NEW INFORMATION






2015年6月からトップページに掲載してきた会員情報などを記録としてここにまとめました。
今後も引き続き会員に有用な情報を掲載していきます。
最終更新日:2018年12月26日



2018年
内外トピックス 会・会員情報
◇3月21日に奥多摩で13人の登山グループが山岳遭難により救助 3月21日(水)午後7時45分ごろという、日没後に遭難の通知があった事件である。場所は、奥多摩最奥の三頭山とヌカザス山の中間あたりで、13名のメンバーが下山ができず、救助を要請してきたというニュースが報じられました。関東一円の山間部を中心としてその直前の19~20日にかけてかなりの降雪がありましたが、SNSで集まった、日本人2人を含む中国人らの一同はその雪にもかかわらず登山を続け、遭難事故に至ったとのこと。これら全員は、翌朝からの東京都消防庁の救助ヘリにより救出されました。生命に別条はありませんでしたが、凍傷や軽傷を負ったメンバーもいたようです。なかにはスニーカーの装備で参加していたそうで、季節の移行期だけに危険をはらむこの時季における安易なハイキング~登山への批判が出ることは、必至と思われます。
◇高校の部活での冬山登山中止を8道府県で決定 栃木県那須町で昨年の登山講習中に高校生ら8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故(2017年3月27日)から、1年が経過するにあたり、全国8つの道府県が、高校の部活動における冬山の活動を中止することを決めました中止を決めたのは、北海道、秋田、栃木、新潟、山梨、三重、兵庫、岡山。
 一方、中止を決定せず従来どおり冬山登山を認めるとしたのは岩手、宮城、山形、福島、群馬、埼玉、東京、石川、長野、静岡、滋賀、京都、鳥取、広島、香川、高知の16都県。これらの都県では、現実の体験を通して危険を学習させることの意味や、有雪期の自然の美しさを経験させる意味を主張しています。
 スポーツ庁は高校生の冬山登山を原則として禁止としましたが、昨年12月、冬山登山を行う場合には、登山計画書の審査などを実施する審査会の設置などを求める通達を発令しています。つまり、高校生の冬山登山は、全国規模では原則禁止であるにもかかわらず、都道府県レベルで条件を満たせば実施する余地が残されるなど、自治体での最終判断に委任されています。
 なお、冬山登山を禁止も認可もしていない23府県は、昨年度において冬山登山を実施していませんでした。

◇警察庁が昨2017年度の山岳遭難統計を発表 6月21日、警察庁が2017年度(2017年1~12月)に発生した山岳遭難の統計結果を発表しました(▼警察庁ホームページによる)。
 発表によると、昨年1年間に発生した山岳遭難は2583件で、遭難者は3111人でした。一昨年(2016年)比で、発生件数は88件数、遭難者は182人増加しています。遭難者のうち、死者・行方不明者は354名に上っています。
 この統計数字から、「遭難件数」という言葉の定義と単位があいまいですが、「単独登山者」が全遭難者に占める割合は34.4%と、遭難者の約3人に1人が単独登山者で、その傾向は近年増大の傾向にあります。山岳遭難事故を起こした人のうち、ほぼ10人に1人が死亡しています。遭難発生事故件数も、死亡者数も、1961年から統計がとられ始めて以降、最多となりました。
 年齢別の事故者割合では、60歳以上が全体の51.0%、40歳以上を含めると77.8%を占めており、高齢者の山岳遭難者が多いという傾向を確認する結果にはなっています。ただし、登山者の数は年齢層別には把握されていませんので、高齢の登山者の絶対数がもし増えているなら、当然ながら高齢者の事故数が多くなりますが、その相対的な数の比較資料が示されていないため、警察庁の統計から「高齢人口がより高率に山岳遭難事故を起こしている」という根拠が示されたことにはなっていません。
 様態別遭難者数は、道迷いが約40%、滑落・転倒が約32%で顕著に多数を占めています。また、単独登山者と複数登山者(パーティーによる登山者)別の遭難状況からは、死者の割合が単独登山者が複数登山者の2.5倍程度と高くなっており、この傾向は過去数年の間変わりません。
 なお、近年の傾向から、比較的低山や標高がさほど高くない山域で事故が多数発生しており、この初夏にも新潟県の親子が残雪期の1000m程度の山で遭難事故により死亡しています。山岳遭難は高さだけが引き起こすのではないという認識が大切です。
 ・・・一方、山の登るたびに感じるのは、若者が山に多数登っているということです。登山人口の増減傾向は不明にして承知していませんが、ともかく山に若者たちが多いのです。それでなぜ高齢世代の遭難事故率が多いのか、頭をかしげます。1つの理解でしかありませんが、高齢世代は現役を退いたことに伴い週日に山に登る回数が増えますが、若者たちはまず休日にしか山登りができず、私たちの山の会では登山日程がほぼ土日の休日に設定されていることと、若者たちが山に多くいる現象とが一致する理由の1つがここにあるような気がします。

◇史上最速の梅雨明け 気象庁が早々の6月29日に、関東甲信越地方の梅雨明けを発表しました。平年の梅雨明けは7月20日過ぎで、少なくとも気象統計を取り始めた1951年からこの方、6月に梅雨明けしたのは初めてとのことです。平年に比べて22日、昨年よりも7日早い梅雨明けとなりました。
 これは、偏西風が例年よりも北に蛇行したため、小笠原気団(太平洋高気圧)が北に張り出し、梅雨前線を北に押し上げた結果、梅雨明けとなったと気象庁は説明しています。
 これから懸念される、早い、長い夏によるさまざまな事態があります。①高温の持続による植生~農耕などへの影響(野菜や魚介量の収穫量の減少、食料の高騰)、②短い梅雨期間による水不足(渇水)、③人々への高温がもたらす健康の影響(熱中症)、④その他広範な市民生活への影響・・・が予想されます。
 登山など発汗の激しい運動では、私たちなら全体に高齢化している現実をしっかりと自覚し、多め、多めに水分を補給することが重要です。山では、食事の摂取量も減るため、真水の摂取のみならず、塩分も含んだスポーツ飲料なども有効に利用しましょう。


◇今年夏期(7~8月)の山岳遭難数が史上最多に 警察庁が9月13日に、今年「夏期における山岳遭難の概況」を発表しました。これによると、発生件数は昨年の同じ時期を110件上回る721件に上り、統計を取り始めた1968年以降最多となりました。遭難者は793人で、目的では、そのうち「登山」が610人、「観光」が65人でした。死者・行方不明者は71人でした。
 様態別では「道迷い」「転倒」が多いことはこれまでとあまり変わりありませんが、「病気」が昨年より20人、「疲労」が37人増えて、それぞれ120人、93人に上りました。これは、今夏の猛暑が影響して熱中症やその予備軍(熱疲労)を起こした結果とも考えられます。
 「概況」では、年齢層別や県別など詳細な統計データが示されています。


