我孫子山の会員自らが経験した



 本会・育成係の有志の新たな着想と熱意によって、2年以上をかけ、山行において会員みずからが経験した「転倒」「転落」「滑落」など、遭難に直結していたかもしれない事例、もしくは実際に遭難に至ったけれども幸いに生還しえた事例を会員のみなさんから任意に提供してもらい、これを編んで「事例集」とするとの方針のもと、多数の事例を集めることができました。今回、それをホームページの「資料館」に収録して、広く公開することにしました。
 今後の山行において、注意すべき有用な視点を与えてくれるでしょう。
 この企画を根気よく進められた石田さんはじめ育成係の方々はもとより、事例の提供にご協力くださった多くの会員の方々に厚くお礼申し上げ、あわせて今後のみなさん方の山行の無事を祈ります。
 ➡参照:「資料館」中の「◆登山の安全管理―1.登山における安全確保」。

2016年7月31日 構成/2016年8月28日事例追加・更新  我孫子山の会「育成」係

事例全体のまとめ、分析結果(上位34事例)は ➡ こちら
山での危険は、明らかにそれとわかる場所だけではない。基本的に山自体、山全体が危険な場所だと心得ておくべきだ。周辺にぬかりなく、かつ局所や大局、状況や場所などに偏りなく大きく目配りできてこその、長年山登りをやっている登山者だといえる。
                                            ➡
 写真は八ケ岳南部の権現岳付近 
    
     
・下記の事例の配列は、テーマ別に区分けしていません。事例の提出者ごとに配置しました。
・参考までに「要因分類」を加えました。
・山行が特定できる事例は、その山行にリンクの設定を行いました。

・・・・・・・・・・男性・60代時
 場所 南アルプス鳥倉登山口から三伏峠への登山道上、豊口岳間のコルを過ぎたあたり。 
状態 樹林帯の中の石の多い巻道で、左側が切れたごく普通の上りの登山道。道全体が前日の雨で湿りぎみではあった。大きめの石 に乗せた右足が滑りバランスを崩す。あわてて左足を乗せた石も動き、支えきれずに左側斜面下に転落。1.5メートルほど下の苔むした切り株で止まり、大事 には至らなかった。怪我もなかった。 
◆南アルプス山行の模様は ➡ こちら
要因   歩行開始後4時間程経過していて、前夜の睡眠不足・給水不足等で若干疲れが出ていたが、全く普通の上りで、集中力が欠けていたとしか思えない。・・・・・こんな道で転落したかのと不思議だった。
【要因分類】集中力(注意力)の欠如、睡眠不足~疲労の蓄積による転落
時期   9月下旬 

 ・・・・・・・・・男性・70代時
 場所 滝子山の南面を流れる滝子沢左俣、「奥の二俣」の上部、長さ30メートル、幅20メートルほどのの滑滝。
 状態 疲れていたので、下から眺めて、一番やさしそうな、大きなクラックが右斜めに上がり岩に突き当たって左斜めに上がるコースを選んだ。右から左に屈折するところで岩の出っ張りで見えなかった先が見たくなり、左手のホールドを支点に振り子の反動で渡った。先は手掛かり、足掛かりのないのっぺらぼうの一枚岩と、抱き抱えるには大き過ぎる岩だけだった。おまけに戻るための手掛かりもなく、万事休す。
自力で戻るには、手掛かりのない岩に抱きつき、ズルズルと回転しながら左手のホールドを探る、確率50パーセントの賭けになる。ロープを出してもらい脱出。 
 要因 予定外の行動をした。状況のわからないところに、しかも戻るときの手掛かりを確認せずに渡った。 
【要因分類】行路選択(ルートファインディング)の誤りによる行き詰まり
 時期 7月27日13:30頃(2014年) 

 ・・・・・・・・・・女性・40代時
場所 南アルプスの塩見岳。塩見小屋から上の岩稜帯で。
状態 残雪期の雪面。下山時、トラバース中にアイゼンを引っ掛けて、山側に転倒した。もし谷側に倒れていたら、谷底まで落ちたと思う。
要因 私のピッケルを基点に使って隊員の安全確保をしたため、回収に時間がかり女生グループが先に行ってしまった。追い付こうとして急いでいたためだったが、後で考えると、後にもまだ仲間がいたのに、なぜ後のグループを待たず一人そんなに急いだのかわからない。
【要因分類】不用意なあせり・急ぎによる転倒
時期 5月初旬(ゴールデンウィーク)

 ・・・・・・・・・・男性・61歳時
場所 巻機山登山口(桜坂橋)から巻機山避難小屋へ向かう途中で、正規ルートを外し、1時間くらいブッシュの中のヤブ漕ぎで急登中
状態 登山口から先行者の雪上トレースをたどって進むも、途中から正規ルートではないとわかるが、そのまま先に進むことを決断。その後間もなく、行路は猛烈なブッシュ帯になるが、強引に突破を試みる。トレースはなくなり、急斜面の登攀となる。いったんブッシュが終わり、開けた斜面で、休息しようと後ろを振り返った途端に、両足を滑らせ腰から落ちる。両肘で制御し、5~6メートル滑り落ちたところで止まる。両肘が大きく擦りむけるが、それ以上の怪我はなかった。
◆巻機山山行の模様は ➡ こちら
要因 急登のブッシュを抜け出そうと格闘し、重いザックと相まって、疲れた脚を休めようとして足下への注意を怠る。滑り落ちた後に現場の状況を確認すると、大きな岩の上に落葉が広がっていて、体のバランスを崩すと、とても滑りやすい場所であった。ちょうど振り返ったときにバランスを崩し、足を大きく滑らせてしまう。
【要因分類】(ヤブ漕ぎへの)不慣れ、不注意による転落
時期 5月ゴールデンウィーク

