2015年12月17日~ 我孫子山の会・育成係 |
A.定義 登山をする方なら、「ビバーク」という言葉を一度は耳にしたことがおありでしょう。英語では‛bivouac’と綴りますが、もともとドイツ語の‛Biwak’〔ビヴァーク〕から出ており、英語では「ビヴアク」(ビを強く)と発音します。日本語だと「露営」「野営」、つまり野外で一夜を過ごすことをさします。 それなら、単純にテントやツェルトで一夜を過ごすことは、どれもビバークに入りそうですが・・・。 ■なぜ「テント指定地」なのか 一般的には、「テント指定地」(「キャンプ場」「テント場」「キャンプ地」など、呼称は幾通りもあるでしょう)以外では露営(テント生活)ができない決まりとなっているのをご存じでしょうか。丹沢山塊には1か所もテント指定地がありません。テントを持って幕営しながらの登山が丹沢では禁止されていると考えられます。「テント指定地」とは、地形としてのテント適地という意味ではなく、制度・規則による公的な扱いに関する概念です。 登山の対象となっている山域は、ほとんど(大部分)が国立公園や国定公園、県立公園など自然公園法が対象とする地帯内にすっぽりと収まっているか、そこを通過していたり、そこと接触していたりします。これら自然公園内に関しては、「国立公園集団施設地区等管理規則」第6条8項の禁止事項「指定の場所以外で野営をすること」というのがあり、そこで勝手な露営はできないという決まりが設けられています。そうでないと、登山者が格好の場所だからといって、そこに勝手に幕営などするなら、自然環境はすぐに荒らされていくことが必至ですから、そのようにして野放し状態によって自然環境が荒廃するのを防ぐためなのです。山をはじめとする自然がとくに高度成長期以降において著しく破壊されていきましたが、個人と団体(企業や国)の違いを超えて政策行為、経済(営利)行為や娯楽行為が、防護のない自然をいとも簡単に壊すことを示します。自然は一度破壊されると簡単には元に戻せません。自然保護という観点が重視されるゆえんです。 その決まりに従って、テントを携帯する登山では、登山者は通常、「テント指定地」で幕営することを励行しなければなりません。法律・制度でそのようになっているのです。この幕営は通常の幕営行為であるため、ビバークとは呼びません。ビバークには「非常時」の、というニュアンスが込められており、幕営のできない場所でのテントやツェルトによる宿営をさします。 有雪期には、よくテント場以外で露営します。これも確かにビバークですが、「どのあたりで」と予定しているビバークであり、不時(緊急)露営とは意味が異なります。 以下は、無雪期の不時露営をテーマとします。 テント生活、テント場の限定に関して詳細はこちらを。 ■「テント指定地」以外でのビバークの選択 登山という行為には、時間・距離・天候のほかに登山隊のメンバーの体調など、予測外の不特定の要因がしばしば入り込む余地があり、またはそれらが阻害要因となって、登山全体に大きな影響が及ぶことがあります。そのため予定どおりの進行が図れず、やむをえず、その日の行動・進行を停止し、テント場以外の場所で一夜を過ごさざるをえない事態に至ることがあります。この宿営が、ここでいう「ビバーク」です。正確には「やむなきビバーク」ですから、日本語で「不時(緊急、非常時)露営」、英語を使うなら「フォースト・ビバーク(緊急ビバーク;forced bivouac)」です。 下記で具体的な例について説明しますが、そうなった場合にとる、一種の緊急避難*的な行為と考えられます。本来、やってはいけない、社会的な約束事にもとる選択的行為です。通常の生活においても類似のケースはありますが、登山は不可測な事態が伴う確率の高い営みですから、むしろ緊急事態をいつ招くかもしれないことを十分に承知し、そのような場合にいつ遭遇しても対応できるだけの心得や知識を備えておきましょう。