◇9月26日に富士山に冠雪new 9月26日(水曜日)、富士山が初冠雪したと気象庁(甲府気象台)が発表しました。平年より4日、昨年より27日早いとのこと。
 ちなみに、26日の水曜会が終わって会場から外に出るとぽつぽつと少し降ってきたその雨が富士山の上では雪になっているだろう、などと話しながら打ち上げの会場に歩きましたが、その想像が当たっていました。
◇3月25日に阿弥陀ケ岳南稜で遭難事故発生 3月25日(日)午前8時35分ごろ、八ケ岳の阿弥陀ケ岳で、関西(大阪周辺)方面からの男女、30代~60代の7人パーティーに山岳遭難事故が発生し、そのうち3人が死亡したと伝えられました。他の4名は骨折や打撲などの重軽症を負いましたが、全員が山梨県のヘリコプターにより救助を受け、救出されたとのことです。
 パーティーがとった行路は、通常の登山道でない、いわゆるバリエーションルートとして多くの岳人によく知られた人気の1つで、「阿弥陀ケ岳南稜」ルートです。電車を利用してアクセスをとった場合は、茅野駅からタクシーで1時間弱のところにある舟山十字路から登山を開始します。以降、立場岳に上がる尾根をひたすら登り、その日は、立場岳山頂を少し越えた尾根上の平坦部もしくは主稜に登り上げた船底型の場所で幕営します。そして翌朝、南稜をたどって阿弥陀ケ岳に登ったあと、行者小屋を経由して美濃戸に下るか、山頂から伸びる御小屋尾根をやはり美濃戸に下るかするのが一般的です。このパーティーは後者の下山ルートを選択していたそうです。
 さて、2日目の25日早朝、そのパーティーは前者の幕営地を引き払って南稜を進み、どの隊もがそこでぶつかる、このルート最大の難所のP3のガリーに差しかかります。立場岳の幕営なら2時間弱の場所にあり、阿弥陀ケ岳山頂まで残すところ1時間余り、標高差150メートルといった地点です。
 この行路について再考します。このルートは岳人に人気がありますが、経験者でなければ危険の伴うルートでもあり、とくに春先の3月では、降雪の具合や、雪解けが始まる微妙な時季であるだけに、難しい判断を求められる場面が少なくありません。雪質の見きわめも欠かせません。
 P3のガリーの「喉部」(P3からの難所は、瓶の口を下に向けたような形状をしており、その喉部を登攀したあと、広がる急峻な雪面を登り切らなければなりません)からではなく、そこから100メートルほど行路を手前に戻って、南側に開けた「角地」から登るルートがあります。ガリーを外から取り囲むような外輪の縁に位置し、この縁、外輪の東南東側の岩稜を登攀して上部に達したあと、外輪の岩稜帯を東側からたどるようにして上部に出、P3のガリーをやり過ごすルートです。このルートは、岩稜の登攀レベルが高いため、ほとんどのパーティーはP3のガリーの直登ルートを選びます。このたびのパーティーもP3のガリーを行路に選びました。事故は、そのガリーの通過時に発生しました。
 報道では、7名は1本のロープ(ザイル)につながった状態(いわゆるアンザイレンした体勢)でP3のガリーを通過中に、先頭にいて行路を切り開きながら、ガリーの中ほどあたりに確保点を探していたトップ隊員が滑落を起こし、それより下に続いていたメンバーがその動きに次々と引き込まれるようにして、隊列の全体が体勢に破綻をきたしたようです(その後の報道では隊列には複数本、2本のザイルが使われていたことが判明したようです)。それによりパーティー全体が一斉に滑動を始め、その地点から300メートルほど下まで滑落して停止しています。救助を受けた時点では結果的には3名が心肺停止(生物学的死)状態にあったとのことです。26日の報道によると、3名の死亡はいずれも窒息(圧死)によるものとみられるため、雪崩が原因となったのではなかったか、関係者・山梨県警により検証がなされています。雪崩は、その前の数日間晴天続きで雪面の硬化(クラスト)現象が進んでいたことが推測されるため、この隊の滑落自体によって人為的に引き起こされたものではないかと考えられます。新雪ではなかったため表層雪崩ともいえず、全層雪崩との中間型のものと推測されます。
 ところで、阿弥陀ケ岳南稜のうち唯一、P3のガリーはザイルの使用が必要な急峻な箇所として岳人には認識されています。そこでザイルが使用されていたのはもっともですが、P3のガリー通過時に、いわゆる同時登攀もしくは連続登攀(コンティニュアス・クライミング)という登攀技術で登っていたことに大きな疑問が残ると思われます。この方法は岩稜帯や雪稜・氷河を登下降する際に適用されますが、比較的危険度の小さな、もしパーティー中の1隊員が滑落を起こしたような場合にも、他の隊員が瞬時に対応して、隊列全体の落下を食い止め、もって隊を停止させることができるロケーションにあるときに限って主に使う技術です。例えば、氷河の通過や、緩やかな残雪期の山からの下りなどでしばしば使われます。さもなければ、力量が高いメンバーで構成されたパーティーで適当されます。1人の滑動(スリップ)で全体に危険が及ぶため、その適用には相当の判断が求められるとされています。
 この連続登攀のロープ技術は、隊員が同時に登山行動を行いながら適用するものであり、現実的には、わずかでも隊全体が微妙な行動を強いられていたり、危険な箇所や急傾斜面を通過したりするなど、安全域の非常に小さな場合に適用することは通常しません。しかも、もし1本のロープで行うアンザイレン(隊列のメンバー全体でロープを結び合って行動をとる方法)の場合も、せいぜい隊員が3名または4名くらいが最多とされています。それが、7名もが同時につながって一緒に動いていたとしたら、登山の常識から逸脱していると考えられます。
 それ以降の報道では、2本のザイルが確認されたとしており、7名が1本のロープに一斉につながれていたのではなく、隊列を2本のロープに従って2つに分けた行動体系がとられていたことが判明しています。しかしながら、この方法でも、難所の通過方法としては常識から外れる部分が指摘されます。すなわち、危険度の高い箇所の通過には、複数隊の同時的な登攀は危険を大いにはらむからです。2本のロープでボトルネック状の雪面の同時登攀を行っていた2組のパーティーで、危険地帯を同時的に登っていた場合に、上部にいたパーティーが滑動を起こしてしまったら、下のパーティーも巻き込んでしまう危険があります。このような場面では、パーティーが同時的に行動を起こすことは隊列全体が危険に瀕することを意味します。しかも、下段に指摘しましたように、この雪面も数日前からの降雪と温暖化~多量の日射の影響によりクラストが生じていたことが推測されるだけに、ここの登攀にはよりいっそうの慎重な判断が求められたと考えられます。
 参考までに、実際に危険な場所では代わって、隔時登攀(スタカート・クライミング)という手法を使います。この技術は難所の通過に時間はかかりますが、数人で登攀を行っていたとき、一段と高い危険箇所への入り口で隊列が一度停止し、それまでの登山とはシステム的に異なる手法をとるのです。そこの行路を通過するためにロープを、危険地帯のA―B点の間のように、危険度が非常に高い帯域で限定的に用いる手法です(行路全体が危険域であれば、ロープの長さ分の単位行動を何回も連ねることによって長いその間を突破するしかありません)。危険地帯に進むときに、とくに注意しなければならない地帯の始発点にあたるA点に最先行者(トップ)が至ったとき、ロープを使用する判断をします。隊列が一度立ち止まり、まず先行者が先端にロープを結索して単身で行路を進みながら、ランニング(中間にとる)支点を適当箇所にとり、ロープを行路の先に延ばしていき、B点に到達します。その間は、1本のロープでつながった最後尾者がAに確保点(最終停止点)をしっかりと維持し、万が一、先頭が落下・転落したときには、最後尾者がロープを素早く引いてその落下を食い止めるというバックアップ態勢をこの手法は基本にします。A-B間が無事通過できれば、危険地帯が通過できたことになります。
 先頭がロープ1本の長さ分内進んで安全地帯Bに着いたところで、その場所Bで確保点を固定し、これによって先頭のA点と後尾のB点との間でロープがきちんと張られたことになります。これが固定ザイル(フィックスロープ)方式で、もし2人以上の隊員がいたなら、そのうち中間(2番手以降~ラストの前)に位置するメンバーは、その固定ザイルを手掛かりに危険箇所を上部までA~Bを移動します。ロープが手掛かりになるので、移動の支点が得られ、また落下の動きが生じたときにも張られたロープによって落下が止められて、安全が確保されます。
 隊員は1人ずつ、もしくは最大2人ぐらいを単位に移動を順次行い、中間者の移動が終わったあと、最後尾者が確保点Aを解除して、上部Bから安全を確保してもらいながら登り、先行隊列Bに追い付き、1つの隊列に合流するという仕組みです。危険地帯が長く続くところでは、1本のロープの長さ(だいたい50~60メートル)内の30~40メートルくらいを1ピッチとして、何回かその技術を適用して難所を切り抜けます。今回の事故を見る限り、そのような岩稜~雪稜登攀の技術に則っていません。今回のパーティーは隊列を2つに分けたとはいうものの、3人と4人との2隊に分かれた状態で、それぞれが系列として同時に登攀行動を起こしていたと思われます。そして、不幸にも、先行の隊が滑動を引き起こしてしまい、下に続いていた隊を巻き込むようにして、2隊の7名が滑落を起こしてしまったものと推測されます。
 同時(連続)登攀か隔時登攀かは、通過する場面の直接の危険度や、滑動を起こしたときに隊列の停止が可能かどうか、もしくは隊列が滑動を起こして滑ったあとに控えている危険の大きさなど周辺(とくに下部)の危険箇所の状態をもって判断します。
----------------------------------------
■当日の雪面の状態
 さらに、その事故に先立つ天候と、その場面における雪質の状態に関して次に推察します。
 事故のあった直前、19~20日に多量の降水がありました(我孫子では半夜にわたり、強い、降雨が続きました)。気温は低く氷雨でしたから、このときの雨は阿弥陀ケ岳では雪だったに違いありません。しかし、翌22日と、それから3日ほどは晴天で、比較的高い気温(我孫子で15~20℃)で、しかも比較的風の強い日が続きました。ほぼ快晴でしたから、八ケ岳も強烈な日射を浴びていたでしょう。事故のあった現地の当時の気温は1.3℃、天候は快晴とされていますが、この日に至って風がなくなって穏やかな日に戻りました。その3日間、晴天下で風に吹かれ続けました。はたして、その3日の間に行路上の雪面・雪質にどんな変化が起こったでしょうか。
 このような気象で、一帯の雪面は気温・日射・風による変化を受けます。考えられるのはまず第一に、ウィンドクラスト(風による雪表面の硬化)です。22~24日と3日間、比較的気温の高い日が続き、その温度で強風にさらされると、雪表面は融雪を起こして、雪が融雪~融解を起こします。それがある程度起こった状態で午後の後半にさしかかり、その時間以降から急激な気温低下によって、その融雪面が再氷結~粒子結合による硬化を起こします。3日間、その同じ現象が繰り返された結果、P3のガリーの雪面はクラストによって、登攀するのに危険なほどの状態になっていたのではないか、と推測されるのです。つまり、表層から数センチメートル、もしくはそれ以上に、雪面に登山靴が体重で落ち込まないくらい、あるいはもっと危険な、アイゼンの爪が立つ程度までに硬い雪となっていた可能性が想像されます。
 かくして、P3のガリーの登攀は堅雪上の急勾配を行く、難度の高いものとなっていたのではなかったでしょうか。問題は、そうした状態であったなら、なおさらのこと、より高い安全係数の見込める登山技術(隔時登攀)を使って、そこをともかくも確実に脱する冷静さが必要でした。
 他方、クラストが起こったとするなら、表層雪崩はより起こりにくい状態となっていたでしょうが、今回の死亡事故原因が窒息であったことをどのように説明すればよいでしょうか。私の推測です――P3のガリーの下端より上部はクラスト状態だったが、P3の取り付き口(ボトルネック;瓶の首状に狭くなったその部分)から下の雪面には、クラストは起こっておらず、ただ樹林の下まで200メートル程度の雪面で谷側に流れ下る扇状の傾斜面が展開しており、そこを大きな人為的な滑落エネルギーが切り開いてしまって雪面の崩壊を引き起こし、人と同時に雪の滑動をもたらした・・・そういった顚末も推測します。
 正確な状況については、事故報告書に俟ちます。
--------------------------------------------
 本会が2009年1月半ばに同じルートを行っています(我孫子山の会阿弥陀ケ岳南稜山行)。
 雪質の変化は今回の3月とは全く異なると思いますが、天候や気象で変化する雪質や登山道の状態などに関して、どれくらい正確な想像力が山行をする側として持ちうるか、危険に対するイメージトレーニング、それが問われるでしょうし、厳冬期ほど厳しくない春山に向かう岳人の資質や経験に関して、山がけっして甘くないと自然をもって応えたように感じられてなりません。➡春山の特徴と危険
2018年度我孫子山の会総会 開かる 2月4日午前9時半から3時過ぎまで、会員37名の出席のもと、本会の2018年度総会が行われ、滞りなく所期の議事進行計画に従い報告・議論・議決が行われました。引き続き例会、懇親会に移行しました。出席のみなさん方には、長時間にわたりお疲れさまでした。
◇台倉高山に13人 梅雨のさなかの6月23~24日、福島県南会津郡檜枝岐村にある舟岐キャンプ場を拠点に、13人がキャンプと台倉高山登山に参加しました。2台の車を使用し6時に我孫子を出発。初日は山行計画が無いのでキャンプ場までの移動のみでした。渋滞もなく順調に進んだこともあり、途中、茅葺の家を地域ぐるみで保存している前沢集落、白い岩肌と青い川の絶景・屏風岩に寄り、キャンプ場へ到着。そのころから小雨が降り始め、テント張りと料理班に分かれて宴の準備を始めました。まだ明るいうちに乾杯!!・・・このような山行は今までにないパターンです。
 タープを打つ雨の音を聞きながらMHさんの揚げる山菜の天ぷらが格別で、キャンプファイヤー、焚火で盛り上がりました。
 翌日は朝から快晴。台倉高山は田代山系では最高の山で、本会では初めての試みでしたが、12名が登頂しました。帝釈山への上りでよく見られるので知られる特異種のオサバグサが花の時期は少し遅かったものの、台倉高山への行程上でも可憐な花を見ることができ、途中の田代ではタテヤマリンドウが多く咲いていました。山頂からは、まだ雪の残る会津駒ヶ岳を見渡せる360度の青空のパノラマが堪能でき、アップダウンも多くなく登りやすい山でした。秋の紅葉は見事だろうなぁと思いながら、下山後に温泉につかりリラックス。
 入会早々の2人をも含め、いい思い出になったことでしょう。参加のみなさん、お疲れさまでした。