 ・・・・・・・・・・女性・60代時
場所 夜叉神・南アルプススーパー林道から野呂川に下る地点から、鷲住山-あるき沢橋-池山御池小屋-池山吊尾根-ボーコン沢ノ頭
状態 ボーコン沢ノ頭から北岳を眺望のあと、御池小屋(その近くをテント場とした)に向かい池山吊尾根を下山中に前のめりに転倒。定かではないが、一回転したと思われる。山道右側の傾斜へ滑落しそうになった寸前に、杭らしき根っこを両手で捕まえていた。その傾斜地から下は一気に切れ落ちていた。が、谷側の深さが読めない箇所で、命拾いをしたと実感した。
・・・・・・私の後ろを歩いていた大矢さん(会員外)が「危ないところで転倒しているな…」とつぶやいていたのを記憶しています。
要因 傾斜地の段差に足が届かない感じがありながら、下りようとしたときと思われる。足が届かない、安定した着地ができていない状態なのに、それでも下りようとしていたのは不用意だった思う。
【要因のカテゴリー】不注意による転倒
時期 1月1日(1998年;当時56歳)

 ・・・・・・・・・・男性・61歳時
場所 両神山からの緩やかな下りのジグザグ道。落ち葉道が登山道上をおおっていた場所で。
状態 落ち葉の積んだ登山道の下りで道端を踏み外して、一回転した。着地したところが岩や石のない場所であったので、幸い怪我はなかった。ただしばらく右肩が痛かった。
要因 落ち葉の積もった道の、落ち葉が視界を遮った場所で下り側は、落ち葉に隠されて、落ち葉の下の道は削れていた。落ち葉の積んだ道は、なるべく谷側よりも山側を歩くと安全!
【要因分類】不注意による転倒
時期 10月(初めての転倒を経験しました)

 ・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 白錫尾根根の取り付き付近。金精山への上りの雪面のトラバースで。
状態 雪面のトラバースで足を滑らせ雪上で20メートル程度滑落。雪面で運よく止まる。木のない斜面であったが、停止箇所の先が大木の疎林となっていた。幸い身体の負傷はかったが、荷物の一部(携帯電話、食料等)を紛失した。
◆白錫尾根山行の模様は ➡ こちら
要因 雪上歩行の経験不足(アイゼンが効いていなかった)。雪山は初めてであった。緊張感の欠如も要因の1つ。
【要因分類経験不足と不注意による滑落
時期 5月3日(2013年)

 ・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 横岳山頂から5分くらいい下ったところ。たいして危険な場所ではない(八ヶ岳を3名で2泊でテント縦走中(行者小屋~赤岳~横岳~硫黄岳~オーレン小屋)
状態 岩と岩の間の窪みに足をとられて左足を捻挫。たいしたことないと思い無理して歩いていたが痛みが引かず、同行者の協力で何とかテント場に着き小屋でシップ薬をもらう。翌日も痛みは引かず、足首が腫れ上がる。最短ルートで下山する。幸いそれ以上の負傷はなし。荷物の一部(携帯電話、食料等)を紛失。
要因 単なる不注意。よそ見していたわけではないが、緊張感が欠けていた。
【要因分類単純な不注意による捻挫
時期 7月14日(2013年)

 ・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 天狗岳から黒百合平に向かう下り。八ヶ岳を5名で2泊テント縦走中(赤岳鉱泉~硫黄岳~天狗岳~丸山~渋の湯)
状態 何でもない下りで木の根に足を引っ掛けて転倒し、顔から落ちる。口内を大きく切り、出血が止まらぬ状態に。山行中は平然を装い、アルコール消毒だと言って一緒に酒を飲んでいたが、下山後、翌日には顔が腫れあがり、口腔外科に通う羽目になった。全治2週間。
要因 単なる不注意で、同行者と雑談をしている最中であった。雑談は気晴らしで良いが、傾斜がある下りなので油断禁物である。
【要因分類】単純な不注意による転倒
時期 11月2日(2009年)

 ・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 大倉尾根下り。丹沢の鍋割山~塔ノ岳を3名で日帰り縦走
状態 下りで車道に入る直前に、50センチくらいの穴に右足が入り捻挫する。2人に抱えられながらバス亭まで行く。その後、通常に生活していたが、痛みは引かず整形外科に行く。全治2週間。
要因 不注意。下山間近という油断。
【要因分類】下山間近の不注意による捻挫
時期 春だったと思われる(7年くらい前)。
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 ・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 越百山より飯島への下山ルート(中央アルプスを3名で2泊テント縦走中;木曽駒ケ岳~空木岳~南駒ケ岳~越百山)
状態 林道に出る最後の笹薮(高さ1.5メートルくらい)で笹に足を取られて転倒。顔から落ちメガネを破損。幸い顔は軽症ですむ。メガネの破損により分担だった帰りの運転ができず、同行者に負担をかける。
要因 当ルートは破線ルートで笹藪がひどかった。千畳敷で登山届けを提出したとき案内書のおじさんに、廃道に近いので通らず須原への下山を勧められる。しかし、駐車場に戻るためこのルートを行くしかない。計画時の調査不足も要因の1つである
【要因分類】下山間際の転倒(行路選択の誤り~藪漕ぎ)
時期 9月20日(2010年)

 ・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 奥多摩・鷹ノ巣谷(沢登り)
状態 メンバー4人で午前8時30分に鷹ノ巣谷に入渓し、11時に沢登りは大滝下で終了とした後、食事をして下山を開始する。下りも同じ沢をたどるが、川床で厳しい場所でなく、前との間隔も少し開いたので、小走りに石の上をトントンと速足で歩いているときに(11時15分)、右足に乗った石が下に落ち、体に勢いがついていたため、その瞬間倒れてはいけないと思い左足を前方に出した。そのとき右足が膝まで粘土質の泥の中にめり込み、右足が抜けなくなる。座って足を抜こうとしたが抜けず。同行の仲間に右足を抜いてもらう。足が抜けたときには、右足のくるぶしの上から先が外へ曲がったり、内へ曲がったりし、触れると非常に痛く、歩けなくなっていた。骨折と判断し、三角巾2枚と枯れ木とネットで応急処置をしてもらう。さらに、ザイルとザックでクッションを作ってもらい、ツェルトで体を包んでもらう。現場は高い位置にあるため2名が救助要請で下山、他の1名が付き添ってくれて残る。救助を待っている間、震えがきたが、ツェルトが寒さを緩和してくれた。15時にヘリが現場へ飛来。15時18分救出され、立川の病院に搬送される。
★ちなみに、手術でボルトが12本右足首に入り、17針縫う大手術だった。骨折から15か月にリハビリのかいあって、ようやく標高292mの大福山に時間をかけて登ることができた。
要因 前日にも奥多摩の逆川の沢登りを終え、その日は沢登りを始めて3回目だった。直接的な要因は、乗った石が下に落ち右足が粘土質の泥の中にめり込み、その瞬間に自分の体が倒れないように左足を前方に出したため、惰性で右足がねじれたことだった。沢登りの難しさ、怖さも分からない中で、慎重さを欠き、謙虚さなく行動(イケイケどんどんで、沢でスピードを出して小走る)した結果である。また川原を歩く位置取りでは、水が流れていない所では水の流れに近い所にある石の上に乗って小走りに歩いたため、地盤が緩く、足を乗せると重さで土の中に足がとられる。むしろ、山側に近い場所ほど地盤が安定している。そちらをゆっくり歩いていれば結果は違っていたと思う。
【要因分類】下山ルート選択の誤り、不注意、おごりによる転倒、くるぶし(足首、顆部)骨折~ヘリ搬送
時期 9月(2006年)