的確なビバークをしていれば助かっていた、大事に至らないですんだという事例は少なくないと思われます。 登山を志す人は、技術としてもビバークへの備えを持っておく必要があります。「ビバーク」の概念をつねに記憶で新たにすることは、登山の意味と危険を自覚するための“パスワード”の役割を果たしてくれるでしょう。 *緊急避難:本来、違法行為であるにもかかわらず、違法性が免れる行為で、刑法と民法に規定があります。刑法37条では「危急な危険を避けるためにやむをえずした行為」である場合に、一定の条件のもとに違法性を免れることができます(これを「違法性阻却事由」といいます)。 B.ビバークをしなければならなくなった状態とは 場面として、いくつかのケースが考えられます(▼表1)。 1)時間切れ:予定したように進行が図れず、時間内に目的地に着けなかったとき、または着けないことがはっきりしたとき。それに伴い、日没を迎えてしまったとき。登山を何年、何十年も続けていると、そうした事態に出あうことがあります。 2)道迷い:道に迷って山中で日没を迎えてしまったとき、またはそれ以上の行動で正しいルートへの復帰が無理か、もしくはそれ以降の行動の続行が危険と判断されたとき。道迷い遭難・・・という事態です。道を迷った場合は、もと来た道を引き返す、という原則がありますが、その原則の履行はなかなかにして難しいものです。逆に、どんどん間違った行路の先に進み、果ては谷や沢に下ってしまうケースがあります。迷ったときは尾根に上れ、といわれます。 3)体力・健康問題の発生:パーティーの誰かが転倒・転落などから重症のけがを負ってしまったようなときや、高度障害・寒さ・疲労などの体調不良から動けなくなり、停滞を余儀なくされたとき。また、極端に歩行速度が落ち、時間切れとなったときなど。その際に最も重要な点は、事故者・問題者の保護を確実に行うことです。 4)自然条件:急な天候の悪化で視界が遮られ、あるいは強風で進行が阻まれたときや、登山道の崩壊などから大きく迂回や行路の変更をしなければならなくなったとき(相当の時間がよけいにかかるとき)。この2つは別々に考えるほうがいいかもしれませんが、ともかくも、ただでさえ下界の環境よりも厳しい山の自然状態や天候が及ぼす影響をいかに「いなす」か、ということに関心を集中させましょう。彼我(相手と自身)との力比べです。最悪の状態を抜け出る知恵や技術、精神力がものを言います。 3)のけが・体調不良は、同行したパーティーのメンバーに起きることがあります。また、1)進行の遅れの一因に2)の道迷いや4)の天候悪化が絡んでいたりします。そのほか、無謀な計画だったり、分不相応な山を目ざしたりして途中で計画が破綻した場合が想定されます。 実際に起こった遭難事故としていまだ記憶に新しい「トムラウシ遭難事故(北海道;2009年7月)」があります。異常な天候悪化の予測という課題が指摘されています。7月だったにもかかわらず、その山地では気温が5℃程度まで下がることが明らかになっています。それへの前もっての備え(つまり寒さ対策)がとられるべきだったとか、的確な対応としてなんらかの「緊急ビバーク」態勢がとられる余地はなかったのか、という課題が提起されています。遭難で命を落とされた方々のたどったのが低体温症だったとされています。
▼表1 ビバークを選択するケース
C.ビバークに関連するケース ビバークをする(ビバーク態勢を選択する)かどうかは、時間(残された日照時間)と距離(幕営地や避難小屋までの距離)、天候など以外に、その日、その行程の状況と現在、自身が持っている装備、自己(パーティーとメンバー)の状況(健康状態と余力)、翌日のルートや天候の見込みなどから総合的に判断しなければなりません(▼表2)。 ▼表2 ビバークの判断でかかわってくる要素