雪上訓練の予備机上講習、野外実践講習、および雪上訓練の実施 12月8~9日の2日間、雪上訓練に関連する講習と訓練を実施しました。8日には午前9時半から12時まで湖北台近隣センターを会場として机上講習を、午後1時から4時過ぎまで五本松公園で野外実践のロープ技術の講習を、さらに翌9日には奥日光の湯元から外山への傾斜地で恒例の雪上訓練を実施しました。8日午前の部には19名、雪上訓練には11名と多くの会員が参加しました。
 8日の講習内容は、あらかじめ用意したテキストに基づき、山の登下降時における危険への対処法としてのロープ技術の仕組みや安全確保の原理、その具体的な手法(ロープで互いを結び合うアンザイレン、一時的に危険箇所で安全を確保する固定ロープ法など)や、雪山でのその応用、登攀姿勢の基本などが中心となりました。山での危険への対応は、無雪期も有雪期も最終的にはロープを使った技術に依存するため、その観点からの講習でした。雪山を必ずしも目ざさない山好きであっても、わきまえておく意義は小さくありません。
 雪上訓練では、ピッケルの持ち方からいくつかの使い方まで、アイゼン歩行時の要領(緩傾斜面と休憩斜面での登下降)、トラバース時の歩行とピッケルの操作法、硬雪面通過時のアイゼン歩行、その際の重要なフラットフッティングなどを尾根上とスキー場上部の傾斜面を使って学ぶという内容でした。
 来年1~5月連休までの有雪期、月ごとに雪山の山行計画を本会では配置しており、すばらしい雪山の感動を経験するためにも、段階を踏んでステップアップしていってくれることが期待されます。



ページトップへ


 2017年
内外トピックス 会・会員情報
昨年暮れから正月にかけ山岳遭難事故が頻発 昨年暮れから年明けにかけて、暗い山岳遭難のニュースが相次ぎました。12月30日に伊奈前岳(1人)、31日に北岳(1人)、年が明けて元旦に富士山(2人)、雁坂峠(2人)、2日に甲斐駒ケ岳(1人)、3日に夏沢峠近く(1人)と多数の登山者が命を落としました(かっこ内は遭難事故で死亡した人の数)。ほかに、宝剣岳や小赤石岳で傷害事故が起こっています。
 今年の山行における安全を願っています。
阿弥陀ケ岳南稜で滑落遭難事故 2月10日、南八ケ岳の阿弥陀ケ岳南稜で早稲田大学の山岳サークルの2人が滑落し、1人が死亡しました。事故の起きた場所は、この経路中最も険しいP3というガリー(岩溝)の登攀が入ってくる、傾斜の急なところ付近だったとのこと。事故を起こしたメンバーは雪山登山が3度目で、しかもパーティーは赤岳~横岳~硫黄岳から北八ケ岳を経て蓼科山までの、大縦走ともいえる登山を計画していたと報じられています。前途洋々たる若者の死は残念でなりません。
 結果論になりますが、若者、とくに学生(高校生・大学生)における一番の危険は、若者であるがゆえの体力・気力の大きさと、経験、登山の知識の不足とのアンバランスがもたらすものではないかと推測します。大学の山岳部が衰退して引き継ぎ手の不在がいわれて始めて相当の時間が経過していますが、それは現実としてこういった学生に登山の危険をもたらす可能性を大きくはらみます。危険な雪山登山の経験値の蓄積を山岳部OBらの経験者によることなく、自分たち世代や短間隔世代で“自前”で切り開きながら、危険な実践に、ステップをこまめに踏まないで大胆に突き進んでいく傾向が、この世代には同居しているように感じられます。この世代への実際的で懇切なアドバイスの必要性と切実さ、さらには登山行為の自己責任論に委ね切った放任主義を前提にする“登山社会”への警鐘は、いくら言われも言われすぎることはないでしょう。

無届け登山に初の過料の適用 昨2016年12月1日に罰則規定が施行された岐阜県の山岳遭難防止条例に基づき、違反者に対して初めて罰則金5万円の過料が科されました。その登山者(男性)は3月の上旬に西穂高岳を目ざして登山を開始しましたが、遭難してしまい、救助隊に救助されました。この登山で登山届が出されていなかったことが判明し、罰則規定の適用となりました。
 登山届提出の義務づけは、富山県が1966年に劒岳山域を対象として規定したのを最初として、翌年の1967年に群馬県が谷川岳の難ルートを対象として群馬県谷川岳遭難防止条例を制定しました。谷川岳では条例違反者で70人を超える多数の検挙者が出ているそうです。そのほか、長野・新潟・石川の各県でも登山届の提出を義務づける条例が設けられましたが、長野県登山安全条例は罰則規定を置いていません。なお、南アルプスを抱える山梨・静岡県では県条例がまだ制定されておりませんが、近年、無所属(山岳会などの組織に所属しない)の単独登山者(とくに若者に多い)が増え、また山岳遭難事故・死亡者(警察庁データ)が増加している実情に鑑みて、各県で条例が制定される傾向は避けられないようです。

 岐阜県は2014年7月に、北アルプスへの登山に際して登山届の提出を義務づける県条例を制定しました。その年に起きた御嶽山の火山の噴火で多数の死者を出したことを踏まえて、条例の適用範囲を御嶽山と焼岳、さらに白山に拡大しました(➡焼岳を含む条例適用範囲)。登山届の確認は逐一できないため不提出の登山者がまだ1~2割程度いるとのこと。私たちも注意しましょう。
 登山届はとくに決まった書式はありませんが、必要事項(登山者の氏名・年齢・性別・住所・連絡先、登山日程・経路、装備など、登山の条件や中身のわかるひと通りの情報)が漏れなく明記されていることが大切です。提出は、登山口のポストに投函する方法(長野県の場合のポスト設置場所)のほか、ネットで各県の警察に提出することもできます。登山届は万一、事故が起こった場合に、捜索場所が確定しやすく、迅速な救助が期待できます。
 ➡登山届は①各都道府県警察(警察本部山岳救助隊連絡先)のホームページ、②公益社団法人・日本山岳協会のホームページ、③公益社団法人・日本山岳ガイド協会のサイト「コンパス」のいずれからでもできます。
 【参考】本会のホームページの「リンク先」。


5月大型連休(ゴールデンウィーク)中に多数の山岳遭難事故が発生 4月29日~5月7日の連休中に各地で山岳遭難事故が多数発生しました。昨年の山岳遭難事故統計(件数163、遭難者数196、死者数21、行方不明者数4)に比べて、警察庁からの発表はまだなされていないため明らかでありませんが、新聞・テレビで連日のように山岳遭難事故が報じられました。
◇警察庁発表のGWの山岳遭難事故 今年のゴールデンウィークにおける山での遭難事故に関する結果が、5月12日に警察庁から発表されました。それによると、4月29日から5月7日までの山での遭難事故による死者数は27人と昨年よりも6名増え、行方不明者は2人となっています。遭難事故件数は167件、遭難者は190任、負傷者は84人でした。
◇倉岡裕之さん、日本人トップ、8回目のエベレスト登頂に成功 3月23日にエベレスト登頂を目ざして日本を発たれていた倉岡さん(我孫子市在住の高所山岳ガイド)が、5月23日に無事登頂を果たしました。日本人最多の記録をみずから更新し、8回に伸ばしました。
 昨年6月に星野我孫子市長に7回目登頂の報告で挨拶した際に、我孫子市のマスコット人形の「うなきち」を携えて、登頂の記念ショットを撮り、市長宛てに送るとの約束が交わされました。当会で写真の転送を代行しました。
エベレスト登山道中の「うなきち」
 おめでとうございます。
 なお、倉岡さんは6月半ばから、デナリ(旧称・マッキンリー;アラスカ)登山に向かいました。

◇多発する熱中症(7月) いよいよ今日から8月です。本格的な夏の到来かと思いきや、迷走台風の影響で最初の1週間は雲に覆われた不安定な日が多くなるようです。
 ところで、激しい真夏の日差しがないからといって油断ができないのが、熱中症です。今夏は梅雨明けした後も、新潟県から北海道にかけて前線が停滞し続けるなど、天候・気象の移り変わりが予断を許さないといった状況が続きました。
 このように、猛暑日も各地で報告されましたが、関東以北は真夏にしては比較的気温の低い日が続く一方、関西方面はじめ北海道で非常に暑い7月でした。全国的には観測史上でも暑さが記録されたそんな7月の後半、熱中症が多発しているとのニュースに接しました。総務省消防庁が8月1日、熱中症統計を発表しました。それによると――熱中症で救急搬送された人は7月17日から23日までの1週間で6369人(そのうち死者6人)、7月24日から30日までの1週間では5315人(同8人)に上りました。5月からの3か月間の累計では、3万1756人で、例年に比べて著増しています。
 水分(+塩分)摂取をこまめに行い、高湿度の室内環境にいる場合は、とくに熱中症予防に対する注意が必要です。水分の摂取も、コーヒーやお茶、ビールなどのアルコール類は利尿作用から補給した水分以上に脱水をもたらすので、心がけてさらに水分を補わなければいけません。
 発症者のうち約50%は65歳以上の人のようですが、高齢者は体内水分量が少なく、脱水に対する感受性や体温調節機能、発汗機能が低下しているため、とくに注意が必要です。運動をしていない状態であっても、湿度の高い室内にいると熱中症発症の危険性があります。初期症状としてめまいや立ちくらみ、吐き気、疲労感などを感じたら、すぐさま的確に対応しましょう。意識に異常がみられたり、自分で飲水ができなくなったりした場合には、急いで救急車を呼びましょう。
 登山中の脱水予防のためには、主観的にほしいと思う以上の水を、ポカリスエットなどのスポーツ飲料を半分程度に薄めて、数十分ごとに摂取します。運動による体温の上昇はもちろん、激しい発汗による体内水分の喪失から体温上昇がさらに起こりやすくなるため、暑い日の登山中などには運動強度を下げ、とにかく十分量の水分(+塩分)をとりましょう。
熱中症の予備知識については、こちらもご覧ください。
◇平出さんが植村直己賞に 2016年度の「植村直己冒険賞」に山岳カメラマンで登山家の平出和也さん(37歳)が選ばれました。植村直己冒険賞は、植村直己を生んだ現・豊岡市(兵庫県)が主催し、自然を舞台にさまざまな冒険活動に顕著な足跡を残した人に贈られる賞です。
 平出さんは、倉岡裕之さんとともに高所山岳の登山で何度も一緒しています。近くでは、2013年のエベレスト(三浦雄一郎氏の同行登山・撮影)、2015年のカカボラジ(ミャンマー最高峰;NHK隊)などがあります。カカボラジ登山の模様はNHKスペシャルで二度にわたり放映されたので、ご記憶の方も多いと思います。あの登山でも撮影を担ったのが平出さんでした。
 平出さんは高所山岳カメラマンですが、またアルパイン登山家でもあり、倉岡さんもその優秀さを私たちに話しています。2008年には、谷口けいイさん(故人;2016年の本欄で既報)と未踏のカメット南東壁の登攀を成し遂げ、谷口さんとともにピオレドール賞を授賞されています。