 ・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 裏劔(仙人温泉~仙人ダム)
状態 夜行バスで扇沢まで入り、前日は悪路の中、5時間くらい雨に降られ、体がびしょ濡れになり相当なダメージを受けた1日だった。翌日は歩行予定時間が10時間20分であるため、午前3時起床、雨に濡れた重いテントなどを担ぎ出発。仙人温泉から仙人ダムに下る途中、樹林帯の中の登山道は前日の雨で濡れていた。上りは何ともなかったが、以前骨折した右足に少し違和感を感じながら下っていた。下りで木枠の階段に来て、ゆっくりと下を見ながら下って行ったが、階段のカーブを曲がって、顔を上に上げ、前方を確認のため階段から目を離した後、雨に濡れた階段の木の部分に右足を乗せた瞬間、滑ってしまい、荷物が重かったために前のめりに転び、メガネを壊してしまう。メガネは仲間に借りて難を逃れることができた。
◆裏劔山行の模様は ➡ こちら
要因 転倒の直接的原因は、下りの木枠の階段で階段から目を離した後、雨に濡れている木の部分に足を乗せたこと。その背景として、疲労(夜行バスでの睡眠不足、悪路の登山道で雨に長時間打たれ、雨具が約9年間使用してきていたため防水性能を失い、びしょ濡れになり体力を消耗し、重い荷物を持っての長時間の歩行、右足に違和感あったことなど)のために自分の右足首の支える力が弱っていたことも間接的要因。
【要因分類】疲労の蓄積(睡眠不足、悪路の長時間歩行、濡れ、重荷)、不注意による滑落・転倒
時期 10月(2013年)

 ・・・・・・・・・・男性・30代時
場所 真名井沢(奥多摩)
状態 浅瀬の石に片足を載せた瞬間に滑って転倒し、捻挫。
今から30年以上前で、ハイキングの本に初心者用の沢で紹介されていた。単独で入渓して、苔の付いた石に片足を載せた瞬間に滑って、転倒した。足首をひねって捻挫。そのまま遡行を続けて、登れない滝を高巻きし、再び沢に降りられず、現在地もわからなくなって、なんとか赤杭尾根を長い時間かけて下山。とっぷり日が暮れてしまった。
要因 浅瀬であったことへの油断、沢用でないキャラバンシューズ、一眼レフカメラを首から下げていて一瞬カメラを保護しようとしたこと。
時期 5月連休

 ・・・・・・・・・・男性・40代時
場所 平標山・北側斜面
状態 雪上歩行の経験もあまりないままで、友人らと3人で雪面を下山。アイゼンはつけなくてもいいだろうとのことだったが、雪面で滑落。ピッケルで停止しようにも、滑落後にピッケルは手から離れてしまっていた。10メートルくらい下を歩いていた友人が、胴体にタックルして止めてくれた。その後 アイゼンをつけたが、恐怖心でスピードは遅くなって、ますます腰が引けて、いわゆるへっぴり腰になってしまった。その後、麓近くになって、今度滑ったら確実に沢に落ちてしまうという斜面のトラバースなどでは、恐怖心がさらに大きくなって、斜面に突き刺すピッケルだけが頼りだった。
要因 雪上歩行の経験不足。斜面を下るのに腰が引けていた。山の会で雪上訓練を受けてはいたが、あっという間にピッケルを放り投げてしまって、まったく止められなかった。着ていた雨具が雪面で滑りやすかったこともある。斜面がアイスバーンであったらアイゼンを最初からつけたと思うが、雪はやや軟らかめだった。しかし、アイゼンを装着すると、靴の底に雪が団子状に付着して滑りやすくなってしまったと思う。
【要因分類】経験不足による滑落(雪山歩行)
時期 5月連休(山の会に入会して雪上訓練を1回受けたくらいの後で、15年くらい前)

 ・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 磐梯山からの下山(会山行)
状態 木の根に足を乗せた瞬間に完全にザックを背にした状態で滑って転倒。後頭部を打たなかったのは、ザックが下であったから。あの勢いで岩などに後頭部をぶつけていたらどうなっていたかと後で思った。帰宅後にザックの中を見たら、プラスチックの大きめの箱が割れていた。箱が割れたおかげでショックアブソーバーになって、身体は何ともなかった。
要因 気の根が滑りやすいことは知っていたが、まさか自分が転倒することなど思いもよらずに、油断があった。スピードを上げて、若干大股で歩いていたのかもしれない。
【要因分類】不注意による転倒
時期 10月頃
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 ・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 白出ノコル(穂高岳山荘)からの下山
状態 涸沢から小豆沢をたどったが、天候悪化で稜線(白出ノコル)付近は猛烈な冷え込み。コルからの下山は急な斜面で歩き始めからアイゼン(雪付着防止のプレート付き)はつけていた。30分くらい下ったところで、あっと思う間もなく、滑ってしまった。回転して雪面に顔を向けて必死にピッケルで雪面を突き差した。止まったことは止まったが、誰かが下で止めてくれたのか、自分で止めたのか、いまだに判然としない。あの雪の状態であったから止まったが、いわゆるアイスバーン状態だったら、どこまで滑り落ちたかと思う。
★10年くらい前の5月連休にやはり白出ノコルからザイテングラートを下ったときに、右側の斜面を200メートルほども小豆沢側に向けて滑落していいった人のことが忘れられない。
◆涸沢から白出ノコルまでの山行の模様は ➡ こちら
要因 靴の底への雪の付着。歩きにくいと思いながら下っていたが、自分でそんなに団子状に付着しているなどということが全くわからなかった。だからピッケルで雪を落とすこともしていなかった。(後で同行のメンバーに聞いたら、後ろを歩いていた大椙さんは、あんなに雪がついていたら歩きにくいだろうなあと思っていたそうだ)
★【付】アイゼンにつける雪付着防止のプレートも、古くなって傷がついてきたりすると付着しやすいということだが、同じ型式のプレートでもKtさんの古いプレートは付着せず、Nmさんの新しいプレートは付着しやすいという。・・・この謎もまだ解決していない。