D.ビバークの判断 1)早期の判断と拙速の判断との境目 早すぎる判断なのか、遅すぎる判断なのか、また最も適切な判断なのかは紙一重です。 悪天候で、結果的に小屋が近くにあったのがわからず、かといって厳寒の中でビバーク態勢にも入らないまま、遭難死したというケースが過去に幾例も報告されています。早期にビバーク態勢に入っていれば、大規模遭難は避けられたのではないかといわれるような事例に接してきましたが、それがあらあかじめわかっていたならそうしたであろうのにできなかった、しなかったというのはなぜなのでしょうか。 ■持っている装備が前提になる ビバークには、進行状況や装備上の条件を考えた冷静な対応が必要です。ある大きな山域で進むべき一般登山道の長さから、常識的な時間内に目的地まで着けないことが確実になったとき、あるいは行動体力の著しい低下を示すメンバーが出て、その歩行速度ではどう考えても目的地に時間内に着けないばかりか、途中のルートの状況を考えるとそれ以上進みすぎるのが危険だと判断されたときなど、進行について再考する必要が出てきます。ある場合には、予定前の地点で立ち止まって安全を確保し、体力の回復を図り、翌日に備えるためにもビバークを決断しなければならないことがあるでしょう。 かといってツェルトやテントを携帯していない場合はどうでしょうか。そもそもツェルトを携帯していないことが決定的にまずいのですが、その場合には、できるだけ有利なビバーク場所を探すことに尽きます。持っている装備でどこまで一夜をその状況下でしのげるか、というサバイバル(生き延び)問題です。 もし装備を携帯していたなら、こうした状況がパーティーにみられた場合には、判断を迷い、長引かせることは賢明ではありません。体力温存のためにも、早く判断してビバーク態勢に入るべきです。 なお、本会では、宿泊山行はテント山行として通常実施していますし、日帰りの山行では、テントは持たない代わりにツェルトを携帯する申し合わせとなっています。どちらの場合も、「裸」の状態でビバークをすることは、本会の山行ではないはずです。 テントは再三お世話になり設営の要領は会得しているでしょうが、ツェルトは意外に使用方法を習得していることが少なくないと思われます。最悪でも、かぶって雨風を遮断することくらいは知っておきましょう。ツェルト以外に、ブルーシートか登山・レクリエーション用のシートも有用です。また、シュラフ(寝袋)カバーに小さな夏用の羽毛の寝袋があれば、かなりの厳しい悪天候にも耐えられます(ただし1人分だけですが)。 ブルーシートを張る場合には、各辺と4隅に丸い小石を入れて、外から細引きのロープでインクノット(クローブヒッチ)で絞めて、地面に牽引します。プロテクションは木々や木の根、または石などでとります。さらに、シートに入った後、持っているストックを立てて内部に空間を作ります。➡ツェルトを張るときのちょっとした要領・コツ。 多用途あるツェルトの使い方を習得しておくと心強いでしょう。▼本会のホームページの「資料館」の「ツェルトの張り方・使い方」参照➡アライテントのサイトにリンクしています。 2)場所を選ぶ とはいえ、場所を選ぶ必要があります。ビバーク地点の場所的な条件としては、①安全であること(傾斜地でなく、崩れなどがない)、②できればツェルトやテントが張れる広い場所であること(最低でもそれらをかぶって安定した場所で一晩が過ごせること)、③風を強く受けない場所であること・・・が必須要件です。もしこのような条件を満たした場所が見つからなければ、探すことになりますが、他方、日没などで探せないうえ、危険がさらに増すので、ある時点で十分な条件でなくとも、決断しなければなりません。 ビバークとはサバイバル(生き残ること)のための技術だという認識が重要です。さらに、激しい行動後であればなおさら、パーティーとして水と非常食を一定量持っていることが必要になります。水場に近いことがもちろん望ましいのですが、ビバークではそれはほとんど望めません。露営時の利便のために、小さな雨水濾過キットが市販されています。 