那須のスキー場で訓練中の高校生ら8人が雪崩で死亡 痛ましい山岳遭難事故がまたしても起こりました。それも、多数の若者たちを巻き込んでしまった事故で、避けることができたはずの事故でしたし、また避けなければいけなかった事故だったと思われます。
 3月27日午前9時20分ごろ、栃木県那須町湯本のスキー場「那須温泉スキー場」付近のやや上部で雪崩が発生し、ラッセル訓練をしていた大田原高校の山岳部員らを直撃しました。最も上部で訓練していた高校生7人と指導していた顧問の教師1人が死亡しました。負傷者も40名(うち重症2名)と報じられています。
 栃木県の高校生を対象とした雪山訓練は恒例の行事で、栃木県高等学校体育連盟主催で実施されました。参加校は大田原高校以外に那須青峰高校、矢板東高校など7校、参加者は生徒51人と教員11人だったとのこと。事故のあった日は当初、登山をする予定でしたが、降雪が激しかったため登山を中止し、ラッセル(雪をかき分け、踏み固めながら進む雪上歩行法)に切り替えて訓練をすることとなり、大田原高校など5つのグループ別に訓練を行っていました。
 ラッセル訓練の現場は、扇子を半開きにした形の2本のリフトの上端終点を結んだ中間部の少し上で、緩やかに沢~窪地状になった形状のところだったようです(東京新聞28日一面の図)。新聞の図を参考に、事故のあった場所の地図を地形図から切り取ってみました。
→部分が雪崩が発生した場所で、標高が1450メートル付近、訓練中に雪崩に巻き込まれた場所で、雪崩発生場所から約100メートル下の標高1350メートル付近でした。地形図からは、ラッセル現場に大きな堰堤のように張り出した上部の“急峻な傾斜面”は、積雪の状況によっては漏斗(じょうご)状に雪を集めながら雪崩を起こすおそれがあると考えられる場所です。雪崩が起こった場合(低いドーンという音がしますが、吹雪だと聞こえない可能性があります)の雪の滑面スピード(時速100キロメートルを超えます)ではあっという間なので、下にいた者は逃げることができません。幸いだったのが、ラッセル訓練を数珠つなぎ、もしくは1つのグループで行わないで、隊列をグループ分けして実施していたことでした。しかし、多数が怪我を負っていることを見ると、程度の差はあれ雪崩にほぼ全員が巻き込まれたことが推測されます。
 通常、雪山の登山では、沢状の場所(木立がない)を横に見ながら通過する際には、隊列を組んで一緒にトラバースはせず、1人ずつ間隔を空けながら通過します。これは冬山をやる登山では常識ですが、このこと1つを考えても、一枚の沢状の急傾斜面を上にして、グループ単位でではあったにせよ一斉に訓練をするという光景は、想像するだけでも怖いものがあります。
 降雪が激しく、吹雪だったことが周囲の状態観察をしにくくしたことは推測できますが、皮肉にも、雪崩はかなりの割合が降雪中に起こっているとの報告があります。『決定版雪崩学』(北海道遭難事故防止研究会編、山と溪谷社、2002年初版)によると、雪崩が起きた天候区分として吹雪(41%)、雪(15%)をあげています。半数以上が雪が降っている最中に起こっています。また、地形の傾斜は雪崩の起きる角度として十分に予想がつく程度と思われます(25~30度以上)。そのほか、風上側よりも風下側(64%)により多く雪崩は起こっています。那須山域は強風で有名で、那須岳山頂から峰ノ茶屋にかけてから強烈な西北西の風が吹きますが、今回の現場は茶臼岳のちょうど風下側に位置します。強風は峠を越えて雪を風下側に運び、風が弱まる地形である風下の急斜面に雪を多く静止させます。この雪は一時的にそこにため置かれただけの不安定な状態にあります。雪崩の誘発にも弱いことがわかります。さらに、形態的にも今回と同じの表層雪崩が雪崩としてほとんど(97%)を占めています。月別に見た雪崩発生件数も、3月が最多となっています。
 重ねて不運にも、大陸から張り出した寒気団と日本列島南岸を北東に進む低気圧とがタイミング悪く重なり合って、日本列島の太平洋側に季節外れの大雪をもたらしています。那須山域は太平洋側の天気の影響下にあり、事故のあった27日の午前9時に33センチメートルもの積雪量を記録しています(これまでに那須にはそれだけの記録がないそうです)。新雪は旧雪面の上に多量に積もると、第一に自重によって2つの雪の接触面(弱層)で剥離(表層雪崩)を起こしやすく、那須町には26日午前10時ごろ前後には何度か大雪・雪崩注意報が発令されていたといいます。最悪の気候とタイミング、最悪の場所で訓練が行われたことが推察されます。
 3月11-12日に私たちが湯檜曽川右岸の傾斜面で雪上訓練を実施した際に、とくに2日目の雪面の立ち上がり傾斜には参加者に注意を促しました。「ない」のが前提の雪崩です。いまさらながらのように、今回の事故のニュースを見ながら、先日の模様を想起しています。直前に新雪が降り、それまでは好天や無雪気象が続いていて、通過する場所が樹木帯でなく、急傾斜面が上部に控えていたなら、表層雪崩には最大限の注意を払わなければいけません。
 1つだけ、雪崩で忘れられないシーンがあります。ヒマラヤの高所登山の記録をテレビで見入っていたときでした、広い真っ白な布団が1枚ふわーっと落ちてきたように起こった表層雪崩で1人が亡くなったのでした。当時、登山家として若手のホープといわれた小西宏さんでした。1991年に行われたナムチャバルワ登山(2回目)の高所キャンプで、キャンプからわずかの傾斜面に何げなく踏み出した際に起こったのでした。ごく自然に、音もなく動画の画面の上で起こったその模様は、今も雪の斜面を見るたびに戦慄を呼び起こします。
 事故は繰り返されます。本多勝一氏が『リーダーは何をしていたか』(朝日文庫)で、“無免許”で運転する人の車(バス)に同乗し、無駄に山の“犠牲者”となった若者たちを弔い、それ以上社会が若者たちを“犬死に”させることがあってはならないとの思いから、遭難事故が起こった事実を徹底して検証した結果に基づいて社会に厳しく警鐘を打ち鳴らしたのが20年前でした(1997年)。今回の訓練を引率した高校登山部の教師の方などのベテランぶりが新聞に書かれていますが、あまりにも危険の大きな場所に、最悪のタイミングで踏み出していったことからして、本当の経験の裏づけがあったのか疑問に思えてなりません。
 いくら年数を重ねた熟練の登山者といえども、雪崩を見る機会はほとんどありません。つまり、もし登山中に身近に雪崩を見るような場面に遭遇したときには、不運にもその人はこの世から去っているかもしれないのであって、雪崩を経験で知る人は皆無と言って過言ではありません。それほどまれにしか遭遇しない、本当の知識となしえないのが雪崩ですが、また必ず起きるものなのです(急な山面の途中に引っかかった雪は必ず下落します)。しかし、誰も、いつ、どこで雪崩が起きるかは予知することができません。登山事故に遭遇した場合に、そのまま最も死因となるのが雪崩です。雪崩に巻き込まれたら、他のどの事故よりも助かる確率は圧倒的に低いということです。遭遇しないよう、避ける以外に策はないのです。
 高校山岳部員には、ラッセルの要領などを学ばせるよりも先に、雪崩の起こる仕組みや山岳地帯の状況によるその危険、積雪のある山域の特徴や降雪時の進路選択を、例えば「弱層試験」や山の地形から危険を知る方法など基礎的な検索法を通じてしっかりと学ばせるなど、もっと謙虚で丁寧な訓練のあり方が志向されるべきではなかったでしょうか。大人こそは、子どもたちに、急ぎすぎないで、ゆっくりと手順を尽くして山に入るように、ある場合には自制することを学ばせる必要があるのではないでしょうか。山での学生の事故、さらには山での死が最も彼ら彼女らの世代に起こりやすい現実の因子を抱えており、本欄(左の欄)で阿弥陀ケ岳南稜での事故に関連してそのことを書きましたが、奇しくも今回の事故は、大人たちが学生たちを死の危険のある淵へと導いていってしまったという皮肉な事実は、今なお登山界が自分たちの未熟さをどれだけ放置したままであるかを物語っているように感じられてなりません。

 今回の事故に関しては、登山におけるリーダー責任、とりわけ雪崩の予見~回避可能性、判断の妥当性、さらには引率登山での資格がどうであったかが問われることになるでしょう。
2017年度我孫子山の会総会 開かる 2月5日午前9時30分から、会員41名の出席のもと、本会恒例の「総会」を根戸近隣センターの大ホールにて開催しました。係ごとの2016年度の活動報告に引き続き、2017年度の役員、係員(係のメンバー)の選出を行い(会長・副会長は無記名投票での選挙)、さらに本年度の年間山行計画・年間予算の承認がなされ、また各種活動方針(前年度の係から提出された活動の要望・課題)が発表されました。それぞれに、時間割に従って質疑と意見の交換が行われ、滞りなく、かつ和やかな雰囲気のうちに幕を閉じました。終了後は2月の例会に切り替えて約1時間、例会を行いました。
 これら総会・例会の議事がすべて終了後、懇親会に移行しました。係から用意された多種にわたるメニューを存分に楽しみ、気ままな談笑が続きましたが、午後9時前に解散となりました。なんと11時間半の長きにわたる1日でした。
 本会は1991年2月初旬の日曜日を期して山岳会として発足したので、今年の総会をもって26年目に入ります。高齢化の波は本会でも切実な問題となっていますが、安全登山を第一に願いつつ、楽しく、山行活動の詰まった新たな1年がしるせることを念じるばかりです。
 総会の進行について尽力された方々はじめ、ご参加のみなさん、お疲れさまでした。

本会恒例のお花見 4月2日午前11時から我孫子市内にある五本松公園・ふれあいキャンプ場で、本会恒例のお花見が行われました。三々五々集合した27名のメンバーが、あらかじめ建てられた2張りのタープのもとで、開花には少し早い桜の蕾を横目にしながらも、楽しいひとときを過ごしました。本会にご縁のあるMさんも遠路、春日部から駆けつけてくださいました。会務係で用意されたビール、日本酒、焼酎とたくさんのツマミ、そして大鍋で作られた豚汁が振る舞われました。いつになく寒冷な今春の気候が依然としてこの日も続きましたが、一日ほぼ好天に恵まれました。このキャンプ場は、老若男女の多数のキャンパーで休日はたいへんにぎわいますが、この日はまだ1週ほど先送りとなった桜の開花に利用を見合わせた人も少なくなかったようです。
 お花見の前に、野外の場所を利用して「実践講習」の機会が9時から設けられました。テント、タープ、ツェルトの建て方やガソリンコンロの操作法、ザイルの基本操作法など盛りだくさんのメニューで、2時間程度実施されました。
 係の方々はじめ、ご参加のみなさん、お疲れさまでした。