【要因分類】不注意による滑落~転倒
時期 5月ゴールデンウィーク(2014年)

 ・・・・・・・・・・女性・60代時
場所 滝子山
状態 水量がサラサラ程度だったので、安易に飛び越えたところ、足をついた石が動き、転倒した。
要因 簡単に飛び越えられると思った。もっと用心しながら、確実に通過する必要があった。
【要因分類】不注意による転倒
時期 6月中旬

 ・・・・・・・・・女性・50代時
場所 北アルプス
状態 8月に北アルプスで下山中、旅行会社主催の30人程度の登山者に遭遇。上り優先なので、谷側にしかよけられず待機中に、一人の女性がいきなり後ろの人と話をするために振り返り、そのザックが私に接触して、2メートル近く滑落。腰を打ち大町の病院に1週間入院。
★それ以来、相手が初心者であろうと誰であろうと、山側に待機することにした。
要因 通過者待ちの場所の選択が間違っていた(危険な場所、谷側にいた)。通過者の不意の動きへの注意が不十分だった。
【要因分類】登山者の通過待ち時の荷の接触による滑落
時期 8月

 ・・・・・・・・・・・女性・50代時 
場所 赤石岳(3121メートル)から椹島(1120メートル)への下山途中、1950メートル近辺で
状態 踏み出した右足が木の根に乗ってズルッと滑り、その先に横たわっていた古木の凹みに沿って、真横に吸い込まれるように木の根との間にはまり込んだ。瞬間、足首が外側に90度くらい曲がったように見えた。すぐ尻もちをつき、座り込む。右足は痛くて力が入らず、歩ける状態ではなかった。
同行の方たちで救出を試みてくれたが無理と判断、山岳救助隊に救助を要請した。救助隊員4名が事故現場に駆けつけてくれる。この日は気流が悪く、ヘリでの救出は断念した。救助隊の担ぐ担架に乗せてもらい、隊員と同行の方々とで担いで椹島まで降ろしてくれた。登山道は急斜面で道幅が狭く困難を極めた。救急車で静岡市内の病院へ搬送された。右足首関節脱臼骨折だった。
要因 ストックを不用意に突いていた。下山道の終わり近くだったので、気が緩んでいた。疲労と油断、注意力に欠けていた。現場は木の根っこや倒木が多く、砂が混ざったようなやすりやすい足元だった。一歩の踏み出しに慎重さが足りなかった。
【要因分類】不注意、疲労の蓄積による転倒(足首骨折~消防署員による搬出救助)
時期 8月

 ・・・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 南アルプス・千枚岳
状態 千枚岳頂上から悪沢岳を目ざしたが時間切れでニセ悪沢岳からの下りで、アイゼンを引っかけて転倒した。そのまま滑れば、傾斜もあり、雪面は青氷状態で停止は難しいと思われたが、同行者が飛びついて滑落を止めてくれた。
要因 前日にすでに転付峠からの入山で疲労していたうえ、体力・技術不足に加え疲労などが要因と思われる。
【要因分類】不注意・疲労による転倒
時期 厳冬期(正月)

 ・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 八ヶ岳
状態 編笠山、権現岳、赤岳、横岳、硫黄岳縦走で。硫黄岳山荘の入口でつまずき、前のめりに倒れ唇を怪我した。
要因 硫黄岳山荘の入口なので足元などの注意を怠ったが、重なった縦走の疲労などが原因と思われる。
【要因分類】不注意による転倒
時期

 ・・・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 会津朝日岳(山頂直下の雪面)
状態 5月下旬の残雪期、会津朝日岳に6人で向かった。避難小屋を過ぎた後、山頂への数百メートル手前で本格的な雪が現れた。藪が周囲にあり、笹もあって、ブッシュをつかみながら危険はさほど感じなかった。そこを進んで、最後にさえぎるもののなにもない、傾斜のある雪面の下に出た。そこを巻いて山頂に至るルートはないと判断し、策を練った。前夜から南会津の知人(大矢さん)の山小屋に宿泊させてもらい、準備なく「会津駒ケ岳」に来たのだった。ピッケル・アイゼンはなく、「丸腰」だった。それで、ザックに入っていた折りたたみ傘、それがない人は周りにある木の枝、あるいは細長い石をピッケル代わりに持った。雪面に張り付くように四つん這いになり、また足は雪面に蹴り込んでステップを作り、手は左右を交互に雪面に打ち付けて、3点支持を維持しながら、全員で頂上に立った。
そして下りである。さえぎるもののない25~30度の傾斜の、150メートルほどの雪面だったと記憶する。そこを最初は後ろ向きで、登ってきたときと同じスタイルで慎重に下る。そのうち慣れてくると、その姿勢から前向きで下り始めたメンバーも出始めた。中ほどで傾斜がやや強まる。みんなに注意を促しながら、自分もその姿勢をとって調子に乗ったとき、つるっと雪面に足をすくわれてしまった。手に持っていた駄木もぼろぼろになっていて、ものの役に立たなかった。そのまま滑り出し、止まらなくなった。すぐ頭が下になり、仰向けになった。
最後、雪面の最下部に控えていた笹のブッシュに頭から突っ込むようにして滑り込み、ようやく止まった。30メートル程度滑っていた。雪面の下は傾斜が弱まっていて、たいしたスピードにはなっていなかったが、止まった地点のそばに一抱えほどの岩があった。ヤブだったから見えなかったが、滑落した経路上に岩場や凹みなどが隠れていたら、と思い返すと、今もぞっとする。
要因 装備の欠如+油断、おごり。結論として、あのときの装備では、あの時期に会津駒ケ岳山頂は目ざすべきではなかった。
【要因分類】装備不足による滑落、間違った登山
時期 5月下旬(越後や北アルプスなど豪雪地帯は5月、6月はまだまだ雪が多く、雪の危険が潜んでいると承知すべし;1997年)

