの、「あびこ 祝・市制40周年」と書かれた枕カバーをみずから手にして山頂で撮った1枚の写真が、我孫子市役所に届きました。冗談半分に本会から、登頂が間近い倉岡さんに「市制40周年」のことをひと言伝えたところ、エベレスト山頂で撮った、気持ちを込めた驚きの1枚が本会にメールで送られてきたのです。望外の“サプライズ”でしたが、早速、市の担当課に転送しました。幸い、その意味を理解してくださる方がおられたおかげで、『あびこ広報』の一面で写真とともにこの一件が紹介されました。ご記憶の方も多いと思います。そういった機縁もあって、その年の8月に倉岡さんに演者をお願いして、本会の創立20周年記念講演会「真白き神々の頂」を開催した際には、星野市長さんにもご挨拶をいただきました。枕カバーはその場で市に寄贈されました。 さかのぼると、倉岡さんは3年前には三浦雄一郎氏の80歳でのエベレスト登頂に登攀リーダーとして仕事を全うされましたが、一昨年はテレビ番組「世界の果てまでイッテQ!」の責任ガイドとしてネパール側からエベレスト登山中に、アイスフォール崩壊による大惨事(ネパール人ポーターら12人が死亡)が発生して登山中止を余儀なくされ、また昨年は中国側(チベット)から山頂への稜線をたどる行程半ばにおいて、ネパールを襲った大地震に見舞われて登山を断念するなど、2年続いて不運に見舞われました。 そして今年、5月22日にようやく中国側からエベレストの山頂に立たれました。これで、日本人として最多となる7回目の登頂記録に倉岡さんは並ばれたわけです(この記録は、これまで『エベレスト登頂請け負い業』などの著作もある村口德行さんというフリーの映像カメラマンの方がお持ちでした)。 そして、このたび7月5日、2010年のとき以来の返礼と報告の意味もあり、倉岡さんから市長さんを訪問する機会が設けられることになりました。連絡を仲介した本会の数人で、その場に随行させていただきました。 倉岡さんのお話では、ネパール側のBCから先のアイスフォール帯の通過には「ロシアンルーレット」のような危険があるため、今後は中国側からのルートが多く選択されることになるだろうとのことです。 星野市長さんから、中央学院大学の学生のトレーニングのフィールドとして筑波山が使われているという山の話に話題が移ると、倉岡さんお得意の洒落た談話がその続きを次ぎます。・・・・酸素がたっぷりある低地では、普通の人は元気いっぱいに動けるので、そのペースだと自分にとっては筑波山でさえきついのです。ところが、高所に行くと低酸素環境なので、一般の人の活動レベルが大きく落ちます。高所に自分は慣れているので、ヒマラヤ登山では、その人たちと行動を共にする限りでは、隊列の歩みは遅くなるため、実に楽なんです。ヒマラヤだからといって、人が想像するようにはきついということは、私には全然ないんですね。日本の山のほうが、よっぽどきついですよ。・・・・・・・・・まさしく「雲の上」に住む人の言葉なのです。 こうして、話が30分弱交わされたのち、集合写真を撮って失礼しました。市長はじめご関係の方々、ありがとうございました。 我孫子市民として、また登山を楽しむ地元の仲間たち・山岳会として、このたびの倉岡さんの名誉あるエベレスト登頂をお祝いするとともに、今後も活躍に注目し、ささやかながら声援を送り続けたいと思います。 ➡倉岡さんからお預かりしている写真:チョーオユーから見たエベレスト 今年の中国側からの登頂の模様1・2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2016/07/07 T・K記 |