◇恒例のGWの大山行を常念岳~蝶ケ岳で実施 本会の発会から続いてきた、GW(5月のゴールデンウィーク)の大山行を、今年は常念岳~蝶ケ岳の縦走で実施しました。これまでは穂高の峰から眺めた常念山脈でしたが、今年はこうして常念岳、蝶ケ岳から穂高連峰を存分に眺望することができました。20年余前の11月下旬に、三ノ沢から入山し、降雪に見舞われて、前常念の頭部でビバークを余儀なくされましたが、あのときに翌日の期待外れの晴天下で目にした穂高連峰の雄姿がいまだに忘れられません。
 雌伏20有余年、本会の7名のメンバーで最高の景観をものにすることができました。テントそ背負ってはいましたが、涸沢~穂高岳の山行と遜色がないほど楽しく、また気骨を求められる山でした。多数の登山者が行き交う人気のルートだということもわかりました。そのなかで、トレンドに反するようですが、本会の8人用の大型テントは常念乗越のテント場でわが隊を主張していました。ホシガラスがわが隊の幕営地近くのシラビソの木に飛来し、視線を送ってくれました。
GWの常念岳~蝶ケ岳

◇本会の会山行で遭難事故発生 去る11月25日午後4時半ごろ、笠取山から雲取山までの縦走をしていた本会の山行パーティー(11月26~28日の予定;男性3人、女性1人)で山行初日で山岳遭難事故が発生し、1人の女性隊員が大けがをして山梨県の山岳救助隊により救助されました。事故者は山梨県の防災ヘリコプターでで救出された後、山梨県立中央病院に搬送され、生命には事なきを得ました。診断の結果、両下肢の骨を折る、全治3か月の重症でした。今冬は寒さが早くから出来しましたが、この日は比較的穏やかな天候であったことも幸いしました。
 遭難場所は奥秩父山域の笠取山から将監峠までの中間地点で、唐松尾山(2108メートル)から牛生院平~将監峠に向かって少し下った、標高1950~1990メートルの南側斜面。当初の計画では笠取山から唐松尾山山頂は登らずに、この日の目的地である将監小屋まで、笠取山~唐松尾山の稜線に平行にたどる、南側斜面の横這い(トラバース)の登山道を進む予定でした。ところが、その道が荒れて通行止めとなっていたため、唐松尾山経由で進行を図りました。この尾根の上でわずかながら雪とアイスバーンが出現してきたうえ、頂稜部には小規模ながら7か所のピークを含む、岩場の混じる状態が続き、進行がその箇所でかなり阻まれました。そのため、唐松尾山山頂からはパーティーとして進行を速める必要が生じ、パーティーとしてそうします。その直後、唐松尾山から下って、さらに横這いに東方向に進む登山道の手前で、2番目に歩いていた隊員の女性が、行路脇上の陥凹部(登山道が一部欠けてなくなっている箇所)に気づかず、そこを踏み外して2メートル程度転落し、さらに数メートルスリップによる滑落を起こしました。幸い倒木があったため停止し、それ以上の落下は免れたものの、傾斜面の上にあり不安定な状態でした。力を合わせて事故者を安全地帯へ移動させようとしましたが、怪我を負っていて移動は困難であり、すでに夕暮れが近づいていたため、警察に救助願いを携帯電話で発信しました。他の隊員たちは、その場での安全を確保したうえでビバーク態勢に入ると同時に、救助隊からの指示に従って翌朝からの救出に備えました。
 スマホを使ったGPS探索機能による同定システムによって6時半ごろに救助ヘリが現場に飛来し、救助が行われました。遭難者はそのまま現場からヘリの機内に収容されて、病院に搬送されました。あとの3人は将監小屋まで自力下山し、駆け付けた警察の職員から事情聴取を受けたのち、小屋の主人の方、山梨県の新聞社のご厚意で車で三ノ瀬まで送っていただき、我孫子から駆け付けた山の会の迎えのメンバーと合流しました。
 多くの方々、とくに山岳救助に専門の部隊(警察および消防の救助隊)の手厚い救助を受けて山の偶発事から辛くも生還することができ、ご協力いただいたご関係の方々にただただお礼と感謝を申し上げるしだいです。
 また遭難者本人も重大損傷と痛みを抱え、さらに寒さの増す山中で終夜、傾斜面であったにもかかわらず、その場を必死で堪え忍びました。同行の3名も、みずからの休息に適した状況にもない場所で、最低体感気温が-10℃だったという寒さの中、不休不眠で遭難者に付き添って援助をし続けました。
 今回の山行は小屋泊まり山行だったため携帯装備は軽かった半面、ビバーク装備にはツェルト(1枚)と簡易なレスキューシートしか持っておらず、パーティーとしてはとくに寒さ対策と宿泊のための十分な装備を携帯していませんでした。また、山域・山として危険性もないと判断し、ロープ類も持っていませんでした。しかし、パーティーにはテント山行、雪山と高所などの経験豊かな者がおり、冷静に一夜を過ごすだけの精神的なゆとりを残していたことも好結果につながりました。
 これから本会で、事故の原因や現場の状況、事故者自身の体調や体力がどれくらいだったか、など彼我の関係から検証が行われる予定で、同行者による遭難報告書の提出も予定されています。遭難者のすぐ後ろを歩いていたメンバーは、「誰でもにありうるべき事故」と感想をコメントしています。 

今年も雪上訓練を実施 3月11-12日の2日間、湯檜曽川右岸で本会恒例の雪上訓練を実施しました。7名が参加しました。訓練内容は、雪面の登下降(ピッケル支持歩行、キックステップ)、トラバースといった基本や、ザイルを使っての懸垂下降(とくに摩擦懸垂、ボディー懸垂)、滑落停止、そのほか雪面でのテント設営などでした(➡雪上訓練メニュー)。Knさんの指導のもと、1日目の昼過ぎから夕方まで、さらに2日目も午前8時からの数時間、みっちりと訓練が行われました。
 本会では入会者が雪山に参加するにあたっては、あらかじめ少なくとも1回の雪上訓練山行への参加を義務づけています。昨年12月の北八ケ岳(東天狗岳)山行でも雪上訓練の意味合いを持たせましたが、今回の湯檜曽川河岸での訓練は、この15年以上にわたり実施してきており、雪山の基本を学んでもらうのに欠かせぬ機会となっています。
 湯檜曽川河岸を使う他のパーティーはまったくおらず、占有状態で訓練や生活が行える利点や、土合橋から1時間余り川床を行った地点で雪の状態を見ながら訓練場所が随意に選べる点、ミズナラの生息する自然豊かな環境の中で訓練が行える点など、魅力がいっぱいの場所です。
 近年、スノーシュー・ハイキングというアウトドアスポーツが普及してきたせいか、ここを行き交うパーティーをしばしば見かけます。実際にも、首都圏からやや遠隔地に位置しますが、それを厭わないなら、谷川岳側の豪快な岩壁と、はるか高くに雪庇の張り出した白毛門側に挟まれた谷間を厚く埋めた雪面が、絶好の雪上ハイキングのフィールドを提供してくれます。ほとんど平坦な残雪面がミズナラの林を縫って、土合橋から芝倉沢の出合の奥まで続いています。
 この日は、土合橋から少し進んだ地点で、川床の積雪は2メートルを超していました。雪解けの流れはありましたが、例年よりも積雪はかなり多かったようです。帰りにタクシーの運転手さんからも、今冬は多雪だったことを聞きました。

2017年度の芋煮会 秋晴れの10月1日、エールの丘のログハウスをお借りして、恒例の芋煮会を行いました。いつもは五本松のふれあいキャンプ場で実施している行事ですが、今年度は我孫子ゴルフ場で行われた女子オープンゴルフ大会とぶつかり、キャンプ場が使用できなかったため、室内での実施に切り替えられました。
 会務係の方々には前日から準備をしてくださったうえ、当日9時過ぎから材料の買い出しや会場作りの準備にご尽力いただき、ありがとうございました。予定の11時半に「カンパーイ」の音頭で開会し、結果的には27人の会員が集まってくれました。おかげさまで、楽しい一日を過ごすことができました。合唱が終わって1次会から2次会に進み、小さくなった輪を作って、1人ひとり「山の会と自分」と題して、語っていただきました。やがて時間はたち、閉会のころには、すでに黄昏が近づいていました。
 一参加者から「野外での活動とは一味違った、親密な関係が醸し出されたと感じました。皆さんの元気な笑顔は、癒されます! このような楽しい催し物が、長く続く事を願っております。」との声が寄せられました。
 ご関係のみなさん方、お世話になりました。またお集まりくださった会員のみなさん方、お疲れさまでした。

手賀沼ふれあい清掃に参加 実施日・時間:2017年12月3日午前8時45分(集合)~11時頃/活動内容:ゴミ拾いボランティア (手賀沼の我孫子市側エリア)  
 12月3日(日)、第27回手賀沼ふれあい清掃(我孫子市主催)に、我孫子山の会から男性7名、女性5名の計12名が参加しました。ささやかでも社会的な活動に参加しようと会員間に呼びかけが行われ、一昨年から始めて、連続3回目の参加となります。この清掃ボランティアは毎年の12月第一日曜日と指定されています。




 前夜の例会後の遅くまでの打ち上げにもかかわらず、朝9時前に多目的広場に有志が集合しました。定刻前にはすでに、活動姿のいでたちの人たちであふれんばかりでした。主催者(我孫子市)からの説明、星野市長の挨拶の後、各参加者は根戸新田方面と親水広場方面などのエリアの中からコースを一つ選びます。過去2回は親水広場方面を選びましたが、ゴミの収穫量(つまりゴミによる環境汚染)があまりひどくないと感じられていたので、新たな市域をということもあって、今年は根戸新田Bコース(沼側歩道下)をメンバー全員が選択しました。 
 主催者で用意されたゴミ袋(分別用の3種)を手に、車道と歩道にあるゴミを拾いながら手賀沼沼畔に沿って西に進みます。男性陣の一部は主催者が用意してくれた長靴を履き、女性陣と共に早速沼岸に降りて掃除にかかります。道路壁から葦の林(沼のほとりには背丈を超える高さの葦が簇生しています)までの均された岸辺には、葦で視界が隠されているせいか、ゴミはあまり見つかりません。あるところには、プラスチック製の小舟が湖水に沈んでいましたが、人力では簡単に回収はできません。
 しばらく行くと鉄骨の桟橋があり、その下には人が入りにくいためか、かなりのゴミが散乱するようにしてありました。早速2~3人が入り込み回収にかかったところ、ペットボトル、空き缶、プラスチック容器、玩具、ロープ、麻袋などなどが泥に埋まって放置されていたりで、他のメンバーもこの周辺を中心に動きました。そして、たちまち回収袋3つが満杯に。その後さらに近くの浅場の水に入り、沼底に沈んだペットボトルや飲料缶などを拾い上げて回収しました。かなりの重量を担ぎ上げて歩道に備えられた回収ポイントに運ぶと、仲間も次々と回収袋を持ってポイントに戻ってきました。
 あっという間に時間がたちました。約1時間の回収作業を終えて多目的広場に戻ります。主催者の計らいで勝ち抜きジャンケン大会などの催しがあり、さらに温かい豚汁が振る舞われました。空きっ腹にとてもおいしく収まりました。
 日頃、山を中心に活動する我々の会ですが、このボランティア活動に参加すると、市の名勝地の手賀沼が近くで見る目にはいかに汚染されてきたのかをつぶさに感じさせられます。早く美しい沼として蘇ることを願う気持ちを共有できたことと思います。(M.T.記)