 ・・・・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 燧ケ岳(山頂直下の南側、登山道外の雪面)
状態 6月中旬、燧ケ岳の山頂南側直下で、一般登山道からそれて単独、残雪面の下降を試みた(上りもここをたどっていた)。時期柄、ピッケル・アイゼンは保持していなかった。傾斜は30度程度超あり、滑った場合には止まらないと覚悟しつつも、斜面に踏み出した。慎重に下ったが、行程中ほどの傾斜の強い場所に負けて、とっさに足をとられて、滑り出した。傾斜の強さから、当然止まらなかった。この場合は上の例と違い、両手の肘でストップをかけるようにして滑った。結果、制動をかけた肘(半袖)の周辺と、雪面に押し付けた背中が雪面(ざらざらの粗目雪;ざらめ雪だった)で引っかかれて剝け、赤傷になってしまった。
★雪面の先が危険な状態でなかったのでやってしまったが、むやみな自損行為はやるべきでなかった。傾斜が強くなると、慎重な歩行を心がけていても、わずかなほころびで初動(初期動作)が始まってしまうと、それが止められないという例である。
要因 装備がない状態で、傾斜の強い雪面の下降に挑んだこと、また興味本位の軽はずみさ。
【要因分類】行路選択の誤り、装備不足による滑落
時期 6月中旬2008年

 ・・・・・・・・・・・・男性・30代時
場所 谷川岳、5月の平標山からの下山時
状態 30年ほど前の話だ。5月GWで平標山から谷川岳まで縦走する計画だった。平標山の家(確証はない)のそばで幕営したが、吹きすさぶ暴風雪に、幕営地から1張り、1張りと小屋に逃げ込んでいった。わが隊も、ついに白旗を揚げた。その夜は、多数の退避者たちで小屋の中が異常な盛り上がりを見せた記憶がある。そして翌日、縦走を開始したが、強い寒風に押しとどめられて進めず、途中に配置されていた避難サイト(でかい下水道の管を使っていた)に逃げ込んで状況を見守った。その後も天候が回復せず、計画を断念して下山することにした。
その下山時に、事故が起きそうになった。雪上の歩行に慣れていなかったTさんが、例によって厚い雪をまだかぶった状態の谷川連峰の下りの一角で、ツルっと足を滑らせてしまったのだ。谷川岳界隈の山の斜面は雪に磨かれている。ヤバイッ!と思い、タックルして止めようと思ったが、間に合わなかった。スーッと雪上を滑っていき、笹の終わった崖の手前まで速度を速めたが、その手前にあった不思議な穴ぼこにストンと落ち込んで止まった。ホッとしたのは言うまでもない。下りのその先で再度同じような状況を招いたが、危ないと思って注意して降り、そのときは飛びついて止めた。 
要因 山域によっては、有雪期・残雪期には危険が非常に増す。とくに谷川岳や、上越の山々がそうだ。雪に削られて傾斜は全般に急で、山面の上には木々などの阻害物もなく、つかまる物体がない。そのうえ、残雪期には厚い雪が凹凸を隠してしまい、傾斜が滑らかになり、さらに雪が堅くなり、滑落を止める物体もない。滑った登山者(Tさん)が雪面歩きに不慣れなうえ、苦手としていて、単純なスリップがなんでもないところで状況を増幅させてしまった。初期の停止動作が確実に行えない状態だったので、滑るに任せたところがあった。
【要因分類】経験不足による滑落
時期 5月のゴールデンウィーク

 ・・・・・・・・・・・・男性・30代時
場所 塩見岳山頂から北岳への縦走で下り始めたばかりの場所
状態 30年近い11月上旬の塩見岳を越え、下り始めたばかりの砂地で、一瞬のうちにスリップを起こした。そこにはうっすらと冠雪があり、滑ったのがその雪のせいだった。ピッケルを手にしていたので、とっさに停止姿勢をとったが、荷物が非常に重かったため、荷物の運動の慣性につられて、危険を感じた。そこは、下りに向けて左側が塩見岳のバットレスで、そちらへ急激な落ち込みのある場所に近かった。
要因 油断したのはもちろん、冠雪に対する慎重さが足りなかった。また、転倒したときの荷物の慣性の大きさもあって、制動があまりきかなかった。
【要因分類】不注意による転倒~滑落
時期 11月上旬
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 ・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 12月の戸台川の徒渉場所
状態 12月の仙丈ケ岳を目ざし、北沢峠まで登ったが、気象の影響で山頂を断念して下る際に、戸台川の徒渉で岩の上を歩いていたとき、滑って転倒し、水に半身を濡らしてしまった。駐車場まで1時間余のところまで下ってきていたし、気温が氷点下何度といった冷たさであったが、水が浅かったので、大事に至らなかった。荷物の重さで、倒れた体勢から起き上がるまでにけっこう時間がかかった。そのためもあって、首にかけていたカメラが水に浸かってダメになってしまった。また、凹凸が大きく、状況の悪い場所だったら、ダメージは水濡れくらいではすまなかったかもしれない。さらに、下りだったからよかったが、上りだったら、その後の登山にも影響が出るだろう。
◆戸台川~北沢峠山行の模様は ➡ こちら
要因 不注意が第一。ストックを持っていたと思うが、水苔かなにかのせいでスリップを起こした。
【要因分類】不注意による転倒(スリップ)
時期 12月の下旬