E.ビバークの技術 1)安全空間の確保-テントやツェルトを張る 横になって休養をとることができる空間を作るということです。雨風、露、低温から身を守るための、その外郭(覆い)の構築です。横になるだけの平坦地がなければ、座って過ごせるスペースのある場所で、もたれかかれる岩や木々、ブッシュ(藪)のあるところを探します。 いったん決めたら、そこはできるだけ整地しましょう。周囲に石や倒木を持ってきて、「堰」のような防護壁を作り、転がり落ちたり、ザックを転がしたりしないような造りにすることも大切です。傾斜地であれば、荷物は岩や木に結わえ付ける、石で支えるなど、装備の喪失のないように留意します。地面からの熱の喪失ができるだけ阻止できるように、木切れや草などを座る地面に敷くことも意味があるでしょう。 強風時や高所であれば、ハイマツの中に逃げ込むこともありうるでしょう。 ともかく、短時間内に、その場所でできる、最も安全で、快適な環境条件を作ることです。 2)ビバーク地点ですべきこと 身の安全の確保はもちろん、主観的、客観的な状況、現在地の把握と翌日に向けての方針の確認が必要です。方針が定まらないと、個々バラバラな行動に出がちとなりかねません。できるだけ、些末な事項ではなく、原則や仲間意識という大づかみの、基礎的なあり方の構築・確認が必須です。リーダーをはじめ同行者間での配慮を忘れないで、励まし合い、協調し合いましょう。意見の違いはあっても、十分に話し合い、また間違っても隊列の分裂を起こしたりすることのないように、リーダーの判断に沿った合理的な問題解決を目ざしましょう。 ①体を休めること:体力回復と翌日につなげるためにも。 ②食事を補給すること:手持ちの食料を隊として確認し、場合によっては「共同食」としてメンバーで分ける。 ③体力の消耗を防ぐこと:隊員の健康状態のチェックを行う。それとともに、体熱が奪われることによる消耗をできるだけ抑える。ザックや木切れ、草や葉っぱを地面に敷き詰め、居場所づくりをする。たき木を集めるのも、適宜行う。 ④衣類を着込む:持っている装備は全部活用する。衣類は濡れを防ぐことが大切。 ⑤翌日への光明を切り開くこと:地図を検討することはもとより、周囲の地形などの観察を明るいうちに行うこと。現在地点を同定し、道迷いの場合は脱出経路に当てをつける。 ⑥自己検討:「そこで」自分たちでできること、しなければいけないことを考える。自助・自救努力がビバークをするに至った場合の最優先事項。 ⑦意思確認:隊として崩れてはいけない。精神的な統合を図る。 ※リーダーへの「立てつき」など逼迫した心理状態で出かねない態度は絶対に控える。冷静がどれだけ保てるかは、登山の力以上に普段の個人としての姿勢に依存している。またパーティー内の他の隊員に対する信頼に依存している。 3)連絡または救助の要請 ①状況を「緊急連絡先(本会では集中連絡先)」に知らせ、各家族への連絡を依頼する(携帯電池の維持のためにも個々に自宅への連絡はしない)。尾根の上に上がれば携帯電話がつながる可能性があるので、明るいうちに場所を探すなどして、最低限の連絡策を試みる。 ②救助隊への連絡:状況によって決断する。行路も迷いでなければ、遅れるだけですむ。 ※例えば、「道迷い」でない時間切れによるビバークであれば、時間をかければ脱出・下山が可能だから、冷静になって翌日の行動に備える姿勢が重要となる。 【参考文献】 1)J.A.ウィルカーソン:登山の医学、東京新聞出版会、1982。 2)渡邊輝男:セルフレスキュー(ヤマケイ登山技術全書11)、山と渓谷社、2007。 3)本会の関連サイト:資料館―8.登山の安全管理;ツェルトの活用。 |
このページは、2015年9月に本会の育成講習「不時露営(フォースト・ビバーク)」で使用した資料をもとに再構成しました。 (2015.12.17 T・K) © 2015 Abikoyamanokai |