◇2017年忘年会 12月17日、本会の忘年会を我孫子市民プラザの和室にて18時から21時まで行いました。23名が参加し、最初に「乾杯」の音頭と会長の挨拶で開会。弁当とツマミ、飲み物(各種)が用意され、和やかなな雰囲気のもと自由な歓談が行われました。途中、持ち込まれた山にまつわる数々の歌がCDプレーヤーからで流され、雰囲気をいっそう醸し出してくれました。
 この催しを企画から準備まで担われた係のみなさんとご協力いただいた方々、楽しいひとときをありがとうございました。来年もいい一年となるように祈るしだいです。












     



ページトップへ


2016年
 内外トピックス  会・会員情報
 鹿島槍ケ岳で氷河の存在が確認か 北アルプス・後立山連峰の鹿島槍ケ岳、その北東面に位置する北壁に端を発する「カクネ里」の雪渓が氷河を形成している可能性があることが、信州大学などから成る学術調査隊の調査の結果、明らかになりました。カクネ里は、五竜岳に通じる遠見尾根から間近に俯瞰できる、鹿島槍ケ岳の裾野部分で、このカクネ里から突き上げる雪渓~沢状部、そして北壁がかつては先鋭的な岳人たちの登攀の舞台となり、多くの若い命を奪いました。原眞先生の弟さん・原武氏も、兄弟でのここの山行で落命しています(原武著/原眞編『北壁に死す』)。
➡氷河:静止する雪渓と異なり、「絶えず高所から低所へ動く雪と氷の集塊」との定義。カクネ里がもしそうであれば、日本では劒岳の三ノ窓・小窓、立山の御前沢雪渓に次ぐ4か所目の氷河となります。
今季早々の給水制限に  「首都圏の水がめ」といわれる利根川水系の8つのダム湖の水位の低下が著しく、異例の梅雨前~中期の6月16日から給水・取水制限が実施されることになりました。当面は午前9時から10時までの1時間、10%の取水制限ですが、状況の推移しだいでは20%以上に強化される可能性があります。これらのダムの貯水量の異常な少なさ(6月15日現在の貯水率は37%)は、今冬の降雪量の少なさと同時に、5月における記録的な降雨量の少なさが原因のようです。
 6月13日未明から比較的多量の降水予報で期待されたのですが、効果もさほどではなく、強力な「節水」はもとより、今後も引き続き給水・取水制限が実施されることは必至となりました。市民生活への影響が懸念されます。
 地球規模で降る局地的な降水量は、近年、多寡がますます広がり、しかも不規則に偏在化する傾向が顕著となっています(参考:フレッド・ピアス『水の未来』、日経BP社)。先日、フランス・ドイツでは史上まれな豪雨によって、河川の大氾濫などの事態をきたしました。一方、中国の黄河流域では、降水量の減少、取水量の増加、川下の流水の枯渇といった事態も伝えられています。世界規模で「水」の問題が食料問題として関連して頻発しています。食料の生産に消費される大量の水という観点から、食料輸入大国の日本は、皮肉なことに豊かな水環境であるにかかわらず水の輸入大国にもなっている現実を抱えることをし示します。

◇依然厳しい利根川水系の貯水量 貯水率が異常に低下、し6月の入梅後から早々に取水制限が実施された利根川水系の「首都圏のみずがめ」でしたが、その後、7月に入り降雨に期待が持たれるかと思われたのに反して、奥利根のダム周辺における降雨量が少なく推移しており、依然、厳しい状況になっています。
 幸い関東地方の梅雨明けが遅れている分、降雨にまだ期待が持たれ、また真夏における水の需要増が先送りされているので、大きく問題化せずに経過しています。しかし、降水が今後もさほどは期待できず、現在の8つのダムの平均貯水率が60%から50%に低下すると、取水制限~給水制限に踏み切られる見込みです。多少なりと市民生活に影響が及んでいきます。
 まずは、利用施設、市民生活における節水が求められます。(7月22日)

◇依然厳しい利根川水系の貯水量 貯水率が異常に低下し続けており、6月入梅後早々の16日から取水制限が実施された利根川水系の「首都圏のみずがめ」でしたが、その後もダム周辺における降雨量が少なく推移しており、依然、厳しい状況になっています。8つのダムが完成して以降の25年間で最低に近い貯水率になっています。各ダムの貯水状況の最近の様子が公開されています。➡こちら
 節水に協力しましょう。➡こちら

◇台風9~10号で取水制限解除 8月下旬に日本列島を襲った台風9~10号によりもたらされた降水で、利根川水系のダムの貯水率が90%以上に回復しました。その事態をを受け国土交通省関東整備局と関東6都県などでつくる利根川水系渇水対策連絡協議会は、9月2日をもって利根川水系の10%取水制限を解除しました。
国土交通省関東地方整備局のウェブニュース


◇今夏の山岳遭難事故 今年7・8月に発生した山岳遭難事故の統計結果が警察庁から発表されました。その結果によると、遭難件数は5年連続で過去最多を更新したものの、遭難者は29人減って753人でした。死者・行方不明者は全国で48人(昨年よりも17人マイナス)でした。依然、60歳以上の占める割合が大きいと報告されています(ただし年齢別の登山の絶対人口は示されていません)。 
毎日新聞ニュース


9月30日、戦場ヶ原に初霜・初氷 9月最終の30日に奥日光・戦場ヶ原に初霜が降り、初氷が張りました。なお、例年は9月23日ごろが初霜の時期で、今年はそれより1週間遅れた時期となりました。
 また富士山では9月11日に初冠雪を記録しました。やはり、冬の訪れの便りは、例年よりもしだいに遅くなっているようです。
 大型連休中に山岳遭難事故が多発 4月29日からの大型連休(ゴールデンウィーク)中に、北アルプスを主とする山域で山岳遭難事故が相次ぎ、7名の死亡事故が報告されました。北アルプスでは、富士ノ折立~真砂岳、北穂高岳、奥穂高岳、蓮華岳などで登山者、バックカントリースキーヤーの遭難事故が連続して起きました。そのほかに奥日光の霧降高原、奥武蔵の棒ノ折山でも山岳遭難死亡事故が起きました。今季の事故では、滑落によるものや、また春季から突然に冬季に逆戻りするいわゆる季節遭難が多くみられました。死亡事故に至らないまでも、奥穂高岳や前穂高岳などで山岳登山パーティーの15人余が長野県・岐阜県警察のヘリコプターで救助されました。

◇倉岡裕之さん、例会に来席、祝賀 7月2日の本会の例会に倉岡さんに出席いただき、参加者一同でこのたび(5月22日)のエベレスト7回目の登頂をお祝いしました。ジョン・クラカワーによる『空へ』で報告され話題になりましたが、日本人も含む1996年のエベレストの大規模遭難事故以来、ルート上の安全対策が施され、また天気予報の精度の格段の向上が図られて、エベレストは登りやすくなった、というお話とともに、「ただ仕事で登っただけで、たいしたことをやっているとは思わない」との控えめな弁は、倉岡さんらしいと拝聴したしだいです。会合後の懇親会でも多数で祝福させていただきました。おめでとうございます。

◇倉岡裕之さんが7回目のエベレスト登頂 3月下旬から順応・入国でネパールに向けて出発していた倉岡さんが、さる5月22日、山岳ガイドとして中国・チベット側の北稜からエベレスト登頂に成功されました。倉岡さんは我孫子出身・在住の高所山岳ガイドで、同じガイドの村口德行さんの日本人記録の7回に並ばれたわけです。
 本会は、創立20周年で広く市民を対象に記念講演をお願いしましたし、丹沢の鍋割山山行にご一緒いただくなど、お世話になり、また山の会としてお付き合いを続けさせていただいています。心からこの偉業を祝福したく思います。

 ◇研究協力への取り組み 順天堂大学スポーツ健康科学部助教・中丸信吾氏への研究(登山の骨密度に及ぼす効果に関する研究)で本会として協力をお引き受けしました。先に確認済みの方はもとより、それ以外にもお気持ちのある方は、2月7日の総会の前の午前9時までにアビスタの総会会場までご集合ください。総会スタートの9時半まで、血液の提供(採血)ならびにアンケートへの記入(未履行者)などで協力をお願いする手筈です。どうぞよろしくお願いします。

◇総会関連の文書(文案の会報への掲載) 総会を直前に控え、今期の総会では事前に会員に総会関連の文書(2015年度の活動報告/2016年度活動方針)が閲読できるように、会報に類似の文面を掲載しました。同一の文書ではありませんが、概要以上の詳細度を備えた文案です。許される時間内で十分にお目通しください。会報は2月1日ごろには各お手もとに届く手はずです(1/31現在)。

◇研究協力 同日、総会に先立ち午前9時~10時、順天堂大学スポーツ健康科学部の方々が総会会場に来られ、中丸信吾助教による「運動種目や運動習慣の違いが骨密度および骨代謝に及ぼす影響」の研究に沿って、個人情報(運動習慣)と血液の提供(採血;骨代謝マーカーの検査)、身体組成・骨強度(骨密度)の測定などに、本会の会員有志30名が協力しました。別のウォーキンググループからも同様に協力を得て、骨形成の違いを明らかにする研究だとのことです。登山や歩行などの運動が骨形成に好影響をもたらし、骨粗鬆症の予防に効果があると考えられてきましたが、意外に、その実証は運動生理学方面でもいまだ行われてきていないと聞いています。はたして運動負荷のより大きい登山が骨形成に好影響をもたらすのか、どの程度の効果があるのか、結果が待たれます。

◇2016年度我孫子山の会総会が閉幕 2月7日午前10時~午後3時、アビスタ(我孫子市生涯学習センター)で本会の2016年度総会が41名の出席のもと開かれ、所定の議案に関して討議、議決が行われました。心も新たにこれからの1年間、山行はじめ楽しい山の会の活動と運営に取り組んでいきます。ご出席のみなさん、長時間にわたり、たいへんお疲れさまでした。➡写真12345