 ・・・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 12月の鳳凰三山(地蔵岳)から鳳凰小屋までの下りで
状態 10人近いパーティーで12月の鳳凰三山を目ざした。夜叉神峠から縦走し、南御室小屋で1泊(テント泊)した後、鳳凰小屋まで15分程度のところで、同行者の1人が5センチ程度雪の積もった登山道の縁を踏んで体勢を崩し、枝沢に向かって滑落した。しかし、幸いにも、沢を真横にまたぐようにかかった太い倒木が滑落場所から数メートル下にあり、そこに乗っかるようにして停止した。急な斜面で、ロープも携帯していなかったため、救出にも危険を伴ったが、同行者の持つスリング類をつないで荷物を上げ、移動にはピッケルで凍土をカッティングして足場を造り、非常事態を脱することができた。
要因 不注意が第一。その場所は軽く右にカーブしていた。目的地が近いという安堵感も働いて、歩き方がおろそかになっていた。正確に安全帯に足を置かなければいけない場所で、その縁に置いてしまったが、雪ならびに、あの山域特有の花崗岩質の砂地となっていて、登山道が登山者の重みでずれ、足を取られた格好になって、さっと滑り落ちていった。この種の経験はよく見る。
【要因分類】不注意による滑落~転落
時期 12月の下旬

 ・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 焼石岳(岩手県)の銀名水避難小屋の少し下
状態 6月中旬の焼石岳には残雪があたりに残っていた。この日の目的地の銀名水避難小屋の手前で、単独先行して小屋を偵察に行った後、ザックを小屋の前に置いて、後続の仲間に知らせを届けるために濡れた(ソボ降る雨の中)木道を下った。仲間の姿が見えたと思って足を止めた瞬間、木道上で激しく滑って転んでしまった。背中から木道に打ち付けたとき、左側背部に激しい痛みと異音を感じた(その瞬間、突起物に背中を強打した感触があった)。それはカメラ(中型の一眼)が先に着地し、その上に体が落下した格好となり、カメラが突起物になった。
★劇痛が消えなかった。重症感にさいなまれが、がまんした。翌朝の登頂は断念してなんとか自力で下った。小屋には岩手県岳連の方2名(菊池さんほか)が宿泊しており、救助などで援助~ご厚意をいただいた。
下山後、岩手県立胆沢(いさわ)病院救急外来を受診したが、異常なしと診断された。しかし、帰宅した翌日(受診後4日目)、胆沢病院から再受診をするようにとの電話を受けた。我孫子市内の病院で再検査を受けたところ、第9肋骨の骨折だった。さらに後日、外科の医師も交えて再度の画像診断を行ったところ、気胸を起こしていた。さらに出血も起こっていたことがわかった。あやうく膵臓にも障害が達するところだった。
◆焼石岳山行の模様は ➡ こちら
要因 肩から斜め左に吊り下げていたカメラが、背中からスリップ転倒時に突起物となり、強圧打撲損傷(肋骨骨折、気胸、出血)を招いた。
【要因分類】不注意による転倒、携帯具(カメラ)の衝撃による肋骨骨折
時期 6月12日(2015年)

 ・・・・・・・・・・・・・男性・50代
場所 劒岳平蔵のコルあたり
状態 夫婦二人組のうちの男性が前のめりにひっくり返り、登山道下の側道1メートルほどの平地に落下。その下は谷底。打撲症があったが自力歩行。
要因 早朝、劒沢の天幕を出てからから緊張の連続で、ストレスを解く時間がなかった。カニの横ばいまで難なくクリアしてきて、ホットしたからではないか。本人はなぜひっくり返ったのか全くわからない。まだ緊張を解くところではないのに、解いてしまった。
【要因分類】不注意による転倒~転落
時期 8月

 ・・・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 丹沢大山下の見晴台から二重の滝間の登山道
状態 二人組の男性登山者のうち、一人がが前のめりにひっくり返り、顔面から突っ伏す。擦り傷だけで済んだ。メガネがはじけ飛んだが割れずにすむ。
要因 大山を周回して、あとは見晴台から、二重の滝を越えて、ケーブル下駅まで降りるだけ。ご本人いわく、緊張が緩んでしまったこと。足が上がっておらず、小さな石ころに躓いたようだ。石ころに気づかなかったか、石ころの存在を把握しながら、それを越える足を上げることができなかったからではないだろうか
【要因分類】不注意による転倒
時期 4月
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 ・・・・・・・・・・・・男性・40代時
場所 霧降高原から大山、そして猫の平から隠れ三滝、さらに霧降滝。ここは沢が多く、大半には丸太橋がかかっている。滑りやすいのは当然、また時期にはヤマビルが生息する地域でもあり、下山後、自宅に戻りスパッツを洗濯していると、腹にヤマビルが飛びついていた。
状態 二人で下山中、玉簾の滝の先に左から急な斜面からの谷があり、そこに丸太の橋がかかっている。当然、梅雨の時期で、見た目にも濡れている。その橋を渡る際に、滑らせ転倒、橋から落ちかけたが、細引きが橋の両端に渡してあり、それを握っていたので、事なきを得た。握っていなければ、そのまま転倒し、数メートル以上は滑落していたかもしれない
要因 橋が濡れていることは分かっていたこと、また濡れた木の上は滑りやすいことは百も承知していたが、帰りのバス時刻を気にして、急ぎ足で下ったため、橋に置いた足と後ろ足間が広がり、前足に体重がかかってしまった。
【要因分類】不注意による転倒
時期 7月梅雨の時期

 ・・・・・・・・・・・・男性・60代
場所 南アルプス・聖岳~茶臼岳登山で上河内岳近くの平坦地
状態 平坦地でつまずき前方に倒れるが、自分の腕力で体を支えられず顔面が地面に思いっきり押し付けられる。たまたま押し付けられた場所が平らな石であったため問題なかったが、普通の石であったなら相当出血したと思われる。
◆聖岳~茶臼岳山行の模様は ➡ こちら
要因 疲れていたうえ、ザックが重く、転倒したときに自分の腕力では支えきれなかった。
【要因分類】不注意による転倒~重荷による圧迫
時期 9月16日(2012年)