お花見 4月3日、午前11時から我孫子市内の五本松公園に隣接するふれあいキャンプ場で、本会恒例のお花見を行いました。26名の方が参加しました。弁当に鍋が用意され、存分に楽しみました。ご関係の方々、参加されたみなさん、お疲れさまでした。
 ➡写真2345
 また、当日午前9時からは、育成野外講習を挙行しました。テント・ツェルト・タープの張り方、ガソリンこんろ・ガスらんたんの使い方を各自で実践で手に取って学んでいただく機会としました。


倉岡裕之さんが星野市長を訪問 7月5日、倉岡さんが、エベレスト登頂の記録達成の報告を携えて、星野我孫子市長を表敬訪問しました。本会の数名がこれに同行し、30分余談笑が交わされました。
 このときの模様が、我孫子市のホームページ「我孫子 まちの話題」で紹介されています。
 ◇お花見と育成講習 4月3日(日)午後11時から、五本松ふれあいキャンプ場で恒例のお花見を行います。ちょうどいい機会なので、同日の午前9時から約2時間、育成講習を実施します。講習内容は、①テント、ツェルト、タープの設営法、②ガソリンコンロ、ガスランタンの操作法です。
テントの建て方/ツェルトの設営
  ガソリンコンロの使い方
 参加予定者は事前に上記のページ(本会HP「資料館」)から予習をしておいてください。
 弁当の予約準備の都合上、お花見参加者は会務係まで至急連絡を。

◇8月例会の日程順延 例会定例日の8月第1土曜日が花火大会にあたっているため会場がとれず、翌日の7日に順延します。場所は市民プラザ会議室です。
 なお、本会の会合スケジュール(集会名、日程、会場)に関しては「会員用掲示板」にも掲示しています。 

芋煮会のお知らせ 本会恒例の芋煮会を10月2日(日)午前11時から、市内五本松公園のふれあいキャンプ場で実施する予定です。飛び入り参加もOKです。ふるってご参加ください。なお、参加の方は食器をお忘れなく。飲み物、ツマミ類の差し入れは大歓迎です。
 初秋のひととき、これからの山行や活動を語らい、楽しく過ごしましょう。タープを設営してお待ちしています。(会務係)


第26回(2016年)手賀沼ふれあい清掃 12月4日(日)に恒例の手賀沼ふれあい清掃のボランティアが行われ、私たち有志も10名で活動に参加してきました。今回は、我孫子市在住の高所山ガイドの倉岡裕之さんも参加くださり、有意義なひとときとなりました。実施後には、コビアンに場所を移して反省会を行いました。
 活動中に、市民の方から声がかかりました。参加する気持ちはあるのだけれど、こういった機会があるのを知らなかったとのことです。心ある方たちが、2011年の大惨事・大事故をもとに意識を新たにしておられることでしょう。ささやかでも、本会もそれらの社会の大きなうねりを注視しながら、微力でも社会に貢献していく必要を感じています。

ページトップへ


2015年(6~12月) 
内外トピックス  会・会員情報 
◇山岳遭難事故(2014年度;警視庁)  警視庁が6月18日2014年の全国の山岳遭難件数、人数などを発表しました。件数、人数とも、統計の残る1961年以降で最多を記録しました。遭難件数は2,293件、遭難者は2,794人(そのうち死亡者は311人)でした。ただ、増加の背後には、携帯電話での通報のしやすさがあるとみられます。発生の県別では長野県が272件、富山県が133件、北海道が120件などとなっています。

◇御嶽山の長野県側が山開き 7月1日、昨年9月の噴火により57人が死亡し、6名が不明となった御嶽山の長野県側木曽町で山開きが行われ、八合目までの入山が可能となりました。なお、岐阜県側の下呂市でも仙人橋の通行止めが同日、解除されました。

◇富士山が山開き 7月1日富士山の山開きが行われました。2年前から入山料が条例化されましたが、徴収率は50%程度にとどまっているとのこと。各入山(登山)口での対策強化が検討されています。
◇梅雨明け 気象庁の中期予報では、エルニーニョの影響で梅雨明けが遅れそうだとされていましたが、台風11号の通過を待っていたかのように、7月19日に梅雨が明けたと報じられました。例年より2日早かったとのこと。

◇登山道の難易度の統一基準、まとまる 検討されてきた登山道の難易度を示す統一基準が、このたび長野(北アルプス)、新潟(上越)、山梨(南アルプス)、山梨(富士山)の4県でまとまりました。岐阜県、富山県も同じ基準を導入する方針です。この統一基準は4県に分布する主要な登山対象について、①要求される体力度(必要な時間数または日数)と②技術的難易度をそれぞれ縦()軸(1~10の10段階)と横()軸(A~Eの5段階)にとり、どの山が座標軸上のどの位置にあるかを示したものです。最も難度の高いのは、南アルプスの中央部(塩見岳~赤石岳)、穂高岳連峰あたりにあるようです。ただし、この基準は有雪期~厳冬期は除外しているので、冬山~残雪期の山登りには適用できません。参考:毎日新聞2015年7月5日朝刊毎日新聞ウェブ版。また、県別の統一基準に関しては、長野県新潟県山梨県静岡県の関連の公式サイトをご覧ください。

◇夏山の事故 ①8月2日、滝子山で沢登をしていた登山者(50歳代、女性)が滝壺に転落し、救出されましたが、病院で死亡しました。
 ②8月9日、北岳バットレスを登攀中の登山者2人(50~60歳代の男女)が約200メートル転落し、死亡しました。この登山パーティーは関西の山岳会の5人だったとのことですが、詳細は不明。


◇夏山の事故 ①8月2日、滝子山で沢登をしていた登山者(50歳代、女性)が滝壺に転落し、救出されましたが、病院で死亡しました。
 ②8月9日、北岳バットレスを登攀中の登山者2人(50~60歳代の男女)が約200メートル転落し、死亡しました。この登山パーティーは関西の山岳会の5人だったとのことですが、詳細は不明。


◇マッターホルンで日本人2人が遭難死 8月10日、スイスのマッターホルン(標高4478メートル)を下降中の日本人登山者の2人の遭難・死亡が確認されたと外務省(スイス領事館)が発表しました。2人はガイドを伴わないでヘルンリ稜ルートから登山を行っており、下山中に天候の悪化に見舞われて、予定のソルベイ小屋(4003メートル)まで下降できず、凍死したものとみられています。つい先日も、45年前に遭難し行方不明だった日本人登山者の2人の遺骸が発見されたことが報じられたばかりでした。
 イギリス人、エドワード・ウィンパーの初登頂(1865年)から150年で、スイス観光局がマッターホルン初登頂150周年 のイベントを行っていたところの事故となりました。この間のマッターホルンでの遭難死亡者は、500人にも上るそうです。


◇マッキンリー峰の名称・標高変更 8月30日、アメリカ政府は、北米大陸最高峰のマッキンリーMcKinleyの名称をデナリDenaliと変更すると発表しました。デナリはアラスカの先住民族が呼び習わしていた名称で、「偉大な存在」という意味。一方、マッキンリーは第25代アメリカ大統領、ウィリアム・マッキンリーの名をとったものですが、アラスカ州政府はデナリの呼称とするようアメリカ政府に40年も前から働きかけてきたといわれます。マッキンリー峰に関してはこれまで2つの名前が使用されてきましたが、これで古来の由緒ある名所に戻ることになります。名称と同時に、標高も従来の6194メートルから6190.5メートルに変更されました。

谷口けいさんが遭難死 昨年12月21日、北海道大雪山系の黒岳の登攀終了点付近で谷口けいさんが滑落、死亡しました。ロープ結紮を一時解除したあと、斜面を数百メートル滑落した模様です。谷口さんは世界で初めて女性として、フランスの名誉あるピオレドール(金のピッケル)賞を受賞した、国内外で有数の女性登山家でした。北杜市に住み、登山のガイドとして活躍し、多くの登山客に親しまれていたというだけに、その死が惜しまれています。合掌。 
◇帰還者・入会者の歓迎懇親会 5月の例会(9日)で2人が本会に入会しました。赴任先の青森県むつ市から神奈川県相模原市に戻ってきたSさんの慰労会も兼ね、例会の後、歓迎会を行いました。

◇GWの山行 5月2~4日14人で飯豊前衛の倉手山山行を実施山頂からの残雪期の雄大な飯豊連峰の眺望(写真1234)を存分に堪能し、誰もいない広大な山頂で山菜のてんぷらに舌鼓を打ちました(⇒HP倉手山

◇赤城山山行 雨天~悪天模様で中止に追い込まれた山行が多かった5月でしたが、30日に赤城山山行が実施されました。この日は絶好の好天に恵まれ、三度目の正直で山頂(黒檜山)に立ちました。山頂からは尾瀬や谷川連峰など雪を帯びた越後の山々の眺望が最高だったとのことです。

◇鳴虫山で読図山行 5月17日鳴虫山読図山行が13名で実施され、2つの経路から山頂を目ざしました。新入会の2人も参加し、歓迎山行ともなりました。山頂では盛大な昼食会を行いました。

◇夏山の事故 ①8月2日、滝子山で沢登をしていた登山者(50歳代、女性)が滝壺に転落し、救出されましたが、病院で死亡しました。
 ②8月9日、北岳バットレスを登攀中の登山者2人(50~60歳代の男女)が約200メートル転落し、死亡しました。この登山パーティーは関西の山岳会の5人だったとのことですが、詳細は不明。


◇北海道の4山の山行成る さる7月15~19日、北海道の東部(道東)の4山の山行を7名で実施しました。斜里岳、硫黄岳、羅臼岳など知床半島に位置または近接した3山、および摩周岳の4山です。天候に恵まれ、熊と遭遇することもなく、無事成し遂げられました。

◇会創立25周年記念山行 8月28~30日、尾瀬沼キャンプ場を舞台に、本会の創立25周年記念山行を行いました。あいにくの曇天~雨天で、当初計画した燧ケ岳登山も取りやめとなり、入山した4パーティーのうち1隊のみ、会津駒ケ岳に登るにとどまりましたが、2張りの大型タープを建て、盛大な記念の宴会を成功させることができました。
 28日から2パーティーが入山しましたが、29日にはさらに2パーティが加わり、合わせて29名に上る仲間が集結しました。また、我孫子にお住まいの高所山岳ガイド、倉岡裕之さんが参加してくださり、得がたい記念の華を添えていただきました。感謝いたします(写真1の最前列中央が倉岡さん)。
 ⇒写真1、23