 ・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 南アルプス・茶臼小屋からの下山道で畑薙大吊橋
状態 雨の中黙々と急いで下山している途中私の直ぐ後ろのAさんが転倒し(音でわかる)、その後ろのBさんが大きな声を出す。あまりにも大きな声でビックリして振り向いたとき、重いザックに体が振られバランスを崩して谷側に転倒。1メートル下くらいにあった倒木につかまり、滑落せずにすんだ。
要因 この年はほとんど山に行っていなかったための体力不足だったうえ、雨の中を疲れて膝が割れた状態で下り坂を長時間歩いた
【要因分類】疲労(体力不足)による転倒
時期 9月17日(2012年)

 ・・・・・・・・・・・・女性・60代時
場所 物語山の「猫の散歩道」に出る手前
状態 ほとんど下山し終わって川沿いを下りているとき、道の右端にストックを突いたら、枯れ草の上に落ち葉が積もった所で、ストックがそこを突き抜けて、バランスを崩して体がくるっと回って下へ落ちた
◆物語山山行の模様は ➡ こちら
要因 落ち葉が積もっていて、ストックを突いた場所が土の上でないことに気づかなかった。ほとんど下山したという、気持ち上の緩みがあったせいかもしれない
【要因分類】不注意による転倒(ストックへの荷重ミス)
時期 5月中旬

 ・・・・・・・・・・・・・男性・40代時時
場所 五龍岳。五竜山荘の上のトラバース道上
状態 3月の遠見尾根(ごりゅうとおみスキー場)から6名で五竜岳を目ざした。尾根半ばで1泊野営した翌日、五龍山荘まで達し、3名だけが頂上に向けて出発した。この日のここからの雪の質が意外に悪く(アイスバーン化する手前の堅雪状態)で、さらにトレースが新雪で消えていて、風も強く視界も悪く、ルートファインディングに難儀した。そのあと、夏道に戻りトラバースする最初の北東側斜面で危険を感じてロープを出した。1ピッチ目、トップが行路を切り開き、ピッケルを雪面に差し込んで確保点をとり、ラストもハイマツにプロテクションをとり確保態勢に入った。中間者がロープの中ほどまで進んだとき、アイゼン歩行の誤り(山側に体勢を傾けるためアイゼンの爪が効果を失う;いわゆるフラットフッティング技術の欠如)からスリップを起こしてしまった。トップ(私)がピッケルでグリップによる制動をかけた。45メートルのロープが落下者の力でⅤ字状になりながら、落下を食い止めることができた。
★グリップによる摩擦熱で冬用の手袋が擦り切れていた。危険と判断し、それ以上の進行は差し控えて下山した。

春季の五竜岳の模様は ➡ こちら
要因 雪面の質が悪かったことと、アイゼン歩行技術の欠如
【要因分類】不注意、不慣れ、技術不足による滑落、危険な春先の雪の斜面(参考:春山の危険) 
時期 3月中旬(20年近く前)
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 ・・・・・・・・・・・・女性・50代時
場所 立山・室堂から薬師岳に向かい縦走中。越中沢岳からスゴ乗越の間のガレた岩場
状態 とくに危険を感じなかった岩場で、「届く」と思った岩に足が届かず踏み外し、バランスを崩して背中から転落。岩場であったため、ザックが岩に当たり、そのはずみで一回転して落ちる。幸い頭も打たず、ザックがクッションになり背中も無事であったが、ザックが30Lで短かったため尾てい骨を軽く骨折する(後日、医院で判明)。右肩も打撲したが大したこともなく、痛み止め入りのシップと痛み止めを飲んで予定の行程を歩く。
◆現場の写真 ➡こちら12
要因 前日はよく休めて、体調もよく、疲れも感じずペースもよかったので、楽に歩いていた。
【要因分類】不注意・自己過信による転落
時期 夏季(7月下旬)

 ■ 事例38 ・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 南アルプス仙丈ケ岳。森林限界の上、小仙丈ケ岳の先の雪上斜面(たぶん大仙沢カールへ落ち込む小さな鞍部状の場所)
状態 仙丈ケ岳山頂へ登り、帰りの下りで、足が滑って、10メートルほど滑り下りてしまった。3回ピッケル(スピッツ)の石突きを雪に差して止めようとしたが駄目で、加速がついてくるのを感じた。焦っていたのか冷静だったのか、前日見ていた訓練*だけでもイメージが残っていたのか、雪上訓練のSzさんの滑落停止姿を思い出し、ピックを雪に刺すと、少し落ちながら止まることができた。ほんの一瞬の出来事だったが、時間が止まったように結構いろいろなことを考えるものだ。周りから仲間が「停止姿勢を」と指示してくれたその声は聞こえなかった。やはり、冷静なようで、結構緊張していたのだろうと思う。そのままさらに滑っていっていたなら、先は大仙丈沢カールへの急坂だった。石もなく、下は、モレーンが堰き止めるすり鉢状地形だったので、滑り落ちても何とか止まっていたのだろうが、本当に冷や汗ものであった。
※ピッケルはよく出来ているのだと痛感した。ただ、事に当たって冷静にやれるか、日頃の訓練とイメージトレーニングが大切なのだと思った。その後、少し訓練の積りで、遅ればせながらダガーポジションを取って下りてみた。
◆仙丈ケ岳登山の模様は ➡ こちら

*前日、時間があったので、北沢峠にテントを張って、甲斐駒ケ岳下の仙水峠(標高2264メートル)を往復した。帰り道で、ピッケルワークの練習があり、私は見ているだけだった。それでも、これが幸をもたらすことになった。Szさんの滑落停止動作が記憶に残っていた。
要因 【前段】この日の上りの標高差は1000メートル。森林限界を出て35度くらいの斜面の途中からなかなかパーティーに付いていけず、呼吸の仕方、足の歩幅、足の踏み出し方、リズム、ピッケルの使い方などいろいろと言ってもらい、体力不足に加え、高山病の一種なのか、単にパニクっていただけなのか、胸の圧迫感もあり、まばたきするとフラッシュを焚いたような感じで、立ち止まってボーッとしてしまった。リーダーの指示で2班に分かれ、後のパーティーとして2人に付いてもらうこととなりった。行路から少し下りた丸太を積んだところで、雷鳥を見ながら横になったとき、通りかかった登山者が錠剤の酸素剤をくれた。それを噛んで飲むと、意識が薄れ少し寝てしまった。その後、少し食事をして立ち上がると、かなり元気が回復していた。
私はここで待つと言ったのですが、リーダーの提案で、今日ももう一泊幕営して頂上を目指そうと言われ、ゆっくりと登りはじめた。2700メートルくらいまで登っていたので、後は300メートル強。2855メートルの小仙丈ケ岳、カールのへりの雪稜を経て仙丈ケ岳山頂へ。