琵琶湖周遊 10月24~27日にかけて、琵琶湖周遊の山旅を実施しました。伊吹山をはじめ、赤坂山、比叡山、三上山の4山を、恵まれた晴天のもと登りました。この山旅は、山登りと当地での散策を織り交ぜた、ユニークな内容となりました。車2台で遠路をたどり、最高の経験となりました。宿泊所も民宿、テント、バンガローと多彩でした。参加者から「楽しかった」という声が届いています。

◇手賀沼ふれあい清掃 12月6日(日)午前9時から、ごみ拾いのボランティア活動として「手賀沼ふれあい清掃」に本会の有志11人で参加しました。晴天の下、500人以上の市民が手賀沼公園多目的広場に集まり、公園から東側~親水公園コースと~根戸新田コースの二手に分かれて手賀沼沿いの遊歩道に沿ってごみを拾いました。
 ➡「手賀沼ふれあい清掃」の模様
 
◇山の会への装備の寄贈 3月23日 倉岡裕之さんからSOTOコンロ(新富士バーナー社製)の2セットとガス缶4個が寄贈され、会の装備に編入しました。倉手山山頂でも使いましたが、山岳用の1台はきわめて指向性が高く、重さも軽く、優れもののようです。

◇研究への協力 順天堂大学スポーツ健康科学部のある方から本会に対して研究協力の打診があった件(研究テーマ:骨量・骨密度に及ぼす登山の影響)に対して、4月4日の例会で多数の出席者から協力の意思が表明されました。
◇会創立25周年記念ボランティア 会創立25周年を迎えるにあたり、ごみ拾いボランティアを手賀沼畔で10月4日(日)に行います。参加ご希望の方は午前9時にアビスタ(我孫子市生涯学習センター)玄関前に集合してください。なお、各自で炭つかみ(火ばさみ、炭ばさみ)と軍手をご用意ください(収集用のビニール袋は係で準備します)。アビスタから手賀沼に沿って五本松公園のほうに歩いて移動しながら、ごみを拾い集めます。最後はふれあいキャンプ場で解散します。

◇創立25周年記念山行の概要 8月に予定している会創立25周年記念山行(尾瀬)の参加者が6月6日の例会の時点で36名に上りました。尾瀬沼キャンプ場を集合場所として、4つのパーティーで向かうという集中山行形式での計画概要が、5月の会報『ともしび』№.264に掲載されています。
 ①主パーティーは20人乗りのレンタルバスを駆って、南会津・桧枝岐経由で御池から入山するというプランが提案されています。他の1パーティーは②大清水から、その他の2つのパーティーは、③1日早い8月28日、および④会津駒ケ岳を登った翌日に御池から入ります。それぞれのコース別に参加者を集計する必要上、まだの方は、係まで申告してください。


◇倉岡さん登場のNHKスペシャル 倉岡さんが主演で登場するNHKスペシャル「幻の山 カカボラジ~アジア最後の秘境」をオンデマンドで見るには、こちらから(1回目が4月11日に放映され、18日、および5月25日にも放映ずみ)。
 なお、7月12日のゴールデンタイムに1時間50分にわたり、NHK第一でノーカット版の「幻の山・カカボラジ」が放映されました。

◇創立25周年記念山行 in 尾瀬 8月28日から入山する2つの隊を筆頭に、29日に4つの隊が尾瀬沼キャンプ場で合流します。
①:会津高原からアクセスをとり、会津駒ケ岳に登頂後、翌日、④の隊とともに尾瀬に入る隊(K隊)、②28日から車で会津高原-御池経由で早々に入山し、静かになった初秋(夏休み後)の尾瀬を楽しむ隊(T隊)、③29日に、大清水から三平峠を越えて尾瀬沼に入る隊(H隊)。④同じく29日に、バスで我孫子からアクセスをとるメインの大部隊(H隊)。以上の4隊、計30人が尾瀬沼キャンプ場に29日の夕刻前に集結します。まわりの方々には、お騒がせします。
 希望者で29日または30日に燧ケ岳に登頂します。
 おおいに盛り上がり、記念すべき「25周年」となるようにがんばりましょう。
 テント数張り、タープ2張りで大宴会を計画しています。もし近くに来られる機会があり、また私たちをお見かけした際には、ぜひ声をかけていただけると幸いです。
 ②のT隊には倉岡裕之さんも同行されます。


◇創立25周年記念山行 in 尾瀬 8月28日から入山する2つの隊を筆頭に、29日に4つの隊が尾瀬沼キャンプ場で合流します。
◇2017年度山行計画立案に向けて 来年の年間山行計画を検討する時期になりました。9月の会報にアンケート用紙を同封しますので、10月の例会(3日)で提出してください。メールで提出の方は、20日ごろまでにお願いします。なにとぞご協力をお願いします。10月に山行企画係で検討し、11月の会報で第一次案、例会で修正意見を聞いたうえで、12月の会報で第二次案を発表します。 

◇恒例の芋煮会 ごみ拾いの解散場所となったふれあいキャンプ場には、すでに係のメンバーによりタープが建てられ、芋煮の大鍋が用意されていました。これから恒例の芋煮会です。ビール、日本酒がふんだんに並びます。24名全員がそろったところで、「はい! かんぱーい」。日が傾きかける寸前にお開きとなりました。今年の鍋は、しょうゆ味から塩味に変えられ、一味違って新鮮でした。たらふくいただきました。あるメンバーのお孫さんも、偶然このキャンプ場を利用していたようで、合コンと相成ったしだいでした。参加人数が多くて、1張りのタープに入りきらず、男性たちは目いっぱい太陽を浴び続けたのでした。みなさん、一日お疲れさまでした。 ➡「10/4 芋煮会(ふれあいキャンプ場)」

◇2016年度年間山行計画第2次案 来年度の山行計画の第2次案が発表されました。12月例会で2回目の調整が行われましたが、今後も、総会までの間の例会その他の機会で会員からの希望や意見を聞きながら、さらに計画を完成させていくことになります。ご協力をお願いします。

25周年記念ごみ拾いボランティア(手賀沼畔) 10月4日(日曜日)午前9時、アビスタ正面玄関前に本会の会員18名が集いました。片手にビニール袋、片手に炭ばさみを持ち、手賀沼畔に沿って東に向けて移動を開始し道々に落ちているごみを拾い集めました。鳥の館からは、手賀沼側と車道側の二手に分かれて、ごみを拾い集めながら、五本松のふれあいキャンプ場を目ざしました。2時間たっぷりかけて、片手に持った袋がほぼ満杯になるころキャンプ地に到着。ごみを出し、分別しました。 
 ◇ボランティア実施への具体化 6月6日 例会で、会創立25周年の行事としてあがっていた「ボランティア」が、ようやく日の目を見ることになりました。Yさんを中心に、他の有志メンバーも協力して、「ボランティア実行委員会」を立ち上げました。例会でも追加協力者が名乗り出て、相当数から成る委員会構成メンバーとなりました。活動の内容としては、手賀沼周囲のごみ拾い、尾瀬記念山行時のごみ拾いなどがあがっています。また、我孫子市のボランティア活動相談窓口からも情報を収集します。
 ⇒7月4日の例会前の5時半から委員会での打ち合わせを行います。参画は自由です。我も、と思われる方は、ご参集、ご協力ください。


◇大型テントの購入 6月6日 外張りも加えて、ダンロップの大型山岳用テント V-8 (8人用)をこのたび購入しました(6月の例会で装備係から報告がありました)。V-8 型は本会では長い間使い慣れたテントで、今回の購入により 2 張り目です。新製品は、総重量が20年近く前の製品よりも約2kgも軽く、無雪期用3点でわずか 6.5kg なっています。奮ってご利用ください。

◇会報作製の日程 本会の会報『ともしび』(No.267)の原稿締め切りは8月19日で、会報の印刷・作製を23日の昼からアビスタで行います。時間のある方、ご協力ください。

◇8月の会報発行の前倒し変更 本会創立25周年記念山行の日程と接近しており、8月の会報発行の担当者が記念山行に参加するうえで日程が競合するため、会報発行日を予定の8月末から1週間早めます。それに伴い、8月の水曜会の日程を26日から1週間前倒しして8月19日に変更することになりました。8月の会報用の原稿締め切りは8月19~20日に早まりますので、ご注意ください。関係の各位、それぞれ承知おきください。

◇記念ボランティア事業決まる 7月4日の例会に先立ち、「記念ボランティア実行委員会」のメンバーで我孫子市ボランティア市民活動相談窓口を訪問してボランティア事業の種類・内容について相談し、委員からの提案も含めて、ボランティア事業項目一覧を作成し、会報No.265に報告しました。それに基づき実行委員会内で採否をとった結果、3項目が例会に提案され、さらに例会で意見を聴取し、賛否をとったところ、次の3項目が決まりました。――①10月の芋煮会(五本松公園を想定)に合わせた手賀沼周辺の清掃、②「手賀沼ふれあい清掃」(恒例の12月6日、雨天のときは13日に順延)に団体として参加、③会の名前入りの手ぬぐいの作製(ボランティアから外れるが採用)。
 今後は活動の具体化を委員会が中心となって進めることになります。

◇手賀沼ふれあい清掃 12月6日(日)、午前9時から、ごみ拾いのボランティア活動として「手賀沼ふれあい清掃」に参加する運びです。本会の活動ではありますが、任意での参加です。今年は本会の創立記念事業として、ごみ拾い活動などを進めています。希望者は午前8時45分までに手賀沼公園多目的広場にお集まりください。➡詳細は我孫子市の公式ウェブサイトからご覧ください。

◇山の知識検定問題投稿 社団法人・日本山岳検定協会が「山の知識検定」に向けて、山の知識に関する問題を募集しています。応募資格、締め切りはなく、誰でも応募することができます。応募先・問題投稿規定は⇒こちら
◇記念の手ぬぐい 25周年記念の手ぬぐいができました。100枚注文し、会員には1枚ずつ記念に無償で渡します。余りの35枚程度は、希望者に有償でお分けしていますが、残部僅少です。

倉岡さん同行による鍋割山山行 12月12~13日、1泊で鍋割山荘にお世話になり、丹沢の鍋割山を登る計画が実施となりました。我孫子在住の高所山岳ガイド、倉岡裕之さんが初めて登山というものに出あったのが、中学1年のときにこの鍋割山登山だったとのことで、往時を偲びながら倉岡さんの同行を受けるというユニークな企画です。
 12日、予報に反した好天で、大倉から登山を開始し、総勢15名で鍋割山荘に着きました。温かく迎えていただいた後、その夜は、山荘の豪勢な食事に圧倒されました。さらに、草野延孝さんと倉岡さんによるヒマラヤ・アルプスなどの高所談義を聞くことができ、普段はなかなかにして経験できない、貴重な時間となりました。関係の方々には、たいへんお世話になりました。


忘年山行を景信山で実施 年の瀬も押し迫った12月19日、なじみの景信山に11名が集い、山頂で豚汁などの鍋を囲みつつ、2015年度を惜しみました。2016年度もいい年でありますように!

ページトップへ