訓練不足と登りの疲れが、このようなことを引き起こしてしまったのではないかと思う。下り、雪稜上のトレースから外れて、スーッと右(カール側)にずれていった。
【要因分類】技術的な未熟さ(まだ雪山を知らなかった)、体力・注意力不足
時期 5月上旬(2009年のゴールデンウィーク)

 ■ 事例39・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 茶臼岳~三斗小屋。峰ノ茶屋付近
状態 行きのときに暴風により、峰ノ茶屋跡で眼鏡が飛んでしまった。広く低い草があり、そこに落ちた。予備の眼鏡を出す間にもみなさんに探していただき、お陰さまでGBさんに見つけてもらってホッとした。
◆茶臼岳~三斗小屋温泉山行の模様は ➡ こちら
要因 まさか、あのようにメガネが飛ぶとは思っていなかった。止めるものを付けるなどの準備が不足していた。
時期 9月 (2008年)

 ■ 事例40・・・・・・・・・・・・男性・50代時
場所 日光・奥白根山。外山の鞍部付近
状態 自分にとって初めての雪山山行。風が強く、何度くらいだったか? 外山鞍部に着くと、先着隊はテントを張る場所を探してくれていた。一度テントを張る場所が決まった。そこで先ずは「着込め」と言われ、手袋を外して服を着込むうちに、急に手の指先の感覚が薄れていった。凍傷の初期段階が訪れていたのだろう。MTさんの指摘で指を首筋に当てたり、「究極の手段」とかという、手を股に入れたりするやり方で暖を取り、大事に至らなかったのは幸いであった。帰って病院に行き、だいたい治るのに3か月ほどもかかった。
◆奥白根山山行の模様は ➡ こちら
要因 知識が無かったということに尽きる。冬用の大きな手袋をしていたが、それで十分と思っていた。そしてちょっとくらい、という気持ちで手袋を外した。こういったちょっとした動作が凍傷を招くことになるのがわかった。対応する中で、手袋は二重に(あるいは三重に)はめると効果的だとか、アイゼンなど手袋のままで着けられるように訓練が必要だとか、当たり前のことかもしれないが、いろいろとお教えてもらった。古参の方も指先が赤黒くなっている人がおられ、対応の難しさを感じた。
【要因分類】事故という類ではないが知識と経験のなさ
時期 12月(2009年)

 ■ 事例41 ・・・・・・・・・・・・・男性・40代時
場所 針ノ木岳頂稜基部の雪渓(針ノ木雪渓上~中部)
状態 針ノ木雪渓の扇沢に近い場所に幕営した後、雪渓を遡行して針ノ木岳に登頂し、下山するとき。山頂の岩から雪面に替わり、雪渓を下降する。最初は雪渓の左岸に寄りながら安全を確保しつつ、下降路をとる。その下の最も急な箇所の傾斜は35度といったところ。下降にも慣れてきて、雪渓の真ん中をテンポよく降りるようになった。しかし、ときに足をとられた。いわゆるツボ足歩行のようになることがあり、その疲労も感じ始めてきたそのとき、メンバーの一人が下りの歩行を面倒に思ったのか、また面白がってその気を起こしたのか、尻セードを挙行した。ところが、傾斜が強かったためスピードがつきすぎて止まらず、ピッケルも弾け飛んでしまった。その下は雪渓が左に曲がるところで岩が出っ張っていて、そこまで急速度で下っていったら危ないと思った瞬間、その手前で止まった。ピッケルは後続のメンバーが回収したが、あのような急傾斜地でアソビ心やダジャレ心を出すのは禁物だと認識した。
要因 慣れ(雪~下降慣れ)からアソビ心~ダジャレ心が出てしまったこと
【要因分析】山慣れ~ダジャレ心、アソビ心
時期 残雪期(5月下旬)

 ■ 事例42・・・・・・・・・・・・・男性・60代時
場所 谷川岳の東側を流れる湯檜曽川
状態 谷川岳の東側を流れる湯檜曽川の左岸(谷川岳側の岸辺)を場所として、本会では3~4月にしばしば雪上訓練を実施してきた。その年その年によって湯檜曽川の状態(水量~融雪状況)が違っている。その日は幕営場所を雪の解けた河床(中洲)に求めて徒渉することになった。水深40センチメートル、水流幅20メートル程度の、冷たい速い流れだ。最初にトップのIm君がロープを持って対岸に渡り、立木に固定した。それを伝って後続のメンバーが進む。足が凍えそうになり、しかも川底はぬるぬるしていて、滑りそうになる。あるメンバーが渡るとき、足を滑らせて流れに捕まってしまった。水深はさほど深くはないが、ザックを背負っているので、流されながら立ち上がることができない。そのうえ、ザックの浮力が体を下にしてしまう。幸い、さほどの距離流されることなく同行のメンバー数人が急行して、手を添えて引き上げることができた。流された当人にとっては、体が冷えて非常につらかったようだ。さらに急流だったり、水量が多かったりしたら、大変なことになりかねなかった。その後、中洲のテント地で流木を集めて焚き火を起こした。ロープ1本では、一度水流に足をすくわれると、体勢の立て直しはできないことを思い知った。
この場合には、2~3人が1組となって、相互に相手の肩に手をかけ、合計4本または6本足で櫓(スクラム)を汲んで進む方法がある(スクラム徒渉法➡資料館「雪上訓練」の中の写真参照)。また、ロープは強く牽引し、ピンと張った状態にしなければ、ロープをつかんでバランスをとるだけの力を得るのは難しい。
要因 危険は認識していたが、十分な注意・対策を怠ったこと、また技術的に十分な対応策を習得していなかったこと(普通の登山では徒渉でそこまで気をつかうことはしないだろうが)
【要因分析】雪解けの時期の水のこわさを知らず、また徒渉時の正確な技術を熟知していなかった(技術不足)
時期 春季(3月下旬)
   


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